■ Novels


夜明けの刻2 エリア・ミザルフ
この小説は、グループSNEのソード・ワールドRPGを舞台にした小説です。2007年に公開した 『夜明けの刻』 の完全な続編になっていますので、未読の方はそちらを先にお読み下さい。
『夜明けの刻』 では、落ちぶれてしまったウィーズが冒険者としてやり直していく話を書きましたが、本作は前作に登場したエリアという少女にスポットを当て、彼女が冒険者になる様子を描いています。立ち直るよりも堕ちていくところを中心に書いているため、全体的に可哀想な感じです。前作同様、最後はハッピーエンドですが、途中の描写にご注意ください。

 宿屋に戻ると、部屋に鍵をかけ、火も灯さずに隅に座って頭を抱え込んだ。本当はすぐにでも街から出たかったが、夜間は門が閉まっているし、夜の警備をかいくぐって城壁を越える自信などない。
 真っ暗な部屋の片隅で、エリアは昔のことを思い出していた。両親と遊んだこと、祖父母に甘やかされたこと、剣を教えてくれた師匠、魔術師ギルドの仲間たち。楽しかった日々。それが壊れてしまったのはいつのことだろう。
 両親が死んだ後、エリアは世界が変わったのを感じた。それでも優しい人たちが周りにたくさんいて、なんとか立ち直った。
 祖父が病にかかると、遺産相続の話が持ち上がった。たぶんその時からだ。エリアはファンドリアに送られ、その途中でウィーズに襲われ、犯された。シルバーには命を狙われ、ようやく逃げ込んだファンドリアでは、ブレインという男に捕まり、数え切れないほどの男に毎日のように乱暴された。
 ロマールに帰ると祖父が死んだ。旅に出たらシェリーディに騙され、城門では衛兵に蔑まれた。今思えば、あれも今日の拷問の前振りだったように思う。
 バラシスにも騙され、被害者のはずの自分が衛兵に捕まって拷問を受けた。そして、もはや自分でもどうしてそうしたのかわからないが、子供と女性を殺めてしまった。
 何故自分の人生はこんなふうになってしまったのだろう。自分が一体、何か悪いことでもしたのだろうか。これはその罰なのだろうか。
 抱えた膝に顔を押し当てた。涙が染みこんで、膝がひんやりと湿った。
 明日ロマールに帰ろう。そこに安らぎがあるとは思えないが、他のどこにもそれがないのはわかった。自分は誰にも生きることを望まれていない。それでも、生きていたい。
 泣きながら、薄ら笑いを浮かべた。自分はなんてちっぽけで、汚らわしくて、醜くて、卑しくて、誰の利益にもならず、狡猾で、残虐な人間なのだろう。そしてそんな自分が生きることを望むとは、なんて罪深いのだろう。
 けれど、そうでない人間がどれだけいる? 結局人は、自分勝手な生き物なのだ。自分の幸せのためには平気で他人を騙し、傷付け、殺そうとする。そしてそれがまかり通る。
 自由であれ。
 そうだ。明日、まずあの武器屋で武器を奪おう。そして衛兵を斬り殺して外に出る。その前に馬を奪おう。それできっと逃げ切れる。
 自由にやりたいことをやる。それはなんて甘美な響きなんだろう。
 そんなことを考え始めた時、不意にドアがノックされ、エリアは意識を引き戻された。そして、自分が考えていたことに愕然となった。悪には走らないと誓った自分が、なんという恐ろしい想像をしていたのか。
 もう一度ドアがノックされ、エリアはようやく顔を上げ、状況を理解した。体が震えた。思わず床に手をついて立ち上がろうとしたが、できなかった。もう逃げ場はない。
「エリア」
 ドアの向こうから男の声で呼ばれた。エリアは心臓を鷲掴みにされたような気持ちになり、息を飲んだ。全身から汗が噴き出し、わなわなと震えた手がナイフを求める。しかし、ナイフは棚の上にあり、2メートル先の棚が今のエリアには絶望的に遠く感じられた。
