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Prisoners
孤児の少女ユウナは、スラムの古びた教会で子供たちと暮らしていた。ユウナは大陸でも数少ない魔法使いの一人で、日々の糧もスリと魔法によって得ていた。
そんなある日、突然城からやってきた魔法使いに捕まり、「魔法使い養成施設」に叩き込まれる。そこは魔法使いたちの檻であり、実際には魔法使いの暗殺者を育成する施設だった。
一緒に暮らしていた子供たちを人質に取られ、ユウナは渋々暗殺者としての道を踏み出すことになる。

ユウナ : 孤児の少女。魔法使いであることが知られ、無理矢理城で暗殺者として育てられる。
タンズィ : ユウナを捕えた城の魔法使い。残忍な性格をしており、魔法使いたちを脅かしている。
ノーシュ : ユウナより先に施設にいた青年。感情がなく、タンズィに従順に仕えている。
サレイナ : 心優しい少女。その優しさのために人を殺せず、悲しい思いばかりしている。

14

 アジトに戻った三人は、イルエグルと五人の諜報員を集め、戦果を報告することになった。彼らが城に潜入したところまではイルエグルが確認しており、こうして無事に戻ってきたのだから、暗殺は成功したのだろう。
 時間はすでに朝になっており、彼らがかなり長時間城に潜入していたことや、その割には騒ぎが少なかったことなど、若干の不自然さは否めなかったが、彼らの姿には交戦の跡もあり、暗殺の成功は疑いようもなかった。イルエグルはノーシュの計画など思い付きもしなかった。
「計画は成功したよ」
 ノーシュが静かに言って、諜報員たちの顔にぱっと明るいものがよぎった。
「そうか、よくやったぞ、お前たち!」
 珍しくイルエグルが嬉しそうに声を上げる。諜報員たちも手を取り合った。
 ノーシュも表情に喜びを出し、椅子から立ち上がると、笑い合っている二人の諜報員の肩に手を乗せた。サレイナはいささか緊張した面持ちで、他の二人と手を重ねる。
 そしてユウナは、出来る限り明るい笑みを浮かべて、すっとイルエグルに手を差し伸べた。イルエグルは妙にしおらしいユウナに首を傾げたが、気分が昂揚していたのでそれ以上の疑いは持たずにその手を握った。
「よくやったぞ、ユウナ」
「ええ、ありがとう。でも、計画はまだ途中なのよ」
 言い終えるや否や、ユウナはイルエグルともう一人の諜報員に“催眠”の魔法をかけた。
「な、何……?」
 イルエグルは咄嗟に抵抗するが、聖女シンシアの娘の魔力に抗えるはずもなく、あっさりと床に崩れ落ちた。
 息をついて顔を上げると、ノーシュとサレイナも安堵の表情で立っており、ブラウレスに忠誠を誓っている六人は並んで床に伏していた。
「計画は順調だな」
 ノーシュは不敵に笑いながらダガーを抜いた。
 イルエグルと諜報員をどうするかは、最後までノーシュを悩ませた問題だった。本来ならば、生かしておいて、暗殺が成功したことを彼らの口から国に報告させた方が良い。けれど、アルブランスはすぐに開戦の準備を始めるだろうし、そうなればその情報はアルブランスが動くよりも先にブラウレスに届くことになる。
 一人だけ生かし、ブラウレスまで同行させて、ノーシュか誰かがアルブランスに戻って他を抹殺することも考えたが、それも計画をより完璧に遂行するために没になった。というのは、計画の第三段階はこれで終わりではないからだ。
 ノーシュとユウナは眠っている男たちを殺害した。なるべく返り血を浴びるようにしたのは言うまでもない。
 三人はすぐに出発の準備を始めた。彼らの死体に関しては、アルブランスの人間が処理してくれることになっている。
 血まみれの黒装束を袋に詰めて外に出ると、そこにはこれからしばらく一緒に旅をすることになる一団が待っていた。アルブランスの暗殺者部隊である。先の襲撃事件でその数を減らしていたが、壊滅したわけではなかったのだ。
「まさか、一度は命を奪い合ったお前らと手を組むことになるとはな」
 苦笑したのは、リーダーのゴートである。すでに40歳を過ぎ、その腕前は一流であった。先の襲撃事件にも参加し、失敗を悟って脱出に成功した一人である。ノーシュは彼に見覚えがなかったが、ゴートは二人の戦いぶりを見ていた。
「ごめんなさい。仕方なかったのよ」
 ユウナが頭を下げると、ゴートは軽く手を振ってそれをやめさせた。
「恨んでいるわけじゃない。話は聞いたし、今は味方だ。計画が成功したら、いずれはともに酒を飲み交わす仲になるかも知れんしな」
 明るく笑うゴートを見て、ユウナは顔を綻ばせると同時に、人生の奥深さをしみじみと感じていた。
 ゴートも、ノーシュやユウナに大切な仲間を殺されたかも知れないし、スーミやヨィリーを殺したのはこのゴートかも知れない。にも関わらず、今はこうして手を握り、笑い合っているのだ。
 ユウナは一瞬スーミのことを思い出して表情を暗くしたが、すぐにそれを取り払った。
(この人たちと私たちが戦ったことに、一切の個人感情は入ってなかった。例えこの人がスーミを殺したんだとしても、恨むべきはこの人じゃない。この人は私なんかよりずっとそれをわかっているんだ)
 隣を見ると、ノーシュとサレイナも同じように、ゴートの部下と握手を交し合っていた。皆、本当に出来た人間だ。感情がないはずがないのに、それを押し殺すこともできれば、物事を割り切る術も持っている。
 ユウナは甚大な魔力を得、戦い方を覚えた今、今度はもっと精神的に強くならなければいけないと思った。

