一週間ほど経つと、約束通りケールがフィアンを連れてきて、シィスと引き合わせた。シィスはその腕前を認められ、セリシスの友人だったこともあって、王国の薬剤師として招かれることになった。もちろんクリスもシィスの助手として城に上がれることになり、スラム出身の自分がとうとうマグダレイナ王国の紋章の付いた服を着られるのだと、あまりの喜びに涙した。
シティアはフィアンとケールの三人で、ウィサンの状況や今後の魔法研究所の構想を語った。と言っても、それはほとんどがシティアの持論であり、実際の方向性は今毎日のように会議が行われている。シティアやタクトがほとんどユウィルと会えないのもそのためだった。
リアはウィサンに戻ると、ユウィルとともにセリシスと会った。セリシスは、研究所の崩壊で家を失った人たちの住む仮住宅に入っており、ヒューミスとイェラトという二人の少年と一緒に暮らしていた。ヒューミスとイェラトは瓦礫の撤去作業を手伝い、セリシスは貴族時代に得た知識の広さと聡明さを認められ、研究所の設計部隊に加わっていた。
三人はシィスとクリスの出世を聞いて、手を取り合って喜んだ。その時に見せたセリシスの子供っぽい表情を、リアはすぐに好きになった。少し話すと、ユウィルもセリシスの前向きさとひたむきさを理解し、クリスがいかにこの女性の影響を受けていたかを知った。
シティアがセリシスに、いつまでも男の二人と一緒に暮らし続けるのは良くないと言い、住宅には少年二人で住み、セリシスは一人暮らしをしていたリアと一緒に暮らすことになった。少年たちはやや渋ったが、反対はしなかった。
セリシスとリアはユウィルも一緒にと誘ったが、ユウィルはしばらくは独りで暮らして、色々考えたいと言って断った。もちろんそれは、二人を自分に対する憎しみの渦に巻き込まないようにするためで、賢明な二人はすぐにユウィルの本音を理解した。その上で、敢えてその気持ちを尊重し、外から見守ることを選んだのである。
けれど、ユウィルの思いに反して、二人はすぐに周囲の敵意にさらされることになった。セリシスはまだウィサンに来て日が浅かったし、ユウィルともそれほど親しくなかったのでましだったが、シティアとともにユウィルを連れて帰ったリアへの風当たりは強かった。
人々は、もちろん怪我人のために懸命に働き、多くの命を救ったリアに感謝していた。しかし、それはもはや過去のことになり、今ではユウィルの仲間という目で見られることの方が多くなっていた。
診療所でユウィルを助けたその日の帰りも、リアは人々の敵意を真っ向から受けることになった。
その日は、同じ魔法研究所の研究員である少女シェランと話し込んでいたために、すっかり遅くなってしまった。話し込んでいたと言っても、何も世間話をしていたのではない。
シェランは今、他の魔法使いや石工とともに、撤去した瓦礫から、再利用可能な石を分けたり、加工する仕事に従事していた。生き残った魔法使いと直接接することもあり、ユウィルへの怒りの声や、ユウィルを庇護するシティアへの不満も人一倍多く耳にする。シェランは研究所で知り合った頃からユウィルの味方だったので、リアはシェランからそんなユウィルやシティアへの声を聞いているのである。
もちろん、時にはシェランは怪我をしてやってくることもあった。今この街でユウィルの味方をする人間は、どうしても暴力の対象になるのである。それでも、シェランは前々からユウィルだけでなく、あらゆる魔法使いから人気があり、ユウィルが間違ったことをすれば厳しく批判もしていたので、リアほど風当たりは強くなかった。むしろ、シェランの声に同調してユウィルの味方になる者もいるほどである。
リアは新参者だったし、特にユウィルと仲良くしていたから、魔法使いの仲間たちからも批難されるのは仕方のないことだった。
日が落ちてすっかり暗くなった夜道を歩いていると、前方から顔なじみの男が、見覚えのない3人の男を従えてやってきた。男はロナルディーといい、同じ研究員だった男の兄である。その研究員は今は亡く、ロナルディー自身も怪我を負わされ、激しくユウィルを恨んでいた。リアが彼を知ったのは、その怪我の手当てをした時である。
