「あ、シィスさん! クリス!」
ユウィルは立ち上がり、小走りにドアの方へ駆け寄った。そして、中に入ってきた人物を見て立ち尽くし、全身を震わせた。
「シティア……様……」
シティアはユウィルを一瞥すると、そのまま奥に入った。リアとシィスは席を外そうと思い、その場で立ち止まったが、クリスは唇を引き結んで中に入った。
「クリス!」
シィスが咎めるように声を上げたが、クリスは聞かなかった。クリスはユウィルのことが好きだった。たとえもうユウィルと会えなくなるにしても、その理由をしっかりと聞きたかったし、ユウィルのことを知りたかった。いつかユウィルに言われた覚悟は出来ていないが、今は自分は間接的に関わるに過ぎない。
「いいわ。あなたたちには知る権利がある。リア、あなたも聞きたければいらっしゃい」
リアは一瞬迷ったが、呆然と立ち尽くしたままわなわなと震えているユウィルを見て、話に参加することにした。
「シティア王女。私は、仲介のために話を聞きます。いいですか?」
「好きにしなさい」
結局、シィスもクリスと一緒に中に入った。話を聞きたいというよりは、クリスを監視するためである。
「どんな話になっても、口出ししちゃダメよ? 守れないなら、外に出なさい」
珍しく厳しい口調でそう言うと、クリスは大きく頷いて何も言わないと誓った。
ドアを一つくぐって居間まで来ると、シティアは立ち尽くしたまま項垂れているユウィルに座るよう言った。ユウィルは今にも泣きそうな顔で頷き、シティアの方を見ずに座った。
しばらくの沈黙の後、シティアが口を開いた。
「元気そうね」
「元気じゃない方が良かったですか?」
その場にいた誰もが驚いた。マグダレイナの二人はそんな卑屈なユウィルを見たのは初めてだったし、リアはあのユウィルがシティアに対してぞんざいな口の利き方をしたのが信じられなかった。
ただ一人だけ、シティアは眉一つ動かさず、凍りつくような冷たい声で言った。
「誰かと話をするときは相手の顔を見なさい」
弾かれたように、ユウィルは顔を上げた。そしてシティアの感情のこもらない目を見て、思わず視線を逸らしかける。だが、それをすればまた怒られると思い、泣きたいのを堪えながらシティアを見つめた。
「シティア様は、あたしを罰しに来たんですか? あたしは、どんな罰を受けるんですか?」
ユウィルの声は涙でかすれ、今にも泣き出しそうなその顔は、見ていて痛ましいほど悲しみにゆがんでいた。
シティアはやはり無表情のまま言葉を続けた。
「罰って何の?」
「何って、研究所のことです! たくさんの人が死にました。あたしが殺したんです。あたしがみんなを殺したんですっ! あたしは……あたしは……」
ユウィルはとうとう大きな声を上げて泣き出した。クリスはユウィルの告白に思わず息を飲んだ。ウィサンの悲劇は、先ほど市で聞いたばかりである。まさかそれをやったのがユウィルだなどとは。ある程度は覚悟していたが、まさかそれほどの大事件を起こしていたとは考えてなかった。
「うるさいから、泣くな!」
シティアが怒鳴ると、ユウィルはぴたりと泣き止み、呆然と顔を上げた。心が壊れそうだった。
「泣いても何も変わらないわ。感情を抑えなさい。それができないから、あんなことになったんでしょ?」
「はい。ごめんなさい……」
ユウィルは一度涙を拭いて項垂れ、先に言われたことを思い出して慌ててシティアの目を見つめた。
シティアは一度深呼吸してから、事務的な口調で言った。
「研究所の崩壊は天災で処理したわ。だから、ユウィルは無罪よ」
「そ、そんな!」
ユウィルは思わず身を乗り出した。
「あたしは、あんなにたくさん人を殺したのに、許されるんですか!? あたしがシティア様の友達だから? だから助けてくれたんですか? みんな、それで納得したんですか!?」
