「こういう場所では俺の出番は無し」
冗談っぽく、エリアの隣でバラシスが言った。適材適所、リーダーとは言え常に先頭にいるわけではなく、場面場面で一番優秀な人間がイニシアチブを取るらしい。
夜になれば手際よくテントが張られ、エリアがシェリーディから教わった知識を披露するシーンなどまったくなかった。むしろすべてが勉強で、いちいち感心するエリアに、メンバーが楽しそうに笑った。
そうして2日後、山脈に近い開けた場所に、白い石造りの神殿が姿を現した。柱は所々が崩れ、苔むしている。壁には穴が空き、ネズミが這い回っている。神殿は山肌と隣接し、そのまま洞窟になっているらしい。門は開かれ、中から顔を覗かせる暗闇に、エリアは思わず身震いした。
「不気味ね」
「大体こんなものさ。すぐ慣れるよ」
思わず素直に感想を口にしたエリアに、バラシスが明るい声で言った。
ルゥーライが“ウィル・オー・ウィスプ”を飛ばして中を照らす。入り口の向こうはすぐ大広間になっていて、奥は見えない。ウィスプを少し先に進めると、30メートルほど先に土や岩が剥き出しになった壁があって、20メートルほどの高さの場所にドアがあった。
「外から見たらこんな高さ、なかったのに……」
「もうここは山の中ってこと。それより、どうしてあんなところに扉を作ったのか、さっぱり意味がわからない。けど、その意味に関わらず、俺たちは行かなくちゃならない」
「ここで諦めたの? それとも、あの中には入ったの?」
エリアは、これが“レビテーション”の欲しい理由なのかと思ってそう尋ねた。実際、エリアには飛ぶ以外に入る方法が思い付かない。
「いや、ノルキーに登ってもらった」
その答えに驚いてノルキーを見ると、少年は少し照れた顔をしながら胸を張った。
「一人ならいいんだけどね。登ったらドアの向こうが通路になってて、まだ奥が深そうだったから、とりあえずそこで止めたんだ」
「そう。でも、“レビテーション”じゃあの高さまでは行けないわ。“フライト”とは違うの」
“レビテーション”は10メートルほど浮かぶことのできる魔法であって、完全に浮遊できる魔法ではない。困惑気味にエリアが言うと、逆にバラシスに質問された。
「じゃあ、どうしたらいいと思う? 考えてみて」
まさかそう言われるとは思わず、エリアは驚いた。しかし、彼らがただ言われるまま魔法を使うだけの人間を求めているわけではないとわかり、嬉しくなった。しばらく考えてから答えた。
「ノルキーは一人で登れるんでしょ? 上からロープを垂らしてもらって、それで登るのは? ロープは途中で何ヶ所も結び目を作ると登りやすいわ」
そんなことは常識だろうと思いつつも、基本的なことは知っているというアピールも込めてそう言ってみた。バラシスはエリアの答えに満足せず、表情を変えずに続けた。
「それはもちろん考えたし、常套手段だ。でも、盗賊技能のあるノルキーならともかく、俺たちがこの高さを登るのは危険すぎる」
「それは鎧や体重が重いからでしょ? 私が“ディクリース・ウェイト”を使うわ。3分で上まで登って」
「出来ると思う?」
「まず私がやる。冒険者になり立てで、やったこともない私に出来たら、みんなにも大丈夫よ」
今度はバラシスは満足そうに頷いた。カレントも頼もしそうに笑っている。
「その答えだけで十分だ。先頭は俺が行く」
結局、エリアのアイデアで全員がドアの向こうに達することができた。エリアは精神力を使って少し疲れたが、“ディクリース・ウェイト”を4回程度なら問題はなかった。
「さあ、ここから先は未知の領域だ。慎重に行こう」
通路は床は平らな石が敷き詰めてあるが、壁や天井は剥き出しの土だった。人が二人並べるほどの幅があり、上も剣が振れるほど高い。
しばらく歩くと、左右に扉があった。ノルキーが音を聞いたり、罠を調べたりしてから開ける。鍵はかかっていなかった。
部屋の中にはベッドやテーブル、本棚、水差しや食器、瓶や調理器具があった。もちろんいずれも朽ちていたし、部屋の至る所に蜘蛛の巣が張り、部屋の中に足を踏み入れたら埃が舞った。