 ドアノブが回された。ガチャガチャと音がして、次にカチカチと外側から鍵を開ける音が聞こえてくる。エリアは左右を見回した。隠れる場所はない。ならば、立ち上がってナイフを取って戦わなくてはいけない。
 けれど、音を立てるのが怖くて動けなかった。静かにしていたら、ドアの向こうの人間が諦めて帰ってくれやしないかと思った。
 そんなはずはなかった。ゆっくりとドアが開かれ、エリアは全身を震わせながら、涙の滲んだ目で入ってきた男を見上げた。
 ランプの灯りがパッと部屋を照らして、男の顔がはっきりと見えた。男は部屋の隅で座り込んで震えているエリアを見て、怪訝そうに首を捻った。
「過去のことを忘れてもらうために殴られに来たんだが……どうしたんだ、お前」
「ウィーズ……さん……」
 エリアは呆然と呟き、やがて張り詰めていたものがプツンと切れたように床の上に倒れ込んだ。
「お、おい、エリア」
 立っていた男──ウィーズが慌てた声でエリアの名を呼ぶ。エリアのことを襲い、犯しながら、命懸けでブレインの手から救い出してくれた。そしてまた、あの手紙を読んでこんなところまで自分を探しに来てくれた。
 もう大丈夫だ。
 ウィーズに抱き起こされた。その温もりが嬉しくて、エリアは思わず涙を零した。
 意識が真っ白になる。けれど、もう我慢しなくていい。
 眠りに落ちたエリアは、何ヶ月かぶりに心から安らいだ寝息を立てていた。

 ウィーズはエリアの手紙を読んで、仲間の少年レイスと協議し、ロマールに向かうことにした。ところが、旅に不慣れな上、ずっと緊張の連続に疲れ切っていたレイスが熱を出し、しばらくレムリアに滞在することになった。
 レムリアにいる最中に、ウィーズはあるハーフエルフの依頼を受けた。それは簡単な遺失物探しのはずだったが、思いの外難航して、結局レイスが回復してからもしばらくそれに従事することになった。エリアに早く会いたい気持ちはあったが、まさかそんなにすぐに旅に出るとは考えていなかったので、急ぐ必要はないと判断したのだ。
 結果としてその判断は間違っていたとウィーズが言ったが、エリアはそうは思わなかった。数多くの辛い思いをしてきたが、無事に生き延び、ウィーズと再会した今、すべては無駄ではなかったと思う。もしもあの時、すぐにウィーズに会っていたら、たぶん自分は襲われたことを根に持ち、完全に許すことはできなかっただろう。
「じゃあ、今はもういいのか? 俺は自分で自分が許せないが」
 首を傾げたウィーズに、エリアは薄く目を閉じて首を振った。
「もういいわ。ウィーズさん、あの時止むを得なかったって言ったでしょ? 本当にしょうがなかったんだって、今ならわかる。今ならきっと、誰よりもよく、あの時のウィーズさんの気持ちがわかるの」
 エリアが微笑むと、ウィーズが顔を赤くして、目のやり場に困ったように辺りを見回した。つられてエリアも顔を横に向ける。
 小さな酒場は空席が少しだけの、ほどよい賑わいだった。ここはザイン近郊の村。あの後すぐ、エリアはウィーズたちの力を借りてザインの街を抜け出した。
 テーブルにはウィーズの他に、マーファの神官の少年レイスと、レムリアでウィーズに依頼をしたというハーフエルフの女性サフィーネが座っている。サフィーネはもちろん、レイスともきちんと話をするのはこれが初めてだったが、まずはウィーズとの話が終わるまで二人は黙っている方針のようだ。
「私、たくさんの人に裏切られて、誰も信じられなくなっていた。ウィーズさんはどうやって人を見分けてるの? レイスとサフィーネのことはどうして信じてるの?」
 エリアは常々思っていたことを質問してみた。ウィーズは「さんは付けなくていいが」と前置きしてから答えた。
