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夜明けの刻
この小説は、グループSNEのソード・ワールドRPGを舞台にした小説です。セッションとして捉えるなら、一応シティーアドベンチャーに属する内容でしょうか。ソード・ワールドRPGを知らなくても読むのに支障はありません。魔法名はほとんど英語のため、ニュアンスで読んでいただいて大丈夫です。
最後はハッピーエンドですが、途中は陰惨な描写がたくさんあります。苦手な人はご注意ください。

 カギール・スミセインはファンドリアの大地主の一人だった。広大な土地を所有し、それを市民に貸し与えて地代を徴収していた。また、金貸しもしていたそうだが、レイスが言うには決して高利貸しではなく、貧しい者から厳しい取立てをするようなことはなかったらしい。
 念のため俺も独自に情報を集めてみたが、レイスが言うほどの評判でこそなかったが、悪い評判も聞かなかった。あるいは、孫のせいで人々の記憶から失われたか、美化されただけかもしれない。聞こえてくるのはブレインに対する恐ればかりだった。
 カギール亡き後、ブレインはただ祖父の残した金を闇雲に使いまくっているわけでなかった。人脈から悪事に関しては右に出る者がないような人間を数人雇い入れ、闇市場で武器や麻薬の売買を始めたという。
 元々カギールが行っていた事業も継続したが、地代も金利も膨れ上がり、ならず者による徴収から、ひどい場合は人身売買に至るケースもあるらしい。
 屋敷には冒険者の成れの果てが住み着くようになり、屋敷の警備やブレインの護衛に当たっている。レイスらカギールの頃からの使用人は、辞めてしまったか、他に行く宛てのない者は肩身の狭い思いをしながら黙々と働いているそうだ。
 そんなブレインから決別し、俺とともに冒険者になることを決意したレイスは、すぐにでもファンドリアから離れることを望んだ。あの女性の強姦未遂現場には死体があり、レイスの姿はなかったのである。もちろん、ブレインとて犯人がレイスだとは思うまいが、レイスがなんらかの報復を受けることは十分考えられた。
「僕だけのことじゃない。いっそ僕だけならいいけど、ウィーズが僕と一緒にいたら、間違いなくウィーズが犯人だってばれる。だから僕たちは逃げるべきだ」
 顔を上気させてそう声を上げたレイスに、俺はしばし逡巡してから、エリアのことを話した。
 俺がここに来るまでに金を奪い、犯した女は、カギールを頼ってこの街にやってくる。若くて綺麗なエリアが、使用人を使って女を強姦しようとするような連中の中に行けば、どうなるかなど言わずと知れる。
 レイスは肩を落とし、ため息をついて首を大きく横に振った。
「僕にはどうしてウィーズがそのエリアって人を助けようとするのかわからない。こう言っちゃ悪いけど、今さら助けたところで感謝されるとは思えない。罪滅ぼしなの?」
「いや、自己満足だ。ただ、お前と同じように、俺もやり直そうとしている。そして、やり直すならあの不幸な女を助けることから始めたい」
 言われるまでもなく、感謝されるとは思っていない。ただ、両親を亡くし、親族に嫌われ、望みもしない旅の途中で男に襲われ、金を奪われ、刺客に狙われ、行き着く先がブレインではあまりにも可哀想だ。
 レイスは再び重々しいため息をついた。
「わかったよ。これも、冒険者としての最初の冒険だと思うことにする」
「助かる。報酬はないがな」
「でも、どうすればいいの? カギールさんがもういないことも、ブレインさんの評判が悪いことも、すぐそのエリアって人の耳に入ると思う。そうしたら、エリアはブレインさんのところに行かないんじゃない?」
 自分なら行かないと、レイスは付け加えた。しかしそれは、レイスがブレインをよく知っているからだ。たとえどんな噂が流れていたとしても、エリアはまず自分の目で確かめようとするだろう。
「それに、エリアには他に行く場所がない。ここまで来てブレインに会わずに故郷に帰るなんて考えられない」
「会えばすぐにわかるよ。そうしたらあきらめるんじゃない?」
「あきらめて帰ることができればいいが……」
 俺が苦い顔をすると、レイスも視線を落とした。俺ですら容易に想像できるのだから、ブレインをよく知るレイスは確信したことだろう。すなわち、ブレインの屋敷の扉は、若い女性に対して一方向にしか開かれていないと。
「じゃあ、エリアがブレインさんの屋敷に行く前にちゃんと話したら?」
「ブレインは手当たり次第女を犯すようなヤツだから、今すぐロマールに帰れって? それを襲った俺が言うのか? それとも、まったく赤の他人のお前が言うのか?」
 レイスは渋い顔をして、一度天を仰ぐように天井を見上げた。