ロナルディーは男たちとともにあっと言う間にリアを取り囲むと、皮肉っぽい笑いを浮かべて言った。
「なあ、リア。今日、ユウィルを助けたそうじゃないか」
リアは警戒しながら、毅然としてロナルディーを睨みつけた。エルクレンツにいた時はもう少し気が弱かった気がするが、誰も知り合いのいないウィサンに単身で飛び込み、一人で生活をする内に随分たくましくなったと思う。
「怪我人を助けるのは当たり前よ。あなたのことも助けたわ。公平でしょ?」
「するとお前は、どんな大悪人でも怪我をしていたら助けるのか? 杖刑を受けている人間に駆け寄って、その手当てをするのか?」
リアは溜め息をついた。こういう感情的になっている人間の吐く理屈は、聞いていて気持ちが悪い。一見理性的に見せかけて、その実は話し合う気などないのだ。
「ユウィルは罪を犯してないわ。ユウィルがいじめを受けていたのは明白だし、だからあれは天災として扱われて、ユウィルは無罪になった。あれは事故よ。事故に巻き込まれたからって、殺意のなかった人を恨むのは筋違いよ」
「いいや、あいつには殺意があった。無罪になったのはあいつが王女と仲がいいから、ただそれだけだ。あいつは王女に守られてるから、やりたい放題なんだよ」
「ユウィルはそんな子じゃないわ? ずっと悩んでた。今日だって泣いてた。自分の手で大切な人たちを殺してしまったのよ? 普通は堪えられないわ」
リアは今日のユウィルを思い出しながら、同情の瞳で語った。だが、もちろんロナルディーが納得するはずがない。
「信じられないな。それに、一生悩めばいいのさ。いや、むしろあんな殺人鬼の一生なんか、さっさと終わっちまえばいいんだよ」
「よくそんなひどいことが言えるわね。あんな小さな女の子に向かって」
「言えるさ。弟を殺されたからな。それに、小さければ何をしても許されるってわけじゃない。話はもういい。率直に言うぞ? リア、もうあいつを庇うのをやめろ。あいつが生きていて嬉しい人間より、死んで欲しい人間の方が多いんだよ」
リアは胸の奥から吐き気がするほどの怒りが込み上げてきて、涙目で睨み付けた。
「嫌よ。私は生きていて欲しいもの」
「俺はあんたに危害は加えたくないんだ。でも、言ってわからないなら、力尽くでわからせるぞ?」
「あなたはユウィルのせいにして、本当はただ、私を犯したいだけなんでしょ? 私がユウィルを見捨てないってわかってて言ってるでしょ。そして、犯してから、さもユウィルの味方をした私が悪いかのように言うつもりでしょ?」
リアが冷静にそう言い放つと、ロナルディーは見る見る顔を赤くして、周りの3人に怒鳴るように言った。
「捕まえろ! ぎたんぎたんに犯してやる!」
リアは、無駄だとは思いながらも走り出した。こういう時は魔法などなんの役にも立たないし、そもそもリアは人を傷付ける魔法を使ったことがなかった。
あっさりと手を掴まれると、体中を押さえられ、口を塞がれた。そして軽々と担ぎ上げられ、明かりの灯っていない近くの民家に連れ込まれる。4人の内の誰かの家なのだろう。
リアは必死に抵抗して暴れたが、すぐに衣服を剥ぎ取られて、後ろ手に縄をかけられた。口は自由にされたが、元々大きな声を出すのは苦手だ。声を嗄らして悲鳴を上げたところで、表にいる人間には聞こえないだろう。
「犯すなら犯せばいいわ。だけど、私は犯されたって屈しないから。殺す気がないならやめることね。すぐにでもこのことは軍隊に言いつけるわ」
リアは気丈にそう言い放ったが、ロナルディーはまるでそんな言葉は意に介さず、にやにやといやらしい笑みを浮かべてリアの頬を掴んだ。
「犯されればそんな気もなくなるさ。エルクレンツでは修道院にいたんだって? 男に抱かれたことなんかないんだろう。屈辱だぜ? 誰かに話せば、俺たちも言いふらすぜ?」
ロナルディーはリアの唇を吸ってから、胸を鷲掴みにした。それから床に押し付けると、男たちが一斉に襲いかかる。
リアは全身を包み込む男たちの指の感触に、歯を食い縛って堪えた。
「もうあいつの味方をしないって言えば、いつでもやめてやるぜ!」
