「彼らの卵をどうしたの？」
感情を押し殺してあたしが聞くと、アルースはちらりとポミアを見てから、
「何のことだ？」
と白々しく聞き返してきた。あたしは頭に血が上って怒鳴りそうになったけど、それをドラフのあまりにも冷酷な瞳がやめさせた。
「もう行こう、ホルウェン」
ドラフは彼らに背を向け、軽くあたしの肩に手を乗せた。
あたしは思わず背筋に震えが走った。こんなに怒っているドラフを見るのは初めてだ。
アルースは苦い顔をすると、ポミアに屋敷に戻るよう言った。けれど少女は異様な雰囲気を察知して大きく首を振った。
「い、嫌です……。わたし、ここにいる」
「ポミア！」
アルースが反抗した娘に怒鳴り付けると、エルメスが静かに言い放った。
「ポミアもこの家の人間です。娘さんを大切にする気持ちはわかるけれど、何も聞かせないのはどうかと思いますが」
エルメスはまだ話し合う気だ。その目的はわからなかったけど、あたしは黙ってリーダーの背中を見つめていた。これからしばらく一緒に旅するこの少女のことを、もっとよく知りたかった。
アルースは頭がおかしくなったのか、とうとう八つ当たりするように怒鳴り始めた。
「娘を想う気持ちがわかるというのなら、私たちのした行動はわかってはくれないのかね！」
「娘のためなら、町の人は犠牲になってもいいっていうのか？ こいつらだって、こっちからちょっかいかけなければ、何もしなかっただろうに」
憮然とした顔でドラフが口を挟んだ。怒りとか呆れとか、あきらめとか虚しさとか、おおよそすべての悪い感情を包括したような顔で、ドラフはアルースを睨みつける。
「じゃあむざむざと殺されるのを待てと言うのか！？ デュラハンが現れて、何もせずにいろと言うのか！？」
アルースは両手を広げて声を荒げた。取り乱す父親に、ポミアはすっかり怯えて震えている。夫人も肩を落として涙を零していた。
もちろん、そんなポミアをもってしてもあたしの怒りは収まらなかった。
「あたしたちはそんなこと、言ってない！ 方法の話をしてるのよ！ デュラハンから娘を守るために、あんたは何人の人を犠牲にしたのよ！」
「じゃあどうしろと言うんだ！」
アルースの悲鳴が轟く。ポミアは「お父さん！」と叫んでその腕にすがりつき、涙でぐしゃぐしゃになった顔を服の袖に押し付けた。
頭を抱えて何やらわけのわからないことを叫び続けるアルースと、ただひたすら泣き続ける妻と娘。
静かに、リウスが口を開いた。
「もう行きましょう。僕たちがここにいる理由はなくなった……」
踵を返して、ゆっくりと歩き始める。
「正義を取り違えた人たちにかける情けはないわ」
あたしもアルースに一瞥投げ付けると、その後に続いた。
風のない不気味な夜だった。薄い雲が星を覆い、真っ赤な月だけがぼんやりと浮かんでいる。
デュラハンは今夜来る。あたしはそう確信したけど、もうどうでもいいことだった。願わくば、殺されるのがポミアではなく、アルースであることを……。
「待って」
エルメスが鋭く言葉を切って、リウスが足を止めて音もなく振り返った。
「それでも、ポミアに罪はないわ」
エルメスの言葉に、驚いたようにポミアが顔を上げ、リウスは細い目でエルメスを見据えた。
「それでは、ポミアのためにここに残って戦うのですか？ これだけ汚い人間の心を見て、何故そんなことが言えるのですか？」
僕には無理です、とリウスは言わないけれど、あたしには無理だ。もうこの人たちを守るために命を懸けて戦うことなんてできない。
「汚い……かもしれない。でも、この人たちの娘を想う気持ちは本物でしょう。それにこの人たちだって、デュラハンに睨まれるまではきっと真面目に生きていたはず」
「彼らは、デュラハンが自分たちにしたことと同じことを、ダブラブルグにした。自分がされたなら、その辛さはわかるはずなのに」
リウスの言葉が、あたしには不思議に聞こえた。あたしは彼らが約束を破ったことと、他の人間を犠牲にしたことが許せない。けどリウスは、ダブラブルグに同情しているように思える。人間もデュラハンもダブラブルグも、みんな平等であるかのように。
エルメスが発言を求める眼差しをあたしたちに向けた。
ドラフは沈黙を守り、エルメスの結論を待つように腕を組んだ。ドラフはあたしの家で育った人間だけど、今このパーティーの中ではエルメスをリーダーとして認めているのだ。
「あたしは、この人たちのためには戦えない」
あたしははっきりと宣言し、一歩リウスの側に寄った。
「そう……」
エルメスは悲しそうに瞳を落としたけれど、すぐに顔を上げて、力強く言葉を吐いた。
