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悲しみの風使いたち

第2部 大いなる風の力

第4話 『王位』 2

 風が、獣の鳴き声のような音を立てながら吹き抜けていった。木々の緑がそれにざわめき、池の水面が小さく波立つ。温かいが、何か肌にまとわりつくような重たい嫌な風だった。
(最近、風が病んでいる……)
 陽気のこもる城の庭園を歩きながら、リークレッドはそんなことを考えて、自嘲気味に笑みを零した。
(いや、病んでいるのはそう感じる俺の心か……)
 姉リーリスの葬儀が済んでから早1週間。民は未だに悲しみの中にあり、国中がまだ喪に服している。
 あちらこちらで、リーリスはリークレッド王子に殺されたのだという噂が立ち、リークレッド自身も自分が民にそう思われていることを知っていたが、それ自身は彼にとって何の問題でもなかった。
 いや、むしろそれは彼の予想の範囲内のことだった。たとえどんな死に方をしようが、リーリスが死ねば自分は疑われていただろう。だから、それは問題ではない。
 問題なのは、必死の捜索にも関わらず、あれからリーリスの死体はおろか、彼女の行方すらわかっていないということだった。
 万が一リーリスが生きていて、王が死に、いざ自分が王位に即位する日がやってきたとき突然リーリスが現れて、自らの王位継承権を主張する可能性は十分あり得る。いや、あれからずっと姿を現さないところを見ると、むしろその可能性の方が高い。
 もちろん、リークレッドにはそれを揉み消す自信があったが、さすがに真っ向からリーリスを叩いては、民からの信頼が完全に失われてしまう。それは、今後国を治めていく上で良いことではない。
「さてと……どうしたものかな……」
 リークレッドは溜め息まじりに独りごちた。
 あれから彼女の捜索は、彼の親衛隊によって内密に続けられているが、依然成果は上がっていない。それどころか、盗賊カザルフォートの行方も、彼の右腕であるアルハイトの行方もわかっていない。
 どうやら彼らがリーリスをどこかに連れ去ったと思われる。厄介なことだ。
 もしもリーリスが彼らに味方しようものなら、或いは脅されていても同じだが、下手をするとこの国を盗賊どもに乗っ取られる可能性まである。
 そして、本来は彼らの死体を持って帰ってくるはずであったリューイス以下、親衛隊6人の斬殺死体……。
「一体、森で何が起きたんだ……?」
 計画は完璧だったはずだ。いくらカザルフォートとはいえ、あの攻撃から逃れられるはずがない。ましてリーリスを連れてなど不可能だ。
 森で何かが起きた。自分の理解を遥かに超える何かが……。
「くそっ!」
 リークレッドは毒づき、地面を蹴った。
 その時だった。
「随分苛立ってるようね? 王子様」
 突然そんな明るい少女の声がして、リークレッドは驚いて振り返った。しかし背後に人影はなく、リークレッドは慌てて辺りを見回す。
「誰だ? どこにいる!?」
「ふふふっ」
 うろたえるリークレッドの姿が面白かったのだろう。楽しそうな少女の笑い声がして、ようやくリークレッドは声の主の居所を突き止めた。
「上か!?」
 仰ぎ見た空には、果たして一人の少女が、抜けるような青空を背景にして浮かんでいた。深緑色の髪をなびかせて可笑しそうに彼を見下ろしている。
「何者だ?」
 リークレッドは少女に見下ろされ笑われた不快感よりも、彼女がいつの間にか、何事もないように空に浮かんでいるという不思議な事実に対する興味が先に立ち、自分でも驚くほど穏やかにそう聞いた。
 少女は少し意外そうな顔をしてから、もう一度小さく笑った。
「あたしはエルフィレム。王子様、あなたの探しているものはこれかしら?」
