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ウィサン、悪夢の日
湖の街ウィサンの象徴とも言うべき魔法研究所の、突然の崩壊。平和なウィサンを襲ったこの事件が、人々の間に大きな悲しみと怒りを巻き起こす。多大な犠牲者を出したこの事件は、たった一人の魔法使いの少女によって引き起こされた。人々は少女を憎み、傷付ける。だが、図らずも自らの手で多くの仲間を殺した少女もまた、心に深い傷を負っていた。少女と少女を励ます仲間たち、そして少女を恨む人々の想いが交錯し、新たなる悲しみがウィサンの街を埋め尽くす……。
まえがき

2章 絆

 丸一日というわけではなかったが、その日シティアは、ユウィルを尾行し、同時に街の中で何か不穏な動きはないかを調べ回っていた。シティアはユウィルの戦闘の勘を高く評価しており、今朝のユウィルの様子を見て、何かあると思ったのだ。
「だけど、せっかく我慢したんだから、あなたは手を出さないで。また禍根が残るでしょ?」
 言いながら、シティアは一度に三本の矢を番え、弓を引いた。
「ウィサン王家に楯突くゴミは、王女である私自ら処分する」
 弦から指を離すと、三本の矢は正確に3つの命を奪い取った。シティアは弓を放り出すと、レイピアを抜き放って輪の中に飛び込んだ。若者たちはもはや捨て身の覚悟でシティアに襲いかかったが、百戦錬磨の王女に勝てるはずがない。
 その内、一人の若者がぎらりと光る目でシェランを見て、剣を閃かせて駆け出した。
「シェラン!」
 ユウィルも同時に走り出したが、間に合わない。シティアは男の動きに気付いていたが、目の前に人が壁のように立ちはだかり、動くことができなかった。
「こうなればお前らも道連れだっ!」
 発狂したように叫び、男が剣を振り上げる。そんな、がら空きになった男の胴に、小さな人影が重なり、男は剣を振り上げたままの体勢で後ろ向きに倒れた。
「リア!」
 ようやく辿り着いたユウィルが声を上げる。
 リアは血まみれになった自分の両手を見つめながら、がくがくと震えていた。そして、自分に言い聞かせるように呟く。
「ひ、人を助けるためなんだから……これは悪くないのよ……」
 すがるようにシティアを見ると、シティアは閃く剣を跳ね上げながら大きく頷いた。そしてリアを元気付けるように、大きな声で言った。
「いいのよ、リア。あなたは友達を助けたのよ。誰かがあなたを責めたら、私が文句を言ってあげる」
 その一言で、リアは胸の中に沸き起こった罪悪感をすべて捨て去った。そしてシェランの傷の様子を調べて、治療の魔法をかける。本当に助けるのはここからだ。
 だが、リアが必死に魔法をかけているにも関わらず、青ざめたシェランの顔に生気は戻らなかった。息はあるが、もう身体に回復するための力が残されていないのだ。
「お願い、リア! シェランを助けて!」
 ユウィルは泣きながら叫んだ。ユウィルには回復魔法が使えない。
「わかってるわよ!」
 リアは今にも泣き出しそうな顔で言った。ユウィルに言われるまでもなく、なんとしてもシェランを助けるつもりだった。シェランはもちろんリアにとっても大切な友人だったが、それ以上に、もしもここでシェランが死ねば、ユウィルが立ち直れないほど大きな傷を負う。それだけは阻止したかった。
 だが、リアは治療の魔法は使えるし、魔法のセンスも良かったが、魔力の絶対量が少なかった。
「ダメよ、ユウィル……。私の魔力じゃ……」
 リアはとうとう魔法をやめ、がくりと肩を落とした。涙が零れ、シェランの顔に滴り落ちる。
「あ、あきらめないでよ、リア!」
 ユウィルは叫んだが、内心ではもうどにもならないことがわかっていた。
