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第4話 部活
 帰宅部というのは、言うまでもなく学校に正式に認められた部活動ではない。部活に所属していない人間の総称であって、帰宅コミュニティーとでもいった方が的確かもしれない。
 部活動が盛んなユナ高において、うちのクラスの女子では私と涼夏、絢音だけが部活をやっていない。涼夏は高校に入ってすぐにバイトを始め、絢音は平日の夕方に塾に通っている。私だけが正真正銘、何もしておらず、帰宅部でも部長扱いされている。部長様に予定を合わせるのは当然だとおどけながら、涼夏が絢音の塾のない日にバイトのシフトを入れてくれたおかげで、毎日二人の内のどちらかと一緒に過ごすことができているが、それでもやはり涼夏のバイトのシフトは他の人の予定に影響されることも多く、一人になる日も時々あった。
 この日も涼夏のバイトが絢音の塾とかぶり、夕方一人になってしまった。二人は駅まで一緒に帰ろうと言ってくれたが、図書室で勉強していくと言って見送った。昨日の時点で聞かされていたからショックはないが、ポツンと一人になって周囲の楽しそうな喧騒を聞いていると、途端に寂しくなる。私は誰かと一緒にいないとダメな人間なのだ。
 それにしても、あの二人だけの組み合わせは珍しい。私が圧倒的に暇しているせいで、3人で遊ぶことはあっても、二人が私抜きで帰ることは滅多にない。入学してから初めてかもしれない。
 一体どんな会話をするのだろう。距離感のおかしい絢音が、涼夏にどれくらい挑戦するのかも気になる。尾行したいくらいだったが、悪趣味極まりないのでやめておいた。明日聞こう。
 勉強という気分でもなかったが、本当に図書室にでも行こうか。悩みながら廊下を歩いていたら、奈都に話しかけられた。
「あれ? 今日は一人?」
 何気なく一歩踏み込んで、私のプライベートスペースに入ってくる。知らない人や関係が微妙な人だと不快になるが、好きな人だと嬉しく感じる距離。奈都がどちらかは言うまでもない。
「絢音は塾で、涼夏はバイト。駅までどうって誘われたけど、別れた後困るから、図書室にでも行こうかなって思ってた」
「ふーん。じゃあ、今日は私が付き合おうかな。丁度生理で部活どうしようかなって迷ってたし」
「本当に?」
 探るように奈都の目を見つめた。私の友達はみんな優しいから、こういう嘘は平気でつく。奈都の申し出は大変有り難いが、私のために部活をサボって欲しくはない。
 奈都はおかしそうに笑ってから、前屈みになって私の顔を見上げた。
「ほんとほんと。確認してみる?」
 明るい瞳で私の背中を叩いて、並んで階段を降りた。奈都が部室に言いに行っている間に、私は今の奈都の言葉の具体的な実現方法について思いを巡らせた。生理かどうかを確認する方法など一つしか思い付かないが、頼んだら奈都はパンツを下ろしてくれるのだろうか。それを見たいかと言われると好奇心が疼かないでもないが、いけない地雷を踏み抜きそうな気もする。
「お待たせ」
 戻ってきた奈都が、何も言わずに歩き始めた。許可は下りたようだ。元々緩い部だと聞いている。緩い割には毎日部活があるが、ユナ高の運動部は大体どこもそんな感じだ。
「さっきの話、もし確認するとしたら、私はどうすればいい?」
「さっきの話って?」
「生理の話」
 なんでもないようにそう言うと、奈都は見てわかるほど狼狽えて、私を見て顔を赤くした。
「あんなのただの冗談じゃん! チサ、どうしたの?」
「どうもしてないけど」
「おかしいって! ああ、あの二人に毒されて、私のチサがおかしくなった!」
 奈都が片手で顔を覆って、無念そうに首を振った。奈都とは中学3年間一緒だったから、私が変わってしまったというのも説得力がないわけではない。ただそれは年齢が上がったからであって、あの二人は関係ない。たぶん。
 いやしかし、いきなり耳に舌を入れてくる絢音と、アイスを両側からかじり始める涼夏に、まったく影響を受けていないかと言われるとどうだろう。私が悩ましい顔で腕を組むと、奈都がくすっと笑った。
「身に覚えがある? 涼夏は知らないけど、西畑さんがよく二人にハグしてるのは有名だよ?」
「いい意味で?」
「3人が楽しくやってるなら、周りの感じ方なんてどうでもいいでしょ」
「奈都はどうでもよくない」