テーブルの引き出しを開けたり本棚の本をめくる。金目のものはなかったが、本にはそれなりの価値があるように思えた。ただ、いずれも湿気や虫食いでボロボロになっていたし、重量を考えると持ち帰るほどの価値はなさそうだった。
もう一つの部屋のドアを開けると、巣くっていた蝙蝠が一斉に飛び出してきて驚いたが、人に危害を加える類のものではなかった。先ほどの部屋と似た作りで、同じように調べてみたが何も出て来なかった。
「ここは生活用の部屋みたいだな。色々な儀式がこの建物で行われていたのは確かだし、まだ奥がある。先へ行こう」
同じような部屋がさらに4つほどあり、すべてを隈無く調べたが、何も出て来なかった。3回目の“ウィル・オー・ウィスプ”を使ってすぐ、ようやく変化のある場所に出た。10メートル四方の広間の中央に三段になった石造りの祭壇がある。
エリアがバラシスに促されるまま、部屋の中央付近に“ライト”の魔法を使う。照らし出された光景に、思わずエリアは小さな悲鳴を上げた。
無数の白骨と、壁にずらりと並んだ刃物、不気味な模様の描かれた床には煤が積もっていた。壁には自分たちの入った場所の他に扉はなく、ここが終点にして儀式の間のようだった。
「これで終わり? 宝物、なかったわね」
エリアがそう言うと、バラシスが唸った。
「いや、そんなはずはないんだが……」
ノルキーが石を放り投げると、石は床の上を音を立てて転がり、祭壇に達した。危険な罠がないことを確認しながら、慎重に祭壇に歩を進める。
祭壇は黒曜石のように黒光りする石で出来ていた。ノルキーがダガーの先端で突いたりしながら調べると、突然一番上段の石板が横にずれて、その下にぽっかりと穴が現れた。
メンバーは「おおっ」と歓喜の声を上げたが、エリアはなんだか気味が悪くて表情を険しくした。
穴は概ね円形をしていて、幅は直径1メートルほど。ルゥーライがウィスプで照らすと、高さは5メートルほどで、底からさらに通路が続いているのがわかった。
聞き耳を立てたりウィスプを先に進めたりして、下にモンスターが潜んでいないことを確認する。最初に降りたノルキーが通路が先に続いていることを告げ、4人が後に続いた。
通路は曲がりくねりながら先に延びていた。登ったり降りたり、広くなったり狭くなったりして、エリアはだんだん平衡感覚がなくなり、気持ちが悪くなってきた。
一度休憩したいと思ったその時、先頭を行くノルキーが声を上げた。
「なんだこれ!」
通路の先に空間があった。通路は同じように曲がりくねりながら先に続いているが、先ほどまで壁に囲まれていた通路は、今や剥き出しになっている。左右には何もなく、落ちたら一溜まりもなさそうだった。
どれくらいの高さか、ノルキーが試しに石を投げてみたが、石が床に当たる音はとうとう聞こえなかった。
ウィスプを先に飛ばすと、通路は3回弧を描いて、向こう側の壁に続いていた。壁には高さ3メートルほどの銀色の扉があった。いや、扉というと語弊があるかもしれない。ドアノブもなければ、そもそも真ん中に隙間もなく、どう開くのか想像がつかない。
「これか……」
バラシスが息を飲んだ。エリアが見ると、バラシスはその銀色の扉を凝視しながら淡々とこう言った。
「事前に調べていた時に、ああいうものがあるって書いてあったんだ。扉には魔力がかかっていて、強い魔法を叩き込むと、しばらくの間その魔力が打ち消されて、向こう側に行けるらしい」
「それで、私?」
「そう。隠していたわけじゃないんだけど、わかってほしい。情報は冒険者の命なんだ」
「別にいいわ」
エリアは特に気にすることなくそう答えた。いや、正確にはもっと他に気になることがあり、それがあまりにも大きすぎて、バラシスの言葉などどうでもよかったのだ。
ゆっくり慎重に近付きながら、エリアが口を開く。
「“ストーンブラスト”じゃダメなのかしら。ルゥーライもカレントも使えるんでしょ?」