 そう言って、エルフィレムはリークレッドの足下に何か布切れのようなものを放り投げた。リークレッドはそれを片手で拾い上げ、目の前で広げてみる。
 それは一着の服だった。所々が破れ、人間の血液と思われる液体で真っ赤に染まっていたが、間違いない。
 そして、よくよく観察してみると、それがかなり高価なものであるとわかり、リークレッドは驚いて少女を見上げた。
「まさか、これはリーリスのものか!?」
 いくら憎々しい姉のものとはいえ、城内で頻繁に目にしたものだ。見間違えるはずがない。
 エルフィレムは満足げに頷くと、ゆっくりと地面に降り立った。
「そうよ。あなたの嫌いなリーリス王女のお洋服」
「どうしてお前がこんなものを持っている? お前は一体何者だ?」
 王子の目が鋭く光った。けれどエルフィレムはそれをまったく意に介すことなく、冷たい笑顔を貼り付けたまま楽しそうに笑った。
「あたしはエルフィレムだって言ったわよ。それ以外の何でもない。その服は森の外で王女様を見かけたから、手土産にと思って持ってきたの」
 彼女の言葉に、リークレッドは訝しげに眉をひそめた。
「森の外だと? 王女は森の外にいたのか?」
「ええ。カザルなんとかって盗賊と一緒にね。まとめて殺したわ」
「殺した? お前がか?」
「そうよ」
 自信たっぷりにエルフィレムは頷いたが、その仕草があまりにも子供らしかったので、リークレッドは冷たく笑い飛ばした。
「それは面白い。お前があのカザルフォートをなぁ。悪いがこっちは、確かな証拠がなければ信じるわけにはいかない状況にある。万が一にも……」
 リーリスに生きていられると困るから。そう言おうと思ったが、リークレッドはそれ以上言葉を発することが出来なかった。
 グゥン!
 突然鋭い音を立てて、風がリークレッドの横を通りすぎた。遅れて髪の毛が数本はらりと宙に舞う。
「証拠はないわ。だって、人間って弱いんだもん。死体はもう、人の形をとどめてないから」
 エルフィレムが冷酷な口調でそう言い終えた後、背後で何かが崩れ落ちるものすごい音がして、リークレッドは首だけで後ろを振り返った。
 そこには、先程まで美しく整えられていた庭の木々や石が、ほんの一瞬の間に、まるで竜巻にでも巻き込まれたかのように倒れ、切り刻まれ、無惨な状態で重なり合っていた。
「こ、これは……」
「信じて……くれる?」
 リークレッドにはただ呆然と頷く他に術はなかった。
「わ、わかった……。信じよう」
 人智を超越した能力。森で自分の親衛隊を殺したのもこの少女だと確信したが、今はそれを尋ねる気にはならなかった。
「それで、お前は俺にどうしてほしいんだ?」
 震えながら、それが何に対してかはわからなかったが、リークレッドはそう少女に問うた。
 エルフィレムはつまらなさそうに、「別に」と短く言葉を切った後、リークレッドを見上げて小さく微笑んだ。
「ちょっとあなたに興味を持っただけ。面白そうだから」
「俺に……?」
 リークレッドはまだ目の前の少女を信用していなかったが、もし今彼女の機嫌を損ねれば、彼女が一瞬にして自分を殺すだろうことを悟っていた。
 彼女にはそれだけの力がある。
 何者かはわからないが、とりあえず今この瞬間は、彼女が自分の味方であることは間違いない。ならばいっそ、この不思議な強い能力を、自分の許に置いておくのも一つの手かも知れない。
「よし、わかった。いいだろう。ついてこい」
 内心でほくそ笑み、最後は次期国王らしい威厳をもって彼女に言った。
 意気揚々と城内に戻るリークレッドの背中で、エルフィレムは一瞬、目を細めて不敵な笑みを浮かべたが、リークレッドはそれに気付かなかった。
