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五宝剣物語

3−10

「ルシア……」
 誰よりも大切な妹とようやく再会できたというのに、エリシアは彼女に飛びつくような気分にはなれなかった。
 それもすべてこの空間のせいだ。
 セフィンの肉体は当時のままの姿でそこにあった。
 決して綺麗ではない。彼女の身体には当時の拷問の後がくっきりと残っており、思わず目を背けたくなる痛々しさだった。
 それでも決して視線を逸らすことができないのは、それが歴史の残した逃げることの出来ない現実だと、五感のすべてが認識しているからだろう。
 ただ、その肉体は瑞々しく、17の少女の張りを残している。本当に70年前のものかと疑うほどだ。
「これを見られたくなかったから、あなたが申し出た協力も断りました」
 どんな姿であれ、目の前に全裸で横たわる自分に恥ずかしさを覚えたのか、セフィンが溜め息混じりにそう呟いた。
 そしてちらりとリスターを見上げ、不思議そうな顔で尋ねた。
「何故ここがわかったのですか? あなたと別れた時期から逆算して、あなたは真っ直ぐここに向かってきたのでしょう」
「少し寄り道したがな」
 ニィエルを見て苦笑すると、セフィンも少し頬を緩めた。
「私も……バリャエンという街に寄り道しました。ルシアと二人で、とても楽しかったです」
「ルシアとは打ち解けられたのか?」
 意外そうな面持ちで尋ねたリスターに、セフィンは大きく頷いて見せた。
「はい。ルシアの魔法嫌いは、ほんの少しかも知れませんが私が解消したと思います。後は……あなたにお任せします」
 ぺこりと頭を下げたセフィンに、エリシアは思わず頭を下げた。
 彼女が本当にルシアのことを想ってくれていることが、その声と表情から痛いほど伝わってきたからだ。
「ありがとうございます、王女……」
「いえ……。こちらこそ、あなたの大切な人を、私のわがままのためにすいませんでした」
 言ってから、セフィンはにこりと表情を綻ばせ、慌てて元に戻した。
 恐らくルシアが何か言ったのだろう。エリシアも思わず微笑を浮かべた。
「セフィン。俺がここに来られたのは、俺の曾祖父が、お前をここに縛りつけたときに王国が使った魔法使いの一人だったからだ」
 不意にリスターがそう言って、セフィンとニィエルが息を飲んだ。
 リスターは真っ直ぐセフィンの瞳を見つめ、淡々と続けた。
「俺の曾祖父はずっと後悔し続けた。けれど、王国に囚われの身となっていたから何もできなかった。だから彼はすべてを書き残した。お前のことから、城での生活、殺されていった仲間のこと、すべてをだ」
 だから彼は、城に入ったときも迷わずニィエルの部屋に行くことができた。セフィンの目的も知っていた。
「本当に、すまない、セフィン……。俺にも……知っていてもどうすることもできなかったんだ……」
 苦しそうに斜めに頭を傾けたリスターの睫毛に、涙の雫が光った。
 そんな彼を心配そうに見つめる二人の少女の横を擦り抜け、そっとセフィンが手を当てた。
「あなたが苦しむことではありません。私は誰も恨んでいません。それよりも、私のためにそんなに苦しんでくれて、私はそれがとても嬉しいです」
 にっこりとセフィンが笑った瞬間、リスターは堰を切ったように泣き出した。
「すまない……すまない、セフィン。ありがとう……本当に、ありがとう……」
「リスター……」
 崩れ落ちた青年の肩に、セフィンは困ったように手を乗せた。
「私からも、謝らせてくれ」
 一歩前に出て、ニィエルが深く頭を下げた。
「あなたは……王国の人ですね?」
「王子だ。ニィエルと言う」
「そうですか」
 セフィンは複雑な表情で呟いたが、すぐに嬉しそうな顔をした。
「こうして王国の王子と、魔法使いのリスターが一緒にここに来てくれたこと。70年前ではとても考えられなかった」
「セフィン……」
「世界は必ず良い方に変わっていくでしょう。私は、魔法は正しいものだと信じています。多くは望みません。他の誰でもない、ルシアただ一人でも、魔法が本当は素晴らしいものなんだって、心から思えるような国になればと思います」
「王女……」
 エリシアもまた、思わず涙を零した。もらい泣きをするようにユアリも手で顔を押さえる。
 ニィエルもリスターの隣で、堪え切れないように嗚咽を洩らした。王子として生まれてから24年、初めて流した涙だった。
 誰もが泣き濡れるその空間で、セフィンだけがただ一人、穏やかに微笑んだまま立っていた。
 彼女はすべてを超越したのだ。悲しみも、苦しみも、孤独も、憎しみも、すべてを乗り越えて今ここにいる。
「ありがとう、皆さん。本当にありがとう。私は、生まれてきて良かったです。今、生かされたことを感謝しています。こうして、王子とリスターが一緒にいるような、そんな世界の中で死ねることを幸せに思います」
「セフィン……」
 リスターは涙を拭って立ち上がった。
「俺はお前に約束する。俺はちっぽけな人間だが、この国がお前の望むような国になるために、この生命を賭ける」
「私も約束しよう。王子という立場でできる最善を尽くしたい」
 毅然とした瞳でニィエルが言い放ち、拳を作って自分の胸に当てた。
 セフィンはそんな二人をしばらく無言で見つめていたが、やがて小さく口を開いて言った。
「二人とも、私の夢のためにたった一度しかないその人生を使わないで」
「えっ!?」
 驚いた青年たちに、王女はルシアの茶褐色の瞳に知的な光を浮かべて答えた。
