開け放した窓から、セミの鳴き声が聞こえてくる。扇風機は一番強風で首を振っている。ベッドの上では、奈都がうつ伏せになって、私の買ったファッション雑誌を眺めている。剥き出しの太ももに、丸みを帯びたお尻。顔をうずめてみたいが、色々と失いそうなので我慢している。
外は暑いし、涼夏はバイトだし、家でのんびり過ごそうと思っていたら、奈都も今日は家でのんびり過ごす予定だったらしく、どうせならと二人でくつろいでいる。奈都の母親は専業主婦で家にいるので、こういう時はもっぱら私の部屋だ。中学の時もよくこうして一緒にいた。
私はタブレットで動画を見ていたが、いまいち気が乗らなかったので停止してイヤホンを外した。
「ねえ、奈都」
お尻を見つめながら呼びかけると、奈都は雑誌から目を外さずに、「んー?」と気のない返事をした。
「私、アルバイトをしたいと思うんだけど、どう思う?」
そう切り出しながら、そっとお尻に手を乗せて力を込めた。心地良い弾力で指が押し返される。これは絢音メソッドだ。真面目な話をしながらエッチなことをすると、話に気を取られてエッチな方への意識が散漫になる。堂々と奈都のお尻を撫でると、奈都は驚いた顔で体を起こした。
「どうしてお尻を触ったの?」
「バイトなんだけどさぁ」
「先にお尻の話をしよう」
きっぱりと奈都がそう言って、私に続きを話させなかった。おかしい。私は胸を揉まれながら真面目な話をされた時、とても胸のことに言及できるような空気ではなかった。たかがお尻でこうなるのは、奈都が空気を読めないせいだろう。そうに違いない。
「お尻に霊が憑いてたから手で祓った」
「怖いから! でも面白いからいいや。で、バイトするの?」
元々怒っていたわけではない。奈都がベッドの端に座って、好奇心半分、不安半分という顔で私を見下ろした。私は奈都の前に座ってコクリと頷いた。
「退屈しそうだし、お金も欲しいし、人生経験にもなると思うし」
「そっか。頑張ってね」
「奈都も一緒にやろう」
両手をそっと太ももに置いて、真っ直ぐ奈都を見上げた。スッと指先で太ももを撫でると、奈都が変な声を出して私の手を取った。
「私はいいよ。帰宅部の二人は?」
「涼夏の雑貨屋は今募集してないみたいで、絢音は塾との掛け持ちが大変そうだからパスって」
「それで私?」
「そういうわけじゃないけど、私には友達が3人しかいない」
何も考えずにそう言うと、自分の言葉に悲しくなった。数より質だとは思うが、自信満々に言うようなことでもない。
奈都がなんとも言えない顔をして、寂しそうに目を背ける。私は頭を振って悲鳴を上げた。
「そんな目で見ないで!」
「中学の時の3倍になったじゃん」
「やめて! 涙が止まらない!」
えーんと嘘泣きしながら奈都の太ももに顔をうずめると、奈都が優しく髪を撫でてくれた。なんだか言動がだんだん絢音に似てきた気がする。腰とお尻に手を回して、グッと引き寄せながらショートパンツに顔を押し付けると、奈都が私の髪を指で梳かしながら、困惑した声で言った。
「帰宅部のゼロ距離コミュニケーションに、私は戸惑いを隠せない」
「バイト、やるなら何がいい?」
顔が幸せなので、発言を意図的に無視して続けると、奈都は諦めたように私の頭に手を乗せた。
「そもそも夏休みに短期でやってて、今からでも大丈夫なところだよね? やっぱりイベントスタッフとか?」
「肉体的に大変なのは無理だ。私は文化系なの」
「おい、元バドミントン部」
帰宅部でだらだらしている今思うと、よく中学時代、素振りとか走り込みとかしていたと思う。中1なんてきっと自分の意思などなく、ただ言われるままに行動するだけの生き物なのだ。もちろん、中には絢音みたいに自分でバンドを組んでしまうような子もいるが、私の方がマジョリティーだと信じたい。
「涼夏の雑貨屋とか、楽そう……って言ったら涼夏に悪いけど、客層もいいし、いいなって思う」
奈都のお腹に顔をうずめたまま、くぐもった声で言った。もちろん仕事だから楽ではないだろうが、例えばコンビニと比べたら客層もいいし、やることも少ないし、トイレ掃除もない。私のような人生経験の少ない女子高生にもできそうな気がする。
