辺り一帯を埋め尽くす殺気と焦燥。
頭上には快晴の空が広がっているにも関わらず、その張り詰めた緊迫感のせいか、鳴く鳥すらなかった。
道ゆく人々はいつも通り挨拶を交わし、自らの仕事へ就こうとするが、その動きはせわしなく、緊張の色を隠せずにいた。
何気ない会話の節々にも、今にも禁句を発しそうなぎこちなさが漂っている。
昨日まではなかった光景だった。
如何にソリヴァチェフ王都に最も近く、その毒気を多分に受けている街とはいえ、働く者がなければ盗賊たちとて食べるものがない。
結局、街が荒れたと言っても、一般市民には税が重くなったことと刑が軽くなった他に変化はなかった。
もちろん、その二つのせいで生活が苦しくなったのは確かだったし、街に盗賊がはびこるようになった。気に入らない者は殺され、綺麗な娘は手込めにされた。
それでも、町角から会話が失われたわけでもなければ、笑う権利を剥奪されたわけでもなかった。
人々は盗賊たちの支配に怯えながら、その陰で今まで通りの生活を営んでいたのだ。
それが、である。
この朝、彼らはまるで貝のように口を閉ざした。
あまりにも異様な雰囲気に盗賊たちも気になったのか、道ゆく者を捕まえてはその意を訊いたが、皆が一様に答えを揃えた。
何故か空気が重いから黙っている。お前たちが何かしたのではないのか、と。
もちろんそれは嘘だった。
彼らは皆知っていたのだ。今日の日暮れに起きることを。
いや、自分たちの手で成し遂げることを……。
ことの起こりは今から一年前。かつてこの街を治めていた市長の許に、四人の若者が訪れた。
彼らはソリヴァチェフに滅ぼされたキルケスの兵士だと名乗り、自分たちの反乱計画を説明した。
そして市長に、ホーファスも他の街と同様にソリヴァチェフへの反乱に乗って欲しい旨を伝え、協力を求めた。
それが発端だった。
若者の内の二人がホーファスに滞在し、全面的な協力を約束した市長と共に信頼できる仲間を増やしていった。
仲間の数は日を追うごとに増え、無事盗賊たちに伝わることなくその勢力を拡大していった。
それほど上手くことが運んだのは、市長の協力もあったが、何よりも彼らの盗賊たちへの反抗心とアレイたちの手腕故だろう。
ホーファスに限らず、どの街においても計画が露見することはなかった。彼らはその日が訪れるのを心待ちにし、決して表立ってそのことを話題にしなかった。
自分たちも主役の一人なのだという主観的な立場も、計画成功に一役買ったのかも知れない。
非力な自分たちに何ができるのかという不安を抱く人々に、若者たちはこう言った。
例えば声を出すだけでもいい。怪我をした仲間の手当てをするだけでいい。必要なのは、自分一人では何も出来ないと思っている人たちが力を合わせて成し遂げることなのだと。
側を歩く老人が、子供が、女が、若者が、そして同じ立場にいる世界中のすべての人が今一つであり、自分もまたその一人なのだという意識と誇り。
計画はすべて順調だった。
そう、後は実行するだけ。
そしてアレイたちが世界中に反乱を指示したのが今日、突き抜ける青空の輝く春、4月22日の夕暮れだったのだ。
「二人とも、ご苦労様でした」
二日前、ホーファスに入ったアレイたち四人は、人目をはばかりながら真っ先に自分たちの隠れ家を訪れ、街に滞在していたオーンとエイクレイスという二人の仲間の労をねぎらった。
その後で二人は旅の最中に知り合った緑髪の若者たちを紹介し、彼らに仲間の二人を紹介した。
そしてその日のほぼ半日をかけて、これまでにしてきたことを語った。
様々な街を訪れ、たくさんの仲間を得たこと。
計画は順調に進んでおり、残すは二日後の夕方を待つばかりだということ。
そしてそれぞれの街に主導者として残してきた、新しい信頼できる仲間たちのこと。