「自分たちと、身近の人の幸せを考えてください。私も、この身体をお借りしてからこれまで、ルシア以外のことはまったく考えていませんでした。世界を変えるのは夢だけれど、そのために何かしたわけでもありません。だから二人も、夢は叶ったらいいなぁって、その程度に考えた方がいいですよ」
 最後はいたずらっぽい微笑を浮かべて、王女は歳相応のあどけなさを覗かせた。
 リスターはちらりとエリシアを見てから、深く頷いた。
「わかった。なら俺は、仲間たちを守りながら、ルシアの魔法嫌いを直そうとしていたお前の意思を引き継ごう」
「ええ。ルシアのことはお任せします……って、元々あなたたちの仲間なんですけどね」
 セフィンがおどけて笑うと、ニィエルがすっとその手を取って真っ直ぐに彼女を見上げた。
「私は、今あなたを大切だと思った。だから、あなたのために何かをしたい」
「王子……」
 突然の告白に、あからさまに動揺してうろたえるセフィン。
 外見はルシアなのでエリシアは少しムッとした顔になり、ユアリは興味津々な眼差しで、リスターは可笑しそうに笑って、それぞれが二人を見た。
「あ、ありがとう……王子……」
 真っ赤になって俯いたセフィンの手に、ニィエルがそっと口付けをする。
 きっとルシアも赤くなっているだろうと、リスターはやや場違いなことを考えた。
「本当にありがとう。でも私はもう消えなければならない身です。どうか、私のことは忘れてください」
「いや、どうして君のことを忘れることができようか」
「王子。そんなことを言われたら、私はこの世に未練を残して逝かなければならなくなってしまいます」
 恥ずかしそうに視線を逸らせて、セフィンがたどたどしく言葉を並べる。
 ニィエルは小さく笑ってセフィンの髪を撫でた。
「それは私も同じだ。それでも私はあなたを愛したい……」
「王子……」
 見つめ合う二人を見ながら、ユアリが小声で呟いた。
「なんだか、物語みたいですね」
 からかうような、笑いを堪えるような声に、リスターも肩を震わせて囁いた。
「俺も、身体がむず痒くて……」
「私は王子が妹の唇を奪いやしないかって、それだけが心配で……」
 エリシアもひそひそ談義に加わる。
 そんな和やかな光景も、しかし長くは続かなかった。
「それでは、私はそろそろ逝きます」
 不意に冷たさと威厳を混ぜ合わせた声でセフィンが言って、四人は再びその表情から笑みを消した。
「ルシアとは?」
 リスターが尋ね、セフィンはにっこりと笑って頷いた。
「お別れは、ここに来てからあなたたちが来るまでの間に済ませました。それはもう長く話しましたから」
 そう言ったセフィンの表情に、わずかな陰りが帯びた。強がっているのは明白だ。けれど、せっかく王女が着けた仮面を無理に剥がそうとする者はなかった。
「わかった、セフィン。お前が最後に許してくれたことで、これで俺の曾祖父もやっと安心してあの世に行けるだろう」
「私からも、ありがとう王女。ルシアが魔法使いの王女様とお友達になるなんて、夢にも思いませんでした」
 エリシアも眩しい瞳を向けた。
「わ、私……」
 そんな彼女のすぐ後ろで、困ったようにユアリが視線を床に落とす。
 一度はセフィンの入れ物になりかけた少女だ。そしてそのために父と兄を殺されている。複雑な心境なのだろう。
 セフィンはそんな少女の心中を慮って言った。
「ユアリ。お父様とお兄様のことは、本当に申し訳ありませんでした。私のために殺されたも同然ですから」
「い、いえ! あれは……あの魔法使いがしただけで……。目的は良かったんです。ただ、手段が悪かっただけ……」
 それが、弓使いの少女が精一杯考えた、セフィンを恨まない方法だった。
「ありがとう、ユアリ。私はティランを恨んではいないけれど、彼女を殺したあなたを憎んでもいません。ティランのことを悲しんでもいない。すべて運命だったなんて言うつもりはないけれど、今できることは、これからのあなたの人生が良くなることを願うことだけだから」
「はい……。ありがとう、王女様。私、一度はルシアさんに申し訳なく思ったけれど、今、少しだけ嫉妬しています。王女様と一緒にいた時間がどんなものだったのか、後からルシアさんにたくさんお話してもらいます」
 セフィンは満足そうに頷いた。
「それじゃ、さよならだな、セフィン……」
「ええ。ありがとう、ニィエル。最後に、あなたに出会えて幸せでした」
 それだけ言うと、セフィンは彼らに背中を向けて、そっと魔法陣に手を当てた。
 すでに解除するための手順は踏んでいる。後は、一言呪文を唱えてから剣を抜くだけだ。
「私は、本当はもうここにいてはいけない身なのだから……」
 まるで自分に言い聞かせるように一言そう呟いた後、セフィンは魔法陣を解除した。
 そして真っ直ぐ自分の身体へ歩き、その柄を握り締める。
「さよなら、ルシア……」
 それが、王女セフィンの最後の言葉だった。
 一気に引き抜かれた剣から光が迸ると同時に、セフィンの身体は見る見るその精気を失い、やがて骨と綺麗な銀色の髪だけが残った。
 王女の身体は魔法で維持されていただけなのだ。あたかもそれが自然であるかのように、当たり前のように横たわる小さな白骨の死体。
 四人は感慨深くその骨を見つめていたが、次の瞬間、静まり返ったその部屋に、驚くべき声が響き渡った。
「リスター! お願い! セフィンを生き返らせてっ!」
 肉体を取り戻したルシアの、第一声だった。

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