信じたかったが、シェリーディに裏切られたことで、心から人を信じることが出来なくなっていた。そのシェリーディがエリアに言った。慎重なのは大切だと。
これはバラシスのミスだと思うが、バラシスはマトティダスの情報を、本から得たと言った。
「本には『罪』としか書いてなかった」
エリアが出発の前に2日もらったのは、その本を探して、徹底的に調べるためだった。仲間との交流は主目的ではなかった。
マトティダスの情報は案外すぐに見つかった。200年という歴史はそれほど古くないし、実際に当時生きていて、事情を知っているエルフも存在した。彼らの情報や本の記述から、エリアもまたその扉の詳細に行き着いた。
強い魔法によって一時的に消えるが、その魔法を増幅して跳ね返す扉。
そこまでは別に良かった。問題は、何故それをバラシスがエリアに教えなかったかだ。彼は情報は冒険者の命だと言った。だから、ぎりぎりまで言わなかったのは止むを得ない。だが、仲間ならば、最後には教えるべきである。
何も言われなければ正面から魔法を使う。それを斜めから使えば術者も助かることを、彼は知っていたはずだ。だから彼らは、エリアが魔法を使う時、直線上に入らない場所にいた。
全員助かることができた。だが、彼らはそれをしなかった。初めから仲間にした魔術師は殺すつもりだったのだ。すべての笑顔は嘘だった。エリアを油断させるための罠だった。
扉の向こうには、マトティダスが蓄えた宝石があった。山のようにとはいかないが、それでもエリアがシェリーディに盗まれた分くらいは優にあった。
エリアはそれを一掴みだけ袋に入れた。別に欲がないわけではない。これは貯金だった。
すべて持ち帰っても、またいつどういう形で盗まれるかわからない。それならばいっそ、ここに置いておいた方がいい。もはやこの場所を知っているのはエリアだけなのだから。
危険を冒さず、慎重に行動する。
エリアはずっとシェリーディの話を思い出していた。彼女のことはもちろん恨んでいる。だが、彼女が残した知恵や知識がなければ、今頃自分は間違いなく自分の魔法で死んでいただろう。
ウィーズのこともそうだ。自分は人を憎みきれない。バラシスたちのことも、嫌な思い出より楽しく話をした記憶が蘇る。
たぶんそこに付け入られるのだろう。自分のこの性格を、捨て去るべきか、逆に大事にするべきか。もはやエリアにはわからなかった。
帰り際、ノルキーとルゥーライの遺体を、通路から下に落としておいた。もし次にここに来た時、腐敗した彼らの遺体を見るのは忍びなかった。
黒光りする祭壇は元に戻し、足あともできるだけ消した。そして少しでも早くこの閉塞した空間を出たくて駆けた。“フォーリング・コントロール”を使って飛び降り、逃げるように神殿を出ると、すでに辺りは真っ暗だった。
背後には神殿が不気味に佇んでいる。風が仲間だった者たちの叫び声のように聞こえた。
エリアは気持ちが悪くなって膝をついた。込み上げてきた吐き気をどうにか堪える。ひどい眩暈がして冷たい汗が流れた。
体は立ち上がるのも億劫なほど消耗していたが、胃はとても食べ物を受け付けそうになかった。倒れるように横になると毛布にくるまり、ただひたすら朝を待った。
2日後、ふらふらになりながらザインの街に戻ったエリアを待っていたのは、もちろん誰かの笑顔でも温かな言葉でもなかった。エリアには待ってくれている人などいない。それはわかっていたが、まさか手枷をつけられるのは想定外だった。
「な、何?」
驚くエリアにニヤニヤしながら冷淡な言葉を吐いたのは、門を守る衛兵たちだった。
「お帰り、エリア・ミザルフ。仲間はどうしたんだ?」
エリアは賢かったので、すぐに自分にかけられた疑惑を察知して青ざめた。反射的に弁明する。
「冒険の最中に、罠にかかって……」
中途半端な嘘をついたと、言いながら後悔した。いっそ捨てられたとでも言えばよかったが、もう遅い。
「それで、お前だけ無事に帰って来た? 明らかにベテランで、シーフやレンジャーの仲間が死んで、素人のお前だけが無傷で生き延びた?」
衛兵は大声で笑った後、いきなりエリアの胸ぐらを掴み、周囲に響き渡るような怒声を張り上げた。
「嘘をつくな! お前が殺したんだろ!」
「ち、違う……」
エリアは怖くなって、震えながら首を横に振った。だが、事実殺したのはエリアである。彼らがエリアを殺すことを回避できたように、エリアもまた彼らを殺すことを回避できた。だが、しなかった。エリアは自分を裏切った彼らを憎み、殺したのだ。
「来い! 話は後からゆっくり聞く!」
