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悲しみの風使いたち

第3部 混沌の風の姫

第6話 『崩壊』 2

 曇天の空模様の中、戦いは幕を開いた。
 街壁に次々と押し寄せてくる市民兵に対して、盗賊たちは弓を放ち、梯子を倒して応戦した。
 確かに相手の士気は高かったが、所詮大半は一介の市民である。明らかにエルフィレムたちは優位だった。
 血で血を洗う戦いとなった。街壁の下にはすでに山のような市民の死体が転がっていたが、彼らはそれを踏み越えるようにして壁を登ってきた。
 どうやらアレイという男は、奇麗事だけでは革命はできないことをわかっているらしい。
 今のソリヴァチェフを滅ぼすためなら、多くの犠牲が出ることをいとわないようだ。
 そして市民たちも彼に洗脳された結果か、まるで死を恐れずに攻め寄せてきた。
 攻防は夜になっても終わることはなかった。
 盗賊たちは四交代制を布いてその対応に当たった。
 日が経つに連れて、死体の数以上の市民が街壁の向こうに溢れ返るようになった。他の街から援軍が到着したのだ。
 対して盗賊たちは疲れていた。それに矢の補充も追いつかない状況で、戦況は次第にアレイたちに傾き始めた。
 そして開戦から三日後、ついに南の街壁が破られ、内側から街門が開かれた。
 一斉に雪崩れ込む市民たち。同時に無数の火矢が放たれ、街は血と炎に包まれた。
 至る所から悲鳴と喚声が響き渡った。王都に住む一般市民も殺戮の対象になっているらしい。
 彼らが王都に求めたのは完全なる破壊だった。盗賊も一般民も関係ない、かつてエルフィレムがキルケスの街に対して行ったものと同じ、徹底的な破壊。
 ただ違うのは、彼女の行ったのがただの殺戮だったのに対して、アレイの行っているものは聖戦だということ。
 その理由と目指すところが美しければ、目的のための手段は問わないのだ。肝心なのは、目標を達成することにある。
 乾いた風の吹きすさぶ王都に、革命の炎が真っ赤に燃え盛った。

