セフィンがいなくなってしまってから少しして、リスターは改めて剣を握り直した。
もうすでに陽は暮れており、魔法陣の光がなくなったことで辺りは急速に暗くなっていた。
「お前の期待していたセフィンは、そのまま行ってしまったぞ? 協力してもらえなくて、無駄に仲間を死なせたな」
リスターが嘲笑うように言うと、ティランは可笑しそうに笑った。
「そういえばあの娘も誤解していたが、お前も私たちの目的を勘違いしているようだな」
「何のことだ?」
ティランは勝ち誇ったように言った。
「王国を相手にするのに、元々セフィン王女の力は期待していなかった。私たちはあくまで、セフィン王女を助けるのが目的であって、その先のことなどどうでもよかったんだよ」
「助ける……?」
小さく呟いたエリシアに、リスターは「後で教える」と早口で言った。
「なら、お前は純粋にセフィンを助けるだけのために動いていたのか?」
「同じ質問をあの娘から受けたが、そんなことで嘘は吐かんよ。王女も王国の犠牲者だ。助けるのは当然だろう」
「だが、それでも最終的なお前たちの目的は間違っている」
「それはもう聞き飽きた」
ティランはそう怒鳴るや否や、ふわりと空に浮かび上がった。
「どうした? 逃げる気か?」
「戦略的撤退と言ってもらいたい」
「何?」
まさか本当に彼女が退くとは思ってなかったので、リスターは思わず目を丸くした。
「残念ながら、今の私ではお前に勝てそうにないからな」
確かに、ルシアという足枷がなくなった今、ティランではリスターには勝てないだろう。
正しく相手の力量を見定めるという点でも、やはりティランは一流だった。
「だが、俺が素直に逃がすと思うか?」
「飛行魔法は得意だ。何とか逃げて見せるよ」
言うが早いか、ティランは素早く身を翻した。
「逃がすかっ!」
声とともに、リスターの真空刃が襲いかかる。
ティランはまるで背中に目がついているかのようにそれを避けると、そのまままるで鳥のように飛び去ろうとした。
「くそっ!」
リスターは飛行魔法を使えない。いや、使えるがどちらかというと苦手な方だ。とてもではないがティランを追いかけることなど出来ない。
悔しさのあまり歯軋りしたその時だった。
すでに小さくなりかけていたティランの身体が、突然空中で揺らいだかと思うと、そのまま力なく落下してきた。
「何だ?」
一度エリシアと顔を見合わせて、すぐに走り始める。
少し向こうでティランの身体が地面に激突し、砂埃が上がった。どうやら自分から降りてきたわけではないらしい。あの落ち方では即死だろう。
駆け寄ってみると、すでに絶命したティランの胸を、一本の矢が貫いていた。
「こ、これは……」
「ユアリ?」
エリシアが振り返ったそこに、クロスボウを掲げた少女が笑顔で立っていた。
「同じ手は二度は通用しないって言っていたのに、口だけでしたね、その人」
物騒な言葉の中には、あからさまな皮肉が見て取れた。そういえばティランは、ユアリの父と兄を殺した張本人なのだ。
「ユアリ、どうしてここに? ううん、どうやってここに?」
エリシアが尋ねると、ユアリは事も無げに答えた。
「ずっと後をつけていました。気配を消すのは私たちの特技ですから」
「ずっとってことは、俺がイェスダンの町外れで人探しの魔法陣を書いていた時からか?」
そうだとすると、この少女は半日以上二人を尾行していたことになる。
しかも二人は魔法を使って距離を稼いでいたし、エリシアは気配を感知することに関しては右に出る者がない。
その二人の速度についてくるだけでなく、まったく気配を隠していたのだ。リスターは少女の才能にぞっとなった。エリシアも同じだ。
けれど、当の本人はまるで大したことはしていないと言うように、にっこりと頷いた。
「そうです。後片付けはシュナルに押し付けてきました」
「お前は俺が魔法を使っていたのに、平気だったのか?」
繰り返すが、この国では魔法使いは禁忌の存在とされている。生まれた時から罪人だ。
普通の人間は子供の頃から魔法使いは悪だと教えられ、その考え方で凝り固められる。ましてユアリは魔法使いに父と兄を殺されたばかりだ。
リスターがそう言うと、ユアリはさも当たり前のように笑った。
「リスターさんは私を助けてくれました。リスターさんが魔法使いじゃなかったら、私はあの魔法陣の中で死んでいたと思います。あなたを嫌う理由も、恐れる理由も、何一つありません」
どこまでも澄み切った瞳だった。少女は深海のように深い青色の瞳をしていたが、その輝きはルシアのそれと良く似ている。
エリシアは少女に妹の面影を見て、思わず涙ぐんだ。
「それで、俺たちを助けるために?」
「はい」
ユアリは少し離れたところでクロスボウを巻き、ずっと機会をうかがっていたのだ。ただ一度だけの、確実にティランを殺せる瞬間を。
並の精神力でできることではない。
「ずっと、見ていたのか……」
リスターは少女の尋常ならざる才能に舌を巻いた。
「リスターさん、エリシアさん。これからルシアさんを助けに行くんですよね?」
不意にユアリが真面目な声で尋ねてきた。
助けに、と言うと微妙に違うのだが、どうやら会話までは聞こえてなかったらしい。
「どうしてだ?」
リスターが尋ねると、ユアリは真っ直ぐな瞳で答えた。
「私も連れて行ってください。ルシアさんは私の身代わりになったも同然です。私はあの人を助けたい」
「で、でも……」
「シュナルには了解をもらっています。他に私を心配してくれる人はいませんし。それに、腕前はもうわかっていただけましたよね? きっとお役に立ちます。ですから、どうかお願いします!」
ぺこりと頭を下げた少女に、二人は顔を見合わせて溜め息を吐いた。
この正義感もルシアそっくりだ。となれば、言い出したら聞かないのも同じだろう。
「わかった。手伝ってもらおう」
「本当ですか!?」
嬉しそうに顔を上げたユアリに大きく頷いてから、リスターはふと真面目な顔をした。
「一度イェスダンに戻ろう。そこでお前たちに、セフィンについて教える。後、ユアリが誤解しているようだから、俺たちのこれからのことも含めて、一度会議を開こう」
エリシアとユアリは、真っ直ぐ彼を見つめて頷いた。
三人の間を、身を切るような夜の風が吹き抜けていった。
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