「もちろん俺だって、騙されたことはある。だけど、不安な時は騙されてもいい程度に信じていた。ちょうどエリアがそのバラシスって男と冒険をした感じだな。今は、大体少し話せばわかる。表情とか身振りとか」
「結局、人を見る目ってこと? レイスとサフィーネはどうしてウィーズと一緒にいるの?」
 エリアが二人に目を向けると、先にレイスが元気に答えた。
「自己開示って言うのかな。ウィーズは先に全部さらけ出してくれたから、僕も全部さらけ出した。僕はウィーズが好きになったし、ウィーズも僕を受け入れてくれた」
「この人が私にしたことは知った上で?」
「もちろん。こんなことを言ったら僕もエリアに嫌われるかもしれないけど、僕もブレインの下で悪いことをしてきた。エリアがブレインに捕まった時、そこに僕がいなかったのはたまたまだよ。タイミング一つで、きっと僕もエリアにひどいことをしてたと思う」
 エリアは思わず微笑んだ。ファンドリアからの道中で、シルバーがウィーズのことを「嘘のつけない阿呆」だと言っていたが、基本的にレイスも同じらしい。いや、人に好かれるには自分をさらけ出すのが必要だと思っているのだ。そして、もしもそれで嫌われたなら、それはそれで受け入れて諦める。実際、その潔さをエリアも心地良く思った。
「別に嫌わないわ。私もザインでまったく罪のない人を殺した。こんな私でも、あなたたちのパーティーに入れるかしら?」
 エリアは自虐的に笑って尋ねた。冗談めかしたのは、内心不安があったからだ。すべてをさらけ出して拒絶されたらどうしようか。
 けれど、杞憂だった。むしろレイスが楽しそうに笑って言った。
「それじゃあ、なおさらウィーズのパーティーに加わる資格があるね。ここは落ちこぼれの集まりだから」
 ウィーズがレイスの頭を小突いたが、まんざらでもないようだった。エリアは本当に久しぶりに心から笑った。
 サフィーネの方は少々事情が違うようだった。元々依頼主としてウィーズと探検する最中に彼を気に入り、目的のない旅に同行することにしたらしい。
「でも、私には目的があるのだよ。妹を探すっていう目的がね。ただ、宛てがないんだ」
 少し固い言葉を使うのは、相手が初対面だからではなく、口癖らしい。綺麗な金髪で、顔も若く見えるが、エリアやウィーズよりもずっと年上だと言う。
「妹さんね。家出でもしたの?」
「いや、ちょっと冒険の最中に小競り合いに巻き込まれて、離ればなれになってしまったんだ」
 サフィーネが溜め息混じりに答えた。その言葉に、エリアは少し頭を掻いてから、困惑したように尋ねた。
「それは、焦げ茶色の髪をして、背が私より少し高いくらいのハーフエルフの女性では? 私がさっき話したシェリーディってハーフエルフの女性が、戦争で離ればなれになった姉を探してるって言ってたけど……」
「ふむ……」
 サフィーネは特に驚いた様子もなく、小さく相槌を打った。明らかに驚いた様子の人間の男二人が、エリアとサフィーネの顔を交互に見る。
「シェリーディという名前ではないが、色々一致するところがあるな。とりあえずその話は後でしよう。まずはウィーズと話をするといい」
 それだけ言って、サフィーネはジュースのお代わりを注文して、カウンターの方に視線を逸らせた。
 エリアは素直に感心した。サフィーネはシェリーディの話をもっと聞きたいだろうに、リーダーであるウィーズを立てると同時に、話の主役がエリアであることも理解している。シェリーディのことは急いだところでどうにかなるわけでもないから、後回しにすると言っているのだ。
 エリアはウィーズがサフィーネを選んだ理由も、その逆も理解した。何故シェリーディがエリアを騙して金や剣を奪っていったのかはわからない。ひょっとしたら、それも「止むを得なかった」のかもしれない。少なくとも姉の方は悪い人ではなさそうだし、ウィーズの人を見る目に間違いはない。
