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ウィサン、悪夢の日
湖の街ウィサンの象徴とも言うべき魔法研究所の、突然の崩壊。平和なウィサンを襲ったこの事件が、人々の間に大きな悲しみと怒りを巻き起こす。多大な犠牲者を出したこの事件は、たった一人の魔法使いの少女によって引き起こされた。人々は少女を憎み、傷付ける。だが、図らずも自らの手で多くの仲間を殺した少女もまた、心に深い傷を負っていた。少女と少女を励ます仲間たち、そして少女を恨む人々の想いが交錯し、新たなる悲しみがウィサンの街を埋め尽くす……。
まえがき

1章 悲しみの彼方

 ようやくトロイトまであと2日ほどという場所にある宿場町に辿り着いたとき、すでに日は落ちて辺りはすっかり暗くなっていた。
 シティアはまるでこの界隈を知り尽くしているかのように、真っ直ぐ宿に向かって歩き始めた。
「シティア……さんは、ここに来たことがあるのですか?」
 リアが言い淀みながらそう尋ねると、シティアは答える前に厳しい目でリアを睨んだ。
「リア、その丁寧語もなんとかならないの?」
 リアは泣きそうな顔で答えた。
「無理です」
 王女と呼ぶのをやめるだけでも、1週間もかかったのだ。その上、丁寧語までやめて、サリュートのように親しげに会話しろと言うのは、根が真面目なリアにはできそうもない。
 シティアはいたずらっぽく言った。
「なら、これは命令よ。友達のように話しなさい」
「そんな命令をする人に、友達のように話せるはずありません」
「ああ言えばこう言う……」
 シティアはあきらめた顔で前を向いた。そして背中越しに先ほどの質問に答える。
「2年前に、マグダレイナの剣術大会に出たのよ。その時に通ったの。だから、道に迷うことはないから安心して」
 言いながら、シティアは2年前を思い出した。
 あれはまだユウィルと出会う前で、心がすさんでいた頃である。そのくせ城から出たことなどなかったので、金の使い方もよくわからずに、反抗的な態度を取りながらも兄やサリュートに従っていた。恐らく、傍から見るとそれは滑稽な姿だったろう。シティアはかすかに微笑みを浮かべた。
 そんなシティアを見て、リアが穏やかな瞳で尋ねた。
「シティアさん、楽しそうですね。不安とか心配はないのですか?」
 シティアは前に入った店に着くと、躊躇わずに中に入り、部屋を取った。そして酒場のテーブルに着くと、適当に注文してから答える。
「もちろん、あるわ。だけど、せっかくこうして旅をしてるんだから。考えてもどうにもならないことは、考えない方がいい」
「シティアさんはやっぱり強い人ですね。私は、ユウィルに会えないかもしれない……ううん。もうこの世にはいないんじゃないかって……」
「縁起でもないこと、言わないの」
 ぴしゃりと言い放ち、シティアは運ばれてきたジュースを一口飲んだ。それから、項垂れているリアに、少し声を低くして真面目な顔つきで言った。
「私は、ユウィルと会えることを確信してる。あの子はそんなに弱い子じゃない。自分で命を絶ったりしない」
「それだけ強く信じてるなら、不安もないのでは?」
「ううん。私が悩んでるのは、その後よ。ユウィルに会ったら、私は何を言えばいいのか。それ以前に、私はユウィルをどうしたいのか……」
 言われて、リアははっとなった。リアはユウィルに会えればそれで解決すると思っていた。問題は見付かるかどうかであり、そこから先のことは考えたことがなかった。
 だが、違うのだ。大切なのは、再会した後、傷付いたユウィルをいかにケアするか。そして、ユウィルをどうするか。
「私はウィサンに帰ってきて欲しい。だけど、それをユウィルに望むのは酷かもしれない。あの子はきっと、私の命令に従うわ。だから……だからこそ私は、自分の感情を押し殺して、本当にあの子が望んでいることを理解して、それを叶えてあげなくてはいけない」
「シティアさん……」
