あたしよりも大きな首のない2頭の馬。そしてその馬の引く戦車は物々しく鈍色に光り、4つの車輪はそれだけで凶器になるほど鋭く回転している。
そしてそれに乗る甲冑の戦士の威圧感と言ったら、あたしがこれまでの人生で見てきたありとあらゆる恐怖を足し合わせても足りないくらいだった。
そんな時、リウスの笛の音が響き渡った。それは激しくあたしを鼓舞し、勇気が漲ってくる。
背水の陣という言葉が人間の世界にはあるらしいけど、まさにそれだった。魔晶石を握りしめて放った石のつぶてが一頭の馬を打つ。馬は首がないから声は上げなかったけれど、あからさまにダメージを受けたようだった。全身から真っ赤な血が迸る。
「せあぁぁぁっ!」
気を吐くように声を上げて、エルメスが魔法の光を帯びた剣で、その馬にとどめを差しに行った。馬はあたしの魔法のせいでか、その攻撃を回避する余裕などなく、まともに受けて地面に崩れ落ちた。
これは勝てるかもしれない!
あたしの中に希望が湧いた。
だけど、馬など初めから問題じゃなかったのだ。
エルメスに続いてデュラハンに斬りかかっていったドラフの剣はかすることすらなく、逆にデュラハンの切っ先がドラフの肩を切り裂いた。
「ドラフ!」
エルメスが馬の攻撃をたくみに躱しながら悲鳴を上げる。
「大丈夫! こんなのはかすり傷だ!」
あたしは強気に笑うドラフに援護射撃を放った。この一撃で魔晶石は砕け散ったけど、勢いのある石つぶてがデュラハンを襲う。
「お願い、効いて!」
あたしの願いは届いたのかどうかわからない。少なくともデュラハンに動じた様子はまるでなかった。
再び振り下ろされたデュラハンの剣を、今度は辛くも躱したけれど、ドラフの剣はまるでデュラハンに届かない。戦車が攻撃の邪魔になっているのは明白だけど、あれを戦車から引きずり降ろすことは、剣をかすらせるより難しく思えた。
あたしは自分の精神力を使って石つぶてを放つ。でも、これがもう限界だった。
石つぶては正確にデュラハンを打ったけど、もちろんそれで倒れてくれたりはしない。
わずかに相手がバランスを崩した隙を突いてドラフが剣を振り下ろす。デュラハンはそれを素早く躱して、逆に体勢を立て直せないドラフを斬り付けた。
スパッとドラフの背中から血がしぶきあがる。
「ドラフ!」
叫ぶエルメス。そこに隙が生じたのだ。血まみれになった馬がエルメスを蹴り飛ばし、エルメスは地面に叩き付けられた。
「きゃあ!」
エルメスは額に汗を浮かべて悲痛な呻き声を漏らしたけど、見た目よりはダメージが少ないみたい。素早く立ち上がると、ドラフと交替するようにデュラハンに斬りかかっていった。
あたしは最後の力を振り絞って魔法を込める。もう火矢一発放つほどしか余力がなかったけれど、余力がある内は戦わなくては。
「お願いだから効いて!」
あたしの最後の一撃は、しかしデュラハンにはまったく効いた様子はなかった。
あたしは急に全身の力が抜けて地面に崩れた。うっすらと目を開けると、火矢を受けたデュラハンに、猛然とエルメスが斬りかかっていた。
ドラフは残った馬に剣を振り下ろしたけれど、怪我のせいかいつもより威力がない。
それでも、次の馬の前蹴りをうまく躱すと、相手の勢いを利用してドラフは剣を馬の身体にめり込ませた。声もなく馬は地面に崩れ落ちて、完全に動きを止めた。
ドラフはほんの数秒肩で息をし、呼吸を整えてから、すぐにデュラハンを睨み付けた。戦車の上ではエルメスが鬼のような形相で剣を振るっている。
エルメス自身はあまり怪我はしてないようだ。もっとも、デュラハンは何度もエルメスの剣を受けながらも、ほとんど効いていないように思える。
「行くぞ、エルメス!」
ドラフが自分を鼓舞して戦車に足をかけた。エルメスは一歩身体を引き、そこにドラフが突撃をかける。