 そんな街の様子を、リーリスは城の自室から眺めていた。
 まるで嘲笑うように、街中を染めていく炎の赤。
 リーリスはぼんやりとそれを見つめながら、昔のことを思い出していた。
 彼女の父ウェインクライトがこの城を治めていた頃、確かに他国からの評判は良くなかったが、街はまだ平和だった。
 人々は談笑し、活気に満ち溢れていた。
 ずっと小さな頃はまだ弟リークレッドとも仲が良く、二人で城を抜け出しては街を散策した。
 そんな「冒険」に心を弾ませたことを、彼女は今でも鮮明に覚えている。
 街で一番好きだったのは、優しい神父のいる教会だった。彼は美しいステンドグラスに見とれていたリーリスに菓子を与え、昔話を話して聞かせた。
 街の中でも一際背の高いその教会も、紅蓮の炎に包まれている。きっとあの心優しい神父も殺されてしまったことだろう。
 彼女の愛した街は今、終末を迎えようとしていた。
 いつからこうなってしまったのか、彼女は深く目を閉じて思い返した。
 今からもう3年以上も前、昔からの習慣でこっそり城を抜け出したところを盗賊たちに捕まったのが始まりだろうか。
 いやしかし、もしもあれがなければ、きっと自分は城内で弟に毒殺されていただろう。
 今日まで生き長らえたことが幸せだったかと問われて、首を縦に振るほど良い待遇はされなかった。むしろ毎日のように盗賊たちに手込めにされて、不幸だったと言ってよいだろう。
 それでも、弟に殺されるよりはましだったかも知れない。
 どちらに転んでも大した人生ではなかった。けれど、楽しいことが存在したのも確かだし、改めて振り返ったとき、思い出されるのは幸せな記憶ばかりだった。
 何度も自分の生を呪ったが、やはり生まれてきて良かったと、リーリスははっきりとそう思った。
 再び目を開けると、心なしか街を覆う炎の赤がその色を強めたように思えた。
 城内はもう何日か前から騒然としている。今がそのピークだと言って良いだろう。
 もうじき城門が破られる。その時が自分の最期だ。温室育ちの自分には、ここから逃げる術など何一つ持ち合わせていない。
 リーリスはひどく冷静に自らの死を見つめていた。
 その時だった。
 突然部屋のドアが音を立てて、彼女は弾かれるように振り向いた。
 早くも革命軍の兵士が自分を殺しにやってきたのかと思ったが、ドアを開けたのは馴染み深い、中年に差しかかったくらいの無骨な男だった。
「アルハイト……」
 リーリスは意外な面持ちで彼を見上げた。
 何故今盗賊たちを指揮しているはずの彼が、何の役にも立たない自分のところにやってきたのか、彼女にはわからなかった。
 もう敗戦が確定したので、最後にもう一度犯してから死のうという考えなのだろうか。
 リーリスが不思議がっていると、彼は大股で彼女の許へ歩み寄り、ほっそりとしたその腕をつかんだ。そして彼女の目を見つめながら、その腕を力強く引っ張った。
「逃げるぞ、リーリス」
「……えっ?」
 一瞬、耳を疑った。けれど聞き返すより早く、アルハイトは彼女の手を引いて走り出していた。
 盗賊たちでごった返す城の廊下を、何かに取り憑かれたように駆け抜ける。
 周囲の者に幾度も訝しげな目で見られたが、話しかけられることはなかった。
 手を引いていたのがアルハイトだったこともあったが、それよりも皆、それどころではなかったからである。誰もが他人のことを考える余裕をなくしていた。
 リーリスはアルハイトに手を引かれながら、何故か心を弾ませている自分に気が付いた。
 子供の頃に何度も体験した「冒険」に似ていたからかも知れない。よくこうして弟に手を引かれて走ったものだ。
「なんだか懐かしいですね」
 息を切らせながら話しかけると、振り向きもせずアルハイトが怒鳴った。
「何がだ? こんな時に楽しそうな声出しやがって」
 思わず耳を塞ぎたくなるような声だったが、不思議とその声に怒りは感じられなかった。
「ほら、前にも一度、こうして貴方に助けられたことがあります」
 リークレッドが盗賊に捕まった姉を殺しに来たときのことである。まだ3年前のことだが、何故か遥か昔のことのように感じられた。
「そいえばそうだったな」
 ぶっきらぼうにアルハイトが答えた。どうやらのんびり話している余裕はないらしい。
 けれどリーリスは構わずに続けた。
「ねぇ。どうして私を連れて行くのですか? あの時は私に利用価値があるからと言ってました。でも今は、ただ足手まといになるだけでしょう」
 アルハイトは何も言わずにリーリスとともに城の庭に飛び出した。
 そこはいつかエルフィレムとリークレッドが出会った場所だったが、もちろん二人はそんなことは知らなかった。
 そのまま人影のない場所まで走ると、アルハイトは一度足を止めて振り返った。あれだけ走ったのに息一つ切らしていない。
 そのことを純粋に感心しながら、リーリスは必死に呼吸を整えていた。
 そんなリーリスに向かって、アルハイトが真剣な口調で告白した。
「お前が好きだからだ」
「……え?」
 ひどく間抜けな声を上げて、リーリスは彼を見上げた。
 アルハイトはそんなリーリスを見つめたまま、彼女の身体を引き寄せた。
「さっきの質問の答えだ。俺はお前が好きだから助けたいんだ」