「でもね、突然平穏な生活が乱されて、冷静に対処できるって言うの？ 自分たちの死が宣告されて、それでも他人のことを思って、その理不尽な死を受け入れられるの？ そんな聖人君子みたいな考えは自然じゃない。生にすがりついて、必死にもがく方がより自然な人間だって思わない？」
エルメスの声が余韻を残してなくなると、後には静寂がわだかまった。リウスは無表情でエルメスを見つめ、エルメスは唇をかみ締めてリウスを見据えている。
やがて、ふっと視線を逸らせてリウスがポミアを見た。
「ポミア、君の意見は？」
突然話しかけられて、ポミアはあからさまに動揺したように身をすくめた。アルースとメッシャは娘のために何か言おうとしたけど、リウスの威圧感に負けて口を噤んだ。
ポミアはようやく状況を把握し、恐らく混乱する頭で、ただ一つだけ込み上げてくる感情をぶつけるように叫んだ。
「わたしは、死にたくないです！ 殺されるようなことしてないし……どうして殺されなくてはいけないの……？」
それだけ言うと、ポミアは自分が死ぬかもしれないという現実が突然はっきりわかったように、両手で顔を覆って泣き出した。
リウスは次にアルースを見た。
「あなたは……もし僕たちが今ここを去ったらどうしますか？」
「もちろん、娘を守る。例えどんな手段を使っても！」
アルースは声高らかに宣言した。
けれど、あたしにはそれがどうしても素晴らしい発言には思えなかった。
じゃあ、アルースは娘のために自らの身を捧げることができるのだろうか。デュラハンは誰か一人を殺せばそれで満足する。アルースは進んで自らの命をデュラハンに捧げられるか。
きっと、できない。この男は、いざとなれば娘を差し出して逃げるだろう。娘は大事だけど、それは自分の次の話でしかない。
リウスも同じように思ったのか、ひどく冷めた眼差しのまま言葉を続けた。
「では、もしも僕たちがデュラハンを倒したら、あなた方はどうされますか？ 犠牲になった人々のために、何をしますか？」
「何って……」
そんなことはまるで考えたことがなかったように、アルースは言葉を切って眉を上げた。そしてすぐに苦い顔になると、リウスから視線を逸らせた。
「真実を言えば叩かれるだろう。町の事件は君たちが解決した。それで十分じゃないのか？ 報酬は支払う」
あたしは溜め息をついた。リウスも目を閉じて「やはりか」と言わんばかりに重苦しい息を吐いたが、反論の声は意外なところから上がった。
「それじゃあ、いけないわ！」
高い少女の声はエルメスじゃない。アルースは突然娘に反発されて、驚いて顔を上げた。
ポミアは胸の前で拳を握り、涙を振りまきながら首を振った。
「わたし、知らなかった。わたしや、お父さんやお母さんのために、こんなことになってたなんて……。わたしたちはちゃんと話して、謝らなくちゃいけないわ！ わたしは卑怯者にはなりたくない！」
「ポミア……」
あからさまに狼狽した表情でアルースが娘を見た。
エルメスはそんなポミアの言葉に満足げに頷くと、改めてあたちたちを見回した。
「無理に残ってとは言わないわ。もし納得いかないなら、今の内に逃げてください。リウス、あなたもです」
わずかの迷いもなくそう言い放つと、エルメスは抜き身の剣を一度振り抜き、掲げた刀身を見つめた。
あたしはまだ迷っていた。けれど、次のドラフの一言に決意した。
「俺も戦おう。中にはどうにもならんヤツもいるみたいだが、ポミアは守る価値のある子だ」
エルメスとはまだ出会ってから日が浅いけど、ドラフは違う。一緒に幼少時代を過ごして、苦楽をともにしてきた仲間だ。そのドラフが残るなら、あたしも残らないわけにはいかない。
「ドラフが残るなら、あたしも戦うわ。エルメス、これはあなたの信念のためよ。あれを守るためじゃない」
アルースを睨み付けてから、あたしは杖を握り直した。
その時、遠くからカシャンカシャンと金属のこすれ合う音が聞こえてきた。規則正しく鳴り響くそれは次第に音を強め、あたしたちの中に緊張が走る。
あたしはエルメスが投げてよこした魔晶石を受け取ると、それで二人にエンチャント・ウェポンとプロテクションをかけた。
「リウスは……？」
エルメスは真っ直ぐ音のする方を見据えたまま聞いた。
リウスは小さく笑いながら笛を抜くと、そっとそれに唇を当てた。
「加担しましょう。僕は、あなたの答えを見届けたい」
色濃く漂う闇の中から、ゆっくりとそれは姿を現した。
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