「あ、いた! あの女だ!」
魔法使いが出たと言う話に、街は騒然としている。敵は兵士たちだけではなかった。
まさか一般民に剣を振るわけにも行かず、セフィンはつかみかかって来る周囲の人間を魔法で吹き飛ばした。
悲鳴が上がる。このご時世、魔法使いを見たことがある者すら稀少なはずだ。
もっとも、見たいと思っている人間などそうはいまいが。
「魔法使いと出会う」というのは、この国では「殺人者と出会う」や「魔物と出会う」と同義語ですらある。単に魔法使いを悪とする法律があるだけでなく、事実70年前に終結した戦争は、あからさまに魔法使い側に非があったのだ。
セフィンは何とか血路を開いて駆け出したが、多勢に無勢だった。
とうとう誰かに肩をつかまれた時、今度は遠くで誰かの絶叫が聞こえた。
(何?)
ルシアが肩をつかまれているのも忘れて振り返る。
飛び込んできた声は、少女が考えもしなかったものだった。
「仲間だ! 女には仲間がいるぞ!」
仲間と言う言葉の響きに、ルシアは一瞬姉の顔を思い浮かべたが、まさかそんなことは有り得ない。あれからセフィンの飛行した距離は半端ではなかった。
だとすると……。
(魔法使い?)
《たぶん……》
セフィンが不安げな面持ちで答え、手を振り切って走り始めた。
「あ、女が逃げるぞ!」
セフィンは周囲に闇を撒き、細い路地に飛び込んだ。そしてさらに駆ける。
あまり疲れを覚えないのは、元の身体の丈夫さだろう。
後ろから追いかけてくる足音に、セフィンは一度振り返ると、大地を揺らす魔法をかけた。
「これで時間が稼げる……」
そう思ったが、路地を抜けた瞬間、突然飛んできた矢に、セフィンは身をすくませた。
見ると、二人ほどの王国の兵士が、血走った目で駆けてくる。その手には剣を持ち、もはや話し合いなど必要ないと言った様子だ。
セフィンはすぐに魔法を投げつけたが、彼らはそれをうまくかわして斬りつけてきた。
「ええいっ!」
セフィンは『黄宝剣』を抜き放って応戦する。だが、王女は元々剣を使えないし、ルシアも言うほど強い娘ではなかった。
思い切り蹴り飛ばされて、セフィンは地面に転がった。倒れた拍子に口を切ったのか、血の味が広がる。
「死ね、魔法使い!」
もはやどちらが悪人かわからないような形相で剣を振り上げた男に、セフィンは怯えた表情になった。
けれど、その剣が振り下ろされることはなかった。
男は突然苦悶の表情を浮かべると、そのままセフィンの方に倒れこんできた。
「きゃっ!」
悲鳴を上げて、慌てて立ち上がる。見ると向こうに深い藍色の髪をした青年が立っていた。歳は20代の中頃だろうか。
素早く倒れた男に目を遣ると、背中をばっさり切り裂かれており、すでに絶命していた。
(魔法!?)
「き、貴様っ!」
もう一人の兵士が怒りの声を上げたが、それが彼の最後の言葉になった。
「大丈夫かっ!?」
駆けてきた青年に、セフィンは油断なく構えて応じた。
「あなたは?」
「僕はヨキ。君は……セフィンだね?」
恐らくどこかで聞いたのだろう。ヨキと名乗った青年の言葉に、セフィンは動じることなく頷いた。
「知ってると思うけど、『セフィン』は70年前の僕たちの王女の名だ。偶然なのか知っていて君の両親がつけたのかはわからないけれど、いい名前だ」
にっこりと笑った青年の顔には、年齢の割にあどけなさが残っていた。とてもたった今二人の人間を殺した青年とは思えない。
セフィンは、本来であれば青年の言葉に礼の一つも言ったろうが、今はそういう気分にはなれなかった。
「どうして殺したんですか?」
咎めるようにセフィンが尋ねると、ヨキは意外そうな顔をしてから、早口に語った。
「この街にも幾人か魔法使いがいる。みんな王国の法律を恐れながら、それでも平和に暮らしていた。ただ、今回みたいな騒ぎになって、僕たちは仲間の誰かが見つかったと思ったんだ」
僕たち、と言ったので、恐らく『仲間』の魔法使いはヨキ一人ではないのだろう。
彼は続けた。
「決めていたんだ。もしも誰か一人でも見つかったなら、一斉に蜂起しようって。もちろん大それたことは考えてないけれど、いずれにせよ魔法使いだって知られたら生きていけないし、仲間をみすみす殺させるわけにもいかないから」
その団結力は大したものだと、ルシアは思った。いや、得てして仲間の少ない少数派ほど、その団結力は固くなる。
セフィンは何も言わなかった。
ただ、ふとその瞳を陰らせると、俯いて唇をかんだ。
「セ、セフィン?」
ヨキが驚いた顔をしてから、困ったように辺りを見回した。
悲鳴の数はどんどん多く大きくなっている。
ルシアは静かにセフィンを見守っていた。こういうとき、彼女は何を考えているか決して口に出さないが、ルシアにはわかった。
恐らく、平和に暮らしていたのであれば、そのまま平和に暮らしていれば良かったのだと思っているだろう。そう、彼らはリスターのように、普通の人間として普通に暮らしていたのだ。
それを乱してしまったのは自分たちの責任だが、遅かれ早かれこうなっていたのは確かだ。
それは法のせいだ。だから法に対して憤りを覚えているだろう。
けれど、一番悲しんでいるのは、彼らの決意だ。そして、罪もない人を殺すことを厭わない心。
彼らは平和に暮らしていたが、それはただ、事を起こさなかったと言うだけで、胸の内にあるものはティランのそれに近い。
法が彼らをそうしてしまったのか、彼らが法をそうしてしまったのか。
そんな水掛け論は意味がないが、ただ共存できるはずの人々が狂ってしまった歯車のように争い合うのが、心優しい王女にはたまらなく悲しいのだ。
「セフィン。どうして君が悲しむのか、僕には理解できない。けれど、このままここにいては君も危ない。僕と一緒に来るんだ」
真摯な瞳でそう言った青年の手を、セフィンは軽く払った。
「セフィン!」
「私は……」
王女は一度息を吐き、それから確かに王族であることを頷かせる威厳ある声で言った。
「私はあの時と同じことは繰り返さない。正しくないと思うことには手を貸さないし、自分が正しいと思うことに躊躇しない。私はあなたと一緒には戦えない」
「あの時?」
訝しげに聞き返した青年に、セフィンは小さく笑って答えた。
「あなたは歴史に詳しいのでしょう。過去の過ちを知っていながら、それを繰り返そうとするのは愚か者のすることです」
それだけ言うと、セフィンは走り始めた。
「あ、セフィン! 君は……」
ヨキは手を伸ばし、慌てて追いかけようとしたがそれは叶わなかった。
一歩踏み出した瞬間、まるで空気のクッションにぶつかったように弾き返され、彼は地面に尻餅をついた。
「セフィン……王女?」
呆然と、ヨキは呟いた。
少女の姿はすでに見えなくなっていた。
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