 誰もいなくなった庭園の砂を、やはり重たい春風が捲き上げて吹いた。

 それから何事もなく時は流れた。
 エルフィレムは時々リークレッドに内緒で部屋を空けたが、一晩もすればまた必ず自分の寝室に戻っていた。彼は過去に一度だけ彼女に行き先を聞いたことがあったが、彼女は決してそれを語ろうとせず、彼がしつこく問いただすと、最後には「干渉するな」と細い目で彼を睨み付けた。
 それっきり彼は、エルフィレムの行動には一切干渉しないことにした。
 初めはリークレッドも、彼女が何らかの目的を持って自分に近付いてきたのだと常に警戒していたが、いつまで経ってもエルフィレムは行動を起こそうとはせず、ただ城内で日々をのんびりと暮らしていた。
 強いて何か彼女が城に来てからした行動を挙げるとすれば、リークレッドの妹、セリスと仲良くなったことくらいである。
 一応エルフィレムは城内では人目を憚っていたが、大好きな姉の死のショックに、言葉を失ったセリスにならば自分の存在を知られても問題ないと判断したのか、それとも単にセリスが自分と同性同年代だからという理由でかはわからない。
 リークレッドは前に興味本位で尋ねてみたことがあったが、その時もやはり彼女は何も答えなかった。
 そんな日々が続く内に、いつの間にかリークレッドは彼女への警戒心を捨て、ただ自分に興味があって来たのだという彼女の言葉を信じるようになった。
 やがて春が過ぎ、季節は長い雨期に入った。
 豪雨が大地を打つ、あるじめじめとした晩、リークレッドは宴を終え、わずかに酔ったその足でエルフィレムの部屋を訪れた。
 エルフィレムはいつもと変わらぬ様子で本を読んでいたが、リークレッドがノックもせずに部屋に入ると、本を閉じて鋭い目つきで彼を睨み付けた。
「何の用?」
 エルフィレムは幼い顔つきで必死に凄んで見せたが、ほろ酔い気分のリークレッドには、彼女のそんな仕草はひどく可愛らしく映るに終わった。
「なに。お前が寂しがっていやしないかと思ってな」
 そう言いながら彼はエルフィレムに近付き、どかりと彼女の横のベッドの上に腰を降ろした。
「別に寂しがってなんてないわ」
 ふんとそっぽを向いてベッドから立ち上がろうとしたエルフィレムの手を、咄嗟にリークレッドがつかんだ。
「何?」
 エルフィレムの顔が不安に陰る。
 リークレッドはそんなことはお構いなしに、彼女を自分の胸元に引き寄せると、そのまま細い身体を強く抱きしめた。
「きゃっ!」
 エルフィレムが小さな悲鳴を上げる。
「なあ、エルフィレム。前から一度、お前に聞きたかったんだが……」
 そう言うと、リークレッドは片手でぐっと彼女の顎を持ち上げて、無理矢理自分の方を向かせた。
「前に俺に言った、俺に興味があるってのは、一体どういう意味だ?」
「きょ、興味があるは興味があるよ。別に変な意味じゃないわ」
「そうか……。なら、そのままの意味でとらせてもらおう」
 言うが早いか、リークレッドは自分の唇を彼女の唇に重ねた。
「!!」
 驚き、抗おうとする彼女を、力任せにベッドの上にねじ伏せる。
 ひどく狼狽するエルフィレム。そんな彼女を見て、
「なんだ。お前もちゃんとそんな女の子らしい顔が出来るのか……」
 リークレッドは笑い、もう一度唇を重ねた。
「んん……」
 エルフィレムはなおも彼の腕から逃れようとするが、リークレッドは思いの外強く彼女の身体を押さえつけており、彼女は身動き一つ取れなかった。リークレッドは、そんな彼女の衣装を力任せに剥ぎ取った。
「あっ!」
「ほう」
 露わになった彼女の白い肌を見て、リークレッドはそう呟きながら、そっと五指を彼女の薄い胸の隆起に埋めた。
「や、やめて……」
 エルフィレムは何とか彼の下から這い出そうとしたが、風の力を使わなければ所詮は一介の少女に過ぎない。