奈都が同意を示しつつも、残念そうに息を吐いた。
「ああいうところは、長期でしかやってないだろうね。人の入れ替わりも少なそうだし」
「どこかない? 屋内で、客層が良くて、肉体労働じゃない仕事で、短期でも雇ってくれそうなとこ」
「お前は我が儘なお嬢様か」
奈都が呆れたようにそう言いながら、スマホを取って画面をタップした。私も幸せな温もりを手放して、奈都の隣に座ってタブレットを起動した。
しばらくアルバイトについて検索したら、カラオケなどは店によって短期で募集しているところもあるようだった。夏休みで学生客が増え、通常は暇な平日にスタッフを増強したいらしい。夜はアルコールが提供されるのでダメだが、昼なら客層もいいだろうし、仕事もそんなに複雑ではない。
私が目を輝かせると、奈都が眉をひそめて難色を示した。
「でも、カラオケだと、二人一緒は難しそうじゃない?」
確かに、二人一緒に雇ってくれたからといって、常に同じシフトに入れるわけではない。友達と一緒にバイトをやるメリットを調べると、急用の時にシフトの融通が利くというのがあった。つまり、最初から同じ時間には働かない前提だ。
「まあ、どうせ仕事中はお喋りとかできないだろうし、同じ場所で同じ仕事をしてるってだけでも良くない?」
「チサと一緒じゃなかったら、私は別に働くことに興味がないけど」
奈都がそう言って、真っ直ぐ私の目を見つめた。確かに、私に付き合おうとしているだけの奈都が、私のいない時にバイトをするメリットはない。元々私が一人だと不安だし寂しいから、無理を言って巻き込んでいるだけだ。
相変わらず、私は奈都に甘えすぎている。涼夏は春からずっと一人で働いている。私も見習わなくてはいけない。
「そうだね。やっぱり、私一人でやる」
タブレットを持ったままベッドから下りて、カーペットの上に腰を下ろした。テーブルにタブレットを立てて近くのカラオケ店を検索していると、奈都が「もうっ!」と拗ねたように言って、ベッドから下りて私の背中に張り付いた。
「なんで最近、そんなに私に冷たいの? 嫌いになったの?」
「いや、どう考えても大好きでしょ。ただ、あんまり甘えちゃダメかなって」
「私、別にチサに自立しろなんて言ってないよ?」
奈都が甘えるように私に抱き付いて、耳元で不満を訴えた。それは、一緒にできるバイトを探せという意味だろうか。温もりにドキドキしながらそう聞くと、奈都は可愛らしく頬を膨らませて、横から私の顔を覗き込んだ。
「もうカラオケでいいよ。私も頑張ってお金を稼いで、ゲームでも買う」
「オシャレに使おうよ」
「オシャレっていうと、面接とか、私すっぴんでいいの? チサと並んだら、私のブスさが半端ないんだけど」
奈都が勘弁してくれと首を振った。ちょっと日本語がよくわからない。
「ブスって、誰が?」
思わず真顔で振り返ると、数センチの距離に奈都の顔があって胸がトクンと鳴った。勝ち気な瞳だが、綺麗な顔立ちをしている。あの涼夏をもってして、奈都が帰宅部に加われば顔面レベルの向上に繋がると言っていた。どう考えても、この子はブスではない。
「もちろん、私が」
奈都が頬を赤らめて視線を逸らす。吐息が顔にかかったが、気にせずに両肩に手を乗せてさらに顔を近付けた。
「奈都は可愛いよ」
「チサに可愛いって言われてお世辞と思わないのは、涼夏くらいだよ」
「奈都が可愛いかどうかと私の顔は関係ない」
至近距離から真っ直ぐ瞳を見つめると、奈都は慌てたように視線を彷徨わせてから、顔を隠すように私の肩に額をつけた。
「わかったよ、もう。チサはちょっと変わった趣味をしてるってことで」
「わかってない。奈都は可愛いから。すごく可愛いから」
「わかった。わかったから。恥ずかしいからもうやめて」
奈都が降参だと言わんばかりに首を振って、グリグリと私の肩に額を押し付けた。やはりどう考えても可愛い。
そっと背中を抱き寄せて、意地悪するように何度も耳元で可愛いと囁いた。何度も何度も言われれば、その内自分でもそう思うようになるだろう。人間とはそういう生き物なのだ。たぶん。