エルメスは一旦剣を振る腕を止めて、代わりに魔法を放った。眩しいほどに輝く聖なる白い光。ホーリー・ライトだ。
けれど、デュラハンはドラフの攻撃も躱し、魔法の力にもびくともしなかった。
「ば、化け物め……」
汗を拭って呻くドラフの横をすり抜け、デュラハンの切っ先がエルメスを襲った。それは正確にエルメスの肩から胸を裂き、エルメスは悲鳴を上げて戦車から落ちた。
鎧の隙間から真っ赤な血が滴り落ちる。あたしは思わず蒼ざめ、唇を震わせたが、エルメスは気丈にも立ち上がると剣を握り直した。大丈夫みたい。
けれど、心配すべきはエルメスの方じゃなかった。
「エルメス!」
不安げに振り返ったそこに生じた隙を、デュラハンは正確についた。
ゆっくりと流れる光景。デュラハンの剣の切っ先がドラフの腹部を貫いて、ドラフは口から血を迸らせながら地面に崩れ落ちた。
「ドラフ!」
あたしは震える身体を起こして絶叫した。けれど、外傷こそなくてももはや立てる精神力はなく、あたしはまた膝をついた。
ドラフはゆっくりと起き上がり、そんなあたしを安心させるように一度ニッと笑った。
「大丈夫だ、ホルウェン……」
強がっているのは明白だった。それでもドラフはデュラハンに斬りかかる。もちろん、そんな攻撃が当たるはずもなく、むしろデュラハンの攻撃がドラフをかすめて、また新しい傷が刻み込まれた。
「もうやめて!」
あたしは叫びながらエルメスの姿を探した。あの少女はどうしてしまったのだろう。そう思って見ると、エルメスは魔法で自分の傷を治していた。
あたしはなんだか無性に腹が立った。ドラフは瀕死の重傷を負っているというのに、エルメスはどうしてドラフを治そうとしないのか。
けれど、それはエルメスが薄情なのでもなんでもなかった。今のドラフの攻撃が当たらないのと同じで、深手を負った状態で攻撃しても意味がないと思ったのだ。
「ドラフ、どいて!」
エルメスは剣を握り直すと、戦車目がけて駆け出した。
ドラフは避けようとして、そのまま力なく崩れ落ちる。もう意識はないようだった。
これが最後の攻撃になる。もし決まらなければ、もうあたしたちにはデュラハンを倒す術はない。
あたしは願った。エルフのあたしには信仰なんてものはなかったけれど、もしも人に実力以上の力を呼び覚ませる力を持つ何かがあるのなら、どうか今エルメスに微笑んで欲しい。
もしも奇跡が存在するなら……。
「死ねぇっ! デュラハン!」
エルメスは万が一外れた後の回避のことなど考えることなく、全身のバネを使って、渾身の一撃をデュラハンの首のない身体に振り下ろした。
ガキン、と金属同士がぶつかる大きな音がしてから、何かの砕ける音が響き渡る。エルメスの剣が折れたんじゃない。エルメスの剣はデュラハンの甲冑を割り、胸の辺りまで食い込んで止まっていた。
エルメスは自分の勢いを止めることができずに、剣を手放してそのまま戦車から転がり落ちた。そして苦しそうに胸を上下させ、だらりと大地に投げ出した腕を持ち上げると、額に煌く汗を拭う。
まったくの無防備だったけど、もしデュラハンが死んでいなくても、エルメスやドラフが殺されることはない。それだけが、あたしのせめてもの慰めだった。
不意にリウスの笛の音が止まり、沈黙が横たわる。
あたしは身体を引きずってドラフの許まで歩き、彼の身体を抱きしめながら戦車の方を見た。
デュラハンはまだ先程と同じ格好のまま、まるで時が止まったように硬直していた。
けれど、やがてゆっくりと斜めに傾き、鈍い金属音を立てて戦車の中に崩れ落ちた。
「勝った……」
かすれた声で、あたしは呟いた。
それが、この静まり返ったレフリト邸の庭にした、たった一つの音だった。
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