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悲しみの風使いたち

第2部 大いなる風の力

第4話 『王位』 3

 まさに晴天の霹靂であった。
『ソリヴァチェフ王国が、南より大軍を率いて進軍中』
 まったく予期していなかったその報がキルケスの影の主、フォーネスの許に届いたのは、冷たい木枯らしの吹きすさぶある初冬のことだった。
 半年ほど前に姿を眩ませた風使いの少女の行方を追っていた部下の一人が、偶然ソリヴァチェフ王国で手に入れた情報である。
「ソリヴァチェフが……何故だ……?」
 フォーネスは報をもたらした部下の前で呆然とそう呟いた。
 ソリヴァチェフ王国は三ヶ月ほど前に前王ウェインクライトが病に倒れ、長兄リークレッドが王位を受け継いだ。前王も戦好きな男であったが、リークレッドはそれにも増して争いを好み、子供の時分は王子という身にありながら日々喧嘩に明け暮れていたという。
 さらに若き王は、王女殺害の疑いをかけられており、それに王の急逝も合い重なって、民からの信頼が薄く、国内は未だに混乱の中にあると聞く。すでにいくつかの街では独立運動が起こり、首都でも数人の幹部の中で第2王女セリスを擁立しようという動きがあるらしい。
 そんな状態で他国に攻め入ろうなどと、一体誰が考えるものか。
 フォーネスの驚きはそれだけにはとどまらない。
 フォーネスが報を受け、何よりも驚いた理由は、ソリヴァチェフにはキルケスに攻め入ることによる利益が何もないことである。
 もちろん、フォーネスの最終的な目的の一つに世界の支配がある以上、リークレッドにとってもフォーネスにとっても互いの存在は邪魔ではあった。だが、それだけではあまりにも一国と戦争を起こす理由としては薄弱すぎる。
「どうなさいますか? フォーネスさん」
 部下の言葉にフォーネスは一度唸るような声を上げてから、
「戦うしかないだろう」
 不機嫌にそう吐き捨てて立ち上がった。

 リークレッドは一体何を思ったのか、引き連れる兵士の数が半端ではなかった。地の利はこちらにあるとはいえど、圧倒的な兵士の数にすでにフォーネスの敗北は必至であった。
 とはいえ、リークレッドの目的がキルケスの街そのものだけではなく、フォーネス個人にもある以上、逃げるわけにもいかなかった。いや、むしろ逃げるのは得策ではなかった。
 たとえ不利な戦いとはいえ、キルケスの街がある今この時ほど有利に戦えることはない。しかも逃げたところで、恐らく逃げ切ることはできないだろう。フォーネスほどではないにしろ、リークレッドもまた独自の強力な情報網を持っている。
 フォーネスは不要に罠を張り巡らすのを避け、出来る限り多くの物資を調達して、ひたすら街に立て籠もることにした。そして街壁には5交代制で兵士を配置し、石や矢を山と積んだ。
「フォーネス様、兵の配置が終わりました」
 そう言ってフォーネスに敬礼したのは、街の正規兵士隊長だった。国王が、戦いの総指揮権をフォーネスに委ねたのだ。
「ご苦労だった。下がって良いぞ」
「はっ!」
 一礼して彼は部屋を出ていった。
 一人残された部屋で、フォーネスは大きく溜め息を吐いた。
「さて、どうしたものか……」
 呟きながらも、先程から頭に浮かぶのはエルフィレムの顔ばかりだった。
 あの日の詰めの甘さが、まさか今になってこれほどまでに大きく響いてくるとはさすがのフォーネスも考えていなかった。
 あの時エルフィレムを捕らえていれば、彼女の精神を支配し、あの力を自らのものにすることができていれば、この戦いにもまだ勝てる見込みがあった。いや、勝っていたはずだ。
「俺はまたあの娘に会えるのだろうか……。そして、あの力を手に入れられるのだろうか」
 6年前、リュースロットからリナスウェルナの存在を聞き、“大いなる風の力”を知ってから今日まで、それはフォーネスの夢そのものになっていた。
 そして今、夢はすぐ目の前まで近付いていた。まさに手の届くところまで来ていたのだ。
(勝つ。最後に笑うのはこの俺だ。リークレッド、恐るるに足らず!)
 フォーネスは自らをそう奮い立たせると、窓越しに空を見上げた。
 戦い前の空は、雲一つない青がどこまでも広がっていた。

