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Prisoners
孤児の少女ユウナは、スラムの古びた教会で子供たちと暮らしていた。ユウナは大陸でも数少ない魔法使いの一人で、日々の糧もスリと魔法によって得ていた。
そんなある日、突然城からやってきた魔法使いに捕まり、「魔法使い養成施設」に叩き込まれる。そこは魔法使いたちの檻であり、実際には魔法使いの暗殺者を育成する施設だった。
一緒に暮らしていた子供たちを人質に取られ、ユウナは渋々暗殺者としての道を踏み出すことになる。

ユウナ : 孤児の少女。魔法使いであることが知られ、無理矢理城で暗殺者として育てられる。
タンズィ : ユウナを捕えた城の魔法使い。残忍な性格をしており、魔法使いたちを脅かしている。
ノーシュ : ユウナより先に施設にいた青年。感情がなく、タンズィに従順に仕えている。
サレイナ : 心優しい少女。その優しさのために人を殺せず、悲しい思いばかりしている。

 二人は施設から出され、城の中にある石造りの建物に連れて行かれた。それは大きな倉庫のような建物だった。
 中には何も置かれておらず、剥き出しの土の上に老若男女合わせて40人くらいの人間が蒼ざめた表情で座っていた。
 三人が中に入ると、彼らは一斉に振り返り、多くの視線を一度に浴びて、サレイナが思わず小さな悲鳴を上げた。この少女は、本質的には内気で恥ずかしがり屋なのだ。
「ユウナ、お前は縁に座っていろ。サレイナ、お前はこっちに来い」
 タンズィが深みのある声でそう命令した。ユウナは今逆らうのは得策ではないと考え、大人しく建物の隅に座った。
 サレイナは一度不安げにユウナを見たが、ユウナがなるべく明るく笑って見せると、元気を取り戻したように微笑んだ。けれど、その微笑みも次の瞬間には消えてなくなる。
「お前たちの息子、娘、大切な人間は、すべてここにいる二人の少女が私怨により殺害した」
「え……?」
 サレイナが思わず声を上げてタンズィを見上げる。
 ユウナは唇を噛みしめてタンズィを睨み付けた。ここにいる人間は、すべてスーミやヨィリーたち、先の戦いで死んだ魔法使いの人質だ。魔法使いが死ねば人質は殺される。タンズィはそれをサレイナにさせようとしているのだ。
 けれど、今回はそれだけではなかった。
「私はそれを非常に嘆かわしく思い、同時に強い憤りを感じる。そこで私は、お前たちにその恨みを晴らす機会を与えようと考えた」
「嘘よ!」
 ユウナは叫びながら立ち上がった。
 刹那、タンズィが振り向き様に手を振り、そこからナイフが風を切って閃いた。タンズィも魔法使いの訓練を受けた人間である。ナイフの扱いは部下に引けを取らなかった。
 それにユウナも、まさかいきなりナイフを投げられるとは思っておらず、反応が一瞬遅れた。
 素早く飛び退いたが、ナイフが腹に突き刺さるのが早かった。
 ドスッという低い音ともに、ユウナの口から呻き声が漏れ、サレイナが悲鳴を上げた。
 タンズィがユウナに近付き、彼女にだけ聞こえる声で言った。
「今逆らえば、俺はお前にもお前の人質にも一切の容赦はしない」
 ユウナはナイフを抜き、“治癒”の魔法をかけながら一度だけ頷いた。この男は本気だ。ランドスを殺された日のことを思い出し、あきらめたようにナイフを置いて座り直した。
 タンズィは再び人質に向き直ると、説明を続けた。彼らは皆、憎しみの目で二人を睨み付けていた。ユウナはそれを平然と受け止めていたが、サレイナはガクガクと震えている。
「お前たちにまず、この少女と戦う権利を与える。そしてこの少女を殺すことができたら、次は向こうで座っている少女だ。二人とも殺すことができたら、お前たちを解放してやろう」
 なるほど、とユウナは思った。自分も連れてこられたのには意味があったのだ。
 万が一サレイナが彼らに殺されるようなことがあっても、ユウナは彼らを殺すことに躊躇しない。タンズィにはそれがわかっていたのだ。
 人質たちは今にも襲いかからん息遣いで立ち上がった。先にタンズィが与えていたのだろう。手には全員が同じナイフを持っている。
 タンズィはサレイナにも同じナイフを手渡した。サレイナはそれを受け取ると、怯えたような表情で顔を上げた。
 タンズィは何も言わずにユウナの座っている隣に立ち、腕を組んだ。サレイナは助けを乞うようにユウナを見、ユウナは思い詰めた表情で言った。
「サレイナ。殺さなければ、あなたのお姉さんも婚約者の人も、全員私が殺すことになるわ。私にそれをさせないで」
 サレイナは真っ直ぐユウナを見つめていたが、やがてその場に力なくナイフを落とすとユウナの許に駆け寄った。そして驚くタンズィに構いもせず、ユウナの身体を抱きしめて、嗚咽を漏らしながら言った。
「私、ユウナのこと、好きよ。本当に……好きだし、感謝してる」
「サレイナ……」
「私、ユウナがいなかったら、きっともうここにはいなかった。この半年間、ユウナがいてくれたから頑張ってこられた。だから……」
 サレイナはユウナから身体を離し、肩を持ったまま唇を引き結んだ。
「だから私、ユウナのために頑張るね。私は、私自身のためには人なんて殺せないから」
 ユウナは大きく頷くと、少女を力付けるようにはっきりと言った。
「わかったわ、サレイナ。私のために、あの人たちを全員殺して。私はあなたがそうしてくれることを心から望んでいるから。もしも死んだりしたら、私はあなたを嫌いになる」
 サレイナは真顔で一度頷くと、ユウナのナイフを手に取った。
「あなたにこれは使わせない」
 きっぱりとそう宣言して40人を向き直ったサレイナの顔は、揺るぎない決意に満ちていた。