 ノーシュの計画の第三段階は、アルブランスとブラウレスの間にある、ブラウレスの二つの見張り塔を抑えることだった。通常、戦いの際はこの見張り塔から狼煙を上げて、ブラウレスの城に知らせることになっている。
 ノーシュはこの見張り塔の情報をほとんど持ち合わせておらず、それが心配の種になっていたが、アルブランスはこれに関する驚くほど詳細な情報を持っていた。
「俺自身、何度か偵察に入ってるからな。制圧しようと思えばいつだってできるさ」
 事前にゴートはそう笑っていたが、事実彼らは鮮やかな仕事ぶりで見張り塔の一つを占拠した。もちろん、狼煙を上げさせることも、見張りの兵士を逃がすこともなかった。
 計画は速やかに実行されなければならない。
 彼らは数人を塔に残すと、すぐに次の塔へ向けて出発した。そして、ブラウレスの街まで馬を駆って一日という距離にある塔に達すると、今度は魔法使い主導でこれを制圧した。
「俺たちにできることはここまでだ」
 塔の頂上から遥か彼方のブラウレスの城を見つめながら、ゴートが低い声で言った。
 ノーシュは静かに頷き、必ず城門を開けることを約束した。
 これからゴート率いる暗殺者部隊は、一部を報告のためにアルブランスに返し、残りはここでブラウレスの動向を見守ることになっている。ノーシュたちが城に戻れば、ブラウレスは確認のために密偵を派遣するだろう。これを撃退するのがゴートの役目だ。
 アルブランスは、決して大軍を率いてブラウレスを落とすつもりはなかった。城門さえ開けば少数でも勝てる。その少数精鋭部隊がブラウレスに着くまでに存在を気付かれないようにする。ゴートは命に換えてもこの使命を果たすつもりだった。
 ノーシュたち三人は馬にまたがり、一度だけ見張り塔を振り返った。ここから先、彼らとは一切の連絡を取ることができない。万が一城門を開けても、アルブランスの軍隊が来なかったら。万が一その前にタンズィに気付かれてしまったら。
 緊張に高鳴る鼓動を抑えられず、ユウナが硬い表情でいると、サレイナが明るい笑顔で言った。
「もう引き返せないのよ、ユウナ。どう転がっても、やるしかないのよ」
「わかってるわ。サレイナは怖くないの?」
 サレイナは少しだけ瞳を落としてから、その質問には直接答えずにこう言った。
「死ぬとしても助かったとしても、私たちはずっと一緒だからね。約束よ?」
 決意の眼差しで見つめられて、ユウナは力強く頷いた。
 流れる川は、海に着くか干上がるしかないのだ。
「じゃあ、いよいよ計画最終段階だな」
 ノーシュの低い声に、二人は真剣な瞳で頷いた。
 前方にブラウレス城の高い城壁が見えてきた。