「もちろん。ただ、本には古代語魔法って書いてあった。どうしても魔術師が見つからなければ試してみようと思ったんだけど、その必要もなくなった」
「そうね」
やがて、エリアは扉の正面、5メートルほどの場所に立った。仲間はそのさらに5メートルほど後ろにいるが、通路が曲がっているので、扉の正面ではない。エリアは一度振り返って、仲間の位置を確認した。それから一度天井を見上げ、床に目を落とす。
「エリア、景気よくやってくれよ!」
ノルキーが明るい声でそう言った。エリアは一度目を閉じて、どこまでも深い溜め息をついた。次に目蓋を開くと、その瞳は涙で濡れ、溢れた一滴が頬を伝った。もちろんそれは、背中しか見えない仲間の目には入らなかった。
エリアは見惚れるほどしなやかな手振りで魔法を汲み上げ、自分を中心とした空間に放った。闇に包む魔法、“ダークネス”だ。
「エリア? どうしたんだ?」
闇の中から焦りを帯びたバラシスの声がする。
「“ライトニング”の光は強いわ。目を痛めないように」
適当な嘘をつきながら、今度は“レビテーション”の魔法を使うと、ふわりと浮かび上がった。仲間が口々に何か言っているが、もはやエリアの耳には入らなかった。
エリアは少しだけ場所を移動した。丁度扉を中心に、仲間のいる場所と反対になる位置だ。そしていつも以上に精神力を込めて、“ライトニング”を汲み上げる。魔力を増幅する指輪がキラキラ光ったが、それも闇に包まれて見えなかった。
「私は、あなたたちを信じたかった!」
闇の中で、光の奔流が銀色の扉に突き刺さった。途端、扉が強い光を放ち、暗闇の魔法を消し飛ばす。バラシスたちは初めてエリアのいる位置に気が付いたが、すでに遅かった。
エリアの放った魔法の何倍もの光が、扉から真っ直ぐ4人に迸った。
「バカな!」
バラシスの悲鳴に近い声。光が4人を飲み込んだ。バラシスとカレントが衝撃に吹っ飛ばされて、通路から下に転落していくのが見えた。ルゥーライは通路の上に倒れたが、元々あまり生命力が強くなかったのか、一撃で絶命していた。
運良く一人生き残ったノルキーが、全身を震わせながら顔を上げる。それを冷酷な眼差しで見下ろして、エリアが言った。
「あなたも、4人とも、みんな、私を道具に使おうとした。私は純粋に仲間が欲しかっただけなのに。それを、踏みにじった」
ゆっくり剣を抜き放つと、ノルキーは泣きそうな顔でエリアを見上げて首を振った。
「た、助けて。仕方なかったんだ。ぼ、僕はエリアを気に入ってた。綺麗だし。でも、仕方なかったんだ……」
「私はそれを信じないし、もしそうだとしても、私を殺そうとした事実に変わりはない」
エリアはもうこれ以上話すことはないと言うように、ノルキーの腹に剣を突き立てた。服を裂き、肉を突き破る感触に、エリアは思わず顔を歪めた。
ノルキーは叫び声を上げ、しばらくのたうったが、やがて全身を痙攣させ、ゴボッと血を吐いて動かなくなった。
エリアは剣を引き抜いて鞘に収めた。涙が溢れて止まらない。
「みんな私を裏切る……。どうして? 私がいけないの? 私は信じたいのに……」
エリアはその場に膝をつき、声を上げて泣いた。しんと静まり返った空間に、エリアのむせび泣く声が響き渡る。
それでも、いつまでもそうしているわけにはいかない。エリアはやがて立ち上がり、扉の方を見た。今や銀色の扉は姿を消し、魔法の欠片のような光の粉が無数に漂っていた。
エリアは剣を抜いて“ライト”をかけ、ゆっくりと歩き始めた。
どんなに悲しいことがあっても、前に進むしかない。何故こんなに辛い思いばかりしながら、それでも生きているのか、エリアは考えたことがある。
結局、死にたくないからだ。だから、例え犯されようと、騙されようと、罵声や嘲笑を浴びようと、裏切られようと、殺されそうになろうと、進むしかない。
「私は、生きる」
もう涙はなかった。
エリアは力強く扉のあった先へ足を踏み出した。
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