(あたしが治療魔法を使えたら……あたしの魔力なら……)
 そう思ったとき、ユウィルの中にある発想が生まれた。
「あたしの魔力で、リアが魔法を使えれば……」
「え……?」
 リアは、またユウィルが突拍子もないことを言い始めたと思った。
 だが、この少女は前例のないことを思い付き、それを実践するのだ。魔法の消去など、あのタクトですら愕然とさせる発想だった。
「リア、もう一度シェランを治療して!」
 リアは大きく頷いて、再び意識を集中させた。
 ユウィルはリアを背中から抱きしめ、魔力を集める。だが、その後どうすればいいのだろう。
(何か……何か考えなくちゃ。シェランが死んじゃう……何か考えなくちゃ……)
 すでに20人を片付け終えたシティアが、怪訝な顔で二人を見つめていたが、二人ともそれに気付かなかった。シティアはそっとシェランの腕を取ると、抉られた左腕や太股を布できつく縛った。ユウィルが何をしようとしているかはわからないが、少しでも時間を稼げれば、成功する可能性も上がるかもしれない。
 ユウィルは自分の中にある魔力をあれこれ動かしてみたが、どうやっても自分の外に出ることはなかった。とうとうリアが疲れてしまい、魔法をやめた。
「無理よ、ユウィル……。シェランはもう、助からない……」
 リアは震えながらそう言って、嗚咽を漏らした。
「ろくに努力もせずに無理だなんて言わないでよ!」
 ユウィルは思わず怒鳴りつけた。そしてふと、前に誰かが同じようなことを言っていた気がしたが、すぐには思い出せなかった。後からそれは、シィスがクリスに言った言葉だと気が付いた。
「シェランを助けれるのはリアしかいないんだよ? 疲れようが倒れようが、シェランの命がある内は努力してよ!」
 リアは思わず頭を抱えた。シティアがそんなリアの肩に手を乗せ、優しく微笑む。リアは大きく頷いた。
「ごめんなさい」
「リア。空気の中には魔法の素になる成分がたくさんあるの。あたしたちは魔法を使うとき、それを集めているの。だから、あたしが集めた魔力をリアが使うことは絶対に可能なのよ。できるって信じて。周囲の魔力を感じて!」
 リアは再びシェランに治療の魔法をかけた。同時に、自分のしていることを考える。例えば手の平に宿る熱、自分の注ぎ込んでいる『気』のような何か。
(魔法の素……。ユウィルの魔力……)
 不意に、頭の中の深いところで、何かが光ったように感じた。途端に体中が熱くなり、リアは思わずひるんだ。恐ろしいほどの魔力が流れ込んでくる。
 ユウィルは抱きしめるリアの身体が少し動いたのを見て、成功したと思った。
(シェランを助けるんだ。この事件を、こんな悲しい結末で終わらせたくない!)
 研究所を一撃で破壊するほどの魔力。ユウィルは体中に漲るありったけのそれを、リアの身体に流し込んだ。
 刹那、リアの身体がびくんと撥ねる。
「リア!」
 見ていたシティアが思わず叫んだ。リアの身体では、ユウィルの膨大な魔力を受け止められない。人には許容力と言うものがあり、それ以上の魔力など持てるはずがないのだ。
「ユウィル、リアまで殺す気なの!?」
 傍から見ていると、ユウィルがリアに何か致死性の魔法を使っているように見える。リアはすでにシェランへの魔法を止めており、身体を反らせて大きく見開いた目で天を仰いでいる。涙が止め処なく頬を伝い、口元からは涎が顎から首元に流れていた。
(も、もうダメ、ユウィル……。お願い、やめて……苦しいよ……)
 リアは体中の血が煮えたぎり、全身が溶けていくような感覚に目眩がした。身体はまるで動かすことができず、声も出ない。だが、後ろの少女は恐ろしいほどの魔力を流し込み続ける。
(そうだ……。受け入れることができたなら、拒むこともできるはず!)
