「大きな家。私の家より大きいわ」
呟くよう言ったエルメスの一言を、あたしは聞き逃さなかった。
「エルメスって、お嬢様だったの?」
「え? ええ、まあ……」
エルメスが弾かれたように顔を上げて、困ったように笑った。ドラフは「色々あったんだな」と静かに頷いていたけど、あたしはもうちょっと突っ込んで知りたかったので、無遠慮に聞いてみた。わからないことは聞くに限る。
エルメスはやっぱり言いにくかったのか、顔を赤らめた。
「その、兄が借金をして……。私はそれで冒険者になったんです」
「ふーん」
あたしは釈然としないまま頷いた。どうして人間は返せないほどお金を借りるんだろう。不思議よね。
話を変えるように、エルメスが早口に言った。
「随分歩いてお腹が空いたわ。もうそろそろ夕食時だし、ご馳走してもらえないかしらね」
言われて顔を上げると、すでに日は沈んだ後で、町はしんと静まり返っていた。
入り口のところで人を呼ぶと、やってきた男が不躾な眼差しであたしたちを見た。武装しているし、執事って言うよりは護衛って感じ。仕事柄しょうがないのかも知れないけど、じろじろ見られて嬉しいあたしじゃない。
「冒険者が何の用だ?」
横柄な態度で男が言って、好戦的な目で睨み付けてきた。
ドラフもこういう時はあたしと気が合うようで、憮然として答える。
「今ここに冒険者が来る理由が、そういくつもあるのか?」
すると、男はやにわに顔を輝かせて、
「それでは、化け物を退治したのか?」
と驚いたような嬉しそうな声を上げた。現金なヤツ。
あたしはそういう態度に腹が立ったけれど、エルメスは特に気にした様子もなく化け物の死体を渡した。
男は「おお、こんなヤツが……」と一人で感心したように呟いてから、化け物を引きずって奥に入っていった。
あたしたちは入り口まではその後に続き、それからドアを開ける。一段高くなった玄関と、敷き詰められた絨毯。壁には大きな絵がかかっていて、天井も高く、本当に豪華な家だ。
しばらく待つと、奥から一人の女の子がやってきた。歳はリウスと同じくらいか。メイドにしてはいい服を着てるし、この家の娘だろう。顔立ちは幼いけど瞳には知性の光があり、なかなかしっかりした子のようだ。
後ろでドラフが、「なかなか可愛い子だな」と囁いていた。聞き手の少年も満足そうに頷いている。
「いらっしゃいませ。この家のポミア・レフリトです。奥へどうぞ」
丁寧に挨拶をして、ポミアはあたしたちを客間に通してくれた。
「夜遅くにすいません」
隣を歩くエルメスがそう言うと、ポミアは大きく首を振ってから、尊敬する眼差しで少女を見上げた。
「とんでもありません。町を助けてくださったんですから!」
客間には大きなテーブルとふかふかの椅子があり、あたしたちは思い思いに腰かけた。ポミアは一度下がってからすぐに戻ってきて、テーブルの上に何やら皿を置いた。
「もうじき父と母が来ますから、それまでクッキーでも食べていてください。あ、お口に合わないかも知れませんが……」
恥ずかしそうにそう言いながら、ポミアは紅茶を注いだ。見ると、なかなか美味しそうなクッキーが皿に山盛りになっている。でも、形は不揃いだし、見るからに売り物ではなさそうだった。
「これはあなたが作ったの?」
あたしが一つつまんでそう聞くと、ポミアは嬉しそうに頷いた。
「はい。食後にと思って……。町の事件のせいだと思うんですが、最近父も母も元気がなくて。少しでも元気になってくれないかと……」
そこまで話してから、ポミアははっと顔を上げて慌てた様子で手を振った。
「あ、ごめんなさい。わたしったら、お客様に……」
「いいのよ、そんなこと。ポミアは優しいのね」
エルメスが穏やかに笑うと、ポミアは「いえ……」と頬を赤らめた。
ドラフとリウスは、「いい子だ」と満足そうに頷き合っている。確かに、顔も可愛いし、仕種もわざとらしくないし、あたしから見てもポミアはなかなか好感の持てる女の子だった。
口に入れてみたクッキーはほのかに甘くて、なかなか美味しかった。エルメスじゃないけど、お腹が空いていたからがつがつ食べていると、やがて一人の男が婦人を伴って入ってきた。男は顔が蒼白で、頬がこけ、病気かと思うくらい痩せていた。