拳を握って声を荒げるユウィルは、まるで罰して欲しいように思えた。いや、ユウィル自身ですら、自分の気持ちがはっきりしていないのだろう。罰に転がれば幼い心が怖がるし、無罪に傾けば正義感がそれを許せない。
「自惚れないで」
静かに、けれどもよく通る低い声でシティアが言った。
「事実の捏造、民衆の弾圧、証拠の隠滅。こういうことがどれだけ大変かわかる? それを、あなた一人のためになんてするはずないでしょ? 私のためにだってやらないわ」
「じゃ、じゃあ、どうして……」
ユウィルは怯えた眼差しでシティアを見た。目の前にいるのは、いつもそばでふざけ合っていたシティアではない。ユウィルはシティアが何を考えているのか、一体何をしにここに来たのかがまるでわからなかった。
いや、わかるはずがない。シティア自身がわかっていないのだから。
「あれをたった一人の魔法使いがやったなんて世間に知られたら、どうなると思う? 魔法使いに対する極端な優遇、戦争への利用、刺客としての価値、あるいは人々の畏れ、国家としての弾圧、そこから来る一般民衆との対立、魔法使いの自惚れ。全部ろくなものじゃないわ。そうならないように、魔法の知識は正しく、緩やかに人々に浸透していくべきで、私は研究所はそのためにあるのだと思ってる。ユウィル、あなたはもっと物事を広い視野で考えなさい。力のある人間は常にそうしなくてはいけない」
「はい……」
ユウィルは若干の違和感を覚えながら、神妙に頷いた。
シティアは自分にどうして欲しいのか。話し振りを見ていると、部下を教育する上官のように思える。そうだとしたら、シティアは暗に自分に戻って来いと言っているのだろうか。それとも、ただ突き放しているだけなのだろうか。
シティアは溜め息をつき、項垂れているユウィルの髪を見つめた。
「今は、それほど批難の声は上がっていないわ。それは、復興に忙しいからよ。だけど、落ち着いてきたらきっと反感が声になって上がってくるでしょうね。私が今言った話をしたって、わかるはずがない。そんな漠然とした外の話より、身近な人を失った悲しみの方が遥かに大きい」
「あたしがウィサンに戻ったら、きっと吊るし上げられますね」
ユウィルはシティアの真意を知りたくて、自虐するようにそう言ってみた。だが、シティアは「さぁ」と短く言葉を吐いただけで、望んだような答えはなかった。
ユウィルは悲しくなってきた。
「さっきからシティア様は、ウィサンの王女様として話しているだけで、全然わかりません。シティア様はどう思ってるんですか? あたしをどうしたいんですか!?」
とうとう、ユウィルは大きな声でそう言った。きっとあの日、クリスもこういう気持ちだったのだろう。
今度は自分から糸を切った。だがシティアは、
「私は王女なんだから、王女として話すのは当たり前でしょ?」
と、やはり冷たくそう言っただけで、それ以上何も言わなかった。
「あたしは、シティア様の声を聞きたいんです! 教えてください。シティア様は、あたしをどうするつもりなんですか!?」
ユウィルはすがるようにシティアを見た。シティアはそんなユウィルを真っ直ぐ見つめて口を噤んだ。
いつか宿場町でリアに話したことを、シティアはまだ解決していなかった。ユウィルを見て臨機応変に対応しようと考えていたのだが、今こうして本人を前にしても、何のアイデアも浮かばなかった。
ユウィルの望みを引き出そうとしていたが、どうやらユウィルは何も望んでいないらしい。ユウィルはシティア以上に迷っていたのだ。それならば、何が一番ユウィルにとって幸せかを考えなければならない。
シティアは一度固く目を閉じた。
ユウィルの聞きたがっている自分の本音は、もちろん戻ってきて欲しい。本当はこんな冷たい事務的な口調で話すのではなく、泣きながら抱き合いたい。けれど、それはユウィルのためになるのだろうか。ウィサンに帰れば、人々の反感を全身に浴びることになる。シティアが庇えば、今度はその反感は国に向けられるだろう。最悪、それは叛乱に繋がるかもしれない。
