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White Dreams
従来の、「お兄ちゃんが恋人だったら」とか、「一人の男としてお兄ちゃんが好き」といった、「どうしてあなたはロミオなの?」チックな妹小説ではなく、「お兄ちゃんだから好き」というのをテーマに書いた、水原初のオリジナル萌え萌え妹小説!

12月13日(後編)

 ビュッと、身を切るような冷たい風が、木の葉を捲いて吹き抜けていった。本当に切られたのではないかと錯覚を覚えるほど痛む頬を、手袋をした手の平でなでながら、俺ははぁっと息を吐く。
 すっかり冬の匂いのする空気の中に、白いもやがふわりと溶けて消えた。
「さてと……。今日も行くかな」
 寒さに震える唇で呟きながら、俺は歩き始めた。
 浜北島高校から自宅までは、おおよそ直線で、徒歩約20分。別に自転車で通ってもいいのだが、勉強中心で運動不足になりがちな生活を送っているので、徒歩で通学している。
 格段仲の良い友人などいないので、一人で帰路を行き、10分ほど歩いてからふと右に曲がって帰路を逸れた。この道を真っ直ぐ行くと、俺が2年前に卒業した中学校、吉浦中学がある。
 ここ数ヶ月、俺は寒い中、早く帰りたがっている身体を無理矢理そっちに向けて、母校に寄っていた。妹の美恵子と一緒に帰るためだ。
 別に頼まれたわけではなかったし、ミエも俺を待っているわけではなかったけれど、帰宅路で捕まえると、いつも嬉しそうな顔をしてくれる。その顔が見たくて、というのが一番の理由だろう。
 それにまあ、道自体も中学からの方が、商店街を通るために面白みもあったし、もしもミエに会えなくても悪くはなかった。
 もう随分色あせた銀杏並木を眺めながら少し早足で歩くと、やがて懐かしい中学校の校舎が見えてきた。まだ幼さの残る制服たちが、ゾロゾロと校門から出ていく。
 時計を見ると、4時を少し回ったところだった。ミエは、「もし来てくれるなら、大体4時くらいに門を出るように帰るね」と言っていたから、もう先に行ってしまっているだろう。
 大雑把だったが、目安があるだけましだった。
 中学生に混ざって、昔俺も歩いた道を懐かしみながら少し歩くと、予想通り、前方に見慣れた二つの背中を発見した。
 肩ほどの黒髪を揺らしているのが妹のミエで、その隣を歩いている、ミエより少し背の低い、ウェーブがかった髪の女の子は、ミエの友達の奥野帆夏。ミエとは小学1年からの付き合いである。
「おーい、ミエ。帆夏ちゃん」
 驚かさないように後ろからそっと声をかけると、何やら話をしていた二人が、立ち止まって振り返った。そして、ミエがパッと顔を綻ばせる。
「あっ、お兄ちゃん!」
 俺はこの笑顔のために生きてるのではないかと、時々そう思う。それくらい可愛いミエの笑顔に、今日一日の憂鬱も一気に吹き飛んでしまった。
「こんにちは、篤先輩」
 帆夏ちゃんも笑いかけてくれるが、こちらの笑顔は、仲のいい兄妹に対して、「ごちそうさま」といった感じだ。中3にして、早くも何かを悟っているらしい。
「ふぅ。今日もどうにか捕まえられたな」
 俺は呟くようにそう言いながら、ミエの隣に並んだ。
 けれど、どうにか、と言いながら、実は捕まえられなかったのは数ヶ月のうちで、たったの5、6回しかない。それ以外は、ミエが「大体4時くらいに門を出」てくれるおかげで、毎回捕縛に成功している。もちろん、初めから寄っていない日を除いてだが。
「しっかし、寒くなりましたねー」
 帆夏ちゃんが、いかにも寒そうに自分で自分の身体を抱きしめながら言った。確か、7月の暑い日に生まれたから、夏の太陽のように元気な子に育つようにと、両親が「帆夏」と名付けたらしいが、そのせいか、帆夏ちゃんは寒さに極端に弱い。
