セリシスは困惑気味な顔をしたが、ユウィルを歓迎した。他にも何人かはユウィルのことを心配し、その来訪を喜んだが、もちろん少女を嫌っている者も少なくなかった。
「ここはお前が来るところじゃない」
敵意を向ける魔法使いを代表して、はっきりとそう言葉にしたのは、ウォイドという、セリシスの倍ほど生きている男だった。
「どうして? あたしはこの国の研究員だから、ここに来たっていいでしょ?」
ユウィルがウォイドを見上げて、無表情でそう言うと、ウォイドは首を横に振ってあくまで強気にユウィルを追い返そうとした。
「お前は自分がしたことをわかっていないのか? ここにはお前を恨んでいる人間も多い。わざわざその感情を逆撫でするようなことはしないでくれ」
「そんなこと言ってたら、あたしはずっと研究所に来れない。魔法の研究ができない」
「ああ、もう来てくれなくていい。元々、研究をするための施設を壊したのはお前だ」
ユウィルは何も言い返せなくなって俯いた。仕方なく無言で入ろうとしたが、ウォイドが太い腕でそれを遮り、中から数人が声を張り上げた。
「帰れよ、ユウィル! 俺たちはお前が壊した研究所の再設計をやってるんだ。壊した本人に、どうこう言って欲しくないんだよ!」
セリシスを始めとしたユウィルの援護派は、なんとかユウィルを庇おうとしたが、いい言葉が浮かばなかった。彼らの気持ちが痛いほどよくわかるのだ。ユウィルがどういうつもりでここを訪れたのかはわからないが、今はユウィルに非がある。
ユウィルとて、自分が軽率なことをしているのはわかっていた。それでも、そうせずにはいられなかった。自分の居場所が欲しかった。
「あたしは研究所を壊したことは反省してる! だから、手伝いたいの!」
「余計なお世話だ! どうしてもお前がやるなら、俺は帰る」
「俺も帰る。所長にはお前の口から話せよ」
数人が立ち上がり、外に出て行こうとする。ユウィルは悲しげに首を振った。
「もういい!」
泣きながらそう叫ぶと、ユウィルを踵を返して駆け出した。
しばらく走ってからとぼとぼと歩いていると、やがて城壁の前に出た。ユウィルを足を止め、小さく首を上げて城を見上げた。
「シティア様……」
相変わらずシティアとは会っていない。会いに行こうと思えば行けるのだが、ユウィルはシティアが自分のために人々の矢面に立たされるのが嫌だった。シティアは自分を守ってくれると言った。ユウィルはそれだけでよかった。
本当にダメになったら、シティアが助けてくれる。だから、それまでは自分一人の力で頑張るのだ。
ユウィルは俯きながら家に帰ると、もう一歩も外に出ずに、魔術書を読んで一日を終えた。
突然の炸裂音とともに火の手が上がったのは、その夜のことだった。
驚いて目を覚まし、飛び起きると、玄関口がメラメラと燃えており、火が天井にまで伝っていた。煙はもうもうと立ち込め、吹き荒れる炎がユウィルを飲み込もうとする。
(これは、魔法!?)
この火の回りは尋常ではなかった。ユウィルはすでに誰かの敵意を察知し、火から一番遠い壁に張り付いた。家の中には両親の思い出や宝物もあったが、今さらどうにもならない。
ユウィルは両手に魔力を集めると、壁に穴を空けた。幸いにも、シィスにもらった指輪だけは、魔法使いなら誰でもそうするように四六時中填めている。
壁から庭に出ると、隣の家まで赤々と燃えているのを見て、ユウィルは思わず舌打ちをした。あまりそういうはしたないことはしないのだが、シティアの影響だろうか。あるいは、本気で腹が立ったからかもしれない。
(あたしのことで、関係ない人を巻き込まないで!)