 サレイナが再び元に位置に立つと、ユウナは真っ直ぐ彼女を見つめたまま静かに言った。
「あんたは、どこまでも卑怯は奴ね」
「いいや。これはいつもの殺人ゲームとはわけが違う」
 ちらりと見上げると、確かにタンズィの顔にはいつもの残忍なものはなく、むしろ焦りさえ感じられた。
「この部隊にあの女は必要だ。だから、変わってもらわないと困る」
「あの子が変わると、本気で思ってるの?」
 呆れたようにユウナが聞くと、タンズィは深く頷いてから、怪訝そうに見上げるユウナを細い目で見下ろした。
「お前だって、初めは人殺しなんかできる娘ではなかっただろう」
 その一言は、ユウナの胸に凄まじい衝撃を与えた。
 確かにユウナは、施設に入る前は人を殺すことなど考えられない娘だった。けれど今では、暗殺者の代表として選出されるほどになっている。
 ユウナは自分が変わったなどと考えたことがなかった。もしも子供たちが今の自分を見たら、果たして昔のように微笑みかけてくれるだろうか。
「よし、じゃあ始めろ!」
 ついにタンズィが号令をかけ、40人が一斉に雄叫びを上げながらサレイナに殺到した。
 ユウナは子供たちへの思いを断ち切り、拳を握ってサレイナを見た。
 数人が投げ付けたナイフを俊敏な動作で躱すと、サレイナは彼らと真っ向から戦うのを避け、一番端の方から迫り来る中年の女性の首にナイフを付き立て、そのまま集団の背後に回った。とても普通の人間について来られる速度ではない。サレイナは“強化”の魔法をかけていた。
 背中から老婆の心臓をナイフでえぐると、引き抜き様腕を振り上げた若者の胸を刺した。
 けれど、あまりにも相手は多勢である。ついに津波が町を飲み込むように取り囲まれ、小さな呻き声とともに血がしぶき上がった。
 “浮遊”の魔法で勢いよく飛び上がった拍子に太股をざっくりとえぐられ、サレイナは苦痛の声を漏らした。さらに背中にナイフが突き刺さり、仰け反った腹部にも飛んできたナイフがめり込む。
 だが、サレイナは魔法使いだ。すぐに“治癒”の魔法で回復させると、人のあまりいない場所に着地しつつ、二人の命をたちまちに奪い去った。
 サレイナは顔中を汗で濡らしながら、鬼神のような表情で戦っていた。そして、戦いが始まってからずっと「ユウナのため」と繰り返していたが、次第にそれは人質たちの断末魔の叫びよりも大きくなっていた。
「ユウナのため! ユウナのために!」
 サレイナのナイフは的確に人質の命を奪っていく。それでも、サレイナにも体力と精神力の限界があった。
 攻撃を避けて後退した瞬間、死体に足を取られて、仰向けに倒れ込む。腹部をさらしたサレイナに覆い被さるように、人質の男がナイフを突き立てた。
「がはっ!」
 喉から血を吹き、サレイナはもがいた。今の自分の力では男の身体を離せないと悟ると、男に“催眠”の魔法を使う。
 けれど、男を蹴り飛ばし、立ち上がって怪我を治すより先に、今度は前と後ろからつかみかかられてサレイナは動きを束縛された。別の女が奇声を上げながらナイフを突き立てる。
 サレイナの小さな肩に切っ先が食い込み、サレイナは絶叫した。首元に煌いたナイフを手の平を犠牲にして受け止めると、サレイナは苦痛のあまり涙を煌かせた。
「ごめん、ユウナ……」
 サレイナの意識は真っ白になっていた。

