■ Novels


ウィサン、悪夢の日
湖の街ウィサンの象徴とも言うべき魔法研究所の、突然の崩壊。平和なウィサンを襲ったこの事件が、人々の間に大きな悲しみと怒りを巻き起こす。多大な犠牲者を出したこの事件は、たった一人の魔法使いの少女によって引き起こされた。人々は少女を憎み、傷付ける。だが、図らずも自らの手で多くの仲間を殺した少女もまた、心に深い傷を負っていた。少女と少女を励ます仲間たち、そして少女を恨む人々の想いが交錯し、新たなる悲しみがウィサンの街を埋め尽くす……。
まえがき

エピローグ

 週に一日、日曜日にだけ人々は仕事をせずに一日を過ごすことができる。もちろん、城の兵士や一部の人間はその限りではなかったが、魔法研究所の所員とその建築に携わる人々には、日曜日は安息の日だった。
 その日の朝は、昨夜から降り続いた雪が積もり、ウィサンは一面の銀世界に変わっていた。空は依然として曇っている。この分だと、雪は昼になっても溶けないだろう。
 リアはシティアの部屋の窓から城の庭を見下ろした。そこには、休憩時間なのだろうか、セリシスが連れてきた二人の少年とユウィルがおり、雪合戦をして遊んでいる。
「ユウィル、もう14歳なのに、いつまで経っても子供っぽいですね……」
 リアが呟くと、シティアも窓のところにやってきて、ユウィルを見下ろしながら笑った。
「ユウィルはああだから可愛いのよ。でも、時々すごく大人びた顔をすることもあるわ。そこも可愛いのよ」
「シティア王女は、ユウィルならなんでも可愛いんですね」
 淡々とリアがそう言うと、シティアは意地悪げな瞳をして、そっとリアを抱きしめた。そしてわずかに耳に唇を当て、甘く囁く。
「拗ねてるリアも好きよ?」
「お、王女……」
 リアは真っ赤になって俯いた。シティアはリアを離して明るく笑うと、奥のベッドの上にどっかりと腰を下ろした。それから赤くなったまま頬を膨らませているリアを見つめて言った。
「あの子は、甘えられる人がいなかったのよ。両親はあまりユウィルを構ってなかったみたいだし、一人っ子だし、研究所は大人ばかり。でも、考えてみればあなたもそうね。私でよければ甘えてもいいわよ?」
「私は、これでも結構甘えてると思ってるんですけど」
 リアはからかわれているとわかったが、敢えて真面目にそう答えた。シティアは首を横に振り、リアの目を覗き込んだ。
「あなたのは頼っているだけで、甘えているのとは違うと思うわ」
 リアは首を傾げてシティアを見た。シティアは何を考えているのか良くわからない目でリアを見つめ、口元にだけわずかな微笑みを浮かべている。
 リアは溜め息をついた。
「シェランが時々私のところに、善悪について話がしたいってやって来ます。シティア王女の言うことは、私たち庶民には難しくて、理解できないことが多すぎます」
 リアの言うように、あの日からシェランは、時々シティアの言ったことを受け、法を遵守する意味を考えていた。もっとも、答えは一向に出なかったが、最近では何かを考えるということ自体が楽しくなっているらしい。
 シティアはシェランの変化にさほど興味がなかったが、タクトは大喜びだそうだ。研究とは、考えることから始まるのである。
 リアがタクトの話をすると、シティアは顔を綻ばせ、そのままの笑顔で言った。
「でも、今のはもっと簡単なことよ。おいで、リア」
 シティアは両手を開いてリアを呼んだ。そして恥ずかしそうに近付いてきたリアを胸の中に抱き入れると、そっと髪の毛を撫でてやる。
「ね?」
 シティアはそれっきり何も言わなかった。
 リアはシティアの胸の中で、確かな安らぎを感じていた。9歳の時に母親を亡くし、それ以来ずっと修道院に預けられていた。修道院には優しい人が多かったが、こうして抱きしめてくれるような者はなかった。
「私は、臆面もなくこうして王女の胸に飛び込めるユウィルが羨ましい。私は……気持ちいいけど、恥ずかしいです……」
 リアが素直な気持ちを言うと、シティアは穏やかに笑った。
「リアの方がお姉さんだからよ。ユウィルだって、来年はきっと恥ずかしがるわ。今のユウィルだって、1年前から見たら、あれで随分大人びたと思うわよ?」
 言われて、リアは去年のユウィルを思い出した。確かにユウィルは、この事件で一回りも二回りも成長した。ただ、それが無理な成長だったのは明らかで、時々笑顔に暗い陰があるのを、リアは見逃さなかった。もちろん、シティアも気が付いているだろう。
 リアは話を変えた。
「王女も、誰かに甘えたいと思うことはないのですか? ずっと……お一人だったのでしょ?」
 シティアを一人にしたのは、リアの父親である。リアは少し躊躇いがちに尋ねたが、シティアはあまり気にしてないようだった。
「そうね。でも、私はあまり甘えたいと思わないから。甘えられる方が好きよ?」
 屈託なくそう笑ったシティアに、リアも同じように微笑んだ。そして、そっとシティアから身体を離すと、もう一度窓の方に歩いた。
「私は王女が好きです。でも、時々それがすごく不思議に思えるんです。だって、初めて会った日、私は王女を殺そうとして、王女も私を殺そうとしてた。それなのに、今はそんな王女が私の心の支えなんですから」
 もちろん、セリシスもリアにとって大切な人間の一人だった。だが、セリシスとリアが惹かれ合うことには、何一つ不思議な点がない。
「言ってなかったっけ?」
 シティアも立ち上がり、同じように窓際に歩くと、雪まみれになってはしゃいでいるユウィルを見下ろした。