 戦いは厳かに始まり、そして呆気なく幕を閉じた。
「フォーネス様。南街門が破られました!」
 痛烈なその報告がフォーネスの許に届けられたのは、敵国軍がキルケスの街壁に攻め寄せてきてからほんの数時間後のことだった。
 さしものフォーネスも青ざめ、自らに報告をもたらしたその若い兵士に食ってかかった。
「それはどういうことだ!? あれだけの備えがそんなにも容易く破られるわけがないだろう!」
「そ、それが……」
 フォーネスの言葉を受けて、兵士は困惑気味に説明し始めた。
 話によると、初めの内は敵国の兵士を食い止めていたのだが、およそ30分ほど前、突然不自然な強風が辺りに吹き荒れ、街壁の兵士はその風に吹き飛ばされて、皆ことごとく転落死したらしい。
 そしてその隙に敵軍は城壁を登り、内側から街門を開けたそうだ。
 話を聞いて、フォーネスはすべて合点いった顔で苦しげに呻いた。
「風……あの娘か……」
 不自然なことなど、そうそう都合良く起きるものではない。強風の原因は、間違いなく風使いエルフィレムの仕業だろう。
「フォーネス様。どうしますか!?」
 兵士の言葉に、フォーネスは我に返った。だが、最後の砦がいともあっさり破られてしまった今、キルケス軍勢に為す術はなかった。
「……逃げろ」
「はっ?」
「逃げろと言ったのだ。もはやこの戦いに勝ち目はない。命が惜しかったら、貴様もさっさと逃げることだ」
 言うが早いか、フォーネスは用意していた非常用の金を懐に入れると、兵士を押しのけて部屋を飛び出した。
 もはやこうなってしまった今、ここにいても殺されるだけだ。ならば、せめて逃げられるところまで逃げ、あわよくば生き延びてまた一からやり直してやろう。
「フォーネス様!」
 床に尻餅をつき、ようやく状況を理解した兵士がそう叫んだとき、フォーネスはすでにその場にはいなかった。
 いよいよ敵の怒号がこの館まで届こうとしていた。

