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ウィサン、悪夢の日
湖の街ウィサンの象徴とも言うべき魔法研究所の、突然の崩壊。平和なウィサンを襲ったこの事件が、人々の間に大きな悲しみと怒りを巻き起こす。多大な犠牲者を出したこの事件は、たった一人の魔法使いの少女によって引き起こされた。人々は少女を憎み、傷付ける。だが、図らずも自らの手で多くの仲間を殺した少女もまた、心に深い傷を負っていた。少女と少女を励ます仲間たち、そして少女を恨む人々の想いが交錯し、新たなる悲しみがウィサンの街を埋め尽くす……。
まえがき

1章 悲しみの彼方

 シティアとリアが並んでマグダレイナの街門をくぐった時、すでに西の空は夕焼けに包まれており、太陽は高い壁の向こうに落ちていた。
 リアは初めての街に感嘆の息を吐き、シティアは懐かしさに目を細めた。いつかは来る機会があるだろうとは思っていたが、まさかたったの二人で旅してくることになるとは思わなかった。
「とうとう着きましたね、シティアさん。これからどうしますか?」
 新しい土地に足を下ろしている喜びはあったが、この果てしなく広い街で、いるかいないかもわからない小さな少女を、どうやって探せばよいのだろうか。途方に暮れるリアを、シティアは優しい瞳で見下ろした。
「二人で探そうとは思ってないわ。王女って言う立場を最大限使うつもりよ? とりあえず今日はもう遅いから、探すのは明日からにしましょう」
 そう言うと、シティアはこれまでの宿場町同様、真っ直ぐどこかに向かって歩き始めた。
 リアは小走り気味にシティアの後を追いかけた。初めての街なので、少しのんびり回りたい思いもあったが、この非常時に王女にそんなことを頼むのは気が引ける。仕方なく辺りをきょろきょろ見回し、流れていく景色を楽しんでいると、やがてシティアは一軒の民家の前で足を止めた。リアが怪訝に思って尋ねるより先に、シティアが言った。
「2年前にお世話になった人の家よ。レアルって言うの。挨拶に来ただけだけど、泊めてもらえたら泊めてもらいましょう」
 もちろんレアルもその母親も、シティアのことを覚えていた。二人は突然の来客に腰を抜かすほど仰天してから、シティアを熱狂的に歓迎した。随分世話になったにも関わらず、2年前は慌しい別れをしてしまったのである。シティアはリアに申し訳なく思いながらも、夜遅くまで彼らとの会話に付き合った。
 リアはその間、旅の疲れを癒すために部屋で一人で眠っていたが、シティアが戻ると目を覚まして、翌日からの具体的な相談をした。シティアの案は、まずセリシスの話していたシィスと言う少女に会い、それから城を訪ねるというものだった。そして、兄のエデラスと交友のあるフィアン王子と会い、ユウィル捜索の協力を仰ぐのである。
 リアは特別良い案を持っていなかったし、何かをできる力もなかったので、ただシティアの考えに従う旨を伝えた。シティアは満足げに頷いてから、しばらくマグダレイナの思い出話をしてベッドにもぐった。

 翌日、ウィサンの王女がマグダレイナの市場を訪れたとき、シィスはボルンと、彼が連れてきたケールと話をしていた。ケールとは剣術大会で過去三度の優勝を収めた、マグダレイナ随一の剣士で、今はフィアンの護衛を務めている男である。ケールはボルンの叔父のウエロスと知り合いで、彼を助けた少女に礼を言いに来たのだ。
 シィスはすっかり畏まり、その隣でクリスも珍しく背筋を伸ばしていたが、ケールを見上げる瞳には温かみがあった。ユウィルはいつものように家で留守番をしていた。体調は悪くなかったが良くもなく、家で誰にでもできる簡単な調合を行っていた。
「まずは、ウエロスを助けてくれてありがとう。あれとは俺が王子の側近になった時からの付き合いで、病気になってからは気が休まる日がなかった」
「い、いえ。ボルンさんや城の方々にはいつもお世話になっていますし、テヌィルさんは一度診察をした時から、なんとしても助けて差し上げたいと思っていました。お役に立てて嬉しく思います」
 シィスが深く頭を下げると、ボルンが珍しくしおらしいシィスに小さく笑った。シィスは、セセルニアを持ってウエロスのもとを訪れた時に初めて知ったのだが、ボルンは歳は若いが一団の隊長だという。ウエロスは貴族ではなかったが王家とつながりのある名家で、シィスのことを知ったケールを、こうしてボルンが連れて来たのである。
「その話も聞いているよ。城の連中が随分ここの薬を買いに来るそうだな。おかげで城の調剤師が泣いていたよ」