 真っ直ぐ目を見つめて、手を握る。毎日バトンを握っているせいか、帰宅部勢と比べて皮が厚い。私も、毎日ラケットを握っていた時はこれより厚い手をしていたはずだが、今ではすっかりやわなオナゴの手だ。
 奈都が緊張したように視線を彷徨わせてから、私の顔を見ないで言った。
「嫌悪感はまったくないよ。ちょっと羨ましいのと、私のチサと仲が良くて嫉妬してる」
「羨ましいんだ。二人とも、奈都に帰宅部に入って欲しそうだったよ。そう言うと、奈都を迷わせちゃうかもだけど」
「いい子たちなのはよくわかってる」
 それだけ言って、奈都は私の手を引いて歩き出した。奈都はバトン部を辞めないだろう。入学してすぐ、奈都がバトン部を見つけてきた時、私は反対した。奈都にとって部活がどれだけ大事かはわかっていたので、一緒に帰宅部が無理なのは諦めていたが、バトン部はいささか衣装が可愛すぎる。奈都が少しでも男子や外部の男性から、性的な目で見られるのは嫌だとやんわり伝えたが、奈都は「見るとしても私じゃないでしょ」と取り合わなかった。奈都は自分の可愛さをわかっていない。そう主張したら、「チサには言われたくない。ミス結波とかあったらエントリーしてね」とはぐらかされた。
 活動自体も順調そうだ。時々技を見せてもらうが、あの金属の棒を器用にクルクル回すのは楽しそうだし、むしろ私もどうかと勧誘された。その時もし涼夏と絢音と知り合っていなければ、もしかしたら入ったかもしれない。ただ、私はすでに帰宅部の部長だったので辞退すると、奈都は「私たちの時計の針は、いつの間にかズレちゃったね」と悲しそうにため息をついた。変な子だ。
「今日は何する? 私は帰宅部のいつもの活動が知りたい」
 上ノ水への道を歩きながら、奈都が楽しそうに言った。私はわざとらしく唸ってから、困ったように奈都を見上げた。
「絢音とは勉強ばかりしてる。あの子にとって勉強は遊びらしい。涼夏とはメイク用品を見たり、使い方を二人で研究したりしてる」
 研究といっても、ほとんど涼夏に教えてもらっているだけだ。私は親の反対で学校にはメイクをしていけないし、土日に少し頑張っている程度であまり詳しくない。そして、奈都はメイクそのものに興味がない。私が涼夏に影響されてメイクを始めた時も、「そのままでいいのに」と残念そうにされた。もしそれが原因で奈都が涼夏のことを嫌いになったらどうしようかと心配したが、幸いにも奈都はそんなに分別のつかない子ではなかった。
「どっちも興味がないなぁ。他には?」
「カラオケは時々。新しい遊びも模索中だけど、無理にお金を使うこともないし、うちに来る?」
 そもそも嘘でなければ、生理がつらいから部活を休んだのだ。あまり引っ張り回しても悪いし、奈都は私の家に何度も来ている。もちろん、最寄り駅も同じで、お金が余分にかかることもない。
 奈都はそれは妙案だと頷いて、ニカッと白い歯を見せた。
「よし、そうしよう」
 誰もいない家は好きではないが、奈都が来てくれるのならそれはもうパラダイスだ。私が思わず微笑むと、奈都は照れ臭そうに視線を逸らせた。そんな仕草もとても可愛い。

 マンションの入口を開けて、エレベーターで上がる。部屋の入口も鍵を差して開ける。誰かいる時も鍵はかけてあるが、今は誰もいない。両親は共働きで、先に帰って来る母親も19時を回る。一人っ子なので、兄弟が帰ってくることもない。
 母親の仕事が遅くなったのは、私が中学に上がってからだ。その時は私も部活で遅かったから気にならなかったが、中2の時部活を辞めてから、この家に一人でいるのがたまらなく苦手になってしまった。つまり、寂しいということだが、それは両親には絶対に言えないし、そういう素振りを見せるわけにもいかない。
 高校でできた友達には、両親が共働きであることと、私が一人っ子であることは話してある。二人とも薄々感じ取っていそうだが、寂しいという感情を伝えたことはない。私がはっきりと寂しいという感情を表に出して甘えられるのは、ただ一人、奈都だけだ。
 部屋に入ると、奈都は無遠慮にベッドに座った。リュックとバトンケースを無造作に床に置いて、不躾に部屋を見回す。そういえば、すでに奈都の誕生日プレゼントは買ってあるが、引き出しにしまっておいてよかった。今日のこの展開は、さすがに予想できなかった。
「クッキーがあったと思うから、持ってくる。奈都、無理してない?」
「何が?」
