■ Novels


White Dreams
従来の、「お兄ちゃんが恋人だったら」とか、「一人の男としてお兄ちゃんが好き」といった、「どうしてあなたはロミオなの?」チックな妹小説ではなく、「お兄ちゃんだから好き」というのをテーマに書いた、水原初のオリジナル萌え萌え妹小説!

1月1日

 先日までの寒波のせいか、大晦日の数日前から小春日和が続いていた。俺たち二人は、比較的穏やかな気温の中で年越しを迎えた。
 もっとも、穏やかと言っても、部屋の中はやはり暖房が効いており、あまり外気によらない温もりだったけれども。
「あけましておめでとうございます」
 「おはようございます」を毎朝の決まり文句とするならば、この言葉は毎年の決まり文句なのだろう。12月30日が12月31日に変わる瞬間と、12月31日が1月1日に変わる瞬間とに差違を見いだそうとする日本人は、やはり体質的にどこか記念日を大事にするところがあるのだろうか。
 俺はそう考えてから、そっと頭を振った。
 考えてみれば、A Happy New Yearは、どこの国でも祝われるわけで、クリスマスにその特別性を認めなかったことも含めて、正月もまた単なる一日に過ぎないと思うのは、俺の性格に起因するところが大きいのではないだろうか。
 ともかく、時計の長針が、ちょうど真上で短針に追いつく瞬間を待ち望んでいた妹に、俺は笑顔で応えた。
「おめでとう、ミエ」
 やはり1分前と、あるいは1秒前との差を感じなかったが、ミエが本当に嬉しそうな顔をするので、俺も心の底から穏やかに笑った。同時に、ミエを喜ばせてくれた「記念日」に感謝し、それが俺にとっても特別な意味を持ったことに気が付いた。
 なるほど。人は好きな人に変えられ、好きな人のために変わるらしいが、俺もこうして、ミエ色の染まっていくのだろうか。
 それは、俺には大歓迎だった。子供への干渉がほとんどない両親と、瞳に輝きを持たない浜北島の学生の中にあって、ミエだけが特別な存在だった。
 そのミエが、「おめでとう」と言うや否や、勉強道具を片付け始めたのを見て、俺は多少意地悪に声をかけた。
「もう勉強終わりか?」
「うん。だってもう、年明けたし」
 ミエはまったく悪びれることなく答えた。
 勉強しながら年を越そうという企画の元で、こうして二人で本を開いていたのだが、こうもあっさりと片付けられては、一体目的がどっちにあったのか疑わしいものだ。俺は思わず苦笑した。
「まあいいや。明日は初詣に行くぞ」
「あ、うん」
 ミエが髪が揺れるほど大きく頷いた。初詣は毎年恒例になっている。行き先はここのところ頻繁に合格祈願に行っている神社なのだが、当初、初詣はどうしようかと、ミエから別案が提案された。
 というのは、受験を間近に控えた今、合格祈願に行くよりもむしろ、家で勉強していた方が良いのではないかというのである。
 俺はそれに反対した。ミエには、「どうせ頻繁に行ってるんだから、別に初詣もそれらの一回だと思って行けばいい」と言ったのだが、本当のところは違った。
 俺から見てすでにミエは、浜北島に合格できるだけの実力を付けていた。これが普通の女の子なら、このまま続けていれば合格間違いなしと言えるのだが、ミエだけは違った。
 ミエは、俺などではどうすることもできない「何か」によって、ことごとく明るい未来を閉ざされている。だから、もはやその「何か」に対しては、神頼みでもする他に手はなかった。それだけが、唯一俺が「何か」に対抗できる術だったのだ。
 そんな俺の胸中など知る由もなく、ミエは楽しそうに顔を綻ばせた。
「そういえば、今年はほなっちゃんも一緒に来たがってたよ。勝手にOK出しちゃったけど、良かったよね?」
「ああ、別に構わないよ」
「そう。良かった」
 ほっとしたようにミエが胸をなで下ろした。もちろん、初めから断られるなどとは考えてなかったろうが、兄の許可なく、少なからず兄に関与する物事を自分一人で判断したということに対して不安があったのだろう。
 俺は意味もなくミエの髪をなでてやった。
「それじゃ、風邪引かないように、今日はもう寝るんだぞ」
 そう声をかけてから立ち上がると、ミエは嬉しそうに俺を見上げて頷いた。
「うん。おやすみなさい」
「おやすみ」
 そうしてその夜も、俺は何事もなくミエの笑顔を後にした。