「い、嫌! 私は悪くない! 助けて! お願い!」
エリアは泣き叫んだが、元々エリアのことを疎んでいた衛兵たちの耳には届かなかった。
引きずられるように連れてこられたのはザインの城の内側で、石造りの小さな詰め所の地下室だった。ここに来るまでの間にエリアは叫び続け、もはや疲れ切って声も出なかった。
衛兵の一人が眉をつり上げたまま、エリアの鎧を剥ぎ取り、下着だけの姿にして縛り上げた。エリアは怖くてただ震えるしかなかった。
「お前はあの4人を騙し、どこかに連れ出して、殺した。間違いないな?」
解釈次第では、それは確かに間違いではなかった。だが、「そうです」と言ったら自分は死罪になる気がして、エリアは首を横に振った。
「ち、違う……。私は殺してない……」
尋問していた男は、むしろエリアの答えに嬉しそうに顔を綻ばせた。それは歪んだ悦びだった。別の一人が持ってきた器具を見て、エリアは大きく頭を振った。
それは片手サイズの万力だった。男はそれでエリアの右手の親指を挟むと、ハンドルを1回回した。
骨が軋み、エリアは絶叫した。体中から汗が噴き出し、痛みが脳を貫く。
「正直に話せ。お前が殺したんだな?」
「違う! わ、罠にかかって……それで……いぎゃあぁぁあああぁぁぁぁぁぁぁっ!」
ハンドルがさらにもう一度回され、骨が嫌な音を立てた。涙で滲んだ目に、皮が裂けて血にまみれた指が見えた。
「どんな罠だ? どうしてお前だけ助かった? 今すぐ詳細を話せ。事実ならすぐ言えるだろ?」
嘲笑うように男が言った。確かにその通りだった。事実であればすぐに答えられるし、もっともらしい嘘を考えつけるほど、冷静な状況ではない。
荒い息を吐きながら何も言えずにいるエリアに、男が勝ち誇ったように言った。
「何故答えられない? 簡単だ。嘘だからだ。お前が殺した。間違いないな?」
男が勢いに任せてハンドルをグルグル回し、骨の砕ける音とともに、エリアは一度絶叫して意識を失った。
しかし、すぐに冷たい水をかけられて意識を呼び戻された。万力は外されていたが、親指が気が狂いそうなほど痛んだ。目をやると、ぐちゃぐちゃに潰れて骨が剥き出しになっていた。眩暈がして倒れそうになった。
「いいか、エリア・ミザルフ。我々はお前に嘘をつけと言っているわけじゃない。真実を言えと言っているんだ。都合の悪いことを無理矢理言わせるために拷問をしているわけじゃない」
エリアは何も言えなかった。ただ目が回って、気持ちが悪くて、いっそ殺して欲しいとさえ思った。
いきなり腹部に熱さを感じ、エリアは叫びながら身を捩った。肉の焦げる匂いがする。目を開けると、男が真っ赤に焼けた鉄の棒を腹に押し当てていた。
「お前が殺したんだな?」
朦朧とする意識の中で男の声がする。もう限界だった。エリアはそれに小さく頷いてから、弱々しい声で言った。
「でも……しょうがなかった……。向こうが先に……私を裏切って……」
「ほう。どう裏切ったんだ?」
「向こうが……私を、殺そうとして……それで……」
「それで? 正当防衛だと? 嘘をつくな!」
ゴキッとエリアの頬骨が鈍い音を立てた。男はエリアの顔面を殴った後、さらに熱した鉄の棒を何度かエリアの体に振り下ろす。エリアはもはや叫び声もなく、冷たい床の上に転がって、荒い息をしたまま動かなかった。
「冒険者4人を相手に、お前が無傷で勝てるか! それとも寝込みを襲ったのか? それのどこが正当防衛だ!」
再び真っ赤な鉄の棒を体に押し当てられた。
「あ、熱い! あ、あっ、あぐぁあああああぁぁ……」
背中から煙が立ち上る。エリアは全身汗だくになりながら譫言のように続けた。
「本当、本当なの……。今度は、嘘じゃない……。信じて……信じてください……」
「リアリティのない話には信憑性を認めん!」
男が思い切りエリアの背中を踏み付けると、圧迫された肋が数本折れて肺が破れた。エリアの口から叫び声と一緒に真っ赤な血が溢れる。意識が遠ざかった。エリアはようやく楽になれると思い、少しだけ微笑んだ。
遥か遠くで男たちが何か言っていた。「殺してはいけない」とか「まだ大丈夫だ」とか、そんな言葉が聞こえたが、やがてそれも聞こえなくなった。何も見えなくなって、エリアはもう一度血を吐いてから、完全に意識を手放した。
ザインの城の裏側の、寂れた路地には人影がなく、西から差す陽光が、街を紅に染めていた。ここは街の貧民窟。一人で黄昏れるには丁度いい場所だった。
明らかに人の住んでいる気配のない、今にも崩れそうな家の壁にもたれながら、エリアはぼんやりしていた。