おおよそ必要と思われることのすべてを話してから、アレイは一息ついて二人に話を促した。
話、というのは、彼らがここに来てから一年間でしてきたことや、現在の盗賊たちの情勢、味方の数はもちろんのこと、これからこの街の盗賊たちを殲滅するに当たって、二人が考え計画した行動についてである。
アレイはホーファスも含めすべての街で、実際に起こす計画をオーンやエイクレイスたち各主導者に委ねていた。
というのも、その方が遥かに効率的だったし、その街の地理に詳しい者や市民から信頼を得ている者が指揮した方が、成功する可能性が高いからである。
自分たちの役目はあくまで仲間集めとその連携であって、実際に行動を起こす段になった時は、彼らに従う一市民と等しいのだ。
アレイにうながされて、オーンたち二人はこの日までに練り上げてきた計画を事細かに説明した。
ホーファスの街の詳しい地理と、この街にはびこっている盗賊たちの本拠地。
味方の主要メンバーとその役割。それぞれの連携。
そしてこの街での戦いにおける、アレイとフレアの役目。
目を閉じればその光景が浮かび上がってくるほどの綿密な計画に、アレイは笑顔を隠せずにいた。
彼らはその日遅くまで議論し合い、計画をさらに精密なものにした。
そうして、アレイたち4人がホーファスに到着した初日は静かに過ぎていった。
翌日の入念な下見と細かい打ち合わせを経て、アレイとフレアはいよいよホーファスの街で革命当日を迎えた。
夕刻近く、あまりにもひっそりと静まり返る街の様子に、ついに盗賊たちが喚き始めた。手当たり次第に市民を捕まえては、暴行を加えて問いただす。
あくまでも彼らが何かを企てていると思い込んでいるらしい。
もっともそれは外れではなかったし、むしろ気が付くのが遅すぎるくらいだった。
いつもは大人しく服従する市民の一人が、まるで発狂したかのように大声を張り上げて、目の前の盗賊を殴り飛ばした。
オーンとエイクレイスの考えていた計画とは異なったが、結果としてそれが開戦の合図となった。
殴られた盗賊の仲間と思われる男たちが集まってくる以上の、圧倒的な数の住民が、手に武器となるものを持って家々から飛び出した。
街の至る所で市民と盗賊たちの小競り合いが生じ、騒然とする街を怒号が包み込む。
女子供は、自分たちを指揮する若者たちに言われたまま、声を上げ金属を打ち鳴らした。それが男たちを鼓舞する力となる。
街の大通りに濁流のごとく人々が集まり、向かってくる盗賊たちを呑み込んで城へと押し寄せた。
街の北部に位置する小さな城。ホーファスがまだソリヴァチェフ王国の属領でなかった時に使われていたものだが、ウェインクライトの前王が街を支配して以来、使われなくなったものだ。
今はその城が盗賊たちの居城になっていた。
アレイ、フレア、オーン、エイクレイス、そしてリュースロットの5人の若者を先頭にして、彼らは城に攻め寄せた。
城門は堅く閉ざされ、城壁の上にはソリヴァチェフの兵士たち、すなわちカザルフォート盗賊団の盗賊たちが手に弓を持って彼らを待ち受けていた。
さすがは訓練された者たちだけあって、対応は早い。
しかし、石や油など、もっと直接的に効果のある武器を用意してなかったところを見ると、カザルフォートもその後ろにいる少女も、市民の反乱を微塵も疑ってなかったのだろう。
アレイは彼らの油断に感謝した。これで被害が少なくて済む。
息を吐く間もなく、次々と城壁に梯子がかけられた。同時に人々が競い合うようにしてその梯子を登っていく。
アレイもフレアに援護を頼むと、剣を口にくわえて梯子の一つに手をかけた。
城壁の上から彼を射ようとした兵士の一人が、悲鳴を上げながら向こう側へ落ちていく。フレアの矢がその男を射抜いたのだ。
