いつもの歯切れのよい喋り方に、エリシアが呆然としたように声を洩らした。セフィンがいなくなったので、ルシアが戻ってくることはわかっていたのだが、いざそうなってみると不思議な感覚がする。
けれどルシアは、そんな姉の方は見向きもせずに、真っ直ぐ魔法使いの青年を見上げ、まるでつかみかかるような勢いで叫んだ。
「リスター、前に言ったよな! 魔法は人を生き返らせることもできるって! ティランはそんなことはできないって言ってた。つまり、リスターはできるんだろ!? あたしの一生のお願いだ。セフィンを生き返らせてっ!」
まだ秋間近のことだった。
魔法陣の中で死にかけていたユアリを助け、魔法使いたちの目的を話し合っていたとき、リスターはルシアに断言した。
魔法で人を生き返らせることは可能だと。
それがあまりにも衝撃的だったから、ルシアは克明に記憶していた。そして同時に、セフィンを好きになった瞬間からずっと、胸の中でそのことだけを考えていた。
セフィンに話せば止められるに決まっている。止められてしまえば、彼女の復活を願うことは裏切りになる。だからルシアは黙っていた。
勘の良いセフィンに気付かれないよう、その想いを胸の一番深いところに封印していたのだ。
「ルシア。お前……」
呆然となるリスターの服の袖を、まるで知らない大人たちの中にいる子供のようにぎゅっとつかみ、すがるような瞳に涙を浮かべた。
「セフィンは強がっていただけだ。だって、泣いてたもん。平和なこの世界でやり直したいって! 遊びたいし、恋もしたいって! お願いだ、リスター。お願い……」
長身のリスターの胸に顔を埋め、少女は泣きすがった。
エリシアは心配そうに見つめるだけで何も言わない。いつもならば「わがままを言ってはいけない」と怒るところだが、いつもとは違う様子の妹に何も言えなかった。誰かのためにこんなに必死になる妹を、初めて見たのだ。
「できるのか? リスター」
半信半疑の眼差しでニィエルが尋ねた。その表情には火を見るよりはっきりとした期待がこもっている。
同情なのか一目惚れなのか、それとも色々な考えがあってのことかはわからないが、彼は本気でセフィンを愛しているらしい。
ユアリは何も言わずに、じっと四人の様子をうかがっている。流動的に行動するのが嫌いで、常に強い意思を持った少女だが、この件に関して言うことはないのか、それともルシアの意思を尊重しているのかはわからない。
リスターはルシアの肩を持ち、その身体を引き離すと、真っ直ぐ彼女の瞳を見下ろした。
「できるが、ダメだ」
「ど、どうしてっ!?」
甲高い声で絶叫する。子供の夢を、大人の理不尽な理屈に踏みにじられたような気分になったのだ。
リスターはルシアの肩を離し、そっと屈み込んでセフィンの骨を手にした。
「あれは禁じられた魔法だ。遥か昔、事故で息子を失って半乱狂になった母親が、30年かけて生み出した魔法だと言われているが、そのために莫大な犠牲が出た。本当は、後世に伝えることすら許されていない魔法なんだ。俺も、曾祖父の残した書物を見て知ったが、知らなければ良かったと思っている」
ずっと言うのすら我慢し続けていた秘策を、あっけなく否定されて、ルシアは膝の力が抜けるのを感じた。まるで自らを全否定されたような気分になり、身体ががくがくと震える。
そんな少女を、背後から支えるように抱きしめたのは、姉のエリシアだった。
「でも、知っているのでしょう、リスター」
「姉貴!?」
考えもしなかったところから救いの手を出されて、光を失ったルシアの瞳に輝きが戻った。
「具体的にどうすればいいの? 何が必要なの? その母親は息子を生き返らせるために、どんな犠牲を出したの?」
「エリシア……」
リスターも思わずうろたえた。彼女だけは自分の味方になってくれると思っていたのだ。
もちろん、彼女が自分以上に妹を愛しているのは知っているが、それでも、正しい方を支援すると思っていた。
けれど、それは間違いだった。いや、あまりに必死なルシアの瞳が、頑なに保守的な態度を維持する姉の心さえも揺れ動かしたのだ。
リスターは深く目を閉じて首を振った。こうなってしまったら、二人は梃子でも動かない。
「血と肉と意思だ。まずセフィンに生き返りたい意思がなければいけない」
「それは大丈夫! セフィンは絶対にこの世界に戻りたいって思ってる! だって、ようやく生まれてきて良かったって思えたんだ。そんな一瞬の喜びで満足できる女はいない」
ルシアの口から女のなんたるかが出て、二人の大人は愕然となった。セフィンがこの少女に与えた影響は、一体どれほどのものなのか。
リスターは大きく頷いてから言葉を続けた。
「後は、血と肉の提供者。それから、その者のセフィンを生き返らせたいと願う心だ。その母親は息子のために幾人もの人間を実験台にしたが、成功しなかった。提供者にその意思がなかったからだ。だから彼女は最後に自らの命をもって息子を生き返らせた」
「命……。死ななくてはいけないの?」
さすがに青ざめた表情でエリシアが呟いた。ルシアの夢は大切だが、ルシアがいなくなってしまったら意味がない。
けれど、少女はまったく気にすることなく、怒鳴るように叫んだ。