結局、エリアは解放された。衛兵たちは実際にエリアに嘘を言わせるつもりなどなく、もちろんエリアを獄中で殺すような失態も犯さなかった。
彼らは神聖魔法も使える魔術師を連れてきて、エリアの怪我を治させた。そして“センス・ライ”を使ってエリアに真実を言わせた。
エリアは真実の内、都合のいい部分だけを正直に話した。つまり、扉の話と、彼らがそれを言わなかったこと。彼らが自分を殺そうとしていたのは明白だったから、先に殺したことをである。殺すことを回避できたことや、元々信用していなかったことは口にしなかった。殺されそうになった事実を前に、それらは些細なことだったし、言う必要は無いはずだった。
それにより、エリアは一応は無罪になった。それで無罪になるなら、初めからその魔術師を呼べば良かったのにと思ったが、余計なことは言わなかった。言っていることに間違いはなくても、結局彼らはエリアを痛め付けたかったのだ。
エリアは街に放たれた。ただし、持っていた金や剣、メイジリングやその他の道具はすべて没収された。曰く、冒険者の4人から奪った可能性があるので、所持は許さないとのことである。実際、剣はザインに入った時には持っていなかったし、メイジリングも武器屋に売った方だけを着けていた。旅立った時には装着していたが、その時点でそれが4人の物だったと言われれば反論のしようがない。“センス・ライ”で確かめればわかることだが、エリアはまた痛め付けられるのが怖くて、何も言わずに城を後にした。
渡されたのは武器屋の店主からもらったナイフ1本だけ。鎧も持って行かれてしまい、もはや売る物もない。
何故ナイフだけ渡したのか。何故エリアを国外追放しなかったのか。
エリアは思う。彼らは、エリアに罪を犯して欲しいのだ。そして公然と処刑したいのだ。魔術師はやはり悪だったと、公開処刑して市民に知らしめたいのだ。
小さく微笑んだ。ナイフを握った手がブルブルと震える。怪我は完全に治してもらったはずだが、体が思うように動かないのは、精神的なダメージのせいかもしれない。
震える手で服の内側を裂いた。そして、衛兵たちが気付かなかった宝石を取り出した。
エリアの最後の金。これを現金に換え、食糧を買って街を出よう。武器も無く、生きて戻れるかはわからないが、ロマールを目指そう。そして、自分が寄付をして作った最後の居場所に頼ろう。
そう思い、宝石をポケットにしまおうとした刹那、小さな手がその宝石を盗った。反射的に顔を上げると、みすぼらしい格好をした裸足の少年が、エリアの宝石を握ったまま走り去っていく。
エリアの最後の理性が飛んだ。生への衝動。もはや手に震えはなく、思い切り勢いを付けて投げたナイフが、少年の背中に突き刺さった。
少年は前向きに倒れ、動かなくなった。エリアは少年の手から宝石を取り上げた。と同時に、背後で耳をつんざくような女性の悲鳴が上がった。
見ると、やはりあまり裕福には見えない痩せた中年の女性が、籠を落として震えながらエリアを指差している。エリアが少年を殺して金を強奪した。間違いなくそう誤解していると悟ったエリアは、少年の背中からナイフを引き抜くと、素早く女性に駆け寄った。
無意識だった。動物的な、生きるための本能だった。
女性の喉を一閃し、迸る返り血をかわす。頭の中が真っ白になり、もはや自分が何をしているのかわからなくなった。
しばらく呼吸を整えるように立ち尽くしていると、エリアはようやく自分の足下に女性が倒れていることに気が付いた。喉から血を流し、見開いた目は瞬き一つしない。
「あぁ……」
絶望的な呻きが零れた。
バラシスたちのこと、そして自分から金を盗んだ子供のこと。そこまでは理由があった。だが、今ここに倒れている女性には、何一つ殺される理由がない。
自分がどれだけ精神的に追いつめられ、正常な判断ができなくなっていたかに、ようやく気が付いた。少し向こうで倒れている子供も、殺す必要はなかった。
今さら気が付いても遅い。もう取り返しは付かない。
エリアは夜陰に乗じて、先ほどもたれていた空き家に2つの死体を運び込んだ。けれど、こんなものは気休めだ。地面には大量の血痕が残っているし、それを消している時間は無い。その姿を見られたらおしまいだ。雨など降りそうにない。
衛兵たちの醜い笑みが頭に浮かんだ。そして彼らにくびり殺される自分の姿がはっきりと想像できて、エリアは体を震わせた。
モウダメダ……。
エリアは絶望的な心境でその家を出ると、逃げるようにその場から走り去った。
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