リスターの魔法に映し出された光景を見て、ニィエルは整った顔を歪めた。
薄暗い地下牢の中。
そこに虚ろな瞳で座っている少年と、大袈裟に頭を抱えて天井を仰いでいるがっしりとした体躯の青年。そして疲れ切った様子で横たわる夫婦。
どう見てもただの農民たちである。これが噂に聞く凶悪な魔法使いだと言うのだろうか。
「彼らは……何故逃げない?」
頭が混乱してしまったからか、ニィエルはよくわからない質問を投げた。
リスターはそれに丁寧に答えた。
「逃げられないのです。彼らは魔力はあっても魔法は使えない」
「どうして使えないんだ?」
「誰にも教わってないからです。魔力がなければ魔法は使えないけれど、魔力があっても教わらなければ魔法は使えません」
ニィエルは腕を組んで目を閉じた。
何を考えているのか、リスターにはよく理解できなかったが、どうしても王子に言っておきたいことがあったので彼は言葉を続けた。
「王子。現行の法は、彼らのような偶然魔力を持って生まれてしまっただけの、ただの市民を苦しめているだけです。何故なら、王国が本当に狩ろうとしている魔法使いは、今の俺のように牢を抜け出すこともできれば、それ以前に抵抗もできるからです」
「つまり、まったくの無駄だと?」
渋い顔で呟いた王子に、リスターは毅然として首を振った。
「無駄なだけではなく、マイナスにしかなりません。王国の宝とも言える民が失われるだけでなく、それは魔法使いたちの反感を買う。魔力のない市民さえも脅かす」
ニィエルはもう一度地下牢の様子に目を遣った。確かに青年の言う通り、彼らは一般市民に過ぎない。
けれど、凶暴な魔法使いになる可能性も持っている。
そうリスターに言うと、彼はやはり首を振った。
「悪人になる可能性は誰でもあります。確かに魔力を持った悪人は脅威になりますが、その少数のために多くの善人が失われるのはおかしな話です。しかも本当の悪人は失われない」
「だが、80年前に魔法使いたちが、まったく無害だった王国を侵略してきたのは事実だ」
「当時とは魔法使いの数が違います。それに、その後の王国の法のために、魔法を受け継ぐ者も少なくなっています。その結果が彼らでしょう」
青年の言葉に、ニィエルは腕を組んで唸った。
そして少し間を置いてから、ちらりと彼の顔を覗き込む。
「それで、君は私にどうして欲しいんだ? もしも法を変えて欲しいなどと言ったら、君は王子というものを誤解している。私に出来ることなど、たかが知れているぞ?」
「もちろん、わかっています」
リスターは素直に頷いた。
ニィエルの言う通り、如何に王子とて、突然法を変える権限などない。無理に行えば、支持者からの反感も買うし、王子としての品位も損なう結果となるだろう。
「俺がここに来た理由は2つ。1つは、今牢に入れられている彼らの解放。それくらいなら可能でしょう」
心まで見透かすようなリスターの瞳に、ニィエルはゆっくりと頷いた。
王子という立場にできる範疇だろう。
リスターは満足げに表情を緩めた。
「もう1つは、次期国王であるあなたに、現状を話しておきたかった、ただそれだけです。特に何かを強要しに来たわけではありません」
「ふむ……」
ニィエルは一度深くまぶたを閉じた。
「もしも私が何も行動を起こさなければ?」
「その時は別に今まで通りというだけでしょう。悲観することでもありません」
「なるほど。つまり君は、私が現状を知れば、少なくとも魔法使いにとって今より悪化する方向へ傾くことはないと言う自信があったわけだな?」
リスターはやや語調を強めて肯定した。
「それだけ今この国が、善良な魔法使いには住みにくいということです」
「そうか……」
ニィエルは難しい顔でふと視線を逸らせた。
その時だった。
突然城の下の方から大きな爆発音が轟き、ニィエルは素早く立ち上がった。
「何事だ?」
剣を取り、蹴り開けるようにしてドアを開ける。
リスターはその様子に思わず笑みを零した。血気盛んなのは王子として良いことではないが、行動的なのは嬉しいことだ。
王子の後を追って飛び出すと、通路の向こうから武装した兵士が一人駆けてきた。
そしてリスターの方を見て一瞬怪訝そうにしたが、すぐに真剣な顔つきになって言う。
「王子、何者かが侵入した模様です。危険ですのでお部屋にお戻りください」
「嫌だ」
リスターは噴き出しそうになった。
しかし、当の王子は大真面目だ。
「敵に後ろを見せろというのか? 舐められてたまるか」
「お、王子!」
慌てる兵士を置いて彼は駆けた。
「リスター。何者だと思う?」
ニィエルの質問に、長身の青年は太目の眉を険しそうにゆがめた。
「魔法使いでしょうな」
「侵入理由は?」
「魔法使い狩りに対しての怒りをぶつけに来たのかと……」
階段を駆け下りると、階下は騒然としていた。
すでに少なからず被害が出ているようである。
相手が魔法使いでは仕方なかろう。いくら訓練された兵士たちも、魔法にはまるで耐性がない。
崩れた壁を通り過ぎ、傷付いた兵士を横目に角を曲がると、向こうから小さな人影が走ってきた。
青色の髪をした少女だ。
「ユアリ?」
リスターが驚きに目を開く。
「知り合いか?」
「仲間です」
答えると、彼はユアリに駆けた。
「リスター……」
弓使い少女は、ひどい怪我を負っていた。
顔は半分ほど血に染まり、左腕は肩からだらりと垂れ下がっている。
一番ひどいのは右足の太股だ。ざっくりとえぐられ、剥き出しになった傷口が生々しく光っている。
「こ、これは……」
ニィエルが思わずその端整な顔をしかめた。
少女はリスターの胸の中に飛び込むと、そのままぐったりと身体をあずけた。そもそも動けるような身体ではない。
「リスター! 治せるのか? 魔法はどれだけのことができる!?」
まだ年端もいかない少女の悲惨な姿を見て、ニィエルは激情に声を荒立てた。
リスターはそっと少女に手をかざして答えた。
「大丈夫です。俺なら治せます」
治癒魔法は高度な魔法に分類される。
もちろんニィエルがそんなことを知る由もなかったが、彼は青年の言葉にほっと息を吐いた。
通路の奥からいきなり強い魔力が押し寄せてきたのは、リスターが少女を治療しようとした瞬間だった。
「何っ!?」
さすがのリスターにも対応できず、ギリギリのところで防護壁を張ったが、衝撃に吹き飛ばされて、壁に叩きつけられた。
「ぐっ……」
「リスター!」
ニィエルが叫びながら剣を構える。
砂埃の向こう側から現れたのは、青く光を放つ美しい剣を構えた男だった。
「ニィエル王子か……」
ジレアスが、とても殺戮を繰り広げているとは思えない、穏やかな表情で立っていた。
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