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夜明けの刻2 エリア・ミザルフ
この小説は、グループSNEのソード・ワールドRPGを舞台にした小説です。2007年に公開した 『夜明けの刻』 の完全な続編になっていますので、未読の方はそちらを先にお読み下さい。
『夜明けの刻』 では、落ちぶれてしまったウィーズが冒険者としてやり直していく話を書きましたが、本作は前作に登場したエリアという少女にスポットを当て、彼女が冒険者になる様子を描いています。立ち直るよりも堕ちていくところを中心に書いているため、全体的に可哀想な感じです。前作同様、最後はハッピーエンドですが、途中の描写にご注意ください。

 自由であれ。
 何故あの人は言いたいことを言い、やりたいことをやり、食べたいものを食べて、幸せそうにしているのに、別の人はひたすら我慢し、貧しさの中で働き、汗と涙と溜め息ばかりの生活をしているのか。
 望んでそうしているのか。否、それが正しいと教わって育ってきたからだ。
 何故それが正しいのか考えないのは愚かなことだ。考えれば、それは正しくないとすぐにわかる。
 ただ苦しむだけのために命が与えられたはずがない。苦しみしかない生に意味はない。人生とは元来楽しいものだ。人はすべて、楽しむ権利を有している。
 楽しみ方は人それぞれで良い。千差万別で当然だ。自由に生きれば良い。自分の思うように振る舞い、楽しむことは、あらゆる状況で肯定される。
 その結果、他人が不幸にならないことは理想であるが、他人のために自分を犠牲にする必要はない。
 人は生きるために動物を殺し、時には戦争を起こして人間同士で殺し合う。そして勝者の理由は肯定される。集団は個人の集まりであって、集団で肯定されることは個人でも肯定される。
 自らが幸せになるために他人の犠牲が必要ならば、他人を犠牲にするべきだし、他人を虐げることが喜びならば、他人を虐げるべきである。
 自分の物を奪って幸せになった者がいるのなら、今度は自分が他人の物を奪って幸せになればよい。奪われた者がもし不幸になったなら、その者もまた幸せになれる何かを積極的に行えばよい。
 自由であれ。それは幸せに最も近く、確実で、間違いのない方法である。
「まさか」
 エリアは鼻で笑った。
 社会を形成するために一定の規制は必要に決まっている。すべての人が働きもせず欲望のまま好き勝手に遊んでいたら、そこには何も生産されず、食べたいものも食べられなくなり、やりたいこともできなくなる。
 結果、人は争い、力のある者が力の弱い者を使役し、従属関係が生まれ、社会は二極化する。ごく一握りの「楽しめる者」と、そうではない大多数に分かれ、やはり多くは楽しめない人生を送ることになる。
 人は働いて得た一部を自分のものとし、一部を権力者に納める代わりに、権力者は働く者を庇護し、生活を良くするための努力をする。やるべきことをやった中で、初めて安らぎに満ちた幸せがある。
 それが秩序であって、その秩序を乱す者には、相応の罰が下されるべきである。秩序を乱す行いを法律としてまとめ、布告し、それを取り締まる者を配備する。
 権利と義務、していいことと悪いこと。その境を考えず、ただ自由であろうとするのは明らかに間違っている。
「だから、私は悪には走らない。例え盗まれても、貧しくても、社会が認めるやり方しかしない」
 自らを納得させるようにそう言って、エリアは荷物を担ぎ直して前を見た。
 眼前にザインの城壁が見える。シェリーディのことと慣れない旅の疲れに弱気になっていた。だから、心に暗黒神の入り込む隙を作ってしまった。
 だがもう大丈夫だ。街に入れば宿屋に泊まって、体も洗えるし、警戒せずにベッドで寝られる。美味しいものも食べられる。お金の不安はあるが、今度こそ門戸を広げて積極的にアプローチすれば大丈夫だ。実戦経験こそ少ないが、剣も魔法も使える自分が、役に立たないはずがない。
 剣と宝石を盗んだシェリーディは相応の報いを受ける。悪人の末路は悲惨であると決まっている。
 不意に、エリアはウィーズを思い出した。
 冒険者として暮らし、金が尽き、エリアを襲って金を得た男。経緯はわからないが、そんな彼を慕う少年がいて、ウィーズの仲間になった。
 彼は報いを受けるだろうか。受けて欲しいと、自分は思っているのだろうか。
 本当は、心のどこかで羨ましく思ってはいないか。
 さっきの誘惑は、本当に暗黒神の囁きだったのか?