 ブラウレスに戻ると、タンズィは真っ先にイルエグルの不在を訝しみ、それについて言及した。ノーシュはすぐに用意していた作り話を話した。
 それは、三人は暗殺には成功したが、アルブランスの暗殺者に追われ、アジトで戦闘になったというものである。もちろん、信憑性を増すために、暗殺に成功した人数は国が掲げたリストよりずっと少ないものになっていた。
 タンズィはしばらく細い目でノーシュを見つめていたが、彼がいつもの無表情でいたので、やがて二人の少女に視線を移した。
 サレイナは内心の焦りを隠し切れずに、思わずびくっと肩を震わせて俯いた。けれど、彼女は元々気の弱い娘であり、タンズィに睨まれただけで怯えることはよくあった。だからタンズィもサレイナの反応を大して気にかけず、心の底まで見透かすようにユウナを見つめた。
 ユウナは苦労して帰ってきた部下に対して、労いの言葉をかけるどころか、まず怪しむことから始めるタンズィに腹が立ったが、その怒りは無理矢理押し殺した。もうじきすべてが終わるのだ、我慢しなくてはいけない。
 結果として、その我慢がいけなかった。
 タンズィは何も言わずに彼らを城に連れて行くと、重臣の集まった部屋で詳細な報告をさせた。ノーシュはタンズィに話した内容よりさらに詳細を話し、重臣の質問にも答えた。
 彼らの質問と言えば、城の構造はどうだったかとか、殺した相手の顔はどうだったかと言ったもので、それは明らかに成功を疑っているものばかりだった。
 ノーシュはそれに淡々と答えていたが、ユウナは思わず拳を握って怒りに肩を震わせていた。
(この人たちは、命をかけて戦った私たちを疑うだけなの?)
 いつものユウナならば、相手が誰であろうとそれを言葉に出していただろう。けれど、実際は戦っていないのである。だからユウナは怒りを噛み殺して黙っていた。
 報告を終えると、三人はタンズィに連れられて施設への道を歩いていた。
 やがて施設の壁が見えてくると、不意にタンズィが足を止めてユウナを振り返った。
「ユウナ、今日は珍しく静かだったな」
「え……?」
 思わず顔を上げ、ユウナは驚いた表情になる。心臓が早鐘のように打った。
「べ、別にそんなことないわ。たくさん人を殺して、疲れたのよ。仲間だって殺されたし、私が黙っていたら、そんなにおかしい?」
 反論する声が上擦っていたのを、ユウナ自身気が付いていた。もちろん、タンズィもである。
「おかしいな。それに、疲れているようには見えなかったぞ? 俺には、言い返したいのを我慢しているようにしか見えなかった」
「が、我慢はいけないことじゃないでしょ? あんなところで偉い人たちに歯向かったら、またあんたに怒られるじゃない! 私、嫌よ? そんなことで子供たちを殺されるなんて!」
 タンズィがサレイナを見ると、少女は哀れなほど身体を強張らせて首を振った。
「サレイナ、お前はずっとユウナと一緒にいたのか?」
「え、ええ、もちろんです。ノーシュともずっと一緒にいました。ううん、一度だけユウナと二人で城を偵察に行きましたけど、ユウナとは離れませんでした」
「夜は? 夜中は? 寝ているときは? お前はユウナと手をつないで寝ていたのか? “催眠”の魔法をかけられなかったという保証はあるか? ノーシュ、お前もだ」
「そ、そんな! タンズィ、あんた、どうして私を疑うの!? 私みたいなブラウレスを出たことのない孤児院育ちが、一体アルブランスで何ができるって言うの!」
 ユウナは泣きそうになって叫んだ。もしも嘘が発覚したらすべての計画が終わってしまう。自分を信じてくれたヨハゼフも裏切ることになるし、サレイナや子供たちの命もないだろう。
 タンズィは細い目をしたまま答えた。
「お前が、自分の父親のことを知らない保証がない」
 その言葉に、ユウナははっとなった。彼女の父オムラン・アドレイルは、アルブランス国王ヨハゼフの親友なのである。それに、シンシア・ファーリンはアルブランスのために働いた人間であるし、もしもユウナの素性がわかれば、彼女はアルブランスで歓迎される人間なのだ。タンズィはそれを熟知している。
 実際にユウナは歓迎された。ノーシュの計画が上手く運んだのも、ユウナの血筋のおかげであると言って過言ではない。ユウナはすぐに知らないことを主張しようとしたが、少女の動揺に気付かないほどタンズィは愚かではなかった。
「やはり、お前はオムラン・アドレイルを知っていたな。そして、ノーシュにもサレイナにも内緒で何か企てた」
「違う! 私は何もしてない! 何も知らない!」
「ノーシュ! 後でこいつを縛って特別室に連れて来い。自白させる」
「そ、そんな!」
 ユウナはついに泣き出した。
「本当に私は何もしてないの! 信じて、信じてよ!」
 もちろん、少女の哀願など通じる相手ではない。ユウナを睨み付けるタンズィの顔にいつもの残忍な笑みはなく、心から国のために少女を拷問にかけようとしているのは明白だった。
 ユウナは一瞬、いっそここでタンズィを殺してしまったらどうかと思った。けれど、タンズィは瞬殺できる相手ではないし、騒ぎになればもはや自分の命も子供たちの命もこれまでだ。そればかりか、計画も台無しになり、アルブランスにも甚大な被害を与える。
「私は、何もしてない……。ノーシュ、サレイナ、助けて……」
 ユウナは膝をつき、声を上げて泣いた。サレイナはそんなユウナの身体を抱きしめ、一緒になって泣いたが、ノーシュは相変わらずの無表情で二人を見下ろしていた。
「サレイナ、お前も来い」
 タンズィは一言そう言うと、そのまま城の方へ戻っていった。子供たちを連れてくるのかも知れない。
「どうして、こんなことに……」
 唇を噛んだノーシュの声が、静かに風に流れて消えた。

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