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五宝剣物語

2−3

「困りましたね……」
 バリャエンに来てから2日目の夕方、宿のベッドの縁に腰かけて、セフィンは足をぶらつかせていた。
 そういう仕草は、身体の本来の持ち主には似合っているが、王女としてのセフィンには不釣合いな印象を受ける。
 もっとも、セフィンの活発さはルシアとはまるで無関係だったけれども。
 セフィンがあまり困ってないように言ったのなら怒鳴ってやろうと思っていたが、彼女にも事の重大さがわかっているようだったので、ルシアも同意するように頭を抱えた。
 二人の悩みの種は簡単である。金がないのだ。
 しかもただ金がないだけではない。仕事もないのだ。
 小雨の降る中を、ルシアは朝から街中を走り回ったのだが、彼女でも取れそうな仕事はなかった。
 仕方のないことだ。リスターやエリシアがいるならともかく、まだ16歳の、しかも外見はそれよりもっと幼く見える少女一人では、誰も仕事を任せようなどと思わない。
 路銀は後1日分しかない。
《ルシアさん、お金がなくなったらどうするのですか?》
 滑稽に思える質問だったが、王女は本気だった。
 ルシアは答えあぐねた。かつて金に困ったことなどなかったのだ。
 リスターと出会う以前でさえ、姉がどこからかまだ年端も行かなかった二人にでもできそうな仕事を取ってきていた。
 リスターと出会ってからは、できる仕事の幅が増え、そこにエリシアの交渉力が加わって所持金にはゆとりすらあった。
(明日はもっと色々な仕事を探してみよう。それでも本当にダメだったら……仕方ないけど、悪いことに手を出すしかないな……)
 もちろん、本当はしたくない。ルシアは正義の少女なのだ。
 けれど、ティランに死の恐怖を味わわされた今、何としても生きたいという思いが強く芽生えていた。もう容易に「死んでもしない」などとは言わない。
 セフィンも少女の胸の内を汲み取って、反論せずに陰鬱な溜め息を吐いた。
《気付かれないように魔法を使います。そうすれば簡単にお金は集まるでしょう。本当は、私も魔法をそんなことに使いたくないのだけれど……》
 魔法という言葉に一瞬顔をしかめたが、ルシアに反論する余地はなかった。悪事を働くと言っても、一体どうすればよいか、ルシアにはわからない。
 セフィンは苦しそうだった。あまり本音は言わないが、王女として育った彼女が悪事を働くのは、ルシアのそれよりもずっと辛いことなのだろう。
 言いたいことはすぐに口にし、感情を姉や仲間の青年にぶつけ続けてきた少女は、心の底からセフィンを尊敬し、見習わなくてはいけないと思った。
 その時、部屋のドアが数度ノックされた。
 セフィンは顔を上げて立ち上がる。
「どなたですか?」
 言いながら、すっと横に手を伸ばした。まるで吸い込まれるように、テーブルに置いてあった剣がその手に収まる。
 ルシアは嫌悪感よりも先に便利だと思い、後からそんなことを考えた自分に嫌悪した。
「セフィンさん、だよな? 宿帳を見させてもらった。お前さんにもできる仕事を持ってきたんだが……」
 野太い男の声だ。
 ルシアはエリシアと二人きりで旅をしてきたときの習慣で、すぐに身の危険を察知したが、育ちのよい王女はそうではなかったらしい。
「お仕事ですか?」
 何気なくドアを開けると、4人の男がわらわらと部屋に入ってきた。
 さしものセフィンも、一歩後ずさって身構えた。
「お仕事って何ですか?」
 決して怯えたわけではなかったが、油断なく周囲を見回した少女の動作を、彼らは怯えと取ったのだろう。
「見たところ、女の一人旅みたいだしな」
「どうせここに来るまでの間にも、色々してきたんだろ?」
 下卑な笑いを浮かべる男たちを、セフィンは冷たく睨みつけた。言っている内容は理解していないが、大した話ではないだろう。
「やましいことなど何一つしていません。変なお仕事なら受けません」
 毅然として言い放つと、男たちは笑い声を上げた。
「別に変な仕事じゃねーよ。ほれ、金だ」
 男はそう言いながら小さな袋を投げた。
 床の上で立てた音からすると、2週間分くらいの金が入っている。まずまず高額と言って良かったが、ルシアもセフィンも受ける気はなかった。
 近付いてくる男たちに向かって、セフィンは剣を抜き放った。『黄宝剣』が美しい黄金の輝きを放つ。
 あからさまな魔力剣に、男たちは顔をしかめた。けれど、剣の光と魔法がイコールで結ばれなかったらしい。ルシアはほっと息を吐いた。
「お前、こんなところでそんなものを振り回していいのか?」
「悪人を斬るのに躊躇は必要ありません」
「斬ってしまったらどっちが悪人かはわからないだろう」
「そ、それは……」
 一瞬ひるんだ隙に、男たちが素早く襲いかかってきた。
(セフィン!)
 ルシアなら絶対にしないミスだ。
 いきなり足払いを食らわされて、セフィンは床に転がった。そんな少女の小さな身体を、男が二人がかりで押さえつける。
「い、いやぁぁぁあああぁぁぁぁぁぁぁぁっ!
 少女は叫んだ。けれどそれは、階下の喧騒にかき消されてしまった。外はまだ明るいし、街は賑やかだ。ここでどれだけ少女が叫ぼうと、誰も気にすることはないだろう。
「残念だなぁ、セフィンちゃん」
 一人の男の手が、ルシアの身体のまだ未発達な胸に触れ、別の男の顔が首筋に近付いてきた。
「や、やめてっ!」
 潔癖な王女が反射的に魔法を使ったことを、ルシアには責めることができなかった。
 胸を触った男が突然吹っ飛び、壁に叩きつけられた。
「お、お前……」
 男たちがひるんだ隙に、少女は素早く立ち上がって剣を取った。
「お前、魔法使いかっ!」
 もはや隠しようがなかった。
「だ、だったらなんだと言うのですかっ!」
 怒気を孕んだ声を上げると、男たちは顔を見合わせてから、脱兎のごとく逃げ出した。
 いや、逃げたと言うよりも通報しに行ったと言う方が正しいかも知れない。
 魔法使いは悪なのだ。それに、見つければ報奨金も出る。
 魔法使い狩りこそ行われていないが、今ではじっくり取り調べれば魔力の有無はわかると言われている。捕まればおしまいだ。
「あ、待ちなさい!」
 追いかけようとした王女を、ルシアが止めた。
《ルシアさん?》
(バカ! 今の内に逃げるんだ!)
《な、何故ですか?》
(もうこの街には居られない。その金を持って街を出ろ!)
 ルシアは、もちろん魔法使いとして追われたことなどなかったが、商売柄人に恨まれたことや、国の兵士に追いかけられたことは何度もあった。
 だから素早く対処できた。嬉しくない話ではあるが。
 セフィンは剣を収め、金を取るとすぐに荷物をまとめた。
 宿の親父に金を支払おうと思ったが、すでに自分が魔法使いであることが知られたらしい。恐らく半信半疑だったのが、慌てて逃げようとする少女の姿に確信したのだろう。カウンターの中で、怯えたようにしゃがみ込んでしまった。
「ごめんなさい!」
 ぺこりと頭を下げると、セフィンすぐに店を飛び出した。
 街路は騒然としている。
 遠くを見ると、先ほどの男たちが何かを叫びながら走っていた。セフィンのことを言っているのは明白だ。
 ルシアなら舌打ちでもしていたところだが、セフィンは悲しそうに眉を歪めると、走っていく男たちに背を向けて駆け出した。

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