 リアは思わず目頭が熱くなり、片手で顔を押さえた。
 リアとて、ユウィルに帰ってきて欲しかった。そして、当然シティアもそれを望んでいるから、再会すればそうなると思っていた。けれど、両親は自殺し、心の拠り所だった魔法研究所は自らの手で破壊、初代所長のコリヤークを始めとした、何人もの魔法使いを死に至らしめたあのウィサンの街に戻るのは、ユウィルにとってこれ以上辛いこともないだろう。
「シティアさんとユウィルが離れ離れになるなんて……そんなの、私には考えられません……。考えたくもない……」
 嗚咽を漏らすリアを見て、シティアは思わず本音を零しそうになったが、それはぐっと飲み込んだ。長い間、悩みや苦しみを誰にも相談せず、一人で解決してきたのだ。感情を押し殺すのは、悲しいほどに容易く出来た。
「起きてしまったことを嘆いてもしょうがないわ。リア、泣くのはやめなさい」
「はい……」
 リアは一度小さく頷くと、鼻をすすってから無理矢理笑って見せた。シティアは満足げに頷き、二人は運ばれてきた食事を無言で頬張った。
 粗方テーブルの上の食事がなくなった時、不意に隣のテーブルで悲鳴じみた少女の声がした。
「ウィサンの魔法研究所が……!?」
 聞き慣れた言葉に、振り返って見ると、二人の少年を連れた女性が、青ざめた顔で近くの男と話をしていた。女性と言っても、まだ若い。シティアと同じくらいだろうか。美しい桃色の髪を長く伸ばし、血色の良い肌に、整った顔立ちをしている。衣服は旅をするためのものだが、あまり汚れておらず、なるべく清潔にしているのが見て取れた。
 男の声は低くてあまり聞き取れなかったが、どうやらウィサンで起きた事件を少女に話しているようである。やがて話し終わったのか、男は自分の席に戻っていき、女性は二度ほど首を横に振ると、肘を突いて手を額に当て、苦しそうに目を閉じた。
 シティアの胸の中に好奇心が渦巻いて、それが顔に出ていたのか、リアが呆れたように溜め息をついた。シティアはジュースを持って席を立った。
「ねえ、あなたこれからウィサンに行くの?」
 親しげにそう話しかけながら女性のテーブルに行くと、怪訝そうに見上げる少年を押しのけて空いていた椅子に腰かけた。女性は驚いたように顔を上げたが、声の主が自分と同じくらいの歳の少女だったからか、安心したように息を吐いて答えた。
「はい。ウィサンの魔法研究所へ行くところです。あなたは?」
「私はシティア。ウィサンから来たの」
 シティアが何気なく名乗ると、女性は顔色を変え、あからさまに動揺したように身を乗り出した。二人の少年はそんな女性を見て首を捻ったが、よく仕付けられているらしく、余計なことは口にしなかった。
「ちょっと、まずかったかしら……」
 シティアがぽりぽりと頭を掻きながらリアを見ると、リアは溜め息をついてから大きく頷いた。
「だから、知ってる人もいるから、偽名を使いましょうって言ったんです」
「私、偽名って嫌いなのよ」
 二人の会話を聞いて確信が持てたのか、女性が震える声で言った。
「では、やっぱりあなたは……ウィサンの王女様……?」
「一応。あなたは?」
 シティアが苦笑しながら聞くと、女性は勢い良く席から立ち上がって深々とお辞儀をした。
「あの、リアスのセリシス・ユークラットと言います! マグダレイナの……」
 言いかけたセリシスを手で制し、シティアは困ったように笑って座らせた。
「お忍びってヤツだから、畏まらないで。それに、シティアでいいわ、セリシス」
「は、はい……」
 セリシスは真顔で頷いて椅子に座った。その表情には安堵の色も窺えたが、まだ緊張は完全には解けてないようだった。少年たちもようやく事情が飲み込めたらしいが、元より王女だからと言って畏まるつもりなどないらしい。不躾な眼差しでシティアの顔を見つめていたが、シティアは気を悪くしなかった。
「それで、あなたはこれからウィサンの魔法研究所へ行こうとしていたの? 何のために?」
