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ウィサン、悪夢の日
湖の街ウィサンの象徴とも言うべき魔法研究所の、突然の崩壊。平和なウィサンを襲ったこの事件が、人々の間に大きな悲しみと怒りを巻き起こす。多大な犠牲者を出したこの事件は、たった一人の魔法使いの少女によって引き起こされた。人々は少女を憎み、傷付ける。だが、図らずも自らの手で多くの仲間を殺した少女もまた、心に深い傷を負っていた。少女と少女を励ます仲間たち、そして少女を恨む人々の想いが交錯し、新たなる悲しみがウィサンの街を埋め尽くす……。
まえがき

2章 絆

 ユウィルは眠りから覚めると、自分が抱きしめているものに顔を埋めた。無意識の内に、シティアの柔らかくていい匂いのする胸を期待したユウィルは、なんとも味気のないふんわりとした感触に目を開けた。抱きしめていたのはシティアではなく、枕だった。
「シティア様……?」
 身体を起こして周囲を見渡すと、どこにもシティアの姿はなく、まだ閉じられたままのカーテンの隙間から朝の光が漏れていた。
「寝過ごしちゃったのかな……」
 ユウィルは半身を起こしたまま、ぼんやりと壁を見つめた。
 火事から3日。家を失ったユウィルは、とうとうシティアの侍女として城で生活することになった。ユウィルは数こそ少ないが、自分の力で人々の理解を得られたことに満足し、城に来ることを快く承諾した。もちろん理由はそれだけではなく、これ以上街にいると、また同じような事件が発生するかもしれないと考えたのだ。
 火を放った魔法使いは、首謀者が極刑になり、他の者も投獄されたという。これがまた魔法使いたちの反感を煽ったが、報復を批難する声も同じくらい多く上がっていた。
 ユウィルは城で自分の部屋を与えられていたが、今のところ二人の希望が一致したので、シティアの部屋で同じベッドで眠っていた。昨夜はベッドにもぐってから、延々とユウィルが先日考えた大いなる意思の話をし、盛り上がっていた。聞くと、シティアもセリシスからリアスの話を聞かされて、同じことを考えたと言う。
「リアスの内乱、デックヴォルトのティーアハイム侵略、それにあなたの起こした事件。西の国でも戦争が始まったって話を聞くし、私はこういう一連の事件が、全部無関係だとは思えないのよね」
「クリスたちが起こした内乱と、あたしの短気が引き起こした事件に、何かの関係があるって言うんですか?」
「そうよ。一つ一つはバラバラだけど、全体として考えたら、今大陸中で戦いや貧困、暴動、事故、事件、そんな悲しい出来事が起きてるわ。あなたの言う、大いなる意思と似てると思わない? ルヴェルファスト大陸の意思?」
「ふーん……」
 ユウィルは感心して頷いた。さすがに自分の事件と、デックヴォルトがティーアハイムを侵略したことが、同じものだとは思えなかったが、今年になってから様々な事件が起きているのは事実である。
「残っているのはメイゼリスね。もしもあの国でも何か起きたら、一緒に大陸の意思について研究しようね」
 明るくそう言ったシティアに、ユウィルは唇を尖らせて反論した。
「なんだか宗教っぽいです。あたしはしませんよ、そんな研究」
「ケチ」
 延々とそんな話をしながら、ユウィルはいつの間にか眠っていた。そして、気が付いたらシティアがいなかったのだ。
 どうせ起きたところですることがないので、気の向くまま朝のぼーっとした時間を堪能していると、いきなりドアが空けられてシティアの呆れたような声がした。
「驚いたわ。まだ寝ていたの?」
「あ、おはようございます、シティア様」
 ユウィルは悪びれずにそう答えて、シティアに小さく頭を下げた。シティアは手にユウィルの食事を持っており、それをテーブルの上に置いた。
「食事、持ってきてあげたわよ? ここに置いておくから、早く食べなさいね」
 ユウィルはシティアの豪華なベッドに座ったまま、自分の食事の用意をしているシティアを見て、なんだか妙な気持ちになった。
「シティア様。こうしていると、なんだかあたしがお姫様で、シティア様が召使いみたいですね」
 シティアはぴくりと動きを止めると、真っ直ぐベッドにやって来た。ユウィルは嫌な予感がしたので、すぐに飛び起きて膝をついた。
「ご、ごめんなさい! 言い過ぎました! ごめんなさいっ!」
 シティアは何も聞こえなかったかのように、ユウィルの身体を抱き上げると、そのまま肩に担ぎ上げた。
「きゃあぁぁっ!」
 ユウィルが悲鳴を上げる。シティアはそのまま背中を反らせてユウィルをベッドに落とし、ひしゃげているユウィルの身体を上から優しく抱きしめた。
「生意気なこと言わないの」
「ご、ごめんなさい……」
 ユウィルは謝りながら、シティアの肩に顔を埋めた。シティアはしばらくユウィルの髪を撫でていたが、やがて起き上がると、明るい声で言った。
「今朝、ここ2日くらい会議を休んでいたタクトが、すごいことを言い出してね。ちょっと今、大変なことになってるわ」
 シティアがあまりにも大変でなさそうに言ったので、ユウィルは始め、何かの冗談かと思った。ところが、食事をしながら話を聞く内に、本当にそれが一大事だとわかって青ざめた。
「ど、どうしてシティア様は、そんな大変なことを、そんな気楽そうに言うんですか!?」
 シティアは笑って答えた。
「だって、こんな素敵なアイデア、飲むしかないでしょ? だったら、私が望んだ通りになるわ。細かいところは理想と違うけど、要するに私は、ユウィルといられればそれでいいのよ」
 面と向かってそう言われて、ユウィルは顔を真っ赤にして俯いた。シティアはそんなユウィルを見て、楽しそうに笑った。