 強く、身体を抱きしめられた。
 急速に胸が高鳴って、身体が熱くなる。
 それは与えられ続けた薬のせいもあったが、それだけではなかった。
「ど、どうして……?」
 かすれた声で呟く。ほとんど声にならなかった。
 けれど、彼女の反応などお構いなしにアルハイトは言葉を続けた。
「初めて見たときからずっと愛していた。あの時も、もちろん利用価値はあったがそれだけじゃねぇ。ひどいこともたくさんしてきたがな、それも俺流の愛し方ってヤツなんだ」
 自虐的に笑って、彼女の耳に唇を押し当てる。そしてまるで今言わなければもう二度と言うことができなくなるかのように、早口にまくし立てた。
「ずっと機会をうかがっていた。あの女とカザルフォートから、お前と二人でここから逃げ出せる瞬間を。今しかないんだ」
 そっと唇をふさがれた。
 もう数え切れないくらい唇を奪われてきたが、リーリスはこの時初めてアルハイトと本当の口づけをした気がした。
「一緒に逃げよう。そして二人でやり直そう」
 自分を見つめる彼の瞳があまりにも純粋だったから、リーリスは思わず頬を綻ばせてしまった。
 これがあの盗賊連合に名を馳せたアルハイトなのだろうか。
 リーリスはもう一度彼に口づけをして、大きく頷いた。
「はい。ありがとう、アルハイト」
「よしっ」
 少年のように瞳を輝かせて、アルハイトは再び彼女の手を取って走り始めた。
 そして城壁沿いまでやってくると、そこに縄をかける。
 この向こう側はかなりの絶壁になっていて、水に満たされた堀がある。そしてその向こうはすぐ住宅地になっていた。
 つまり、一斉に攻め寄せるのが難しいために敵のほとんどいない、逃げるのに絶好な位置だったのだ。
「いいかリーリス。死ぬ気で登ってこい。ここさえ登れば、後はなんとか街から抜け出してみせる」
 リーリスは大きく頷いた。
 何があっても登って見せる。そしてアルハイトと二人で新しい生活を始めるのだ。
 手慣れた様子でいとも簡単に登っていくアルハイトを見つめながら、リーリスは明るい未来に想いを馳せていた。
 やがて彼が城壁の頂上に達したのを見届けてから、彼女は縄に手をかけた。
 そしてそれをギュッと握ったとき、突然陰に包まれたかと思うと、凄まじい衝撃が体を貫いた。
 ちょうど真上から岩を落とされたような感触。
 声もなく地面に叩き付けられて、リーリスはしばらく苦痛にのた打った。
 瞳に涙を滲ませて自分の体を見てみると、まったく感覚のない左足が、見た目にわかるような折れ方をしていた。
「あ……あぁ……」
 自分の足なのに自分のものではないような感覚に、リーリスはひどい吐き気を覚えた。
 慌てて目を背けたとき、初めて彼女は自分の上から落下してきたものを見た。
「ア、アルハイト……?」
 彼女のいる場所からほんの数メートルの位置に、先程まで城壁の上にいた盗賊の男が倒れていた。
 そしてその彼がピクリとも動かないのを見て、彼女は青ざめた。
「アルハイト!」
 リーリスは悲痛な叫びを洩らして、はいつくばりながらアルハイトの許へ歩み寄った。
 助け起こして見てみると、彼の胸や足に無数の矢が突き刺さっていた。致命傷だ。
「リー……リス……」
 苦しそうに呻きながら伸ばした手を、リーリスは強く握った。
 一体何がどうなったのか、ひどく混乱した頭は彼女に何も考えさせなかったが、一つだけ確かなこと。それは、これから彼が死ぬということだった。
「し、しっかりして、アルハイト! 私と……私と一緒に生活するんでしょう?」
 泣きながら叫んだが、しかしアルハイトは何も答えなかった。
 答えることすらできなかった。
 すでに命の灯火の消えた彼に出来たのは、最後にたった一言だけ、彼女に想いを伝えることだった。
「愛してる……リーリス……」
 握っていた彼の手が力なく落ちた。
「アルハイト!」
 叫び、そして彼の体をつかんで彼女は泣き崩れた。
「だって……幸せな、生活……。やっと、今から……だって……」
 血でぬめり気を帯びた彼の胸に顔を押し当てて、すがるように彼の身体を抱きしめた。
 そんな小さくうずくまる彼女を、数人の男が音もなく取り囲んだ。先程城壁の外から彼を射た者たちである。
 リーリスが見上げると、男たちは皆血走った目で彼女を見下ろしていた。
 正気でないのは明らかだった。すでに何人もの人を殺し、命を狙われ、狂気に駆られた者の瞳。
 リーリスは深く息を吐くと、もう一度アルハイトの胸に身体をうずめた。
 これから殺されるというのにひどく落ち着いていたのは、きっと愛する人が先に逝ってしまったから。
 今からならまだ間に合うだろうか。先を歩いていく彼に追いつけるだろうか。
 彼女は小さく微笑んだ。
 きっと追いつける。
 そして後ろから彼に腕を絡めて歩くのだ。
 ようやく手にした愛と安らぎ。
 もう二度と放さないために、追いついて、そして二人で歩いて行くのだ。
「ありがとう、アルハイト。私も、貴方のこと、愛しています」
 男の一人が、ゆっくりと手にした剣を振り下ろした。

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