「ブレインの親はどうしたんだ? 遠くの国って聞いたが、旅行中か? 帰ってこないのか?」
「僕が働き始めた時にはもういなかった。奥さんがカギールさんと合わなかったんだって。奥さんの故郷で事業に成功したって噂を聞いたから、もう二度と帰って来ないんじゃないかな?」
「そうか……」
 元々エリアを他力本願で助けようとは思っていなかったが、こうも何もかもが上手くいかないとため息も出る。
「じゃあ潜入するか? 俺はお前を助けた冒険者ってことにしたらどうだ? 雇ってもらえないか?」
「すぐにばれるよ。直接手は出さなくても、セディリスから言葉巧みに真相を聞き出すに決まってる。そうじゃなくても、僕が戻れば僕はまたセディリスを差し出さないといけなくなる」
 ちなみに、セディリスとはレイスが男たちに差し出した女性のことだ。遠縁の親戚らしい。レイスは首を振って続けた。
「やっぱり二人で行くのは得策じゃない。もし行くなら僕一人か、ウィーズ一人の方が理由がつく。でも、お互い一人じゃ何もできない」
 知り合ったばかりの若造にそう言われるのは癪だったが、言っていることは正しかったので何も言わなかった。実際、俺が一人で潜入できたとして、エリアが俺の言うことを聞くはずがない。
 もしブレインたちにひどい目に遭わされたとして、その屋敷の中で俺を見たら、俺のことを元々ブレインの仲間だと誤解し、ますます頑なに心を閉ざすに決まっている。
「こうなれば先に無理矢理拉致して……」
「悪い冗談はやめてよ。僕はそういうのには賛成できない」
「そうだな。悪かった」
 俺はレイスの胸にかかったマーファの聖印を見てすぐに謝った。
 ブレインのもとで悪事に加担してきたレイスは、しばらくマーファの神官としての力を失っていた。しかし今では心を入れ替えたことにより、また元のように神官としての力を発揮できるようになった。
 五割ほどは本気で言ったのだが、今レイスに信念を曲げるようなことを強要するのは酷だろう。少なくともそれは仲間のすることではない。
「結局、ブレインさんが僕たちの想像するような扱いをしないか、エリアが自力で逃げ出すか。僕たちにできるのは、せいぜいそのどっちかを願うことくらいじゃない? ウィーズだって、今まで手に負えない仕事は受けてこなかったんでしょ?」
 レイスは申し訳なさそうにそう言って、ごろりと寝転がった。投げ出す気はないようだが、少し休憩したいらしい。俺は何も言わずに腕を組んだ。

 これがレイスと知り合った翌日のことである。俺は“夜の太陽亭”という、ブレインの屋敷にほど近い、何かを暗示するような名前の宿に部屋を取り、そこをファンドリアでの拠点とした。
 それから数日、俺はレイスを部屋に閉じ込めたまま、街でブレインやカギールについての情報を収集すると同時に、ブレインの屋敷の調査をした。セディリスには、もしもブレインの手下に何か聞かれたら、事実を言うのは構わないが俺のことはまったく違う容姿を伝えるよう言ってある。それならば他に目撃者はいないので、街を歩いていても大丈夫だろう。
 ちなみにレイスについては、無事であることを伝えた後、やはりブレインの手下に聞かれた場合は、逃げたと言うよう頼んだ。いずれにせよ近い内にレイスはこの街を出るのだから、あながち嘘でもないだろう。
 俺はまた、似顔絵を片手にエリアも探したが、とうとうその姿を見ることはなかった。ある酒場で彼女の護衛をしてきたというパーティーを見つけ、聞かされた情報がこうだった。
「その子なら、俺たちと別れた後、店の親父にスミセインってヤツの家を聞いて行っちまったよ」
 聞けばもう二日も前のことだという。俺は絶望的な心境になりながら、道中でのエリアの様子を尋ねた。
 どうやら、エリアはずっと思い詰めた表情でいて、ほとんど何も喋らなかったらしい。念のため刺客のことを聞いてみたが、襲われることはなかったという。事前に店の主人から聞いており、厳重に警戒してきたそうだ。
 酒場を出た俺はすぐ宿に戻り、エリアのことも含めて知り得た情報をレイスと共有した。その夜は遅くまで相談したが、やはりいい案は浮かばなかった。
 翌日、レイスに今なお働いている使用人を聞き、どうにか接触できた数人にエリアのことを尋ねた。レイスとの話し合いで、まずは現状を確認しようということになったのだ。もしも以前レイスが言ったように、ブレインが何もしていないか、あるいはエリアが逃げ出せていればそれでいい。
 しかし、ようやく使用人の一人が重たい口を開き、言った内容が俺の儚い期待を呆気なく打ち砕いた。
「その子ならブレインさんに捕まって地下室に閉じ込められてるよ」
 買い物の最中だった中年の婦人は、そう言って顔をしかめた。
「それでその、その子は何かひどいことをされたりは……?」
 俺が慎重に尋ねると、婦人は大きく首を振って怒った声を上げた。