「ウィーズも、私がパーティーに入ることに問題はない? 少なくとも、私はもうあなたを恨んでないし、パーティーに入れてほしいです。色んな人に騙されて、裏切られて、今改めて、あの時私のことを命懸けで助けてくれたことに感謝しています。あなたが私を助けようと思ってくれた気持ちが本当に嬉しいです」
 真っ直ぐウィーズの目を見つめて、エリアは言った。必死だったから想いを素直にぶつけた後、まるで告白みたいだと内心恥ずかしくなったが、言われた方はもっと恥ずかしかったようで、顔を真っ赤にしてそっぽを向いた。
「俺は構わないし、是非そうして欲しい。レイスもお前のことを気に入ったみたいだし、サフィーネは俺の決定に反対はしない。な?」
 ウィーズに振られ、サフィーネは無機質に頷いてから、淡々と答えた。
「ああ。別にいつもそうかはわからないが、今までも、それにこの件も、ウィーズの決定が間違っているとは思わない」
「ということで、エリア、お前は今日から俺たちの仲間だ。もう仲間を疑うなんていう悲しいことはしなくていいし、心置きなく信じればいい。ここにいるのは俺が選んだ仲間だ。安心していい」
 ウィーズが笑顔で言って、エリアは込み上げてきた想いを堪えきれずに、思わず涙を零した。今まで一人で背負ってきた物を、ようやく下ろしていいと言われた気がして嬉しかった。人を疑わずに済むことが嬉しかった。そして何より、人を見る目が確かなウィーズに、自分が選ばれたことが嬉しかった。
 人を疑い、恨み、殺した自分を、エリアはどうしようもない屑のような存在に感じていた。生きていても他人の迷惑にしかならないと思っていた。そんな自分に、生きていてもいいのだと、役に立つし、いてほしいのだと言ってくれた。
「ありがとう、ウィーズさん。私、嬉しくて……嬉しくて……うっ、ううぅ……」
 エリアは嗚咽を漏らした。子供みたいに泣いていると、ウィーズが困ったような呆れたような声で言った。
「なんかお前、泣いてばかりだな」
「でもさっき少し笑ってたよ。やっぱりすごく可愛かったよね、ウィーズ」
 レイスが恥ずかしげもなくそんなことを言って、ウィーズが返事に困っていた。一体これまでにどんな話をしていたのだろうか。確かに考えてみれば、ウィーズとは3回しか会ったことがないし、いずれも笑うような場面はなかった。
 エリアは涙を拭い、にっこり笑って見せた。少しでも自分を好きになって欲しい。顔でも声でも性格でもなんでもいい。一部でもいい。自分を肯定して欲しい。両親が死んでから今日まで、誰にも甘えずに生きてきた。子供と言われてもいいから、甘えさせて欲しい。
「じゃあ、少しこれからのことを話そうか。そうだ、エリアに装備も買ってやらないとな。奪われた魔法の剣やら、魔力を増幅させる指輪やらを買ってやれるゆとりはないが……」
 無理に話を変えるウィーズ。レイスは明らかにからかうような目でウィーズを見て、サフィーネはそんな人間たちを呆れたように眺めているが、つまらなくはなさそうだ。
 エリアの新しい仲間たち。
 そういえば今、ウィーズがお金の話をした。エリアにはマトティダスの神殿に多額の貯金がある。それを話したら喜んでくれるだろうか。エリアはワクワクした。
 冒険が目的なのか手段なのか、ゴールはどこで、自分はどうなりたいのか。それはまだよくわからないけれど、一つだけ確かな思い──冒険者の仲間たちと楽しく過ごしたい!
「ねえ聞いて、ウィーズ。私……」
 目を輝かせて、身を乗り出して。
 今この瞬間を、冒険者生活のスタートにしよう。
Fin
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