まるで天の怒りのように、雷を千本束ねたような光が一直線に迸った。
(セフィン!)
青ざめ、絶叫するルシア。
恐らくすべての魔法使いが、国民が、少女の命はないと思っただろう。
いや、彼らはすでに、少女がそれを受け止められないのは当然のこととして、その下にある城の方を意識していた。
セフィンは自分目がけて向かってくる光を悲しそうに見つめながら、腰に帯びた剣を抜き放った。そしてそれを真っ直ぐ頭上へ向けると、意を決したように呟いた。
それは、『黄宝剣』の魔力を発動する呪文だった。
途端、剣が一度流れ星のように光り、次の瞬間、ヨキの魔法が彼女を飲み込んだ。
その光景を、光の上にいたヨキを除いて、すべての者が見つめていた。
彼女を焼き尽くすと思われたヨキの光は、まるで海へと注ぐ川のように、どんどん少女の持つ剣に吸い込まれて、やがて消えてしまったのだ。
誰も声を出す者はなかった。
ただヨキだけが、光の消えた後、自分の眼下に広がる光景がまるで変化していないのを見て声を上げた。
「な、なんだとっ!?」
セフィンは一度小さく首を振り、溜め息を吐いた。
「戦争の後に、真の平和なんて決して訪れないのよ。人が、勝者と敗者に別れてしまう限り」
ヨキにだけ聞こえるようにそう言うと、王女は思い切り剣を振り下ろした。
刹那、剣の切っ先から、先程ヨキの放った魔法のさらに何倍もの光が、一直線に海へと迸った。
ものすごい轟音がし、風が舞い、まるで天が裂けたような衝撃に人々は畏れ平伏した。
光が空に吸い込まれると、街にはただ静寂だけが残った。
セフィンは静かに息を吸った。
「どうか……どうか、思い出してください」
バリャエンの港町に、ただセフィンの声だけが響いた。
もちろん魔法で声を届かせてはいたが、それでなくとも街は死んでしまったように静まり返っている。
「今戦っている人たちは、ついさっきまで一緒に生活をし、助け合い、笑い合っていた人たちのはず。それなのに、どうして殺し合うの? 何故傷付け合うの?」
王女の言葉に、彼らは互いに顔を見合わせた。
そう、彼女の言う通り、今剣を重ねていたのは、同じ街で同じ生活を営んできた仲間。
今日の事件がなければ、明日も普通に挨拶を交わしていたはずの人々なのだ。
「目を覚まして。思い出して。ずっと昔、私たちは魔法が使えるとか、使えないとか、そんなこと気にせずに生きていたはず。ついさっきまで、あなたたちもそうだったでしょ?」
セフィンはまるで国民の一人一人を見つめるように周囲に目を遣って、悲しそうに笑った。
「魔法が使えるなんて、何も特別なことじゃない。それは泳げるとか、木に登れるとか、それだけのことでしかないの。本当に大切なのは、魔法使いも、そうでない人も、みんなが同じように持っている、心でしょう」
胸に手を当てて、セフィンが呼吸を置いた。
間の取り方といい、声の抑揚といい、完璧な演説だった。やはりセフィンは王女なのだ。
「私は……今はこんな姿でいるから信じてもらえないかも知れないけれど、80年前の戦争を実際に見て、戦ってきました。だから、争うことの虚しさも、その後に残る悲しみも、痛いほどよく知っています」
ヨキが「やはりか」と呻いた。
彼女の演説が人々の心を打つのは、彼女が王女で、話し方が上手いからだけではない。実際に戦争を経験し、痛みを知っているから。彼女が本当に願っていることだから胸を打つのだ。
「私はこの街が好きです。だって、とても賑やかで、そしてすべての人が本当に楽しそうに笑っていたから。どうか思い出してください。考えてください。私たちにとって、あなたたちにとって一番大切なものを。よく考えて、そしてできればあなたたちのすべてが、二度と過ちを繰り返さないことを、私は心から願っています」
……それが、後に『バリャエンの演説』、街の者には『天使の演説』と呼ばれる王女セフィンが残した言葉だった。