 タクトが持ってきた案と言うのは、研究所の具体的な計画だった。
「元々研究所はシティア王女を守るために建てられましたが、今ではその必要がなくなったというのは、すでに皆さんの見解が一致しています」
 タクトはそう切り出してから、まず研究所の今後の方向性を語った。
「その上で研究所を再建するならば、やはり研究所は魔法自体のさらなる発展と、ウィサンのために役に立つ魔法の研究に従事すべきです。単に中程度の魔法使いを育成するだけならば、国家施設で行う必要はありません。ハイデルのような魔法学校を設立すれば済むことで、国が予算を割いて研究する以上、調和を乱す人間や、役に立たない人間は解雇するべきです」
「だが……」
 と、言いかけたバーグスを、タクトは遮った。どうせその解雇による国への反感を危惧しているのだろうが、タクトにとってそれは些細な問題だった。今はあくまで、魔法研究所の所長として意見を言っている。
「ウィサンにとって、ユウィルは必要な人材です。そして、今後はユウィルとオルガによる魔法消去論の研究、これまでも続けてきたわたしとリアによる治療魔法の研究、そしてセリシスやシェラン、その他、魔力は低くても人に教える能力に長けた者による魔法知識の流布。この三本を研究所の柱にしていきたいと思います。そして……」
 タクトは他の人間に一切話す隙を与えず、自分の案を最後まで言い切った。
「もしもユウィルが必要ないとおっしゃるなら、それはもう私の求める魔法研究所には成り得ません。シティア王女の危険が回避された今、わたしも必要ないはず。その時はわたしは所長を辞任し、ユウィルを連れてヴェルクに帰ります」
「ヴェルクに……」
「それは困る!」
 臣下が一斉に青ざめ、国王ヴォラードですら思わず腰を上げた。彼らにとって、タクトは今やウィサンの要なのだ。だが、タクトはそんな自分以上に、ウィサンにはユウィルが必要だと考えていた。
「ここに具体的な研究所の案があります。皆様でご一読願い、今申し上げましたことをご考察ください」
 そう言って、タクトはテーブルの上に紙束を置いた。
 シティアは兄と二人でその紙を数枚眺めたが、基本路線で了解だったので、自室に戻ってきたのである。
 話を聞かされたユウィルは、空になった食器を見つめながら呟いた。
「あたしを、ヴェルクに……」
「何を言ってるのよ、ユウィル。そんなことあるはずがないわ。あれは業を煮やしたタクトが、さっさと話し合いを終わらせるために使った脅し文句よ。父さんも兄さんも、あれに乗らないはずがないわ」
 シティアは絶対の自信を持ってそう言った。ところが、ユウィルがいつまでも真剣な顔つきで俯いたままだったので、だんだん不安になってきた。
「たとえ反対されても、タクトにあなたは渡さない。あなたは私の侍女よ? タクトの勝手にはさせないわ」
「あたしの意思は?」
 顔を上げてそう言ったユウィルに、シティアは思わず表情を険しくした。
「どうして? ユウィルは私よりタクトの方がいいの? ヴェルクに行きたいの?」
 先ほど自分の肩に顔を埋めて、幸せそうに微笑んでいた少女が、まさか少しでも自分の意見に反対するとは思わなかった。シティアは少し焦りを覚え、苛立った。
 ユウィルは小さく首を振った。
「シティア様と一緒にいたいです。でも、タクトさんのその案が通らなかった場合、つまりこの国にあたしが必要ないってことですよね?」
「私には必要なの!」
 シティアは思わず怒鳴りつけた。そして踵を返すと、さっさとドアのところまで歩き、一度だけユウィルを振り返った。
「会議に戻るわ。なんとしてもタクトの意見を通させる。あの事件の後、私がどれだけ悲しんだと思ってるの? あなたは誰にも渡さない」
 はっきりとそう言い切ると、シティアはユウィルの返事も待たずに部屋を出て行った。
「シティア様……」
 ユウィルはシティアの言葉に胸が熱くなって、思わずテーブルに腕をつき、その腕に顔を埋めた。
「あたしもシティア様といたい……。誰よりも、誰よりも好きだから……」
 ユウィルは小さくすすり泣いた。
 だが、そんなユウィルの心配も杞憂に終わった。
 タクトの案は、約10時間の議論の末、大まかなところでは無事に可決され、ユウィルは研究員として再び魔法の研究に従事できることになった。