バイトは結局カラオケにした。あの後、定期券の効く範囲でカラオケ店を調べ、片っ端から電話して夏休みのバイトを募集していないか聞いたら、恵坂のど真ん中にあるカラオケ店が、面接で問題なければ二人まとめて雇うと言ってくれた。
本当はもう少し田舎の、客の少なそうな店が良かったが、そんなところにあるカラオケは二人も必要としていないか、そもそもバイトを募集していない。繁華街の巨大な店舗だからこそ、人もたくさん雇えるのだ。
早速午後から面接に行くことにして、奈都は一度家に帰って着替えつつ、親の許可を取り付けた。私と一緒ならとOKしてもらえたらしい。もちろん私は、家も近いし友達が奈都しかいなかったこともあって、奈都の母親とも何度も会っている。
「顔面の公開処刑だ。キミは可愛くないから、こっちの子だけでいいとか言われたら、私はもうチサと仲良くできないかもしれない」
奈都が絶望的な表情でそう言うので、少しメイクを施してあげた。少しは興味を持ってくれるかと思ったら、「涼夏って、毎日こんな面倒なことしてるの?」とげんなりした顔で言った。ただ、目元はパッチリしたし、唇のツヤも良くなって、最後には鏡を見ながら嬉しそうにしていた。
「私しか受からなかったら辞める」
電車の中でハッキリとそう宣言すると、奈都はもちろん自分もそのつもりだと頷いてから、柔らかく微笑んだ。
「チサが良かったら、私のことは気にしなくていいよ。バイトをするのが目的であって、別にどうしても私としたいわけじゃないんでしょ? そんなに都合よく二人まとめて採ってくれるとこ、ない気がする」
それももっともだ。そうなったらそうなった時に考えることにして、面接に臨む。結果として、思ったよりもあっさり合格して、すぐにでも働いて欲しいと言われた。短期バイトを二人も雇うのだ。人が足りていないのだろう。
未成年なので親の同意が必要だと書類を渡され、その日は簡単な説明を受けて帰された。せっかく外に出たし、多少はオシャレもしてきたので、奈都と恵坂で遊んで過ごした。ブラブラと街を歩きながらバイト代の使い道を考えたり、カフェでカラオケのバイトについて調べたりしていたらあっという間に時間が過ぎて、イエローラインの駅に戻る。まだ暑いし明るいが、冬ならとっくに暗い時間だ。
「ほんの5、6時間前まで、アルバイトするなんて考えもしてなかったのに、人生は本当に不思議だ」
座席に座ると、奈都がそう言って爪先をコツンと打ち合わせた。勢いで巻き込んでしまったが、面接の後の言動を見ても、後悔している様子はない。
「私も、漠然と考えてただけだから、奈都に背中を押してもらった感じ」
「まったく押してない。チサが、一緒にバイトをしないなら友達をやめるって言ったから」
「まったく言ってない」
同じように否定して、二人でくすくす笑った。店長は優しそうだったし、他のアルバイトは同じ学生が多い。初めてのバイトで不安もあるが、今は楽しみの方が大きい。そう思えるのも、奈都がいるからだ。嫌なことがあっても、それを奈都と共有できれば頑張れそうだ。
「カラオケのバイトについて調べてたら、同世代が多いから、カップルができることも多いって書いてあった」
奈都が声のトーンを落として私を見た。不安そうな目をしているが、何に対するものだろう。
「恋愛したいの?」
私が首を傾げると、奈都は慌てた様子で手を振った。
「そんなわけないでしょ!?」
当然のようにそう言ったが、そうなのだろうか。私は不思議に思った。帰宅部の3人と違って、奈都には恋愛を遠ざける理由がない。3年以上一緒にいるが、少なくとも私にはそう見える。ただ、実際のところ、奈都は男子に興味がないし、色恋沙汰とも無縁な生活を送っている。ゲームやアニメが好きだし、実は二次元が恋人なのだろうか。
「私のことじゃなくて、チサ可愛いから、誰かに好きになられないか心配って話」
「もうあんなこと懲り懲りだから、上手に好かれないようにするよ。あの時は、私が恋愛に対して無防備すぎた」