「そんなこと言わせないでおくれよ。あんたはブレインさんがどんな人だか知ってんでしょ?」
「あ、ああ。すまない。ただ、そうでなければいいなと思ったんだ」
 俺がすぐに謝り、エリアに同情する顔をしたからか、婦人は声を潜めてべらべら話し始めた。
「ここだけの話だけどね、その子はロマールの貴族らしいよ? 相続争いに巻き込まれて逃げてきたって。さぞかしショックだったろうね」
 それは知っている。しかし余計なことは言わずに、婦人が気持ち良く話ができるよう、興味深そうに相槌を打った。
「それで?」
「それでその子、ブレインさんがどんな人か知らなかったみたいなの。それで喧嘩になってね。喧嘩って言うよりもう、殺し合いって雰囲気だったって噂。その子は魔法は使う、剣は振り回すで、ブレインさんが『お前は俺に来た刺客か!』って怒鳴ったそうよ?」
 そう言って、婦人は何やら楽しそうに笑った。しかしすぐに険しい表情に戻って声のトーンを落とす。
「きっとそれがいけなかったんだろうね。噂じゃ、強姦されたっていうより、拷問を受けたって言葉の方がふさわしい状況だったって。昨日の晩御飯は私が運んだんだけど、あの子部屋の隅っこで膝を抱えて泣いてたわ。ボロボロの服を着て、髪もぐしゃぐしゃで、もう見ていられなかったわよ」
 俺は首を振って空を仰いだ。これほど完璧に予想が当たって悔しかったことはない。俺に犯された後、虚ろな瞳で座っていたエリアの顔が脳裏をよぎった瞬間、俺は自分を殺したくなった。
「どっちにしろ、私にはどうすることもできない。あんた冒険者ってヤツだろ? もしできるならあの子を助けてやってくれよ。さっ、私はもう行かなくちゃね」
 俺が急に黙ったからか、婦人はこれ以上ここにいてはいけないと言うふうに、さっさと歩いて行ってしまった。

 完全に手詰まりだった。
 その夜、俺はいつも通りレイスと相談したが、今まで検討してきた以上の案は何も浮かばなかった。それどころか、部屋から一歩も出られないレイスの精神は、俺が思うよりも遥かに疲弊しており、レイスはもうエリアのことはあきらめて街を出ようと言い出した。
 元々エリアとは面識がない上、こんなブレインの目と鼻の先で息を潜めているのだから仕方ない。正直俺も挫けかけていた。
 疲れ切っているレイスを部屋に残し、俺は一階の酒場でワインを飲みながらエリアのことを考えていた。
 もしもあの時俺があんなことをしなければ、エリアはこんなことにならなかっただろうか。それとも、カギールの死やブレインの性質は俺の言動とは関係ないので、やはり結果は同じだっただろうか。
 それでも何か変わったかもと思うのは、罪悪感がそうさせるのかも知れない。俺は大きく頭を振った。
 だがこうも考えられる。もしもあの時俺がエリアを犯していなければ、エリアは俺を闇討ちしようとした夜、自分の部屋でぐっすり眠っていたはずだ。だとしたら、あの刺客に殺されていたかも知れない。
 いや、それは詭弁だ。自分を正当化しようとしているだけだ。それに果たして今のエリアにとって、一番の幸せとはなんだろうか。殺された方が幸せだとは思わないが、今の状況が不幸なのは間違いない。
 俺はまずい酒を飲み干した。周囲は賑わっているが、その声は俺の耳に入って来なかった。店の主人も気を遣って話しかけてこない。絶望的なまでの無力感。
 俺は何気なく振り向いて──それまで螺旋のごとく同じところをグルグル回っていた状況が、動いた。
 奥の二人掛けのテーブルに、俺と同じように陰気な空気をまとった男が酒を飲んでいた。歳は俺より上で、30少し前だろうか。黒ずくめでもなければ覆面もしていなかったが、長身に銀髪、鋭い眼光は間違えようもない。
 俺はグラスを持って立ち上がり、その男の向かいに座った。
「別に俺個人を恨んでいるわけじゃないんだろ? 少し話がしたい」
 俺が低い声で言うと、あの夜エリアを狙った刺客は一瞬驚いた顔をしてから、憮然とした顔付きになった。
「お前は、あの娘とどういう関係なんだ?」
「ウィーズだ。あんたは?」
 質問に答える前にそう言うと、男はしばらく考える素振りをしてから、素っ気なく答えた。
「……シルバーだ」
 偽名なのは明白だったが、敢えて何も言わなかった。別に名前が知りたかったわけではない。挨拶に過ぎないのだ。
「わかった。エリアとは二度会っただけの知り合いだ。一度目に恨まれ、二度目に殺されかけた。あんたが狙ったあれが二度目だ」
「恨まれるようなことをしたのか?」
「見ていなかったのか? あんたはずっとエリアをつけていたわけじゃないのか?」
「ずっとつけていたなら、とっくに拘束している。お前と戦いになったあの日に追いついたんだ」
 俺の頭に疑問符がよぎった。この男は今「拘束」と言った。エリアを殺そうとしていたわけではないのか?