 今年最初の一日は、やはり絶好の快晴に包まれていた。冬にはそれほど珍しくない、雲一つない青空が広がっている。
 そんな空の下で、俺とミエ、それから帆夏ちゃんの3人は、例の神社に初詣に来ていた。その時知ったのだが、ここは八善神社というらしい。もっとも、聞き覚えがある辺り、どうせまたすぐに忘れてしまうのだろうが。
 ミエも帆夏ちゃんも私服姿だった。それほど根詰めて勉強しているわけでもなかったけれど、それでもおめかししている時間が惜しいのは確かだったし、そういう気分でもなかった。
 八善神社は珍しく人でごった返していた。ここにこれだけの人が集まるのは、恐らく正月と夏祭りくらいだろう。俺たちは他愛もない会話をしながら、人の流れに従って賽銭箱の前に立った。
「じゃあミエ、やるか」
 俺がそっとミエに問いかけると、ミエは元気良く頷いて見せた。
 すぐに帆夏ちゃんが興味を示す。
「やるって、何をですか?」
 俺が答える前に、ミエがポケットから一握りの5円玉を取り出して、帆夏ちゃんに見せた
「これこれ」
「わわ! 大量の5円玉」
「そうなの。前にお兄ちゃんと初詣に来たときに、誰かがたくさん5円玉投げてるの見て、すごく綺麗だったから」
 それが俺の提案だった。
 1枚1枚が陽光を跳ね返して、星屑のようにキラキラと輝く5円玉は、きっとミエに元気を授けてくれるだろう。
 帆夏ちゃんが自分もやりたいと言い出したので、俺とミエは自分たちの5円玉を少し帆夏ちゃんに分けてあげることにした。帆夏ちゃんは嬉しそうだった。
「それでは……」
「二人の合格を祈願して」
 俺たちは、一斉に5円玉を投げ上げた。
 確か、2,105円分あったと思う。421枚の5円玉が、一斉に空に舞った。
 周りから感嘆の声が洩れる。
 俺はそれらがバラバラと賽銭箱の向こうに敷かれた白い布の上に落ちるのを見届けてから、手を合わせて目を閉じた。
 そして、もう何度も何度も祈った言葉を、心の中で繰り返す。
(今度こそ、ミエの願いが叶いますように)
 長く長く祈りを捧げてから、俺たちは神社を後にした。

 帆夏ちゃんと別れた後、俺たち二人はいつものように手を繋いで歩いていた。今日は手袋をしていなかったから、ミエの指が、その柔らかな感触と温もりをじかに伝えてくる。
 俺はわずかにドキドキしながらも、できるだけ平静を装ってミエに尋ねた。
「そういえば、ミエ。帆夏ちゃんはどこを受けるんだ?」
 彼女がミエと同じ浜北島を狙っていないことは前に聞いたことがあったが、どこを志望しているかまでは聞いていなかった。
 ミエは俺を見上げると、特別感情のこもらない声で答えた。
「ほなっちゃん、第一志望が星条で、次が北高って言ってたよ」
「そうか……」
 俺は一度深く息を吐いた。
 星条高校は、ここから大体自転車で10分ほどのところにある駅から、電車で二駅行った場所にある。その駅からは、歩いて10分から15分くらいだ。
 ここから駅までは、商店街からバスも出ているから、それほど交通の便は悪くないのだが、やはり浜北島と比べるとかなり不便だろう。
「ほなっちゃんが第一を星条にしてるから、私も第二希望は星条にしてるんだけどね……」
 ミエは独り言のようにそう言ってから、すぐに「でも浜北島以外は考えてないよ」と付け加えた。
 俺はミエのその発言に対して、何も言わなかった。それは、ひどく難しい問題に思えた。
 星条に行った友人の話だと、星条はかなり楽しい学校らしい。文化祭も他校の生徒との交流が盛んで大いに盛り上がるとか。
 部活動は種類も多く、いずれも活気に満ちあふれている。男女の比率は同じくらいで、恋愛もまた、学校生活を楽しくする一つの要素になっているらしい。
 もちろん、単に学業のレベルのみを考えれば、星条は浜北島よりも幾分落ちた。それでも中の上くらいに位置しており、総合的に見て良い学校だった。
 当然その分倍率も浜北島並みに高いのだが、今のミエのレベルで臨めば、たぶん楽勝だろう。俺は正直、単にそこそこの学業レベルを維持しながら学校生活を楽しむならば、帆夏ちゃんと一緒に星条に進むことを勧めたかった。
 けれどそれは、俺の価値観で話をしているだけである。どんな理由があれ、ミエは浜北島を希望しているのだから、ここで俺が説得しても、ミエは星条での生活を楽しむことはできないだろう。
 ミエは浜北島を知らない。そして、星条に入ればそれを知らないままだろうし、もしも浜北島に入れば、星条の生活を客観的にしか知ることができない。
 つまりは、それが人生というものだった。人は常に複数の選択肢の中から、一つの道しか選ぶことができない。そしてその道を選んだとき、他の道を進んでいたときの結末を知ることができない。
 後悔とは、そこから生まれるものだった。何かあったとき、「こんなふうになるのなら、向こうへ行けば良かった」と思う人間にはなって欲しくない。「こっちに来たから、これだけで済んだのだ」と、自分の選んだ道を前向きに捉えることができる人間であれば、ミエはきっと浜北島での生活に満足できるだろう。
 少なくとも彼女は今、俺と一緒の学校だからという理由のみでそこを志望しているから、合格した後、彼女が抱いている浜北島の印象が崩れることはない。俺がその学校の生徒であるという事実は変わらないから。
「浜北島、受かるといいな……」
 ミエが後悔しないことを祈って、俺は呟くようにそう言った。
 そんな複雑な心境に気が付いていた上でか、それともまったく気付かなかったのか、俺の言葉に、ミエはただ嬉しそうに笑った。
「きっと、大丈夫だよ」
 俺が歩く速度をやや緩めて見下ろすと、ミエは強い瞳で俺を見上げていた。
「自信満々だな」
「うん。だって……」
 そこでミエは一度言葉を区切った。それからゆっくりと瞬きして、額にかかった前髪をかき上げると、決然と言った。
「この前、願いが叶ったから」
「ミエ……」
「だから、大丈夫。風は今、幸運をはらんで私の方に吹いてるよ」
 芝居じみた、それでも、強い、自信に満ちた一言だった。

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