そう言って笑うと、奈都はしばらく真剣な表情で私を見つめてから、「そうだね」と頬を緩めた。奇妙な間があった。何か意味を取り違えただろうか。
最寄り駅に着いたので電車を降りる。
「奈都こそ、誰かに好きになられて告白されるシミュレーションはしておいた方がいいよ。油断してると、咄嗟に対応できない」
別れ際、そう忠告すると、奈都が可笑しそうに目を細めて頷いた。
「ありがとう。参考にするよ」
「奈都は可愛いんだから」
「はいはい。ありがとね」
まったく信じていないようにそう言って、奈都は元気に手を振って帰って行った。
夕方だがまだ日は高い。家に帰ると、当然のように両親はまだ帰っていなかった。確か今日は涼夏は朝から夕方までだったはずなので、バイトが決まったとメッセージを打った。暇になったら電話してと送ると、すぐに既読がついてスマホが震えた。
『もしもし、千紗都?』
スマホの向こう側は静かだったので、もう家にいるようだ。改めてバイトが決まったことを伝えると、涼夏が「早いねぇ」と笑った。
『どこ? 私んとこから近い?』
「生憎。恵坂のカラオケ屋」
店の名前を告げると、涼夏は「あそこかー」と相槌を打った。一緒に入ったことはないが、入口の前は何度も通っている。
『千紗都は寂しがりだし、うちに来ればよかったのに。1階のスーパーとか、バイト募集してたよ?』
心なしか残念そうに涼夏が言った。たぶん、私のためだけではなく、涼夏自身も私に来て欲しかったのだろう。その気持ちは嬉しいが、先にカラオケ店で働きたい思いがあり、さらに奈都と二人で雇ってもらえる場所である必要があった。涼夏のバイト先の近くのカラオケ屋にももちろん電話したが、そういう条件では募集していなかった。
「涼夏のことは恋しいけど、奈都も一緒だから、寂しいのはたぶん大丈夫」
そう伝えると、涼夏が驚いたように声を上げた。
『ナッちゃんもバイトしたかったの?』
「いや、私が無理矢理巻き込んだ。しかも、今日、いきなり」
『それは災難だね。でも、それで一緒にバイトをするって、さすが正妻って感じ』
正妻かどうかはともかく、本当に付き合いのいい子だと思う。ほんの数日前、私は奈都から見に来て欲しいと言われていた部活の演技を、後から入った用事を優先して蹴った。喧嘩にもなったし、少なからず私に失望もしただろう。にも関わらず、奈都は私の我が儘を聞いてくれる。
「優しい子なんだよ。昔から私と一緒にいてくれる」
『千紗都のことが好きなだけでしょ。正妻だし』
「そうかなぁ。私が依存してるから、仕方なくって感じに見える」
『私が千紗都といるのはどう見える?』
「涼夏は私のこと大好きでしょ」
即答すると、涼夏が可笑しそうに笑った。私が可愛かったからと言って、いきなりキスしてきたような子だ。それはもう疑いようもない。
話題が涼夏に移ったので、そのままアルバイトの先輩に心構えを聞くことにした。業種は違えど、同じ接客業である。まず何に気を付けるべきか質問したら、涼夏が楽しそうに言った。
『笑顔で、元気に、明るく。教えてもらう時は謙虚に。ミスをしたら申し訳なさそうにして謝る。千紗都は可愛いから大丈夫だよ』
「可愛いのは、バイトをする上で何か有利なの?」
『バイトに限らず、可愛いから許されることが、世の中にはたくさんある』
涼夏が自信たっぷりに言い放った。それはどうなのだろう。涼夏クラスだとあるのかもしれないが、私はそういう恩恵を感じたことがない。気付いていないだけか、それとも単に可愛くないからか。
それから親が帰ってくるまで1時間くらい、涼夏からだらだらとバイトについて教わった。涼夏のポジティブな話を聞いていると、元気が湧いてくる。
後で奈都にも伝えよう。奈都は私と違ってなんでも自分でできる子だが、もし少しでも初めてのバイトで不安がっているのなら、巻き込んだ責任としてそれを取り除いてあげたい。
すぐに迎えたアルバイト初日は、私たちの緊張緩和と、教育の労力を半分にするために、二人一緒に入れてもらえた。