ものの数秒で城壁の上まで辿り着くと、アレイは剣を手にして弓兵を薙ぎ払いながら階段へ駆けた。そのすぐ後ろをリュースロットが続く。
城門の裏側にはすでに味方の市民が集まっていて、ちょうど門が開くところだった。
雪崩れ込むようにして押し寄せる市民らの前に立ち、アレイは剣を掲げた。
「このまま城へ突っ込む! 俺たちを支配してきた盗賊たちを、この手で引きずり降ろすんだ!」
喚声とともに城内に市民が殺到した。
アレイは彼らの先頭に立ち、向かい来る盗賊を次々と斬り倒していく。
オーンらの調べたところによると、在中している兵士の数はおよそ200。彼らに組みする者がその倍で、合計700程度が盗賊たちの数ということだった。
対して味方の勢力は1200。とはいえ、実際に人を殺すことに慣れているような連中と渡り合える数となると、恐らく半分にも満たないだろう。
しかしアレイたちには勢いがあり、意思があり、団結力があった。
事実盗賊たちの中には、突然の市民の反抗にたじたじになり、恐れをなして逃げ出す者もいる。
それに元々商人だったオーンはともかく、エイクレイスはこの街の戦士だった。リークレッドのやり方に嫌気が差して兵役から退いたらしい。
アレイは自分とエイクレイス、そしてリュースロットの3人だけで、100人の相手を打ち倒す自信があった。もちろん、一度に襲いかかられたら敵うはずがなかったが、1対1の戦いでは彼らの力は群を抜いていた。
次々と屍となり城内の床を埋めていく盗賊たちとは対照的に、目前の勝利に目を輝かせた市民たちがその小さな城を満たしていった。
そしていよいよアレイたちは、この街を支配していたクライザーという男の許に辿り着いた。
城の大広間。そこでクライザーは他の幹部ら10人を従えてアレイたちを待ち受けていた。
「てっきり、逃げたのかと思っていたよ」
広間の入り口から少し入ったところで足を止め、アレイが油断なく剣を構えた。
その両横にエイクレイスとリュースロットが立ち、彼らの背後でフレアが矢をつがえた。
クライザーは一度大きく息を吐くと、もはや自らの死をあきらめたような表情で呟いた。
「逃げる暇もなくてな……」
そして手にしたダガーをアレイ目がけて思い切り投げつけると、新しい短刀を抜いて床を蹴った。
周囲の者も一斉に獲物を抜いて斬りかかる。
「こうなればお前たちも道連れだ!」
叫んだ男の首筋を、フレアの放った矢が貫いた。
アレイはダガーを弾き飛ばすと、やはり目にも止まらぬ速さでその剣をクライザーに突き立てる。
エイクレイスは向かってきた相手の剣をかがんで躱して、がら空きになった相手の腹部に自らの剣を突き付け、リュースロットは味方に気付かれない程度に風を使って相手の攻撃を受け流すと、手にした短剣で相手を切り裂いた。
如何にソリヴァチェフの正規兵とは言え、所詮は盗賊の成り上がりである。実際に訓練を受け、何度も戦場を生き抜いてきた彼らに敵うはずがなかった。
十数の死体をさらし、戦いはあっけなく幕を下ろした。ホーファスの解放戦の終幕だった。
「終わったな」
剣に付着した血を振り払いながら、リュースロットが淡々とした口調で言うと、アレイが嬉しそうに声を上げた。
「ありがとう、みんな! これできっと世界は救われる」
彼の差し出した手にエイクレイスが手を重ね、フレアとリュースロットがそれに倣った。
「よしっ! このままソリヴァチェフ王都も奪還するぞ!」
若く、活力に漲る声が広間一帯に響き渡った。
彼らの声に応えるように、周りの市民たちが歓声を上げた。
それは城から街へと伝わって、ホーファスのすべてに歓喜が満ちた。
人々の、2年ぶりの笑顔だった。
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