 じたばたと暴れるエルフィレムを片手で押さえつけ、リークレッドは面白そうに彼女の薄紅の頂きを指でつまみ上げた。
「ふぁっ!」
 意思に反して、喉の奥から声が洩れる。
「ふふふ。可愛いぞ、エルフィレム」
 リークレッドは笑いながら、今度はその頂きを口に含んだ。
「あっ!」
 エルフィレムはそろそろ限界だと、両手に風を集めたが、何を思ったかそこでピタリと腕を止めた。それからじっとリークレッドの後頭部を見つめて、しばらく思案に耽った。
 もちろん、彼女の胸に夢中になっているリークレッドは、そんな彼女の気配にまったく気付いていない。片手で強く胸を揉みしだき、もう片方の胸の先を舌で弄びながら悦に浸っていた。
 やがて、一瞬悲しそうな瞳をした後、エルフィレムは力を込めていた腕を下ろして、身体の力を抜いた。
「ん? どうした? もう抵抗しないのか?」
 ふざけたようにリークレッドがそう言うと、エルフィレムはいつものように不敵な笑みを浮かべた。
「ええ。王子様に抱かれるなんて光栄よ。お好きなようになさい」
「ふん。また心にもないことを」
 リークレッドもまた皮肉っぽく口元を歪めたが、言われるままに、手を彼女の内股に滑り込ませた。
「あ……」
 彼女の口から小さな声が洩れる。リークレッドはその声に昂ぶり、欲望のままに彼女の下半身をまさぐった。
「ああっ! ん……」
 唇を、胸を、腹を、股間を、体中を彼の手の平に蹂躙されたが、彼女は一切抵抗しなかった。それどころか、むしろ自分から進んで彼の身体を昂ぶらせた。
 部屋の中を、二人の熱い吐息が包み込んだ。
「さてと、そろそろ行くぞ」
 やがて、リークレッドが酒臭い息をエルフィレムの耳元に吹きかけながら、彼女の腰を持ち上げた。
「……いいの……。これでいいの……」
 エルフィレムは固く目を閉じ、まるで念じるように何度も何度も口の中でそう繰り返していた。もちろんそれは、興奮の絶頂にある彼の耳には届かない。
 まなじりから一筋の涙が零れ落ちた。
「行くぞ、エルフィレム」
 リークレッドは自らのそそり立つそれを手に取り、彼女の小さな合わせ目に当てた。彼女のそこはわずかに濡れてはいたものの、まるで彼を拒むかのようにピッタリと口を閉ざしていた。
 リークレッドはそんな彼女の薄い襞を指で押し開いて、一気に昂まりを潜らせた。
「あぐぅっ!」
 痛々しいエルフィレムの悲鳴。結合部から、真っ赤な鮮血がシーツに滴り落ちた。
「エルム……エルム!」
 リークレッドは狂ったように何度も何度も彼女の名を呼びながら、欲望のままに小さな身体を貪った。
「あっ……ああっ!!」
 エルフィレムはあまりの熱さと痛みに、もはや自分を抑制する術を失い、ただ大声で喘ぎながら彼に身を任すしかなかった。
「エルム! いくぞ、エルム!」
 その内、リークレッドの背筋を痺れるような心地よい刺激が駆け抜けて……。
「あっ! あ……うあぁぁあああぁぁぁぁぁぁっ!」
 体内に熱い迸りを感じながら、エルフィレムは痛みと快楽に意識を手放した。

 その日から、二人の仲は急速に深まった。
 やがて、暑い夏が過ぎ去り、風がやや涼しさを帯びてきた折、それまで大した変化を見せていなかったソリヴァチェフ王国に、ある異変が起きた。
 第一王女リーリスを失い、それ以後ずっと病に伏せっていた国王ウェインクライトが、突然この世を去ったのだ。
 享年54歳であった。
 王国の取り決めに従い、ひと月の間喪に服した後、長兄リークレッドが全市民の前で正式に戴冠した。
 齢19の、若き王の誕生であった。

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