 元々、リアがドアを開かなければ、ユウィルは入ってこられなかったのだ。ドアを閉めてしまえば、この苦しみから逃れられる。
 リアは直感的にドアの閉め方を理解した。その時、耳元で祈るようなユウィルの声がした。
「お願い、リア……。シェランを助けて……お願い……」
 ああ、たった今ユウィルに、努力もせずにあきらめるなと言われたばかりではないか。
 ユウィルはこの一瞬の間に試行錯誤を繰り返し、魔力を流し込む方法を思い付いた。ならば次は自分が、流し込まれた魔力を魔法に転化する方法を考える番だ。
(こんな時は、自棄になってもいいですよね? シティア王女)
 リアはうっすらと微笑みを浮かべると、それから10秒ほどの間、頭が痛くなるほど魔法について考え、ついに閃いた。それは、ユウィルの言う大いなる意思がそうさせたのかもしれない。
 リアはその莫大な力を魔法にし、シェランの身体に注ぎ込んだ。
 シティアはシェランの身体に刺さっていたナイフを抜き、次の瞬間には、その傷口は完全に塞がっていた。
「で、できた……」
 リアの呟きにユウィルが魔力を注ぎ込むのをやめると、リアは凄まじい疲労感に見舞われ、意識が真っ白になった。シェランはまだ目を開けないが、もはや呼吸は落ち着いており、シティアが布を取ると腕や太股の傷は綺麗になくなっていた。
 ユウィルは抱きしめたままのリアをシティアに預けると、そっとシェランを揺り起こした。シェランは薄く目を開けると、自分が生きていることに呆然となり、それから笑った。
「ユウィルが助けてくれたの?」
「ううん。リアだよ。あたしは治療の魔法は使えない」
 ユウィルは魔力の譲与の話はしなかった。ややこしくなるからというのもあるが、この知識は軽率に広めない方がいいと思ったのだ。
「そうだったね」
 シェランは特に疑わずに身体を起こすと、シティアの腕の中でぐったりとしているリアの手を取った。それからシティアの存在に気が付いて、小さく頭を下げる。
「助けてくださったんですね。ありがとうございます」
 シティアは、少しだけ頬を緩めた。1年前まで、シェランはシティアを嫌っていた。シティアもそれを知っていたが、別になんとも思っていなかった。だが、今こうして心から礼を言われると、なんと心地良いのだろう。
「ユウィルを止めてくれてありがとう。でも、法を遵守するだけが正しいことじゃないのよ? あたしは、法に背くことを恐れて友達を見捨てるようなユウィルは好きじゃないわ」
 いつか、シティアが善悪を説き、それをリアが考え続けたように、法を絶対視していたシェランも、それから数年間、シティアのこの言葉について考えることになった。
 ぽかんと口を開けて自分を見つめるシェランに、シティアはいらずらっぽく笑った。
「冷静なユウィルはつまらない。時々とんでもないことをして周りをびっくりさせるのが、ユウィルの魅力なのよ」
「ひ、ひどい!」
 ユウィルがあからさまに拗ねた顔で声を上げた。
「シティア様、マグダレイナで、あたしに感情を抑えろって言ったじゃないですか! どっちなんですか!?」
「今のは冗談よ」
 シティアが笑うと、ユウィルはぷいっとそっぽを向いて、シェランの身体を抱きしめた。そんなユウィルに、シティアが少しだけ声のトーンを落として言う。
「でも、たまには感情が無意識に正解を選ぶこともあるわ。覚えておいてね、ユウィル」
「……はい」
 ユウィルは小さく頷いてから、シェランの顔を見て笑った。けれど、すぐに涙が溢れてきて、目を閉じて頭を下げた。
「ごめんね。あたしのせいで……」
「いいのよ、ユウィル」
 シェランは明るく笑って、そっとユウィルの頬を撫でた。
「みんな助かった。ユウィルを恨んでいた人たちも、姫さんがやっつけてくれた。ようやくこれで終わったのよ」
 もちろん、死んだ人は生き返らない。それはわかっていたけれど、ユウィルは大きく頷いた。
「うん。みんなのおかげだよ。ありがとう、シェラン。ありがとう、リア。ありがとうございます、シティア様……」
 シティアはにっこりと笑ってから、すくりと立ち上がって軽々とリアを背負った。
「行きましょう。シェラン、あなたはもう帰りなさい。ユウィルはここにいて。私はリアをセリシスの家に置いてきてから、誰か呼んでくるから」
 シティアの言葉に、リアが「私、物みたい」と呟いて、ユウィル以外の二人が笑った。
 ユウィルはシティアを見送ってから、辺りに転がっている死体を見て、寂しそうな顔をした。
「ごめんなさい。あたしがいなければ、あなたたちはこんなことにはならなかった……。でも、あなたたちがいなければ、あたしもあんなことはしなかった……」
 それだけ言うと、ユウィルは足をそろえて直立し、軽く握った右手を左胸に当てた。
 そして、シティアが戻ってくるまで、じっとそうして立っていた。

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