 ユウナは手に汗を握って戦況を見守っていたが、ついに我慢できなくなって立ち上がった。
 自分の近くに落ちていたナイフを手に取ると、それをサレイナを取り囲んでいる人間に向かって投げ付ける。ナイフは少年の背中に突き刺さり、少年は叫び声を上げて倒れた。
「ユウナ!」
 タンズィが咎めるような声を上げたが、ユウナは鋭い目で睨み付けて反論した。
「もう十分でしょ? あの子はもう十分自分から人を殺したわ。あんたは、あの子を殺したいんじゃないんでしょ?」
 返事も聞かずに、ユウナは真っ直ぐサレイナのいる場所へ駆け寄ると、彼女を押さえ付けている二人に両手を当てて、いつかタンズィに使われた強力な“麻痺”の魔法を放った。
 二人は奇妙な呻き声を上げ、背骨が折れるほど身体を反り返らせて絶命した。ユウナは一瞬の眩暈に堪え、ナイフを取って周囲の人間を刺し殺した。
「話が違うじゃないか! 一人ずつだろう!」
 誰かがタンズィに向かって叫んだが、タンズィはうっすらと笑っただけだった。
 ユウナのナイフが的確に急所を斬り裂き、人質の数は急激に減っていった。
 元々集団を相手にする能力はないが、個人が相手なら鍛え上げられた戦士すら殺す自信がある。暗殺者とはそういうものだ。
 いよいよ最後の一人も無傷のまま刺し殺すと、ユウナはすぐにサレイナに駆け寄った。
 サレイナはすでに自分で怪我を治しており、血まみれの凄惨な顔でにっこりと笑いかけた。
「ありがとう。嫌われずに済んで、本当によかった」
 心から安心したようにそう言うと、サレイナはナイフを落としてぐらりと身体を傾けた。
 ユウナは慌てて戦友の身体を抱きしめ、思わず溢れてきた涙を拭いもせずに首を振った。
「私、サレイナのこと、嫌いになったりしないよ? ごめんね、こんなことさせて。私、サレイナに好きだって言ってもらえて本当に嬉しかったの。私も大好きよ」
 サレイナはユウナの胸の中で嬉しそうに笑った。
「よかった……」
 今度こそ本当に気を失って、サレイナはユウナに身体をあずけた。
 ユウナは複雑な心境でいた。果たしてサレイナがこうして人殺しをできるようになったのは、良かったのか悪かったのか。
 けれど、そうならなければこの温もりはなくなっていた。
「良かったのよ、これで……。生きているのが一番大切なのよ……」
 ユウナは自分を納得させるようにそう呟いて、そっとサレイナの髪を撫でた。
「アルブランスにはお前たち3人に行ってもらう。出発は3日後だ。他の連中には俺から話す。明日は朝からノーシュを連れてさっきの部屋に来い。計画を伝える」
 事務的な口調でそう言ったタンズィだったが、表情には安堵の色が見て取れた。大切な駒を失わずに済んだのだ。
 とりあえず、今は。
 ユウナはしっかりとサレイナを抱きしめたまま、タンズィですら危険と判断した計画と、その計画を利用しようとしているノーシュのことを考えていた。

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