■ Novels


五宝剣物語

3−12

 セフィンを縛るために床に描かれた魔法陣を消しながら、リスターはまるで感情のこもらない声で魔法についての説明をしていた。
「ここにセフィンを蘇らせるための魔法陣を描く。通常、ほとんどの魔法は正しく陣さえ描けば、どこに何で描いても良いとされているが、この魔法陣だけは描くためのものが決まっている」
「あたしの……血?」
 睨みつけるような鋭い眼差しでルシアが尋ねる。
 リスターは大きく頷いた。
「まず血で床に陣を描く。その後、ナイフでルシアの背中に同じ形の陣を描く」
「ナイフで……」
 ごくりと姉妹が息を飲んだ。
「私は……何をすればいいの? ルシアと一緒に、血を提供すればいいの?」
 乾いた声でエリシアが尋ねた。
 リスターは静かに首を振る。
「いや、さっき王子に言った通り、提供者は一人の方がいい。エリシアはルシアに輸血してもらう」
「輸血?」
 聞き慣れぬ言葉に、二人は眉をひそめた。
「血を、移すのか?」
「そうだ」
 事も無げにリスターは頷いた。
 もちろん、魔法を使わなければそんなことは不可能な時代だ。一介の村民だった二人が知らないのも無理はない。
「お前たちの体力を取ってみても、俺の魔力を取ってみても、今回の魔法はあまりにも危険が大きい」
「あなたの魔力も?」
 リスターは他の魔法使いに比べて遥かに強大な魔力を持っていると思っていたエリシアが、怪訝そうに首を傾げた。
 青年は自虐的な笑みを浮かべて答えた。
「俺はただ多くの魔法を知っているだけで、あまり魔力は強くない。いや、もちろんそこらの魔法使いに比べれば遥かにある。そういう血筋だからな」
 リスターの曾祖父は偉大な魔法使いだった。だからこそ彼は、世代一と言われた王女セフィンの魂を縛り付けることができたのだ。
「だが、遥か昔から魔法使いの血は減少し続けている。それに伴って魔力も落ちているんだ。今の俺の魔力など、70年前なら恐らくの弱い部類に入るだろうな」
「そんな……」
 話を聞いて、ルシアはぞっとした。
 それは、リスターの魔法の失敗を恐れたのではない。70年前に大陸一の魔力を誇っていたセフィンの能力に畏れを抱いたのだ。
 ルシアの心の声が聞こえたのか、リスターがほんの少しだけ笑った。
「お前の生き返らせようとしているのは怪物だ。当時はまだ俺の曾祖父みたいなのもいたが、現世ではその気になれば、彼女は一人でこの国を壊滅させられるだろうな」
 青年の言葉に、ルシアは根っからの魔法使い嫌いが再発してしまったのか、怯えるように顔を曇らせた。
「まあ、できるというだけで、あのセフィンがそんなことをするはずがない。彼女の魔力は正しく使われるはずだ。安心しろ」
 リスターが言い繕うと、元々彼よりも王女に詳しい少女だ。すぐに安堵の表情を浮かべた。
 初めに描かれていた魔法陣をすべて消し終わると、リスターは姉妹に服を脱がさせた。
 若い二つの裸体を前にしても、彼は顔色一つ変えなかった。もちろん、そんなことを悦んでいるような状況ではないからだ。
 すでに幾度か彼に裸を見せているエリシアはもちろん、ルシアもさして恥ずかしがるような様子はなかった。それよりもむしろ、これから始まるある種の儀式に対しての緊張感に、顔を強張らせている。
 死ぬかも知れないのだ。無理もない。
 リスターもまた着ていた服の一枚を脱ぐと、荷物袋から小さなナイフを取り出した。いつかユアリがジレアスに対して投げつけたものと同じような大きさだが、鋭さが違う。
「では、始める……」
 静かにそう言ったリスターの顔は、言いようもない苦痛に彩られていた。少なくともエリシアは、彼がこれほどまでに苦しんでいる姿を見たことがなかった。
「痛みはいくら訴えてくれてもいい。とにかく、気だけは失わないでくれ。特にルシアは、思いが途切れてしまったらそれで終わりだ」
 こくりと頷いたルシアの腹部に、リスターはそっとナイフの先をあてがい、ゆっくりとそれを突き入れた。
「うくっ……」
 ルシアが痛そうに顔を歪める。額から汗が流れた。
 妹の腹筋を裂いて埋まっていくナイフを、エリシアは唇をかんで見つめていた。できることなら代わってやりたいと思った後、やはりやるべきではなかったかも知れないと後悔した。
 妹が自分で選んだこととはいえ、彼女の苦しむ姿は見たくない。
 指先から伝わってくる感触で、リスターはナイフの先端が腹の肉を破り、内蔵の手前まで達したのを感じ取った。
 一気にナイフを抜き去ると、ルシアが小さく悲鳴を上げ、傷口から真っ赤な血がとろりと溢れ出した。
「エリシア、手を」
 リスターに言われて、エリシアは左手を差し出した。