 俺の疑問を察したのか、シルバーは嘲笑めいた笑みを浮かべた。
「勘違いしているようだな。俺はあの娘をつれてくるよう、ある人に言われただけだ。ただし、無傷でとは言われてないし、むしろ無傷でない方がいいようだった」
「ある人? エリアの親戚の一人か?」
「さあな。あの娘はカギールを頼ったが、財産を放棄したわけじゃない。生きるのに金は必要だからな。あの老いぼれは孫をカギールに預け、金も送る気でいた。だから連中はあの娘をファンドリアに送りたくなかった。せめて近い場所に置いておきたかった」
 そこで一旦言葉を区切り、シルバーは苦々しい顔をした。ひょっとしたらこいつは単に依頼された盗賊ではなく、エリアの親類なのかもしれない。
 だが今は聞かなかった。どうでもいいことだ。それよりも、再び口を開いたシルバーの話を聞く方が遥かに重要だった。
「それがだ! カギールは死んでいた。あの娘はブレインのバカに捕まった。このままではミザルフ家の財産までブレインに掠め取られる。あの娘は女であり、金でもある。ブレインは女としてのエリアに飽きたとしても、絶対に手放さない。状況は最悪だ!」
 シルバーは器用に小声で怒鳴り、やはり器用に思い切り振り下ろした手で軽くテーブルを叩いた。周囲の注目を受けない配慮だろうが、俺はその様子があまりにも滑稽だったので思わず笑った。
 シルバーは今にもナイフでも投げ付けてきそうなほど鋭い瞳をした。
「まあ、そう怒るな。嬉しいんだよ、俺と同じような状況のヤツが他にもいてな」
「同じような状況? お前はあの娘に恨まれているんだろ? それとも、お前も誰かに頼まれてあの娘を狙っているのか?」
「いいや。単なる物好きさ。俺はエリアを助けたい。少なくともまず、ブレインの手から」
「お前を殺そうとするほど恨んでいる娘を助けたがる気持ちがわからん。何か裏があるな?」
「そう思われても無理はないが……」
 嘘はついていないが、シルバーが俺を疑うのももっともである。事情を知っているレイスでさえ、エリアの救出には消極的なのだ。
「とりあえず、あんたが俺と同じで、エリアがブレインに捕まっている状況を打破したいということはわかった」
「俺はお前が俺と同じだということに納得してないがな」
「俺はあいつから金を借りた。それを返さないといけない」
 言いながら、俺は巾着を取り出し、エリアから奪った金をテーブルの上に広げた。シルバーは憮然とした顔のまま、机上の金貨を見つめている。
「俺はレイスという若いのを仲間にしたことで、金の都合がついた。この金をエリアに返したい。あんたが預かってくれてもいいし、なんならあんたへの依頼料にしてもいい」
 低い声でそう言うと、シルバーはやれやれと肩をすくめた。
「金をしまえ。どうやらお前が嘘や隠し事のできないバカだとわかった」
 その口調は本当に俺をバカにしたものだったが、皮肉めいたところはなかった。恐らく俺がエリアから借りたのではなく、奪ったことを理解したのだろう。普通に借りたのならば、殺されるほど恨まれたりはしない。
 俺は苦笑しながら金をしまった。
「じゃあ本題だ。今のところ俺たちの利害は一致している。だから、エリアを助けるまで手を組まないか?」
 シルバーも予想していたらしい。あるいは俺がさっき「依頼料」と言って気が付いたのか。ともかく銀髪の刺客は、特に驚いた様子も、考える素振りも見せずに頷いた。
「いいだろう。癪だが止むを得ん」
 俺が考える以上にシルバーの状況も悪かったのだろう。先に手を差し出してきたので、俺はその手を固く握った。
 エリア救出の希望がようやく見えた。

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