 ケールが冗談めかしてそう言うと、シィスはさっと顔を青くして、余裕のない声で謝った。
「も、申し訳ありません!」
「冗談だよ。君はボルンが話していたより、ずっと真面目なんだな」
 ケールが逆に驚いて少し身を仰け反らせると、クリスは可笑しくなって少し笑い声を立てた。ケールはそのとき初めてクリスの存在に気が付いたようで、少女を見て怪訝な顔をした。
 先にクリスが挨拶をした。
「お久しぶりです、ケール様。先日は、セリシスともどもお世話になりました」
 ぺこりと子供っぽく頭を下げて、ケールはようやく、クリスがセリシスとともにいた少女であることを思い出した。セリシスはリアスの貴族で、フィアンと知り合いだった。そして、リアスを追われたセリシスはしばらくの間フィアンの世話になり、クリスもその時にフィアンやケールと会っていたのである。
「そうか。じゃあ、セリシス殿が言っていた薬師の女の子って言うのが君だったのか……」
 ケールがそう呟くと、シィスは気が気でなくなり、動揺しながらケールの顔を覗き込んだ。
「あ、あの、セリシスが私のことなんて話したのですか?」
「ああ。でも安心していいぞ? いいことばかりだ。王子もセリシス殿が行ってしまわれてから、随分気落ちしている。今度一度ここに連れて来よう」
 シィスは卒倒しそうになり、ボルンが声を上げて笑った。
 シティアがようやく薬屋を見つけて、その店先に立ったのはその時だった。
「立ち聞きするつもりはなかったけど、話しているのが聞こえたわ。あなたがシィスね?」
 突然の来客に、シィスははっと顔を上げてから、困ったようにケールを見た。客をないがしろにするわけにはいかないが、ケールを差し置いて客の相手をするのも気が引ける。
 そんなシィスの気持ちを察し取ったケールが、場所を赤毛の少女に譲り、ボルンの隣で興味深そうに来客を眺めた。シィスは少し安堵の息を吐き、接客しようと思ったが、その前にクリスが突然「あっ!」と声を上げ、シィスは驚いてクリスを見た。
「どうしたの?」
「い、いえ……。すいません……」
 謝りながらも、クリスはある一点から目を離さなかった。クリスが見ていたのは赤毛の少女の同行者で、シィスもそれを見たとき、思わず声を上げそうになった。
 そう。魔法研究所の所員の少女は、ユウィルと同じ服を着ていたのである。
 シィスは気を取り直して、赤毛の少女に微笑みかけた。
「失礼しました。あの、私のことをご存知なのですか?」
「ええ。私はシティア。旅の途中でセリシスと会って、あなたによろしくって頼まれたのよ」
「セリシスに!?」
「シティアって……」
 二人の少女の声が重なった。セリシスと知り合いだという者の来訪も十分驚くに値するが、それよりも、ユウィルと同じ服を着た少女を伴ったシティアという名の少女。もはや彼女が、ユウィルが謝り続けていた相手なのは間違いなかった。
 二人が唖然となって立ち尽くしていると、すぐ隣で大きな声がした。
「やっぱりシティアか! いや、そうじゃないかと思ったんだ!」
 声の主はボルンだった。あまりに大きな声に、シティアですら驚いたが、ボルンは構わず近寄ると、馴れ馴れしくその手を握ってぶんぶんと振った。
「2年前の剣術大会に出てたシティアだろ? ヴリーツやボークスを倒して、あのライフェと互角に戦っていた剣士だ! こんな近くで会えるなんて!」
「わ、私なんかのことを覚えてるの?」
 シティアが驚いて尋ねると、ボルンは大げさに身を反らせて見せた。
「覚えてるも何も、君の話は今でも出るよ。マグダレイナじゃ有名人だぜ? 颯爽と現われ、颯爽と消えていった少女。カッコいいなぁ」
 シティアは実に珍しく、「恥ずかしい」と思った。いや、それは生まれて初めてだったかもしれない。
「あ、あの、ありがとう……」
 顔を赤らめて俯くと、リアが目を丸くした。何やらとても貴重なものを見た気がしたのだ。
 ボルンは畳みかけるように何かを言いかけたが、ケールがその肩をぐいっと掴み、後ろに引き下げた。そして敬礼してから、やや親しみのある調子で言った。
「部下が失礼しました、シティア王女。わたしはフィアン王子の側近のケールと申します」
「お、王……」
 大きな声で言いかけたボルンをケールが張り倒し、ボルンは顔を押さえて「痛い痛い」と喚いた。シティアはそんなボルンを見て小さく笑ってから、落ち着いた表情でケールを見た。
「初めまして。フィアン王子がセリシスに渡した手紙を見たわ。王子は随分私のことを気にしていたようね」
