町のメインストリートの木々は、まだ両手を広げて緑の葉を茂らせているが、もう後ひと月もしない内にそれらもすべて地に落ちて、この通り一帯を落ち葉で埋もれさすだろう。
早秋の夕暮れ。
もう随分西に傾き、空を紅に染める大きな夕日が、背の高い家々の影を大地に長く伸ばしている。
夜の早い家ではすでに夕食を摂っているらしく、窓から明かりと一緒に一家の笑い声が洩れている。
もっとも、そんな家は稀で、町自体はまだ活気に溢れている。
特にここ、夕方の市の立ち並ぶミシュラン通りでは、一日の内でこの時間が最も賑わうといっていい。
西日の射す通りには、この日もいつもと違わず、野菜、果物、魚介類などを扱う市が密集して立ち並び、威勢のよい喧騒に包まれていた。
「いらっしゃいいらっしゃい! あっ、デュルスの奥さん、今日もうちに来てくれたんだね? 嬉しいな。今日は何に? 人参と玉ねぎ、ジャガイモ? へぇ。メッツァ君がシチューを作れって? この時間からじゃ、大変ね。早く帰って作んないと。おっ、パルツさんとこのバカ息子。今日もまた大根一本の冷やかしかい。にしても、あんたよくもまあ、毎日毎日大根ばっか食べれるわねぇ。えっ? 好物? 大根が? 変わった子。ほら、じゃあ今日は一本おまけに付けてあげるから、家帰ってシャクシャク食べなさい。じゃあね。あっ、ウェムリンの女将さん、こんばんわぁ……」
市の端の方で、飛び抜けて明るい笑顔で愛想を振りまきながら、シャナリンはてきぱきと客の応対をしていた。
「はいはい。じゃあ100クワンツのお預かり。リュース、37クワンツのお返しね」
言われてリュースロットが素早くシャナリンの後ろ手に硬貨を握らせると、次の瞬間には、シャナリンはすでに他の客の対応をしていた。
「どうも、オッペルさん。いつもありがとう。今日はキャベツ半玉ね。リュース、12クワンツ。じゃあオッペルさん、またよろしくね。あっ、セウリナさん。息子の風邪は治りました? えっ? 治ったって? そりゃ良かった。じゃあ今日は快気祝いにサービスするから、栄養のあるもん、たっぷり作ってあげてね」
まったく途切れのない客を、二人は絶妙のコンビネーションで回している。今日もいつも通りの賑わいだ。
シャナリンとリュースロットの営むこの八百屋は、小さいながらも、ここミシュラン通りでは有名であった。20歳にも満たない二人の若さと、シャナリンの晴れ晴れとした笑顔とはきはきした言い回しが人気を呼んで、まだ始めて1年も経たないが、すでに幅広い年齢層の支持を得ていた。
「……じゃあ、13クワンツのお返しね。どうもありがとう」
およそ30分ほどの怒濤のような客の波が引き、最後の客に釣りの硬貨を握らせた後、シャナリンは大きく一つ息を吐いた。
「ふぅ……」
「お疲れ、シャナリン」
「あっ、ありがとう。リュース」
リュースロットの出した椅子にどっかりと腰を下ろして、シャナリンは店の外に目をやった。
目の前の店もその他の店も、自分たちのところと同様、だいぶ客が引いたようである。早いところではすでに片付け始めているところもある。
「お疲れさん」
そう言いながら、そっとリュースロットがシャナリンの肩を揉むと、シャナリンは気持ちよさそうに斜めに首を傾けた。
「今日も繁盛してよかったね」
「ああ。シャナリンのおかげだ」
「まったまたリュースったら」
「本当だよ」
ポンとリュースはシャナリンの肩に手を置いて、彼女と同じように外に目を遣った。
「俺はこんな性格だから、客の対応には向いてない。シャナリンがいなかったら、こんなに繁盛しなかったどころか、八百屋なんて出来なかったと思う」
「でも、元々八百屋をしようって言ったのは私の方だから、それっておかしいよ」
「それもそうだが……」
それから二人は小さく笑った。