心の中で叫び、表に出ようとしたとき、家の中で子供の悲鳴がした。ユウィルはすぐに塀を乗り越えて隣の家の敷地に入ると、壁に穴を開けた。
家の中には煙が充満し、すでに前が見えない状況だった。
ユウィルは風を起こして一瞬火の手を遮ると、声のする方に駆けた。崩れ落ちる柱を避け、なんとかその部屋に辿り付くと、二人の小さな子供が噎せ返りながら震えている。
「もう大丈夫よ? さあ、おいで!」
ユウィルが声をかけると、二人はぱっと顔を輝かせた。
「ユウィル姉ちゃん!」
もちろん、隣人なので顔見知りだ。二人は炎に怯えるよりも、ユウィルが来てくれた安心感が勝ったらしく、元気に立ち上がって駆けてきた。
ユウィルは二人を連れて炎をかき分けると、ついに壁を壊して表に出た。子供たちは母親に駆け寄り、夫人は何度もユウィルに頭を下げた。
その時、ユウィルは数人の魔法使いの敵意を察知した。昼に設計事務所で見た魔法使いもいる。
「これはお前のせいだからな! この悪魔!」
「お前が戻ってきたからいけないんだ! どこかに消えろ、疫病神!」
彼らはひどく動揺しているようだった。恐らく、ユウィルの家にだけ火を放つつもりだったのだ。それが、こうして隣家を巻き込み、火はもはやとても消せそうにない規模に拡大している。
ユウィルは何も言わずに前を見た。そして、しばらく見つめていると、やがて1年以上前の光景が脳裏をよぎった。
あれはシティアと初めて会った日、ユウィルは森の中でリアの父親に襲われた。相手の魔法は強力で、ユウィルは彼の放つ風の刃を前に、なす術なく追い詰められてしまった。そしてとうとう彼の魔法がユウィルの身体を切り裂こうとした瞬間、ユウィルはその魔法を消去したのである。
魔法で起こした火は、やはり火であり、水で消すことができる。だが、魔法であることもまた事実だった。魔法が何らかの魔力の粒によって形成されているのだとしたら、集まった魔力を受け流すのと同じ原理で、その魔法を消去できると考え、実際にそれは実現した。
だとしたら、今ここに燃え盛っている炎も、同じ原理で消去することはできまいか?
あの時は咄嗟にやったので、具体的にどうすればいいかはわからない。けれど、何とかしなくてはいけない。
(もうこれ以上、あたしのことで罪もない人を巻き込みたくない……)
ユウィルは目を閉じ、両手を開いた。後ろで何やら魔法使いたちが怒鳴っているが、構っている時間はなかった。
刹那、ユウィルは背中に衝撃を受け、全身に身体を引きちぎられたような痛みが走った。周囲から悲鳴が上がり、刃物を抜かれると、ユウィルは力なく地面に崩れ落ちた。
(どうして、この人たちはこんなに自分勝手なんだろう……)
急速に意識が遠くなり、ユウィルは気を失いかけた。だが、すぐに柔らかな光に包まれ、痛みがなくなっていく。薄く目を開けると、すぐそこにタクトの顔があった。
(ああ、やっぱりあたしは何かに生かされてるんだ……)
ユウィルは思った。マグダレイナでクリスに助けられたときも、先日デイディに助けられたときも。
もちろん、リアの父親と戦ったときのように、自分で危機を回避することもあるが、本当に命を落とす直前になると、いつも誰かが助けに来る。
(あたしを助けてくれる意思は、あたしに何をさせようとしてるんだろ……。ずっと苦しめっていうことなのかな……?)
ユウィルはタクトに助けられながらも、タクトやクリスやデイディを自分に引き寄せている大いなる意思について考えていた。それはひどく宗教的だったので、ユウィルはシティアの他の誰にもこの話をしなかったが、シティアはユウィルが想像するより遥かに真面目にその話を聞いてくれた。きっと王女は、どうしようもなくこの少女が好きなのだ。
もっともそれは数日後の話で、ユウィルは怪我を治してもらうや否やその場に立ち上がり、しっかりと大地を踏みしめた。
「ありがとうございます、タクトさん」
「いや……」
タクトは静かに首を振ってから、火を放った魔法使いたちを睨み付けた。シェランが泣きながら彼らに何か怒鳴っていたが、それをやめさせ冷酷に言い放つ。
「お前ら、自分の罪がわかっているな? 魔法に関する法律の勉強は、研究所の初歩の課程だ」
タクトの言葉に、魔法使いたちは青ざめ、一斉に声を荒げた。
「俺たちが罪になるなら、どうしてそいつは無罪なんだ! 何人の人が死んだと思ってるんだ!? コリヤークさんだって殺されたんだぞ!?」
「依怙贔屓するのもいい加減にしてくれ! 王女と仲が良ければ、何をやっても許されるってのか!?」
