ポミアが出してくれた紅茶を飲みながら待っていると、やがて夫婦が小さな箱を持って入ってきて椅子に座った。ポミアはいない。
「昨夜はあれから何も起きませんでした。あなた方のおかげです」
「当然だな」
偉そうにドラフが胸を張った。倒したのはエルメスとあたしの魔法で、自分は斬られてばかりだったくせに生意気ね。
あたしは椅子の下からドラフの足を蹴ってやった。もちろん、そんな攻撃が効くはずもないけれど。
「これが報酬になります」
そう言って開けられた箱には、金貨がぎっしりと詰まっていた。お金の価値がわからないあたしも、思わず「おー」と声を上げた。
エルメスも顔を輝かせたけれど、リウスは顔色一つ変えなかった。確かに、お金に感動するのはちょっとみっともない。
エルメスは何も言わずにそれを四等分すると、自分の分を袋にしまった。
あたしはお金を入れるようなものを持っていなかったので、数枚ポケットに入れると、残りをドラフに渡した。
「それでは、私たちはこれで失礼します」
そう言って立ち上がりかけたエルメスを、アルースが血相を変えて呼び止め、何やら尋常ならざる様子で話し始めた。
「待ってください。あの、あなた方にお願いしたいことがあるのですが……」
「お願い?」
あたしが首を傾げると、エルメスは一度リウスを見てから椅子に座り直した。少年はじっと目を閉じたまま、無表情で座っている。
アルースは安堵の息を吐くと、神妙な面持ちで話し始めた。
「実は今からちょうど1年前、うちの庭に甲冑をまとった、首のない地獄の使者のような者が現れました」
ドラフは首を傾げたけれど、エルメスは表情を険しくして、かすれた声で呟いた。
「デュラハン……」
「そうです」
アルースはこくりと頷いてから、震える手で紅茶を取った。しかしそれには口を付けずに、もう一度真っ直ぐエルメスを見て言葉を続ける。
「それで、先程申しました通り、そろそろ1年になります。けれど、冒険者たちはデュラハンの名前を聞いて逃げ出す者ばかり。どうか、あなた方で私たちを、ポミアを守ってはいただけませんか?」
「どうかお願いします!」
メッシャもまるで神にでもすがるように頭を下げてきた。
そうまで言われたら、エルフのあたしでも人情というものに駆り立てられる。
「ポミアは、守りたいわ」
静かにそう言うと、ドラフも同意のほどを示し、エルメスも小さく頷いた。
「そうですね、わかりました。では報酬は……」
話し始めた瞬間、リウスが鋭い口調でエルメスの言葉を遮った。
「エルメス」
「え?」
エルメスが怪訝そうに少年を見て、アルースとメッシャは表情を綻ばせたのも束の間、また怯えたような顔になってリウスを見た。
リウスは夫婦には目もくれずに、睨み付けるような鋭い目で真っ直ぐエルメスを見据えた。
「僕たちは本来、冒険者ではありません。ザインへ行くだけの十分なお金を手に入れた今、もうこの町にいる必要はないでしょう」
その言葉に誰より驚いたのはエルメスのようだった。
「リウス!」
悲鳴のように少年の名を叫び、それから悲しそうな目をして、震える声で言った。
「でも、困っている人がいるのに、それを放っておくことはできません」
「世の中には、困っている人はいくらでもいます。エルメスはそれを一人一人助けて回るのですか?」
リウスはあくまで譲らない。
あたしには、どっちが正しいのかわからなかった。とても口出しできる状況じゃなかったから、あたしはオロオロしながら二人を交互に見比べる。夫婦も同じだった。
「それは無理だと思います。でも、現実にそれを知ってしまって、しかも私たちに協力を求めている人くらい、助けてあげたい思わない?」
「必要以上に他人のために自らの身を危険にさらすのは賢明ではありません」
威厳ある声で言って、エルメスは怯えたように顔をしかめた。
「なあ、デュラハンってのは強いのか?」
無知な男があたしに耳打ちをしてきて、あたしは静かに頷いた。
「強いって聞くわ。あのダブラ何とかの比じゃないくらい」
「それはそれは」
ドラフはよくわからない感心の仕方をして、また椅子に座り直した。
冷静に考えると、今回はリウスの意見に賛成ね。確かにエルメスの言い分もわかるし、ポミアは本当にいい子だと思う。でも、デュラハンを相手にするには動機として弱い。
「勝てるかも知れません。けれど、人情だけで五分五分の戦いに挑むのは賢明じゃない。ましてやそれが、避けられる戦いならなおさらです」
とどめを刺すようにリウスが言って、エルメスはすがるようにあたしたちを見た。
あたしはリウスに同意するように小さく首を横に振ると、後はエルメスの顔も夫婦の姿も見ないように俯いた。居心地が悪い。
「俺はホルウェンを守るのが最優先だからな」
あたしの頭上で淡々とそう言うドラフの声が聞こえた。感情がこもってないのはあたしと同じ気持ちだからだ。
優しくて、本当にポミアを助けたいと思っているからこそ、冷たく言うしかないのだ。
エルメスは泣きそうな声で夫婦に尋ねた。
「他に宛ては……ないのですか?」
「ありません。お願いです! 私たちを、娘を助けて下さい!」
アルースは狂ったように叫び、身を乗り出して額をテーブルにこすりつけた。もう見ていられない。
エルメスはそんなアルースをじっと見つめたまま、静かに、それでもはっきりと宣言した。
「私は……この依頼を受けたいです」
「どうしてもですか?」
冷淡に、リウスが聞き返す。ちらりと横目に見ると、あくまで無表情で、眼差しはエルメスの次の発言を期待しているようだった。
けれど、その期待はエルメスが依頼を受けることに対するものじゃない。ただ単に、少女がどう言うか、それだけだ。リウスは初めから自分の命とポミアを天秤にかけている。
エルメスは力強く頷いた。
「どうしてもです。私たちには戦う力があります。絶望的な話じゃありません。頼られているなら、戦うべきです」
「そういった正義を掲げて死んでいった冒険者はたくさんいます」
「しかし、そのすべてが無駄になったとは思えません。どこかで誰かが命をかけて戦い続けたその歴史が、今の私たちを生んだのです」
エルメスは不器用なんだ。あたしは思った。
エルメスの言っていることは奇麗事だ。現実的に考えたら、リウスの方が正しくて、大金を手にした今、あたしたちはさっさとザインに向かうべきだ。
どれだけポミアがいい人で、可愛くても、やっぱり他人だ。赤の他人のために、五分五分の戦いに挑むのは無謀すぎる。
「リウス。あなたの言っていることは確かに正しい。でも、時には命をかけて戦うことも知らないと、いつか、本当に守るべき人を守る時に、何もできないかも知れませんよ」
それでも、あたしはエルメスの言うことの方が好きだ。ただ現実だけを見て感情を排除してしまったら、その時点で人として生きる意味がなくなる。
リウスは静かに目を閉じてから、やっぱり無感情な声で言った。
「わかりました。今回はあなたの正義に加担します。けれど、本当に危険な時は、この家も、ポミアも捨てて逃げること。あなたを助けるためなら、僕はその労力は惜しまない。いいですね?」
エルメスの顔がぱっと晴れ渡った。
「わかったわ。ありがとう、リウス」
それからエルメスはあたしたちを見たけれど、もちろん反対はしない。
あたしは大きく頷きながら、胸のつかえが取れたような気がした。きっと、あたしも戦う理由が欲しかったんだ。
「本当にありがとうございます!」
涙を流しながら喜ぶ夫婦を見て、あたしは一つ冒険者の存在意義を知った。
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