 ようやく街に辿り着いて再出発を決意したエリアを阻んだのは、十字に突きつけられた二人の衛兵の槍だった。エリアは思わず小さな悲鳴を上げて一歩後ずさった。
「まだ、入っていいとは言っていない」
 冷酷に言い放った若い衛兵に、エリアは困惑した表情を浮かべて言った。
「私は自分の素性も明かしたし、目的も言いました。通行料も払いました。この上、まだ何が必要だって言うんですか?」
「お前は魔術師だろう」
「それはさっき自分でそう言ったし、何か問題でも? 冒険者の半分は魔法くらい使えるわ」
 ザインが魔術師を嫌う街なのはエリアも知っていた。知っていたから、元々ザインの街は素通りする予定だったのだが、シェリーディのせいでそうもいかなくなったのである。
 だが、魔術師を嫌っていることと、完全に排斥することはイコールではない。今言った通り、冒険者の半数はなんらかの魔法を使えるし、ザインにだって魔術師はたくさん住んでいるはずである。
「お前の名前がエリア・ミザルフで、貴族の娘で、冒険者になりたくてロマールを出てきたのはわかった。で、どうして一人なんだ?」
「仲間が一人いたのよ。でも仲間だと思っていたのは私だけで、その人は私の剣やお金を奪って消えてしまったの。本当よ。じゃなきゃ、こんな丸腰で一人旅なんてしないわ」
 衛兵の質問に、エリアは早口でそう答えた。ただでさえ惨めな状況にあって、なお疑われたり蔑まれたりするのが悲しくて、腹立たしくて、涙が込み上げてくる。だが、ここで感情的になってはいけない。正しいことを言えば常に正しいというわけではない。
「私はエレミアに行きたいの。でも、騙されたせいで装備も食べ物も足りないの。お金も心配だし、ザインで剣を買って、仲間を見つけたいの。それ以外の目的は何もないわ」
「金が無いんだろう? 仲間が出来なかったら? お前が魔法を使って盗みを働かない保証は?」
「神に誓って」
「神官でもない人間の誓いに何の意味がある。それに、言っていることの信憑性もない。お前が誰かの刺客である可能性も排除できない」
 鋭く目を細めた衛兵の言葉に、エリアは頭に血が上った。どれだけ理性的に振る舞おうと、心では感情をぶちまけたいのが女の性だ。
「こんなふうに正面から堂々と入ってくる刺客がどこにいるのよ! そんなに信じられないなら、ずっとついてくればいいわ。私だってもっと魔術師がちやほやされる国に行きたいわよ。誰が好き好んでこんな国に! 用が済んだらすぐに出て行くわよ!」
「なら、最初から入ってくれなくていいぞ」
「だから言ってるでしょ、剣やお金を盗まれて寄らなくちゃならなくなったって。さっきから私が止められてる間に、何人がその門をくぐってるの? 私とあの人たちの何が違うって言うの? あなたたちに、正規の手順を踏んで入ろうとしてる人間を、ただ信じられないって理由だけで追い返す権限があるの? どうしてもって言うなら偉い人を呼んで来なさいよ。ロマールのミザルフ家を知ってる人だっているでしょうし、問い合わせれば私の素性を保証してくれる人はごろごろいるわ」
 ただ魔術師であるというだけで槍を向けられ、刺客だと疑われ、誤解を解くために捨てた家柄に頼る自分が情けなくて、エリアは思わず涙を零した。
 二人の衛兵は顔を見合わせ、しばらく何かを話した後で、ようやく槍を上げた。そして一人は憐れむように、一人は蔑むようにエリアを見ながら言った。
「わかった。お前が冒険者として成功することを祈る」
 気が付くと、門の内側には人だかりが出来て、見世物を見物するように笑いながらエリアを見ていた。エリアは悔しさと恥ずかしさでいっぱいになって、小走りに門をくぐり抜けた。

 宿を取り、荷物を放り投げてベッドに倒れ込んだ瞬間、エリアは意識が遠のきそうになった。一人旅で、ぐっすり眠る日がなかったのだから仕方ない。
 すぐに街に繰り出すつもりだったが、気が着くと一時間ほど経っていて、エリアは慌てて飛び起きた。鎧を着て外に出ると、もう随分落ちた太陽が街を赤く染めていた。
 とにかく武器を買わなくてはいけない。武器は命を守る道具なので、なるべくいい物が欲しい。質のよい剣を買うにはメイジリングを売らなくてはならない。それに、宝石もある程度換金する必要がある。現金の手持ちはもう残りわずかだった。
 宝石の方はすぐに換金できた。残った2千ガメル程度の宝石は服の内側に縫い込んだ。これでもう、文字通り身包み剥がされない限りは盗まれることはない。エリアの最後の金である。
 メイジリングを買い取ってくれる店も探したが、こちらは難航した。ここはザインである。魔術師ギルドが公然と建っていることもなければ、魔法の道具を扱っている店も皆無だ。