 街は炎に包まれていた。
 リークレッドの目的は征服などという生易しいものではなく、完全な破壊であった。
「まったく何てヤツだ……」
 暗闇の中、街の方から高々と巻き上がる火の粉を見つめたまま、フォーネスは忌々しげに舌打ちをした。
 リークレッドのあまりにも非人道的な行いのために死んでいった者のことを思うと、さしものフォーネスも激しい怒りと悔しさに駆られた。
 元々フォーネスは仲間の大切さを知っている。いくら力を持っていようと、単身では大事を成し遂げられないことをよく心得ている。それ故、あまりにも身勝手極まりないリークレッドのやり方に吐き気すら覚えた。
 街の外は不気味なほど静まり返っていた。どうやら敵はすべて街に攻め入っているらしく、北に広がるこの森には人の気配が一切しなかった。
 これならば逃げ切れられるかもしれない。
 フォーネスは可能性を高めた生への喜びを噛みしめながら、ひたすら森の中を走った。
 だがその喜びも、次の瞬間には果てしない絶望へとその色を変えていた。
「あれ? フォーネスさん。仲間を見捨ててどこへ行くの?」
「だ、誰だ!?」
 突然背後からした声に、フォーネスは振り向きざまにナイフを投げつけた。
 シュッ!
 ナイフは短い音を立てて、声の主の胸に一直線に吸い込まれていった。
 だが……。
「何っ!?」
 振り向いたフォーネスの目に写ったものは、突然その進路を変え、力なく地面に落下していく銀色のナイフと、かつて誰よりも待ち望んでいながら、今最も会いたくない少女の不敵な笑みだった。
「ふふっ。危ないじゃない。もし味方だったらどうする気だったの?」
「エ、エルフィレム!」
 少女、エルフィレムはフォーネスを見上げてにやりと笑った。
「久しぶりね、フォーネス」
「エルフィレム……」
 フォーネスは半ば諦めたような溜め息を吐いて、真っ直ぐ少女を見下ろした。
 自分で起こしているのかそれとも自然の風か、少女の深緑の髪がわずかに揺れていた。自分を睨み付ける瞳は、相変わらず子供じみていて迫力の欠片もなかったが、彼女の能力の恐ろしさを知っているフォーネスには、十分恐怖を感じられるものだった。
「今回のこれは、すべてお前が仕組んだことか?」
「そうよ。独りじゃ何もできないって言ったのはあんたでしょ? せっかくあんたが自殺しようとしてあたしにそう教えてくれたんだから、あたしも手助けしなくちゃ」
 皮肉っぽくエルフィレムが言ったが、フォーネスはそれを無視して尋ねた。
「どうやってリークレッドを懐柔した? いかにヤツとて、今回のことがどれほど無謀なことかくらい、わかりそうなもんだが」
「ふん。別に簡単なことよ」
 つまらなさそうに笑って、エルフィレムはすれた瞳で答えた。
「男なんて所詮獣同然。ちょっと媚びれば、これくらいどうってことないわ」
「バカな女だ。そのために身体を売ったのか」
 わざと挑発するようにフォーネスが言ったが、しかしエルフィレムはその挑発には乗らず、むしろ誇らしげに胸を張って言い放った。
「お前を殺すためなら、別にそれくらい大したことじゃない」
「強がりを」
「何とでも言え。さあ、雑談はこれくらいにしておきましょう。もうこの世に未練はない?」
「……かなりたくさんあるのだが」
 答えながら、じりっとフォーネスが一歩後ずさった。
「そう。それは残念ね……」
 エルフィレムがゆっくりと手を掲げる。
 先にフォーネスが動いた。
「死ねっ!」
 数本のナイフが一度に煌めく。
 だが、もちろんそんなものが風使いに効くはずがない。
「無駄なことを!」
 つまらなさそうにエルフィレムがそう言って風を起こすと、ナイフは呆気なく地に落ちた。
 その刹那、フォーネスは横の森に飛びながらエルフィレムに向かって小さな玉を投げつけた。
「何?」
 玉は風に巻かれ、中から煙が吹き出して辺りを包み込むようにして広がった。
「悪いがここは退かせてもらう。またな」
 そう言って、フォーネスは森の中に逃げ込もうとした。
 だが、その一歩目を踏み出した瞬間、
「な、何だ……これは……」
 フォーネスはがくりと地面に膝をつき、両手で自らの喉を押さえた。
「い……息が……できん……」
「ふふふ……」
 やがて煙が霧散して、不気味な笑い声と共にエルフィレムが姿を見せて、得意げにフォーネスを見下ろした。
「どう? 気分は」
「な……なんだ……こ……これは……」
 フォーネスは顔中に汗をかいて呻いた。
 突然の呼吸困難はどうやら自分だけらしい。ならばこれは、目の前の少女の仕業なのだろうか。
 フォーネスは忌々しげに少女を見上げ、怒鳴りつけた。
「貴様、俺に何をした!?」
 しかし彼の怒号も、少女の耳には届かなかった。
 少女の耳にだけではない。彼の声は、フォーネス自身の耳でさえ感知することができなかった。
(声が……出ていない……。ま、まさか……)
「気が付いたみたいね、フォーネス」
 少女の声に、フォーネスはキッと少女を見据えた。
 エルフィレムはもはや一切の笑みを消し、恨みと憎しみだけの視線をフォーネスに投げかけて言った。
「風は元々空気の流れ。すなわち、それを操る“大いなる風の力”とは、この世のすべての生命を司る術なのよ」
「くっ……。た、頼む……助けて、くれ……」
 あまりの苦しみに、とうとうフォーネスは少女に泣きすがった。もはや形振りなど構っていられるような状況ではなかった。
 しかし少女は、そんなフォーネスをどこまでも冷酷な瞳で見下ろして、感情の一切こもらない声で言い放った。
「フォーネス。お前は私欲のために、何の罪もない人たちをたくさん殺した。お父さんを……お母さんを……弟を……。そして、私の大事な友達を……お前は、何の躊躇もなくみんなの生命を奪い去った。そんなお前が生きていていいはずがない。助けはこない。ここで、みんなの痛みを受けながら死になさい!」
 風の刃が彼の両手を斬り飛ばし、辺りに真っ赤な鮮血が飛び散った。
「うぐぁあああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
 絶叫はしかし声にはならず、フォーネスは無惨に辺りを転げ回った。
 そんなフォーネスに、エルフィレムは何度も何度も風の刃を叩き付け、そして血を吐くように叫んだ。
「これはお前が殺した父さんの痛み! これはお前が殺した母さんの痛み! 弟の痛み! バウルおばさんの痛み! グルクスのおじいさんの痛み! オリベルさんの痛み! バンスロッタのおじさんの痛み!」
 村の仲間の名を一人一人挙げながら、その度にエルフィレムはフォーネスの身体を斬り刻んだ。
 10も名を連ねた時点で、すでにフォーネスは息絶えていた。しかしエルフィレムは決してやめようとはせず、やがて、かつてフォーネスであったその物体が、もはや人であったかどうかすら判別のつかぬ肉塊と化すまで風を叩き付け続けた。
「はぁ……はぁ……」
 むせ返るような血の匂い。エルフィレムは大きく肩で息をしながら、最後に大きく息を吸って、
「そしてこれが、お前が殺したクリスィアの痛みぃぃっ!」
 周囲の木々を薙ぎ倒し、大地をえぐり取るような空気の圧力を肉塊に叩き付けた。
 ズガァァァァァァァァッ!
 ものすごい音がして、血と肉片と、土と砂埃が空に舞い上がって星の光を覆い隠した。
 やがて、降りしきるそれらの物体を風で避けながら、エルフィレムはがくりと大地に膝を折った。
「やったよ……みんな……」
 かすれ、震える声とともに、涙の滴が頬を伝って土の上に小さな染みを作った。
「みんなの仇……あたし、とったよ……」
 何もなくなったその空間で、エルフィレムはただ一人、譫言のように何度も何度もそう繰り返した。
 何度も何度も繰り返し、そして泣いた。
 思い切り。
 過去のすべてを吐き出すように。
 思い出もすべて、涙とともに……。

 やがて、再び彼女は立ち上がった。
 何の感情も宿さないその瞳には、もはや一滴の涙もなかった。
「行こう……」
 ぽつりと呟いて、彼女は一歩足を踏み出した。
 一歩、また一歩と小さな足跡を大地に刻みつけていく。
 それは、復讐を終えた少女の新たな人生の始まりだった。
 月はすでに天頂にあったが、街は依然として燃え続けていた。
 少女の影が、ゆっくりと炎の中へ消えていった。

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