 国が打ち立てた研究所の方針に則り、タクトは生き残った研究員のすべてと面談し、魔法使いとして国に対して貢献する気のない者をすべて解雇した。そのときシェランは大して何の意見も持っていなかったが、タクトは教師としての才能のある者は例外として残し、シェランもその例外に当てはめた。
 セリシスは具体的な構想をいくつも持っており、タクトは彼女が予想以上に聡明であることを知って、教師ではなくユウィルの補佐に付けることにした。
 解雇された者の他に、自らユウィルとは共にいたくないと言って辞職した者もおり、研究員の数はタクトも含めて20人に絞られた。これは以前の5分の1ほどだったが、タクトの満足のいく顔ぶれになり、ユウィルに対する反感もない者ばかりが集まった。
 研究所はようやく具体的な設計案が出たことで、再構築に着手された。場所は以前とは違うところに建てられ、規模も半分以下に縮小された。以前の研究所の跡はウェリウム広場に統合され、残された壁の一部も取り壊されて、記念碑として初代所長コリヤークの像が建てられた。
 ユウィルはシティアの侍女であったが、それは城で暮らすための名目のようなものだったので、毎朝城を出ては、研究員として研究所の復興を手伝った。ユウィルが火事で子供を助け、火を消したことは予想以上に人々に浸透し、ユウィルに対する反感はほとんどなくなっていた。
 ユウィルに研究所を破壊する気がなかったことと、仲間の魔法使いを殺したことでひどく傷付いたことを人々は理解し、研究所でいじめられていたユウィルに同情する声も聞かれるようになった。
 人々の恨みが消えてなくなると、リアとセリシスが、今度こそ一緒に暮らさないかとユウィルに声をかけた。ユウィルとしても、二人と一緒に住んだ方が研究所に近かったし、城は規律に厳しいので迷ったが、シティアが二人の誘いを突っぱねた。
「ユウィルは私のものよ? 今度そんな甘誘をしたら許さないから」
 子供みたいにそう言って唇を尖らせたシティアに、ユウィルは赤くなって俯き、リアは少し拗ねたようにシティアを見上げた。
 診療所に収容されていた怪我人は、全員がリアの魔法によって完治し、診療所は元の様子に戻っていた。ところが、今回の事件でリアに治癒能力があることが知れたため、怪我をした人々がリアのもとを訪れるようになった。
 タクトはあまりいい顔をしなかったが、リアは彼らに快く治癒の魔法を施した。元々エルクレンツではそれを生業にして生きていたのである。そのせいで盗賊たちに目をつけられ、拉致される羽目になったが、ウィサンはエルクレンツとは違って堅固だし、今は周囲に頼れる仲間がたくさんいたので何も心配することはなかった。
 セリシスがかつて入っていた仮住宅は取り壊され、セリシスが連れていた二人の少年は、ウィサンの兵士として仕官した。もちろん、二人ともまだその年齢に達していなかったが、やる気のある人間を認めないほどバーグスは規律に厳しくなく、二人はいっぱしの兵士として扱われるようになった。
 シティアがセリシスやクリスの友人であることもあって、二人は一部の兵士たちとともに、気力のある夜はシティアのもとを訪れて剣を学ぶようになった。二人はマグダレイナのケールのもとで剣の基礎を学んでいただけあって、シティアの教育の元でさらにその腕を伸ばした。
 悪夢の日から5ヶ月。ようやくウィサンは元の落ち着きを取り戻したかのように見えた。
 だが、ユウィルは気が付いていた。今回の研究員の再編によって、最後に残された自分に恨みを持つ人々が、行き場をなくしてしまったことに。
 これまでは、ユウィルに恨みを持つ仲間は多く、彼らはその怒りを周囲にぶち撒けることによって発散することができた。それに、ユウィルが人々に虐げられていたため、それほど強い怒りも湧いていなかった。
 だが、今やユウィルは昔と同じように暮らしていたし、人々もユウィルに同調しつつある。彼らは研究所を追いやられ、むしろ少数派の悪人のように扱われることすらあった。
 川を堰き止めれば、水は溢れ、やがて濁流となって堰を切る。
(あたしは、殺されるかもしれない……)
 ユウィルは一人の時に、そんなことを考えることが多くなっていた。

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