いくら防寒性に優れた風の衣といえどもやはり寒く、エルフィレムは両腕で自分の身体を抱かえ込むと、小刻みに身を震わせた。
「寒い……」
道は森を抜け、両側の草花をかき分けるようにして、なだらかな下り勾配の坂を真っ直ぐ先に続いている。星明かりに目を凝らして先を辿ると、遥か眼下にいくつもの小さな灯りが点々と見えた。
「人間の街か……」
エルフィレムは呟き、コーバリスという名の街を思い出した。あの、カルレスという男とともに……。
身体に怖気が走った。
やはり人間など、存在してはいけない生き物だ。
しかし、このまま野宿するというのもなかなか辛いものがある。それに今日は風の力を使ったので少し疲れている。出来ることならベッドの上で暖をとって休みたい。
エルフィレムはしばらく腕を組んだまま、不快そうにその人間の街の灯りを見下ろしていたが、やがて、
「仕方ないか……」
ため息混じりにそう呟くと、ゆっくりとした足取りで坂を下り始めた。
セロホリヴァルという名前らしいが、エルフィレムには興味のないことだった。人間は壊滅させる。いずれは消えて、自然に帰る街だ。
今宵、自分に宿を提供した時点で、この街の存在意義は消え失せる。
道なりに街に足を踏み入れると、両側に木々の植わった通りに直結していた。看板に、ミシュラン通りと書いてある。
木々は落葉樹で今は葉を落とし、寂しげに枝を伸ばしている。
もう随分夜も遅い。家々は灯りを落として、街は暗く静まり返っている。
時折行き違う人々が怪訝そうな顔でエルフィレムの方を見ていったが、彼女はまったく気にせずに歩いていた。
(さてと……。どの家に入ろうかなぁ)
値踏みするように、一軒一軒睨め回して通りを歩く。
すでに彼女には、穏やかな手段で宿をとろうなどという気はなかった。
強引に押し入り、浄化した後、床に就く。
「よし、ここにしよう」
やがて、白を基調とした平屋建ての家の前で足を止め、エルフィレムは嬉しそうに微笑んだ。そしてにこにこと笑顔で扉に近付いていって、
バキッ!
いきなり鍵のかかった木製の扉を吹き飛ばす。
「な、何事だ!?」
そんな驚いた声とともに、奥からドタドタという足音が聞こえてきた。
現れたのは齢50ほどの男だった。彼はエルフィレムの方を見て、何かを言おうとした。
けれど、それよりも彼女の風が彼の首を落とす方が速かった。
ごとりとまず頭部が床に転がり、それから血が降り注いで最後に身体が力なく崩れ落ちた。
「はぁ……はぁ……」
エルフィレムはわずかに呼吸を乱し、肩で息をしながら、それでもまだしっかりとした足取りで奥に歩を進めた。
薄暗い通路の両側に一つずつ扉があって、その内の一方が開かれていた。先程の男が出てきた部屋だ。
中には妻と思しき者が何も知らずに眠っていたが、彼女はそのまま二度と目を覚ますことがなかった。
エルフィレムは女を殺した後部屋に入り、押し入れを物色した。押し入れには彼女の必要としないような日常品が詰まっていたが、そんな中に数枚の毛布がたたんでおいてあるのを見つけて、うちの一枚を引っぱり出した。
その拍子に押し入れから小物がバラバラと床に散乱したが、エルフィレムは構わずその毛布を両腕でギュッと抱きしめると、
「うわ〜、ふかふか。気持ちいい〜」
と、幸せそうに顔をほころばせた。
そしてその毛布を抱きしめたまま部屋を出る。さすがに血まみれで死んでいる人間と一緒に寝る気はなかった。
もう一方の部屋はいわゆるキッチンとダイニングで、食器、桶、瓶、その他食事に関しそうなものが整然と並んでいた。
エルフィレムはそれらを無関心に眺めていたが、ふと中に包丁があるのを見て手に取った。
良く研がれていて、刃が少しすり減っている。
「…………」
エルフィレムはしばらくそれを無言で眺めていたが、やがてふと思い立ったように元の位置に戻した。それから床に毛布を敷いて、もう一度部屋の中を物色し始める。
棚という棚を調べ、彼女はとうとう目当てのものを発見して、それを大事そうに懐にしまった。
鞘の着いたナイフである。
(人間は脆いから、これで十分よね。わざわざ一々風の力を使う必要はない)
彼女はそれから横になり、毛布にくるまった。
毛布はふかふかと温かく、エルフィレムはすぐに小さな寝息を立て始めた。
そして次に、耳を劈くような女の悲鳴で目を覚ますまで、そのままぐっすりと眠っていた。
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