「私はどうなっても構わない! 元々セフィンのために身体を捨てるつもりだった。でもセフィンに断られて……。だからお願い! セフィンを生き返らせて!」
「ルシアっ!」
思わず悲鳴を上げるエリシア。何がここまで妹を突き動かすのだろう。
黒髪の小さな少女が命まで懸けようとしている姿に打たれたのか、黙って事の成り行きを見守っていたニィエルも口を挟んだ。
「私も、この少女と同じ気持ちだ。王女のためにできることがあるならば、私もしたいと思う」
「王子……」
エリシアは泣きそうな顔になった。どうすればいいのかまったくわからなかったが、ただ一つだけ確かなことは、一番大切なのはルシアであるということ。
けれど、ルシアの身体と想い、どちらを優先させるべきかはわからなかった。
一瞬の沈黙の後、ふと壁の付近で聞いていた弓使いの少女が声を出した。
「ねえ。ルシアさんや王子が犠牲になってまでも、あの人は生き返ることを望んでいるの? 愛する王子と、お友達のルシアさん。二人のいない世界に生き返っても、私は王女が幸せだなんて思わない」
ユアリは、彼らの話を聞いていて、父と兄の顔を思い浮かべていた。
もしも彼らが生き返るならばと、少し考えたが、すぐにその思いを捨て去った。
リスターの話だと、恐らく彼らを生き返らせるために必要な提供者は自分だけだろう。あの優しい父と兄が、そんなことを望んでいるとは思えなかったのだ。
けれど、ルシアは自信を持って首を振った。
「それがあたしの願いだから。セフィンにこの世界に来て欲しいって。それにセフィンは、あたしなんかよりずっと前向きな人だから。きっと大丈夫。あたしはセフィンを信じてる」
ユアリはその回答に納得しなかった。けれど、ルシアの想いの強さを実感したのでそれ以上何も言わなかった。
人生に疲れた老人のように溜め息を吐いて、リスターがあきらめたような声で言った。
「一つ、誤解を解いておくが、別に血肉の提供者は命までは必要ない。耐えられれば死ぬことはない」
「本当っ!?」
青年の話を聞いて、てっきり死ぬしかないと考えていたルシアが明るい声を出した。
エリシアの瞳にも希望の光が蘇る。
リスターは深く頷いたが、すぐにたしなめるように言葉を続けた。
「だが、ルシアの体力だと生存は五分……あるいはもっと低いだろう。死体さえあれば魔法は使えるが、ここまで腐敗した古い死体だと、復活は極めて難しい」
「意思で、カバーする」
実現可能かは知らないが、ルシアは少しでも望みを繋げたくてそう言った。
「私にも手伝える?」
ぎゅっと拳を握って尋ねたエリシアに、リスターはそっけなく「ああ」と答えた。
仲間であり、誰よりも大切なルシアとエリシアを、最悪の場合殺さなければならない。
リスターの心中を察して、エリシアは視線を逸らせて唇をかんだ。それでも妹の方が大切なのだ。愛するリスターよりも、ずっと。
「私も頑張ろう」
一歩前に踏み出したニィエルに、リスターは厳しい口調で言った。
「いや、王子とユアリは外にいてもらう」
「何故だっ!?」
驚いて王子が声を上げた。どこか叱責する響きがあったが、リスターはまったく気にせず、むしろ彼を睨み付けて答えた。
「王子、立場を理解してください。あなたはこんなところで危険を冒すべき人ではない」
「愛する女性のために命を懸けて何が悪い!」
カッとなる王子に、リスターは鋭い瞳で切り札を出した。
「王子! 初めにした約束を忘れたのですかっ!?」
はっとなって、ニィエルは口を噤んだ。
この旅では絶対にリスターに従うと約束した。
「しかし……」
「想いは一つの方が成功率が高いのです。ここはルシアに任せてください」
やんわりとそう言われて、ニィエルは言葉を失った。
「リスターさん。どれくらいかかるんですか?」
ユアリが荷物を抱えて尋ねた。
「わからない。ただ、長くても短くても、少なくとも俺は戻るから、我慢強く待っていてくれ」
「わかりました」
大人しくそう答えてから、ユアリはルシアに微笑みかけた。
「絶対に帰ってきてくださいね。私はまだ全然ルシアさんと話し足りません」
「もちろんだ。セフィンと一緒にいたときの話、聞きたいって言ってたもんな。必ず戻るって約束するよ」
力強く頷いたルシアの瞳は、失敗の可能性はまるで考えてないように見えた。
だからユアリは、それ以上何も言う必要がなかった。
「行きましょう、ニィエル王子。みんなも辛いけれど、信じて待ち続けるのも結構辛いと思いますよ」
にっこりと笑って、少女は元来た道を引き返していった。
「絶対に四人で戻ってきてくれよ!」
念を押すようにそう言って、ニィエルも少女の後を追う。
やがて、階段を上っていく足音が消えて、リスターは一切の表情を消して姉妹を振り返った。
「この魔法を使うのは、これが最初で最後だ。これから先、たとえお前たちのどちらかが死んだとしても、この魔法だけは二度と使わない。いいな?」
リスターの言葉に、二人は息を飲んで頷いた。
「なら、始めることにしよう……」
『赤宝剣』の光にうっすらと照らされた部屋に、リスターの低い声がしんみりと溶けていった。
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