「何って……生理は大丈夫かってこと」
 呆れながら指摘すると、奈都ははたと思い出したように手を打って、明るく笑った。
「へいきへいき」
「本当に生理なの? 私は、無理に付き合わせたんじゃないかって……」
「大丈夫だから。確認してみる?」
 今度はからかうような目をして、ニタッと笑った。私は無表情で「うん」と頷いて、カーペットの上に腰を下ろして奈都を見上げた。奈都はそれはそれはもう、見たこともないような慌て方をして、弾かれるように腰を浮かせて私を見下ろした。
 視線が絡み合う。くだらないチキンレースだ。私がじっと見つめていると、奈都は時々視線を彷徨わせたり、何か言いかけて口を閉じたり、もじもじと指を動かしたり、せわしなく体を動かした。中学時代は今より髪も短くて、色気のかけらもなかったが、いつからこんな女の子っぽい表情をするようになったのか。
 私がぼんやり見上げていると、奈都は意を決したように頷いて私の前に立った。
「本当に、一瞬だけだからね……?」
「奈都?」
 これはもしかして、いけない地雷を踏み抜いてしまったのだろうか。全然そういう展開を期待していたわけではないが、何やら覚悟を決めた奈都に今さらそんなことは言えない。
 私が息を呑んで見つめていると、奈都は目の前でスカートをたくし上げた。つけている下着を見れば、それだけで生理とわかる。何か言おうとしたが、奈都はそれより先に下着の前側に指を入れると、グイッと下げた。黒々とした茂みの下で、生理用品が赤く染まっている。
 もちろん、私も女だからもう何年も自分のは見ているが、こうして他人の生理用品を、しかも友達のものを見たのは初めてだ。当たり前だが同じなんだなぁというチープな感想を抱くと、奈都はすぐに下着を戻して、パンパンとスカートをはらった。
「ねっ! 本当だったでしょ?」
 奈都が顔を耳まで真っ赤にしてそっぽを向く。とんでもないことをさせてしまったが、ここで謝るのが悪手なのは明らかなので、私は平然と頷いて立ち上がった。
「うん。いいもの見た」
「変態!」
「クッキー持ってくるよ」
 自分の部屋を出てリビングに移動すると、途端に胸がドキドキした。奈都に目の前で下着を下ろさせてしまった。しかも生理中にだ。これは間違いなく、二人の特別な思い出になるだろう。内容はともかくとして。
 紅茶を淹れて、クッキーと一緒に部屋に運ぶ。奈都はカーペットの上に置いた小さなテーブルの前に座って、スマホをいじっていた。Twitterだろうか。私は絢音と涼夏と3人でインスタをしているくらいなので、ちょっとついていけない。私がコミュ障過ぎるだけかもしれないが、友達なんて最小限いればそれでいい。寂しいのは嫌だが、寂しい時だけのために友達を作るのは相手にも失礼だ。
 絢音は私の考え方に近い。人見知りでもないのに積極的に友達を作らないのは、作ったところで遊ぶ時間がないのがわかっているからだ。私と同じで、帰宅部の関係に満足している。涼夏はそんな私たちを見て「不器用だねぇ」と笑うが、結局いつも一緒にいるのは私たちだけだ。
「私、これ好き」
 奈都がクッキーを頬張って、子供のように微笑んだ。バトン部の話を聞こうとしたら、先に帰宅部のことを聞かれた。奈都は絢音と涼夏のことが気になるらしい。意地悪くそう言うと、奈都はあっけらかんと笑った。
「チサが作った友達だからね。チサにはもう、私以外に友達ができないんじゃないかって心配してた」
「それでユナ高に来てくれたの?」
「チサを愛してるから」
「その割には、バトン部に入ってあっさり放置されたけど?」
 ジト目で睨むと、奈都はあははと乾いた笑いを浮かべた。ユナ高を選んだのは、本当に私のためらしい。その割にはどうして部活に入ったのか聞いたら、奈都はなんでもないように答えた。
「部活が好きなんだよ。それだけ」
「私より部活を選んだと」
「毎朝一緒に登校してるし、チサと部活は両立できるって思ってね。今さらだけど、チサもやればよかったんだよ、バトン。男子もいないし」
 急に奈都が優しい眼差しを向ける。中2の時、私は男子関係のいざこざがあって部活を辞めた。もしかしたら、奈都はそれもあって女子だけの部活を選んだのかもしれない。そう尋ねると、奈都はあっさりと手を振った。
「いや、それは関係ない」
「私の感動を返して」