タクトは溜め息をつき、何か言おうとした。だが、ユウィルが静かにそれを止め、真摯な瞳で言った。
「タクトさん。今は、そんなことを言い争っている場合じゃありません」
言われてタクトが振り向くと、もはや火は自然鎮火を待つか、それ以上周囲に広がらないよう、先に周りの家を壊すか、どのどちらかしか望めない規模で広がっていた。
タクトは大きく頷くと、自分の持てる魔力を振り絞って、もはや全壊に近いユウィルの家に水の魔法を使ってみた。もちろん、今さら火の起点を消したところでどうにもならないのだが、まずは自分の魔法の効果を見てみようと思ったのだ。
タクトの指で凝力石が煌き、怒涛のような水が火を飲み込む。だが、思ったほどの効果は上げられなかった。水は家を壊すほどの威力もなく、一瞬火の勢いを弱めただけで、再び炎が天を焦がし始めた。
「ユウィルの魔力なら……。あの研究所を一撃で粉砕したんだ。お前の水ならこの火を全部消せないか?」
タクトが額に滲む汗を拭い、ユウィルを見下ろしてそう言うと、ユウィルは静かに首を振ってから、真っ直ぐ火を見つめたまま答えた。
「それじゃあ、家が壊れてしまいます。それに、また必要以上の被害が出るかもしれない」
「この際、家が壊れるのは仕方ない。大切なのは、これ以上被害を広げないことだ」
ユウィルは説明は後にして再び火の前に立った。意識を極限まで集中させると、人々の嘆く声も、火消しに躍起になっている怒号も、燃え盛る炎の音も聞こえなくなった。
目蓋の向こうに、赤い揺らめきが映る。ユウィルはその中にある魔力を感じ取り、それを周囲に発散させようと試みた。だが、具体的に何をどうしてよいのかわからず、ユウィルは集中しすぎて気持ちが悪くなってきた。
(どうすればいい? あの時は、あたしはどうやったの?)
あの時は魔法は自分に向けて放たれた。だからできたのだろうか。いや、原理は同じはずだ。一度魔法の形を取った魔力も、必ず分解することができる。ミルクとジュースは混ぜ合わせたら元には戻せないが、熱湯に溶かした塩は水を冷やせば元に戻る。魔法は後者のそれに近い。
ウィルシャ系古代魔法は、魔法の像をイメージして、魔力の粒子をその形に作り上げる。だが、魔力の粒子を使うと言う点で、魔法陣を用いるジェリス系魔術も原理は同じだ。着眼すべき点は、魔力の粒子を、人の体内にある魔力や魔法陣によって魔法に変えること。そして、一度集まった魔力を発散させる“魔法の受け流し”……。
(こう?)
一瞬の閃きを、ユウィルは実践してみた。それはひどく感覚的なものだったので、後日ユウィルはそれをタクトに説明するのに長い時間をかけることになるが、とにかくその閃きは燃え盛る炎の一部を一瞬にして消し去った。
「な、なんだ!? ユウィル、お前今、何をした!?」
珍しく動揺するタクトの声。
もちろん、説明など後回しだった。ユウィルは別の場所に立ち、再び今の閃きを実践した。また長い時間がかかったが、先ほどよりも短い時間で大きな効果を得ることができた。そして、2、3回繰り返すと、ユウィルはほぼそのコツを掴み、そして火は完全に消え失せた。
ルヴェルファスト歴507年10月17日。
この日が、この後ユウィルが何年もの間研究を続け、やがて一冊の本にまとめ上げる魔法消去論が、初めて人々の前で使われた歴史的な日になった。
「火、全部消えましたね……」
ユウィルは自分で自分が信じられないように呆然とそう言ってから、タクトとシェランを見てにっこりと笑った。
二人はとても笑うような気にならず、呆然と火の消えた家々を見つめていた。周囲には100人以上の人間が集まっていたが、誰も声を出す者はなかった。
やがて、ユウィルに助けられた子供たちが、大きな声で言った。
「ユウィル姉ちゃんが火を消したんだ! ユウィル姉ちゃんが助けてくれたんだ!」
途端に沸き起こる拍手と歓声。人々はユウィルに駆け寄り、その手を取り、口々に礼を言ってから、これまでのことを詫びた。ユウィルは胸がいっぱいになって、思わずその場にしゃがみ込むと、大きな声で泣き出した。
タクトはその光景と、すぐそばで呆然となっている犯人を見て一度大きく頷いた。
(シティア王女が助かった今、この国が本当にさらなる魔法の発展を考えているのなら、やはり必要なのはユウィルだ。もしもそれが叶わないなら……)
タクトは軽くシェランを背中を押して、ユウィルの方に行かせた。そして自分は火を放った魔法使いたちを引き連れながら、ひたすら今後の魔法研究所の構想を広げていた。
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