「初めまして、アルース・レフリトです。こっちは妻のメッシャです」
男がそう名乗ると、エルメスが立ち上がって丁寧にお辞儀をした。
「初めまして。エルメス・フィレンです」
あたしは名乗るべきかわからず、ちらりとドラフを見たけど、ドラフは初めから名乗る気などないようで、ただ神妙そうな顔でエルメスの後ろに立っていた。
ドラフよりはだいぶ人間の作法に慣れている少年も軽く会釈をしただけだったので、あたしも同じようにして椅子に座り直した。
「それで、化け物を退治してくれたということだが……」
そう切り出したアルースは、どこか落ち着かない様子でせわしなく指を動かしていた。あたしたちが化け物の死体を持ってきたことは聞いているだろうから、もっと嬉しそうにしても良さそうなのに。
あたしは首を傾げてちらっとエルメスを見た。
少女は一体何を考えているのか、いつもの穏やかな表情のまま答えた。
「ええ、迎えてくださった男の人にお渡ししました。人の形をした真っ黒なヤツで、人に化ける能力があったみたいです。ご存知ないですか?」
正体を知りたいらしくエルメスがそう言うと、アルースは二、三度頷いてから、
「ダブラブルグですな」
と正体を言い当てて見せた。
「よく知ってますね。どんなヤツですか?」
あたしが感心して聞くと、アルースは「色々調べましたから」と俯きがちに前置きしてから、そいつはレッサー・デーモンの一種で、一目見た相手の容姿をコピーする能力があると語った。なるほど、世の中には色んな化け物がいるのね。
あたしが一人で頷いていると、アルースはそれ以上その話をしたくなかったのか、すぐに別の話を始めた。
「それで、どうでしたか?」
「どう、とは?」
ドラフが思わず聞き返すと、アルースは慌てて言い繕った。
「いえ、今まで幾グループもの冒険者が返り討ちにあってますから……大丈夫でしたか?」
アルースが心配そうな目を向けてきて、エルメスが安心させるように笑った。
「ええ。別に、それほど強い敵ではありませんでしたから」
もしそれをあたしが言っていたら、きっと横暴に聞こえただろう。でも、エルメスが言うと柔らかく聞こえるから不思議だ。人間とかエルフとか以前に、そういうところは学ぶべきかも知れない。
アルースは頼もしそうにエルメスを見てから、満足そうに数回頷いた。
「それは頼もしいですな。一応確認だけは取らせていただきたいので、今晩はうちに泊まっていってください。よろしいですか?」
確認って言うのは、本当にもう事件が起こらないかという確認らしい。大金を払う以上、それが確実にならないと依頼達成にはならないそうだ。
どうやって確認するのかドラフが疑問を口にすると、アルースは、
「頻繁に起こってましたから、今晩一晩何も起きなければもう大丈夫でしょう」
と笑って答えた。エルメスが驚くほどの大金を払うという割には、確認方法が曖昧な気がする。
あたしは首をひねったけど、エルメスはそうは思わなかったのか、「わかりました」と頷いて微笑んだ。
「ところで、飯か何か出ないか?」
唐突にドラフがそんなことを言い出して、あたしは恥ずかしくなった。
「ドラフ!」
すぐにたしなめたけど、ドラフはあたしよりもご飯の方が大事だったようで、期待の眼差しをアルースに向けたまま表情を変えなかった。まったく、恥ずかしい。
けれど、アルースは特に気を悪くすることなく、
「それでは、ポミアに用意させましょう」
と言って、メッシャを連れて部屋を出て行った。
あたしはすぐにドラフを怒鳴りつけてやろうかと思ったけれど、それよりも先にエルメスが、
「ご飯にありつけてよかった」
と笑って言って、あたしは閉口してしまった。
人間は、欲のためならば多少の卑しさを厭わないのかしら。
あたしは高貴なエルフの一族として、ご飯を喜んでいる三人を見て溜め息をついた。
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