 シティアの質問に、セリシスは何と言おうか迷った。秘密にしたいことがあるのではなく、全部話すと長過ぎると思ったのだ。
「私は、リアスに住んでいたのですが、内乱で家を失って、路頭に迷っていたのです。そこを、マグダレイナのフィアン王子に助けていただいて、エデラス王子への紹介状を書いてくださいました」
 セリシスはこれまでのことをそう簡潔にまとめ、フィアンの紹介状を手渡した。
 シティアは自分が開封してよいのか少し迷ったが、「まあ王女だし」と言い聞かせて、封を解いた。紹介状には、セリシスがリアスの貴族であること、内乱によって帰る家を失ったこと、そして魔法が使えることが書いてあり、もしも本人が望むのなら、魔法研究所に置いてやって欲しいとあった。他に、2年前の剣術大会の準優勝者についての質問がいくつかあり、シティアはそれを見て顔を綻ばせた。
「話はわかったわ。封も開けてしまったし、私からも推薦状を書いてあげる」
 気楽にそう言うと、セリシスは顔を紅潮させて、嬉しそうに礼を言った。だがすぐに表情を曇らせる。
「ですが、ウィサンの魔法研究所は……。シティア王女、今ウィサンはどうなってるのですか?」
 セリシスの心配は切実なものだった。家をなくし、やむを得ず旅を続けているが、元々丈夫な方でもないし、宛てのない旅を続けられるほど、生業にできる特技もない。ウィサンの魔法研究所で暮らしていくことだけを拠り所にして、ここまでやってきたのである。
 シティアはそんなセリシスの思いを汲み取り、表情を改めた。そしてちらりとリアを見ると、部屋の鍵を手渡した。
「リア、先に部屋に戻っていて」
 リアは余計なことは口にせず、素直に頷いて席を立った。セリシスも同じように子供たちを部屋に戻らせ、子供たちは先にリアがそうしたからか、何も言わずに階段の方へ歩いて行った。
 シティアは大人しくセリシスに従う子供たちの背中を眺めながら、可笑しそうに言った。
「あの子たちは良かったのに」
「そうなんですか? シティアさんは、てっきり二人で話したいのかと思いまして……」
 不思議そうな顔をしたセリシスに、シティアは小さく首を横に振った。
「そうじゃないわ。リアは研究員の一人だけど、研究所自体の話をするのに向いてないのよ」
 セリシスはよくわからなかったが、あまり深く立ち入るのはやめた。
 シティアはテーブルに肘をつき、セリシスでも聞き取るのがやっとなほど声のトーンを絞った。
「噂の通り、ウィサンの魔法研究所はなくなったわ。死者もたくさん出たし、負傷者も多い。復旧作業もまったく進んでない」
「天災だって、聞きましたけど」
「ええ」
 シティアは一切の躊躇もなく頷いた。あれが人災であることは、いつか知られたとしても、自分の口から言うようなことではない。セリシスがどのような人物かまだほとんど知らなかったし、王女として、国が公表している内容に反する発言は控えるべきだと思ったのだ。
「今、復旧作業って言ったけど、本当はただ瓦礫を撤去してるだけで、実際の復旧となると、まずその必要性から議論しなくては……」
「建て直さないかもしれないということですか?」
「そう」
 シティアは大きく頷いた。
 そもそもウィサンの魔法研究所は、魔法使いの刺客に襲われたシティアのために建てられたのである。だが、今ではシティアも成長して力を付けたし、優秀な魔法使いもいる。シティアを襲った本人はすでに死んでいるし、この先誰かに狙われる可能性は限りなく低かった。
 それだけではない。創設から5年で、あまり優秀な魔法使いが育たなかったこと、事件によって多くの魔法使いを失ったことなども、再建築の議論の中で挙げられた。
 シティアがその話をすると、セリシスは青ざめた顔になった。そしてすがるような眼差しを向ける。
「シティアさんは……これから研究所はどうなると思いますか? 私、研究所がないと……」
 セリシスがあまりにも悲しそうな目をしていたので、シティアは安心させるように微笑んだ。そして、