「あれ? 風が止んだみたい」
不意に笑うのをやめて、シャナリンが店の外を指差した。
「本当だ……」
シャナリンの細い指を追ってリュースロットが外の木々に目を向けると、先程まで冷たい風に揺られて音を立てていた枝葉がピタリとその動きを止めて、しんと静まり返っていた。
外はすでに日が沈んで薄暗い。
「なんだか不気味ね……」
「ああ……」
シャナリンの方を見ずに神妙にリュースロットが頷くと、一陣の小さな風が砂埃を捲いて吹き抜けていった。
「…………」
しばらく二人は動けなかった。
他の店はすでにそのほとんどが店をたたみ、片付けに追われている。もう道に客の姿はない。
「……私たちも、そろそろたたもう……」
シャナリンが小さくそう呟いたとき、
「ああ、良かった」
突然、脳天気に明るい声で店先に誰かが立った。
「リュースんとこならまだやってると思ったぜ」
「ああ、クルーザか。今日はえらく遅かったな。もう来ないかと思ったぜ」
「いやな。今日は面白い噂を聞いたもんだから……」
明るく話しながら、クルーザはかごの中に適当に野菜をとってシャナリンに渡した。
「ありがとう。23クワンツね。で、噂って?」
「ああ。それがよぅ。ほれ、金」
「うん」
お金と引き替えに野菜を手渡し、二人は興味津々にクルーザの方に目を遣った。
クルーザは受け取った野菜の方には見向きもせずに、実に楽しそうに話し始めた。
「ちょっと前の話になるんだが、フォーネスの野郎が、また何かやり始めたらしい」
「へぇ」
それを聞いてシャナリンも少しだけ笑みを零す。だが、リュースロットは厳しい表情を崩さなかった。
フォーネスとは隣町キルケスの大盗賊で、事実上の町の支配者でもある。噂話など、自分に関係さえなければ大きければ大きいほど面白いもので、そのフォーネスが動いたとあらば、そこそこ面白い話が聞けるだろうとシャナリンは思ったのだ。
けれどそれは、シャナリンが思っていたようなものではなかった。
「実は今、フォーネスが部下を30人も連れて出かけているらしい。さて、どこにだと思う?」
「う〜ん。あの忌々しいソリヴァチェフ王国を叩き潰しに行ったとか」
「いや、違う。どうやら向かった先は北。リナスウェルナだ」
リナスウェルナ。その言葉にリュースロットの顔が一瞬、恐ろしいまでに険しくなったが、二人はそれに気付かなかった。
「リナスウェルナ? どこ? それ」
シャナリンが首を傾げてクルーザに聞いた。面白い話を期待していたシャナリンは、蓋を開けてみたら実は聞いたこともない場所に向かっただけというオチに、露骨に残念そうな顔をした。
クルーザも思わぬシャナリンの反応に残念そうだった。
「なんだ、知らないのか。リナスウェルナは風の郷。すべての風の集まる地。そんなことを言って、得意げに話していたガキが昔いたろう」
「あっ、ああ。5年くらい前ね。知ってる知ってる」
シャナリンは思い出して頷いた。
「確か、結局誰にも相手にされずにそのままいなくなっちゃった男の子。でもあんな話、どうせ嘘なんでしょ?」
「そうだ。今までは嘘だった。だが、あのフォーネスが動いたんだ。こりゃ、ひょっとするとひょっとするぜ」
いきなり声をひそめるクルーザが可笑しくて、シャナリンは微笑んだ。
「あはは。じゃあこれから何か起こるのかな?」
「案外、ソリヴァチェフを侵攻するより面白いことが起こるかもしれねぇぜ」
そんなことを話しながら、二人は楽しげに笑った。
まさか自分たちが、この一件に最悪の形で巻き込まれることなど知る由もなく。
ただリュースロットだけが、厳しい顔をしたまま、遠いキルケスの空を睨みつけるようにして立っていた。
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