「私は、リアだけじゃなくて、ユウィルも殺そうとしていたのよ」
「え……?」
 意外に思って、リアは思わず声を上げてシティアを見た。
 シティアは懐かしむようにユウィルを見下ろし、それから少しだけ寂びそうな目で話した。
「あなたもユウィルも、それにセリシスやあの子供たち。みんな、私をすごい人間だって尊敬するけど、私ほどちっぽけで自分勝手な人間はいなかったと思うわ。今でこそ、城のみんなも私のところに来てくれるようになったけど、昔はそんなことなかった。街で去年までの私の6年を聞いてご覧なさい。みんな顔をしかめるか、嘲笑うわ」
「でも、今はすっかり変わりましたよね?」
 シティアは小さく笑って頷いた。
「全部あの子のおかげよ。あの子がいなかったら、今でも私はどうにもならない王女だっただろうし、あなたのことも躊躇なく斬っていたわ」
 リアが真顔で頷くと、シティアはいつもの諭す瞳でリアを見た。
「人は一人だと真っ直ぐ歩けないんだと思う。今度の事件で、ユウィルも道を踏み外したけど、私たちやセリシスの友達に助けられて、ああして笑顔を取り戻したわ。私は自分を大した人間だとは思ってないけど、できる限りあなたたちを助けたいと思ってる。だからあなたたちも、そばで私を支えてください」
 丁寧に締め括られて、リアは飛び上がるほど驚き、真っ赤になって首を振った。
「そ、そんな! 私たちが王女を助けるのは当然です! いきなり畏まらないでください!」
 慌てふためくリアを見て、シティアは可笑しそうに微笑んだ。からかったわけではなかったが、とにかくリアやユウィルを、照れさせたり拗ねさせたりするのが好きなのだ。
 シティアは何か言いかけ、ふと城門の方から、誰かが自国の兵士に連れられて来るのに気が付いた。立派な甲冑を着け、マントをまとい、威風堂々とした男だ。
「あーっ!」
 シティアは窓に身を乗り出して声を上げた。リアは隙間から覗き込んだ。なんとも不謹慎な姿だったが、幸いにも使者と思われる甲冑の騎士に見られることはなかった。
「リア、あれはメイゼリスの人よ! あの鎧、見たことあるもの。間違いないわ!」
 王都メイゼリス。ルヴェルファストで一番の大国と言われる国で、ウィサンとはスノートウィス湖を挟んだ反対側にあった。
 リアはメイゼリスの使者が来たことで、何故シティアが嬉しそうにするのかわからなかったが、とにかくシティアは顔を綻ばせ、ドアの方に駆け出した。
「メイゼリスからこの国に使者が来るなんて、きっと何かあったのよ!」
「そ、それが嬉しいんですか? ひょっとして、この国にとって良くないことかも知れませんよ?」
 シティアはドアを開けて、リアを振り返った。
「それはないわ。ウィサンは小国だし、戦争の意思もない。魔法研究所がなくなった話はメイゼリスにも届いてるだろうし、それで大打撃を受けたのは周知のことよ。メイゼリスにとって戦略価値もなければ、脅威にも成り得ない」
 シティアの言うことには説得力がある。リアは感心して頷いてから、改めて顔を上げた。
「それなら、何がそんなに嬉しいんですか?」
「大陸の意思よ! 私、ちょっとユウィルのところに行ってくる! ごめんね、リア」
 そう言うと、シティアはまるで子供のように瞳を輝かせて行ってしまった。
「大陸の意思?」
 リアは何がなんだかわからなかったが、小さく息を吐いて穏やかに微笑んだ。
 ユウィルを子供だと言いながら、自分もああして子供っぽいことをする。しかし、それもまたシティアの魅力の一つだと、リアは思った。
 しばらくして窓から外を見ると、困ったような顔をしたユウィルが、しきりにシティアに何か言っていた。シティアは意地悪な瞳を浮かべ、子供たちは呆然と二人を見つめている。
 ようやく半年前の姿に戻った。
 リアは顔を上げ、街に目をやった。自分がウィサンに来て初めて足を踏み入れた建物はなくなり、何人もの知り合いがこの世を去った。人に恨まれ、辛い思いもしたが、そのおかげで手に入れたものは数え切れない。
 親愛なるユウィルもウィサンに戻り、シティアもユウィルがいなくなった時に塞ぎ込んでいたのが嘘のように明るくなった。本当に大切なものは何一つ失わなかったリアにとって、今回の事件は起きて良かったとさえ思うことがある。
 もちろん、それがいかに不謹慎なことかはわかっていたが。
 再び眼下に目をやると、シティアまで一緒になって雪合戦に興じていた。リアはバルコニーに出ると、手摺りを乗り越えて宙に踊り出た。
「私も交ぜてください!」
 魔法で着地しようとしたが、少し失敗して雪に埋もれた。そんなリアに雪玉をぶつけ、シティアが明るく笑う。
 顔にかかった雪を振り払って見上げると、分厚い雲から、またちらほらと雪が降ってくるのが見えた。
(生きるって、なんて悲しくて、面白いんだろう)
 リアはそんなことを考えながら、素早く雪玉をこしらえると、シティアに向かって投げつけた。
 だが、剣の達人がリアの玉になど当たるはずがない。逆に雪まみれにされて、リアは捨て身の覚悟でシティアに飛びついた。
「きゃあっ!」
 シティアがバランスを崩して、もつれ合うようにして雪の上に倒れ込む。二人の少年は躊躇したが、ユウィルはこれ幸いと両手いっぱいに雪をすくって、シティアに被せた。シティアが小さく悲鳴を上げる。
「や、やったわね!」
 雪は音もなく降りしきっている。
 白く美しい雪に埋もれながら、子供たちは明るく笑い続けていた。
Fin
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