 うちのミエも大概寒さには耐性がないが、コートを着て帽子をかぶり、手袋をしてタイツまで穿いているこいつほど貧弱ではない。
 同じことを思ったのか、ミエが可笑しそうに笑った。
「ほなっちゃん、それで寒かったら、もう携帯ストーブでも持ち歩くしかないね」
「携帯ストーブ!」
 急に帆夏ちゃんが目の色を変えて大きな声をあげた。なかなか表情豊かな子だ。
「そんなのがあるの!? 欲しい! ミエ、クリスマスプレゼントに、あたしにそれ買って!」
「い、いや、買ってって言われても……」
 困ったようにミエ。そもそも携帯ストーブという存在自体が嘘なのだから、どうにもならない。
 こいつでは話にならないと判断したのか、帆夏ちゃんは瞳をキラキラ輝かせたまま俺を見た。
「じゃあ、先輩でいいです。ううん、嘘。先輩がいいです。私、おっきな靴下用意して待ってますから!」
 現金な子だ。そこがまた、この子のいいところであり、面白いところでもあるのだが。
「いや、俺、まだクリスマスプレゼント、もらう立場だし……」
 さすがに高2の俺にくれるヤツなどいなかったが、とりあえずそう言って誤魔化すと、ミエもそれに便乗するように帆夏ちゃんに言った。
「そ、そもそもね、それは空想の生き物なんだから、そう簡単には手に入らないんだよ」
 生き物かどうかは別にして、簡単に手に入らないのは確かだろう。帆夏ちゃんはガクッと肩を落とした。
「わかったよ。じゃあ、いっぱい勉強して、私が自分で発明するよ。そしたら、二人も使ってね」
「あっ、うん。絶対に使うよ!」
 平和な子供たちだ。
 後日談だが、その後奥野帆夏は、東京の超一流大学に進学。画期的な携帯保温具を発明し、『身も心も温かな女性』と呼ばれて、一躍世間を賑わせた。
 ……ということになるかも知れない。いや、たぶんないと思うけど。
「それじゃ、また明日ね」
「うん。バイバイ」
 しばらく何事もない会話をしながら、商店街の一角にあるコンビニの角で帆夏ちゃんと別れた。ここから彼女の家までは、俺の足でおよそ7分。我が家までは2分といったところ。とにかく我が家は中学校からも高校からも近い位置にある。
「しかし、相変わらず元気なヤツだなぁ」
 俺が苦笑しながらそう言うと、ミエが嬉しそうに微笑んで、そっと俺の手に指を絡めてきた。俺はそうでもないのだが、ミエは俺と手を繋ぐと、何やら心が落ち着くらしい。
 二人とも手袋をはめていたから互いの手の感触はあまりなかったけれど、ミエは少し頬を赤らめながら、照れ臭そうに俺を見上げた。
「ああ見えて、ほなっちゃんも、結構受験のことで悩んでるらしいよ」
「空元気ってヤツか?」
「う〜ん。どうだろう」
 ミエはうつむき、少し首を傾げてから、再び元気に顔を上げて笑った。
「やっぱり元気なのかも」
「ど、どっちなんだ……?」
「あはは」
 可笑しそうにミエが顔を綻ばせて、俺の手を強く握った。
 けれど、一見すると元気いっぱいに見えるその笑顔の片隅に、わずかな陰りがあることに俺は気が付いた。
 いや、それはしばらく前から、ずっとミエにまとわりついているものだった。決して今日だけじゃない。
 俺はそれを知っていたから、敢えてそのことには触れなかった。
(今度こそ……)
 用意した通算86枚目の5円玉を心の中で握り締めて、俺はミエに言った。
「家に帰ったら、ちゃっちゃとやること済ませて、夜になったらまた一緒に勉強だからな」
「うん!」
 頼もしそうに、ミエが大きく頷いた。
 商店街の先に続く、緩やかな長い坂の向こうに、小さな神社が見えた。そしてそのさらに向こうに、じわじわと赤みを帯びてきた太陽の眩しい光を全身に浴びながら、俺たちは手を繋いだまま家に戻った。

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