そんなロナルディーの声が何度か聞こえたが、すべて無視した。どうせ言ったところで信じないだろう。それならば、嘘でも友達を売るようなことは言いたくない。
やがて、まるで男を受け入れる準備のできていないリアの秘唇を、棒のように固くそそり立つ男根が一気に刺し貫いた。周囲の肉がざっくりと裂け、リアはあまりの痛みに悲鳴を上げた。透明な液を含んだ禍々しいほど美しい赤色がリアの太股を伝い、男たちがそれを見て「やっぱり処女だった!」と喜んでいる。
リアはあまりのバカバカしさに思わず失笑した。
別の男に口の中にねじ込まれたとき、シティアの武勇伝を思い出した。シティアはかつて、盗賊に犯されそうになったとき、わざとキスをして、相手の舌を噛み切ったと言う。それで難を逃れたらしいが、それはシティアのような勇敢な人間だからできることだ。リアには、例え相手が一人だったとしてもできそうにない。
前からも後ろからも激しく突かれ、体中を触られ、リアはだんだん意識が遠退いていくのを感じた。
そして、実際に気を失っていたらしい。目が覚めると、もう十分満足したのか、服を着た男たちがリアを見下ろして立っていた。リアは裸のままだったが、戒めは解かれていた。
「気分はどうだ? いいか? 今日はこれでやめてやるが、あいつの味方を続けるならまた犯してやる。わかったな!?」
ロナルディーは、絶対にリアが訴えることなど考えていないようである。リアはすぐにでもシティアに言いつけてやるつもりだったから、うっすらと笑いながら頷いた。
(あなたたちに、『今度』は存在しない……)
男たちの言う通り、もちろんリアは自分が犯されたことなど人に知られたくなかった。軍に訴えるためには、どうしてもそれを打ち明けなければならないし、最悪信じてもらえない可能性もある。広められたら、もう人前を歩けない。
だが、シティアは違う。リアは、シティアになら話せるのだ。
男たちはリアに服を着せると、人目につかないよう気を付けながら外に放り出した。
リアはすぐに路地裏に身を隠すと、呼吸を整えてから自分に治癒の魔法をかけた。今日のユウィルのような大怪我だと、集中できないので自分を回復させることはできないが、この程度の痛みならば魔法を使うことができる。
リアは、あまり帰りが遅いとセリシスが心配するだろうとは思いながらも、真っ直ぐ城に向かった。悪は許せない性質である。一刻も早くシティアに話し、ロナルディーらに思い知らせてやりたかった。
(私は、少し性格が悪くなったかもしれない……。でも、あんなことされて、それでも笑っていられたら、その方が怖い……)
昔のリアはそういう人間だった。エルクレンツにいた時は、誰も憎まず、何も恨まず、献身的に人々のために働き、そして多くの人から愛されていた。だが、思えば今の自分の方がよほど人間らしくて良いと思う。
かつてシティアが善悪を説いた。人を殺せない悪人もあれば、善人が人を殺すこともある。善悪は立場によっても変わる難しいものなのだと。
そのことを、リアは時々思い出しては考えることがあった。今は、人を憎むし、睨むし、声を荒げることもある。昔はそれだけで悪なのだと思っていたが、今では悪にも微笑みかける方が悪である気がしていた。ただ、悪に牙を剥く別の悪もあるので、必ずしも悪の敵がすべて善だとも思ってなかったが。
城に着くと、すでに城門は閉まっていたが、リアは中に入れてもらうことができた。と言っても、兵士たちはリアが魔法使いだと知っているので、わざわざ門は開けなかった。
リアは魔法で城壁を乗り越えると、すぐにシティアの部屋に行こうとした。ところが、中庭の方から声がしたので、気になってそちらに足を向ける。
見ると、シティアが数人の兵士を相手に木刀を振っていた。どうやら、訓練をしているらしい。
「ほら、相手の剣ばかり見ていちゃダメ。戦いは相手の目を見てするものよ?」
シティアは三人を軽々と相手しながら、的確なアドバイスをしている。周囲には横になって苦しそうに喘いでいる者や、もう動くのも億劫そうに座っている者がある。リアが近付くと、シティアはリアに気が付き、容易く兵士の木刀を撥ね上げて笑った。
「あ、リア。珍しいわね、こんな夜に」