「これは、あくまで私の考えなんだけど……」
 と前置きしてから、これまで誰にも話したことのない自らの構想を語った。
 シティア自身は、魔法研究所は再建築するべきだと考えていた。それは研究所が、もはやシティア個人のためを越え、ウィサンの象徴とも言うべき施設になっていたからである。それを他国が良く思うか悪く思うかは問題ではなく、象徴の崩壊はウィサンの名誉に関わると考えていた。
 ただ、多くの魔法使いが死んだ今、前と同じ規模のものを建てる必要はなかったし、研究所の存在意義も見直すべきだろう。
「まずは、エキスパートによる研究グループと、あまり能力のない魔法使いによる勉強グループに分けるべきね。勉強グループは魔力のない人たちに魔法の正しい知識を広めて、魔法使いに対する恐怖や偏見をなくしてもらうの。研究グループは、リアもいることだし、ひとまず治癒魔法の研究を進めて欲しいわ。それはまず悪用されることがないから、研究成果は他国に公開してもいい。こそこそやっていたら印象悪いしね」
 話しながら、シティアは少し前まであれほど魔法を嫌っていた自分が、こうして魔法の未来について語っていることが可笑しくなって、少し顔を綻ばせた。
 セリシスはそれに気付かなかったようで、シティアが言葉を切ると、感心した顔で頷いた。
「シティアさんは……物事を広い目で見てるのですね」
「最近、王女の教育とやらをずっと受けさせられてるから。それまでは、自分のことしか考えてなかったわ」
 シティアは楽しそうに笑ったが、セリシスはただ尊敬する眼差しでシティアを見つめていた。
「私は、シティアさんの構想を信じます。ウィサンに行って、エデラス王子を訪ねればいいですか?」
「ええ。あなたがどれくらいの魔法を使えるかはわからないけど、街の復興に力を貸して欲しい」
「はい。最大限、努力します」
 セリシスは丁寧に頭を下げてから、安心したように大きく息を吐いた。それから興味深そうな目でシティアの顔を覗き込み、声の調子を明るく変えて言った。
「あの、シティアさん。シティアさんはこれからどちらに行かれるのですか?」
 それは、当然の疑問だった。この非常時に、ウィサンの王女が供をたった一人だけ連れて旅しているのである。聞いてはいけないことかと思いながらも、セリシスは好奇心を抑えられなかった。
 もちろん、ユウィルのことさえ除けば、話せないことなど何もない。シティアは雑談を歓迎した。
「マグダレイナよ。ちょっと用事があってね」
 そう答えてから、店員を捕まえてワインを2つ注文する。
「長い夜になりそうね。のんびりお話ししましょうか」
「あ、はい! 私、マグダレイナに行ったら、シティアさんに会って欲しい人がいるんです!」
「へー、どんな人?」
 シティアは興味深げに身を乗り出した。昔に比べて、本当に人というものに興味を持つようになったと思う。
 以前のシティアなら、セリシスと知り合えたことになど、何の喜びも感じなかっただろうし、そもそも話しかけてもいなかっただろう。
 誰かと出会うのは楽しいし、リアやセリシスのように、自分を慕ってくれる者が在るというのは心地良いものだ。もう遅いかもしれないが、やはり民衆から慕われる王女でありたいと思う。
(ねえ、ユウィル。私は、あなたのおかげで自分でも驚くほど丸くなったわ)
 セリシスと話しながら、シティアは愛する少女の顔を思い出した。
 どんなことがあっても決して挫けず、ただひたすら自分を信じてついて来てくれたユウィル。
 リアと同じ不安がないわけではない。生きていると信じているのではなく、信じたいのだ。そうでなければ、自分は心の拠り所を失うことになる。
(必ず会える。そして……それから……)
 シティアはもう、あまりセリシスの話を聞いてなかった。
 ただ、ユウィルの明るい笑顔だけが、シティアの胸に溢れていた。

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