 お互いに近況を報告する。もちろん、毎朝通学の時に喋っているから、今さらな話題も多い。私の方で新しいことなど、絢音に親指をしゃぶられたとか、そんな話しかないが、奈都が心配するといけないから黙っておいた。西畑絢音がどんな子かは、奈都がこれから自分の目で見て確認してほしい。
 中学時代の話はしないという暗黙のルールがあるので、今の話題に始終する。元より、過去を振り返るような歳でもない。クッキーも話題もなくなってくると、奈都がうーんと伸びをしてからカーペットの上に寝転がった。最近夏服に替わり、胸部の膨らみがわかりやすくなった。呼吸に合わせて上下する胸を見つめていると、奈都が困ったように微笑んだ。
「ヤラしい目で見てる。襲われるまである」
「私は奈都のことを、そういう目でしか見たことがない」
「逆でしょ! 見てなかったじゃん!」
 奈都がいきなり体を起こして声を上げた。私は思わず噴き出して口元を押さえた。反応の大きさも涼夏に似ている。いや、奈都の方が付き合いが長いから、涼夏が奈都と似ているというべきだろう。私はこういうタイプが好きなのだ。
「絢音にさぁ、なんでハグするのかって聞いたら、気持ちいいし健康にもいいからってさ」
「健康にいいの?」
「心が落ち着いて、ストレスがすーって抜けていく感覚がある」
「ヤバいクスリやってるみたいな表現だ」
 奈都が明るく笑ってから、座ったまま私の方にすり寄って来た。帰り道で絢音とハグしているのを羨ましいと言っていたし、したいのだろうか。もちろん、長い付き合いだしこれまでにも何度もしているが、私のハグスキルは絢音に鍛えられて格段に上がっている。
 それを見せつけるべく、柔らかく抱きしめると、押し付け合う胸の感触が心地良かった。背は絢音よりも少し高く、運動しているせいで、腕や背中ががっしりしている。バトンはこの辺りの筋肉を使うのだろう。
 包み込むように背中を引き寄せて、頬に頬を寄せる。むにっとしていて少しひんやりした感触がとてもそそる。
「チサ、どんどん柔らかくなってく」
 私の腕に触れながら、奈都が耳元で囁いた。運動を辞めてから私の筋肉は落ちる一方だが、どんどん柔らかくなっていくというのも微妙な表現だ。
 髪からいい香りがする。香りというと、さっき目の前で下着を下ろされた時には、なんとも言えない官能的な匂いがした。もう一度嗅いでみたいが、新しい扉を3枚くらい開かないと、もうその機会は訪れないだろう。
 奈都が重力に従うように、ごろんと横向きに寝転がった。カーペットは硬いので、奈都の体を抱き起こすと、そのまま掛け布団の上からベッドに倒れ込んだ。
 仰向けに寝転がった奈都を覆いかぶさるように抱きしめると、奈都が私の背中を引き寄せながら不思議そうに呟いた。
「私たち、何してるんだろ」
「何って、ハグじゃないの?」
「ハグか……。確かに、健康に良さそうな感覚はある」
 全体重を預けるように抱きしめると、苦しかったのか奈都が「んんっ」と色っぽい声を漏らした。脳に響くからやめていただきたい。
 夏服になってから絢音とのハグも気持ち良さが格段に上がったが、さらに重力の力まで借りて、体温も、汗も、息遣いも、弾力も、身じろぎも、匂いも、何もかもが鮮明に感じられる。
「奈都、涼夏に言われて、帰宅部に入るか迷ってたのはどうして?」
 耳元で囁くと、奈都はいつもの声音で「んー」と考えるように言ってから、軽やかに笑った。
「どっちも楽しそうだから。体が一つしかないのが残念だ」
「帰宅部に来て、私と一緒にいて」
 素直に想いを伝える。絢音と涼夏にこの子が加われば、帰宅部は無敵だ。でもそれは、私にとってそうというだけで、奈都にはそれほどメリットがない。今でも私とは十分会っている。
「考えておくね」
 奈都がくすっと笑って、私の髪を指で梳くように撫でた。今はこれ以上無理強いはしない。奈都を困らせてしまう。もう一段本気で頼んだら、奈都は自分のやりたいことを一つ、私のために犠牲にするだろう。それは私の望むところではない。
 触れ合う肌が熱い。シャツの前の方は汗で濡れて、肌にべったりと張り付いている。さっきまでいい香りがしていた奈都も、今は少し汗臭い。私も同じだろう。
 ふと時計を見たら、まだ17時を少し過ぎたところだった。親が帰ってくるまで、時間はたっぷりある。どちらかが飽きるか体が痛くなるまで、今日はこのままこうしていよう。ハグは健康にいいらしい。なるほど、そんな感じだ。