沈黙が続いた。
もしもこのまま黙っていれば、やがて痺れを切らしたユウィルが何かを言うに違いない。それがユウィルの望みだと解釈して、その通りにするのも手だ。
けれど、それは恐らくユウィルの本心ではなく、一時的な感情であって、そんなものを通したらきっと二人揃って後悔することになる。ユウィルを導くのは、自分の義務であり、責任だ。上官として、友達として、助けられた者として、ユウィルのすべてをこの胸に抱え込まなくてはいけない。抱え込みたい。
ウィサンに連れて帰るのと、故郷のマグダレイナで、この二人の少女とともに薬師になること。どちらがユウィルにとって幸せか……。
シティアは目を開き、真っ直ぐユウィルの顔を見据えた。そして、自分の胸の動揺を押し殺すようにわざと低い声で淡々と言った。
「ユウィル、あなたはこれから先一生、私とウィサン王国のために尽くしなさい。これは命令よ」
シティアは、ユウィルとの絆を信じることにした。自分はユウィルのためなら、ありとあらゆる声を受け止める覚悟がある。もしもユウィルも自分と同じなら、例え人々に罵られ、石を投げられようとも、自分と一緒にいたがるはずだ。
ユウィルは真剣な瞳のまま言った。
「あたしがウィサンに戻れば、シティア様があたしを匿えば、今あるあたしへの反感は、みんなシティア様に降りかかります。それでもですか?」
それは先ほどシティアが考えていたことだった。この聡明な少女は、やはりシティアと同じことを考え、悩んでいたのだ。
シティアはユウィルを想い、ユウィルはシティアを案じている。腹の探り合いなど必要なかった。
「あなたへの反感は、全部私が引き受けるわ。元々私はそのつもりだった。あなたは、自分の行動の善悪は全部私に判断してもらうって言っていたのに、どうして相談してくれなかったの?」
シティアが優しい声でそう言うと、とうとうユウィルは立ち上がり、シティアの胸に飛び込んだ。
「ごめんなさい! あたし、何も考えられなかったの! ただ、怖くて、申し訳なくて、シティア様に合わせる顔がなくて……ごめんなさい! 本当にごめんなさい!」
ユウィルの目から堰を切ったように涙が流れ、事件から今日までの間に胸の中に鬱積した感情をすべて吐き出すように泣いた。
シティアはようやくユウィルを抱きしめることができて、目頭が熱くなった。けれど、すぐそこで三人が見ていたから、涙を押し込めてそっとユウィルの髪を撫でた。
「これから、辛いわよ? 茨の道なんて言葉があるけど、きっとそんな毎日になるでしょうね」
「ごめんなさい……。あたしのせいで……」
ユウィルの震える声に、シティアはかすかに微笑んだ。
「私は平気よ。批難されるのは慣れてるわ。私は、あなたが辛いだろうなって思ったの」
「それならあたしも平気です。シティア様がいるから……」
胸の中で、ユウィルが嬉しそうにそう言った。だからシティアも明るい瞳で笑った。
そんな二人を見つめながら、クリスは複雑な顔をしていた。
大好きなユウィルが行ってしまう。それが途方もなく悲しくて、けれどどうすることもできないもどかしさ。
そっと、シィスがクリスの肩を叩いた。
「この人たちは、住む世界が違うわ。私は、ユウィルと出会えたことだけで満足してる」
クリスは少しだけ泣いてから、小さく頷いた。
いつかユウィルの言った言葉。
『クリスに、他人の人生を抱え込む覚悟があるの? それだけの包容力があるの?』
ユウィルの人生を抱え込む覚悟や包容力。それを、この赤毛の王女は持ち合わせているのだ。それは、ユウィルの安堵し切った表情を見ればわかる。
(よかったね、ユウィル。本当によかったね……)
クリスはシィスの肩に顔を埋めて肩を震わせた。
シィスはそんなクリスの髪を優しく撫でながら、穏やかな瞳でシティアとユウィルを見つめていた。
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