カラオケの仕事は主にフロア、フロント、キッチンの3つに分かれるが、最初はフロアから始まる。部屋の掃除や、ドリンクや食事を部屋に運ぶ係だ。特に初日は掃除に専念する。2人もいる上、先輩も手伝ってくれるし、お客さんの多くはフリータイムを利用する。そんなに忙しくないだろうと思ったら、甘かった。忙しくなかったらいきなりバイトを2人も雇ったりしないのだ。
アルコール消毒や拭き掃除、リモコンの充電にマイクの交換、グラスや皿を下げて、忘れ物があればフロントに届ける。案の定学生客が多いが、中にはタバコを吸う客もいるし、喫煙室の掃除は特に大変で、ニオイで頭が痛くなった。しかも窓のない室内にずっといるせいか、無性に太陽が恋しい。外は暑くてあんなにも屋内を望んでいたのに、閉じ込められると外に出たくなる。
さらに、基本的にはエレベーターの利用は禁止されているので、階段を何度も往復する。中学時代の部活を思い出す運動量に、すぐに体が悲鳴を上げた。「情けないなぁ」と笑う奈都の笑顔だけが心の支えだ。
ただ、基本的には掃除だけなので客と関わることがなく、先輩もいい人だったのでそれは救われた。結局どんな仕事でも、それこそ学校や部活でも、一番悩むのは人間関係である。コンビニよりは客層の良さそうなカラオケ店だが、トラブルのトップはやはり客で、特に夜は酔っぱらいが絡んできて大変だという。
「可愛い店員さんが、酔っぱらいに部屋に連れ込まれたりすることもあるって書いてあった。チサ、本当に可愛いから、本当に気を付けてよ?」
奈都が心配そうにそう言っていたが、相変わらず奈都は自分がそういう目に遭う可能性は一切考えていない。夕方までしかバイトはしないし、大丈夫だと答えつつ、奈都もくれぐれも気を付けるよう念を押した。
結局てんやわんやで初日を終え、二人でぐったりしながら店を出た。降り注ぐ日差しが心地良い。まだじっとりと汗をかくくらいの気温だが、もう屋内は懲り懲りだと、大通公園のベンチに腰掛けた。奈都が私にもたれかかりながら、肩に頭を乗せた。
「疲れた。思ったのと違った」
「うん。これで涼夏と同じくらいのバイト代って、世の中不公平だ」
「涼夏もきっと、私たちの見えないところで大変なんだよ」
「暇で死にそうだから、もう少し刺激が欲しいとか言ってたよ?」
夏休みに入ってからはわからないが、それまでは平日などただの見張り番みたいなものだと笑っていた。そう伝えると、奈都が困ったように笑ってから、私の手をギュッと握った。
「でもまあ、慣れそうな感じはある。それに、今日一日で、私のひと月のお小遣いを超えたと思うと、なんだかすごく複雑な気持ち」
時給950円で、休憩除いて6時間。奈都はお小遣いが5千円なので、あっさりとそれを上回った。私は1万円もらっているから超えていないが、それでも次回で超えるし、涼夏と違ってお小遣いももらえるので、信じられないくらい裕福だ。
「今日はヘトヘトだから気持ちは五分だけど、慣れてシフトの融通も利くなら、私も涼夏みたいに平日にバイトしてもいいかもしれない」
「学校から許可が下りればね」
奈都が苦笑する。確かに、夏休みは親の許可だけでバイトができるが、学期内は学校への届と認可が必要になる。涼夏の家はいわゆるシングルマザーなので、それを理由に許可をもらっている。もっとも、給料は全額自分のために使っているが、私が「遊ぶ金欲しさに」という理由で届を出しても、恐らく却下されるだろう。
先のことはまたこれから考えよう。とにかく今日は疲れた。
ぴったりと触れ合う肌が熱い。私も奈都の髪に頬をつけて目を閉じた。じっとしていると奈都の鼓動と呼吸を感じる。
「バイト、付き合ってくれてありがとう」
囁くようにそう言うと、奈都は小さく頷いた。
「うん。正妻だから」
「それ、気に入ったの?」
「私はずっと、チサの特別でいたい」
そう囁いて、奈都が痛いくらい強く私の手を握った。嬉しいことを言ってくれる。髪の毛にキスをしたら、汗の匂いがした。
明日は奈都は部活だが、私はバイトをすることになっている。奈都がいないのは心細いし、早速オーダーにも対応してもらうと言われて不安もある。それでも、それもいい経験だし、お金はやっぱり魅力的だ。
明日も頑張ろう。今、気持ちがとても前向きだ。