「かなり痛いが、今からルシアにしていくことに比べれば大したことはない。我慢してくれ」
 彼はそう言うと、愛する女性の中指と人差し指の爪を剥いだ。
 妹の前だからと、彼女は悲鳴を上げるのを堪えたが、次に神経が剥き出しになった指先をナイフで深く十字に切られたときには、さすがに涙を滲ませて絶叫した。
「あ、姉貴っ!」
 ルシアが自分のことのように眉をひそめて声を上げた。
「だ、大丈夫……」
 弱々しく笑った彼女の左手を取ると、リスターは傷付けた二本の指を、先程ルシアの腹に空けた穴に導くように突き入れさせた。
 生々しい肉の感触に、エリシアが顔を歪める。
「エリシア。何があってもこの指を抜かないでくれ」
 リスターは聞き取るのがやっとなほど早口にそう言うと、息を吐く間もなく呪文を唱え始めた。
 一刻一秒を争う儀式だ。長引けば長引くほど二人の体力は奪われていく。
 彼の魔法が完成すると、ルシアは身体の血が沸騰するような熱さを感じた。エリシアの指先から流れる血液が、彼女の体内を循環しているのだ。
 反してエリシアは、急速に身体から力が抜けていき、同時に眩暈と吐き気を覚えた。まるで誰かに吸われているように、指先から血が抜かれていく。
 リスターは苦しむ二人の少女を一瞬悲しげな瞳で見た後、すぐにナイフを持つ手に力を込めた。悲しんでいる暇はない。
 大き目の器を用意し、それにルシアの右腕を突っ込ませると、彼はその腕を容赦なく切り裂いた。
「ぐあぁっ!」
 固く目を閉じ、ルシアの身体ががくがくと震える。
 エリシアはもう見ていられないと言わんばかりに顔を背けていたが、妹の体内に埋まる指先からその震えが伝わってきて、別の意味での眩暈を覚えた。
 器の中にどんどん溜まっていく、ねっとりとした赤い絵の具に筆を入れ、彼は地面に魔法陣を描き始めた。
 急ぎたいが、魔法陣を描くのは簡単ではない。慎重に描かなければ、それこそ二人の努力が無駄になってしまう。
 彼はもどかしさと戦いながら、懸命に陣を描いた。
 真っ赤な部屋に二人の熱い息遣いが響く。充満する血の匂いは生々しくて、戦いに慣れているリスターでさえ吐き気を覚えた。
 ようやく魔法陣が完成したときには、二人はもはやぐったりとしており、その瞳には何も写していないかのように思われた。
「二人ともしっかりするんだ!」
 リスターは慌てて回復魔法をかけた。青ざめた二人の顔に精気が戻り、ルシアの腕の傷も治癒された。
「リスター……」
 弱々しく呟いたルシアの髪を撫でると、少女は安心したように表情を和らげた。
「頑張れ、ルシア」
「うん……」
 勝負はここからだ。魔法はまだ3分の1しかできていない。
 リスターは少女を座らせると、今度は背中にナイフを突き入れた。
 初めに腹に傷を付けたとき同様、肉を破り、内臓に達する手前で止めると、今度はその厚みのまま、まるでステーキの肉でも切り出すかのように、ナイフを横に動かした。
 剣士として鍛えられたルシアも、さすがに耐えられなかったらしい。思わず飛び退きかけた身体を、エリシアがぐっと抱きしめて抑えた。
「ルシア……」
「姉貴……うぐあぁぁぁぁぁっ!」
 ぐっと握ったエリシアの腕に爪が食い込み、そのまま肉を破った。全身から汗を流し、のた打ち回ろうとする妹を必死に姉が押さえつける。
 その間も、リスターは冷静に少女の背中に魔法陣を描き続けていた。傷で陣を描いているのだかから、先程のように傷を治すわけにもいかない。
 リスターは一度汗を拭った。
 指先からルシアの肉を裂いていく感触が生々しく伝わってくる。息子を蘇らせるために、自らにこの魔法を執り行った母親は、一体どれだけの忍耐力を持ち合わせていたのだろうか。
 いや、恐らく正気ではなかったはずだ。まっとうな精神を持った者には、到底耐えられるものではない。
 もしも自分たちがこの魔法を成功させられるとしたら、それは仲間を信じ合う心の強さだ。リスターは姉妹を信じているし、姉妹も互いを、そしてリスターがきっと魔法を成功させると信じている。
 魔法陣を描き終わると、泣き叫ぶルシアの背中からナイフを引き抜き、それを投げ捨てた。これで3分の2だ。
「後は祈るだけだ、ルシア。一心にセフィンのために祈ってくれ」
 リスターはルシアの血で染まった手で、少女の『黄宝剣』を握り締めた。そしてそれを地面に描いた魔法陣に突き立てると、目を閉じて呪文を唱え始めた。
(頼むセフィン。ルシアのために、ここに戻ってきてくれ……)
 自らの魔力のすべてを振り絞りながら、リスターは祈った。
 『黄宝剣』が眩しく輝き始めた。

←前のページへ 次のページへ→