すでに遠ざかった街を寂しそうに見つめるセフィンに、優しくルシアが声をかけた。
(お疲れさん……ってくらいしか言葉が出ないけど、すごく心に響く話だったと思うよ)
《ありがとう、ルシアさん》
セフィンが安心したように笑った。
それは味方がいる心強さだ。ルシアにも経験があるから、セフィンの微笑みの意味を理解できた。
(やっぱりセフィンは、昔みたいな国が作りたいんだよな。前は否定してたけど)
いたずらっぽくルシアが言うと、セフィンは静かに首を振った。
《それは私の願いだけれど、自分でしようと思っていることではありません。さっきのはたまたまああなってしまっただけで、私がしようとしていたことではないのです。それに、本気でそんなものを目指していたら、私はいつまでもここにいなくてはいけません。それではルシアさんに申し訳ない》
王女の言葉に、ルシアは胸に痛みを覚えた。
それは、いつかセフィンと別れなければならない寂しさだった。否定できない。ルシアはあれだけ嫌っていた魔法使いを好きになっていた。
ルシアが何も言わなかったので、セフィンはそれを怒っていると勘違いしたのだろう。悲しそうに尋ねてきた。
《ルシアさんは、まだ私のことが嫌いですか? 早く出て行って欲しいですか?》
セフィンの言葉に、ルシアは慌てて首を振った。
(ううん。セフィンはもう嫌いじゃない。出て行って欲しいかは、よくわからないけど……。身体は返して欲しいけど、セフィンがいなくなっちゃうのは嫌だ)
まるであれも欲しいこれも欲しいとねだる子供のような答えだったが、セフィンは嬉しかった。
けれど、次の一言にすぐに笑顔を手放した。
(でも、やっぱり魔法使いは嫌い。好きになれない……)
《ルシアさん……》
セフィンは泣きそうな面持ちになった。確かに先程の魔法使いたちを見ても、あまり好意的に取れるところはないかも知れない。
それにしても、嫌いではないと言ってくれた自分や、リスターという仲間の青年とて魔法使いではないか。
魔法使いだから悪いわけではない。ルシアもそれをわかっているはずだと思って、セフィンは尋ねた。
《前にも聞いたけれど……ルシアさんは、何故そんなにも魔法使いを嫌うのですか?》
ルシアは一度溜め息を吐き、王女を見た。
セフィンは真っ直ぐな瞳で見つめている。単に答えを求めているだけではなく、何とかしてルシアに魔法使い嫌いを直してもらおうと願う瞳だ。
ルシアはなるべく感情のこもらない声で答えた。
(親をね、魔法使いに殺されたんだ)
《えっ……?》
(ううん、親だけじゃない。大好きだったおじさんやおばさん、村の人たちも全員。村も破壊し尽くされて、残されたのはあたしと姉貴、それからたまたま一緒に川遊びをしていた友達だけだった)
まるで理由のない、理不尽な破壊だった。
思い出したらまた魔法使いへの怒りが沸いてきたが、セフィンの前だから押し込めた。
(だからあたしは、魔法使いを許さない。どんな理由があったか知らないけれど……ううん、理由なんてなかったはず。さっきと同じ。あたしたちが王国の民だから。ただそれだけの理由で、あいつらはあたしたちから何もかもを奪っていったんだ)
長い沈黙がわだかまった。
すっかり冷たくなった秋の風が、轟々と吹いている。
セフィンはギュッとマントの裾を握って、震える声で呟いた。
《ごめんなさい……》
それ以上、セフィンは何も言わなかった。
ただ押し殺したような嗚咽を洩らし、小さな肩を震わせていた。
ルシアも声をかけたいと思わなかったから黙っていた。
セフィンに八つ当たりをしてしまった自覚はあったが、そうでもしないとやり切れなかった。
セフィンは大人だから、きっと許してくれる。黙って自分の苦しみを抱えてくれる。
ルシアは罪悪感を押し隠すように、何度も何度も胸の中でそう繰り返した。
セフィンは泣き続けていた。
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