 仕方なく先に武器屋に入ると、髪の毛の寂しい壮年の店主が、ニヤニヤしながら近付いてきた。美人の娘が来た嬉しさ半分と、からかい半分、後はわずかな警戒心が見て取れる。
「お嬢ちゃん、何をお探しで?」
 エリアは努めて冷静に返した。
「お嬢ちゃんなんて呼ばれる年じゃないわ。剣よ」
「剣ねぇ」
 店主はニヤニヤしたまま、壁にかかっている剣をしばらく眺め、やがてその内の一本を取ってエリアに放ってよこした。幅の広い刀身を持ったファルシオンだ。
 もちろん、そんな無骨な剣をエリアに使えと言っているわけではない。そこそこ重たいこの片手剣が使えるか試しているのだ。
 エリアは顔色一つ変えずに剣を何度か上下に振った。鋭く空を切る音に、店主が驚いた顔をする。
 元々同年代の女性と比べたら力はある方だし、腕だけでなく体重を使った剣の使い方も心得ている。エリアには造作もないことだった。
「使えなくもないけど、少し重いわ。これじゃ、長くは戦えない」
 余興は終わりと言わんばかりに、エリアは剣を投げ返した。
 店主は剣を壁に戻しながら、先ほどより随分真面目な口調で言った。
「質がいいのも銀の武器も、言われれば奥から出てくる。魔法の武器は、少ないが無いでもない」
「魔法の武器なら少し軽くてもいいし、むしろ軽い方が使いやすくていいわ。基本的には私は魔法で戦うから。ただ……」
「ただ?」
「現金の持ち合わせがないの。ねえ、メイジリングを買ってくれるお店を知らない?」
 箱入りのエリアは交渉などしたことがないので、さっさと手の内を明かして話を進めることにした。今剣に使える金と、メイジリングが2つあるので、1つを売って剣や食べ物を買いたい旨を伝えると、店主はエリアのメイジリングを見ながら小さく唸った。
「よし、じゃあこの剣とそれを交換しよう」
 そう言って店主が奥から持ち出したのは、一見するとブロードソードのような剣だった。どうやら魔力を帯びているようで、手にしっくり馴染み、少し重たいがその分破壊力はありそうだった。
「いい剣ね。でも、私のメイジリングはただの発動体の指輪じゃないのよ? 割が合わないわ」
 エリアの見立てでは、1万ガメル程度の開きがあるように感じる。果たして店主はそれを見越した上でか否か、あっさりと引き下がった。
「そうか。それならこれはやめておこう」
「待って。あなたはその剣をいくらで売るつもりで、私がこの指輪をいくらで買ったと思うの?」
「前者は2万だ。後者は、それを聞いてどうする?」
「あなたが物に精通した人なら、私も安心してあなたの勧める剣を買えるわ」
 エリアのその説明に、店主は愉快そうに笑った。
「じゃあ、正直に言おう。3万だな」
「当たりよ。私もその剣は2万だと思った。で、あなたは1万も儲けるつもりなの? ううん、元々その剣を2万で売って利益があるんだから、もっとね」
「この街じゃ、魔術師の使う道具はほとんど売れない」
「希少なら高くなるでしょ、普通」
「買う人間がいなければ安くなる。この街じゃ、剣、盾、鎧以外の魔法の道具は公然と販売できない。売れない覚悟で俺は買おうとしてるんだ」
 エリアは難しい顔をして、顎に指を当てた。店主の説明には納得のいかないところがあるが、立場はこちらの方が弱い。恐らく店主もそれを見越した上で足元を見ているのだ。
 剣自体は間違いなくいいものだ。ロマールで買ってシェリーディに盗まれた剣は4万ガメルしたが、それよりも使い勝手が良い。次はもう盗まれることはないだろうから、2万払うのは惜しくないが、3万の指輪と引き替えは痛い。
 エリアはやはりどう交渉していいのかわからなかったので、思ったことをすべて言葉にしてから、できればお釣りかおまけが欲しいと告げた。
 今度は店主の方が少し考える素振りをしたが、結局エリアが気に入ったのか指輪に惹かれたのか、エリアの申し出に承諾した後、奥からおもちゃのようなナイフを持ってきた。刃渡りはエリアの手の平より少し短いくらいで、ペーパーナイフのような片刃のナイフだ。
「これは? 魔力があるようには見えないし。一応銀みたいだけど……まさか、ミスリル銀?」
「いいや、ただの銀のナイフだ。ただ、異様に質がいい。そんなに切れるナイフは見たことがない。石でも切れる。非売品で俺が使っていたヤツだが、良ければそのナイフと剣とで、指輪と交換にしよう」
 少し試し切りをさせてもらったら、確かに良く切れた。価値はよくわからないが、いずれにせよ剣は必要だったし、エリアはこのナイフで妥協することにした。
 剣を佩き、ナイフも腰のベルトに着けた。店主に礼を言って店を出ると、もう夜になっていた。
 武器は満足できる物が手に入った。次は仲間だ。
 エリアは軽い足取りで宿に戻った。

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