「はい。少し話があって……」
リアが兵士たちの方をちらりと見ると、シティアは笑顔のまま、声だけ低くした。
「ユウィルのこと? それなら、ここにいるのはみんなユウィルに恨みのない人ばかりだけど……」
リアは静かに首を横に振った。シティアはどうやら深刻な話なのだと察して、木刀を兵士の一人に放り投げた。
「今日の練習はこれでおしまい。また明日ね」
そう言って汗を拭うと、リアの隣に立って歩き始めた。
「最近、私に剣を教えて欲しいって言う人が増えてね。時々ああして教えてあげてるの」
シティアは声を弾ませながらそう言った。もちろん、単に部屋までの時間潰しである。リアが世間話などする心境でないことは察していたし、実際にリアは何も答えなかった。
「昔じゃ考えられないわね。みんなが私のことを嫌っていたから。慕われるっていうのは気持ちのいいことね」
シティアは独り言のようにそんな話をしながら、リアを部屋の中に入れた。そして真剣な瞳をして尋ねる。
「それで? 何があったの?」
リアは真っ直ぐシティアの目を見つめ、先ほどあったことを淡々と語った。シティアはそれを黙って聞いていたが、やがてリアが話し終わると、同じように事務的に答えた。
「わかったわ。ロナルディーと、その三人は責任を持って処罰します。死刑にはできないだろうけど、今後リアに危害を加えられないように、国外追放にしましょう」
「はい。ありがとうございます」
リアはそう言って頭を下げた。その時、リアは自分がどんな顔をしていたのか、よくわからない。ただシティアはそんなリアを見て、こう言ったのだ。
「ねえリア、自棄になっちゃだめよ?」
「え?」
リアが驚いて顔を上げると、シティアは静かにリアの前に立ち、優しくその身体を抱き寄せた。
先ほどまで動いていたせいか、汗の匂いがしたが、リアはシティアの匂いと温もりに、妙に鼓動が高鳴るのを感じた。
「あなたは確かに辛い思いをしたわ。だけど、自棄にならないで」
「わ、私、自棄になんてなっていません」
リアはシティアの肩に顔を埋めたまま、はっきりとそう言った。シティアはそれには何も答えず、しばらく黙ってリアを抱きしめてから、そっと顔だけ離して頬に唇を押し当てた。
「あ……」
リアは少し湿った柔らかい唇の感触に、驚いてシティアを見上げた。そして間近で目が合い、顔を真っ赤にして俯く。
シティアは美人だ。以前は何者をも寄せ付けない刺々しさがあったが、今ではすっかり温和な微笑みを浮かべるようになり、余計に美しく映った。セリシスやシィスも上品な雰囲気があって、リアはクリス同様、生まれ育ちの差を感じずにはいられなかったが、そんな二人ですらシティアには遠く及ばない。
大きく速く打つ胸の鼓動が、シティアの身体に伝わっていくのがわかって、リアは恥ずかしくなった。シティアはそんなリアの身体をそっと離すと、小さく笑ってから、寂しそうな目をして言った。
「早くセリシスのところに帰ってあげて。きっと、心配してるわ」
「王女……?」
リアは、シティアの接吻と、その寂しそうな瞳の意味がわからなかった。そんなにも自棄になっていたように見えたのだろうか。
リアは急に不安になってきた。
「王女……あの、私を見捨てないでくださいね?」
すがるようにそう言うと、シティアはやはり寂しそうな瞳のまま笑って頷いた。
「そんなつもりはないわ。ただ……ユウィルに必要なのは私だけど、リアを助けられるのは私じゃないなって思ったの」
「そんなこと!」
リアは思わず声を上げたが、シティアがあまりにも寂しそうに笑うので、それ以上何も言えなくなった。ただ無性に悲しくて、涙をぼろぼろ零しながら言った。
「私は王女が好きです。頼りにしてるし、友達になって欲しいです。いつだってユウィルのことを羨ましく思っています!」
リアはシティアの部屋を飛び出した。そして一度だけ心を落ち着けて城壁を越えると、再び大きな声で泣きながらセリシスの待つ家に走った。
すっかり静まり返ったウィサンの街に、リアの軽快な足音が駆け抜け、消えていった。
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