「当たり前です。まさか一国の王女を、あのような血なまぐさい舞台に立たせてしまったとは……」
 ケールが困惑気味にそう言うと、シティアは少しだけ嘲笑する瞳を浮かべた。
「あんな健全な舞台もないわ。ヴリーツみたいな人を斬ったことがあるかもわからない人が一番人気じゃ、いつか大会の質まで疑われるわよ?」
 あまりにもはっきりと言うシティアに、リアは思わず青ざめたが、ケールは苦笑しながら「面目ない」と頭を掻いただけだった。弱い人間に言われたら腹も立つが、シティアのような強い剣士に言われたならば、どんな辛辣な評価にも満足できる。
「それで、今日はまたお忍びですか? たった二人でここまで旅を?」
 ケールが表情を改めて尋ねた。シティアはシィスに会いに来たのだから、本来ここで深刻な話をするべきではなかったかもしれないが、直接自分が会った今、世間話で王女の足を止めるのは気が引けた。また、話の内容によっては立ち話というのも危険だったが、シィスはセリシスの親友だし、もしも聞かれてまずい話なら、シティアの方から場所を変えるだろう。
 シティアは大きく頷くと、真っ直ぐケールの目を見て答えた。
「ええ。シィスに挨拶をしたら、お城へ行くつもりだったのよ。フィアン王子にお願いがあって」
「……ウィサンの、研究所の件ですか?」
 ケールが慎重に尋ねると、シティアは少し寂しそうな目をして独りごちた。
「そう。もうこんなところまで伝わってるの……」
「では、やはり噂は本当でしたか……」
 ケールが大きく溜め息をつくと、わずかに静寂がわだかまった。
「あの、ウィサンの研究所に何かあったのですか?」
 小さな声でそう聞いたのはクリスだった。シィスはまさかこの空気の中でクリスが発言するとは思っておらず、非常事態に青ざめたが、クリスは動じる様子もなく、すがるようにシティアを見上げていた。
「セリシスが、男の子を連れてウィサンの研究所へ行ったんです。研究所で何かあったのですか?」
 ユウィルやシティアのことは気になったし、マグダレイナの重臣とウィサンの王女との会話に立ち入るのは大罪のようにさえ思えたが、クリスの中でセリシスより大切なものは存在しなかった。
 シティアはそんなクリスの思いを汲み取り、優しい瞳で言った。
「研究所がね、竜巻で吹き飛ばされてしまったの。だけど、セリシスのことは心配しないで。ちゃんとウィサンで保護するし、新しい研究所を建てたら、本人が望む限り、研究員として置くわ」
 クリスの顔が、ぱっと晴れ渡った。それから、ようやく自分が会話の流れを止めたことに気が付いたらしく、ひどくうろたえて頭を下げた。
「あ、あの、ごめんなさい。私、私、どうしてもセリシスのことが心配で……」
「いいのよ。あの子は、みんなに慕われてるのね」
 そう言ったシティアの瞳には、わずかに羨望の色があった。シティアは王女でありながら、ごく一部の人間にしか慕われていない。もっともそれは、ほとんどが自業自得だったので、誰にも文句は言えなかったが。
 シティアは再びケールに目をやって、話を続けた。
「研究所は、全壊こそしたけれど、救援を求めるほどの被害は出てないわ。今日は私の個人的なお願いをしに来たのよ」
「王女の個人的なお願い?」
 シティアは大きく頷いた。
「ええ。実は、人を探してるの……。ここにいるかもわからないんだけど……」
 そう言って、シティアは寂しそうに視線を落とした。ケールはそんな王女を不思議そうに見下ろし、とにかくフィアンに取り次ごうと考えた。けれど、それより先にシィスが言った。
「シティア王女。探しているのは、ユウィルという女の子ですか?」
「……え?」
 シティアは思わず立ち尽くし、リアは身体に走った震えを止めるように、自らの腕を強く掴んだ。
 クリスは驚いてシィスを見上げた。果たして、ここでユウィルとシティアを引き合わせることが、ユウィルにとっていいか悪いかもわからない状況で、シィスがあっさりと暴露したことに不安を覚えたのだ。
 だが、シィスの瞳は決然としており、クリスはシィスはシィスなりに覚悟を決めてユウィルの名を口にしたのだとわかった。だから、自分も固く唇を引き結んで、シィスの意向に従うことにした。
「あなたは、ユウィルを知っているの?」
 呆然と、そして半分は困惑気味に尋ねるシティア。シィスはそんなシティアを真っ直ぐ見つめて、一度大きく息を吸ってから、はっきりと頷いた。
「はい。今、私たちが保護しています」

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