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再び巡るその日に向かって

11

 夜、シィスと最後の別れをしてから城に戻ると、すっかり逞しくなった少年たちが笑顔で迎えてくれた。
「お帰り、セリシス」
 ヒューミスは頬に傷を作っていたが、本人はそれが気に入っているようだった。ほっそりしていた腕や脚も随分筋肉で太くなっていたし、気のせいかもしれないが背も少し伸びた気がする。元々成長期だ。ちゃんと栄養さえ取れば、セリシスを追い越すのは時間の問題だろう。
 腰を見ると、細身の中剣を佩いていた。イェラトはもう少し幅の広い頑丈そうなものを持っている。ケールからもらったらしい。買えば高いものだろうが、彼は気前良く二人に与えてくれた。
「ヒューミス、イェラト、明日ここを発つわ。今夜中に出発の準備をしなさい」
 二人は顔を見合わせてから、嬉しそうに声を上げた。城での生活も楽しかったが、まだまだ若い二人だ。早く旅に出たくてしょうがなかったのだ。
 子供たちを先に部屋に戻すと、セリシスはフィアンの許を訪れた。そしてまずケールに二人を育ててくれたこと、剣を与えてくれたことに感謝の言葉を述べた。
 ケールは二人は筋がいいから、本当はこのまま鍛えて兵士にしたいくらいだと笑った。意外なことに、イェラトよりもヒューミスの方が剣が上手いらしい。ただ、ヒューミスは性格が温厚なので、やはりいざというとき役に立つのはイェラトだろうと付け加えた。
 それからセリシスはフィアンに、二週間もの長い間置いてくれたことに礼を述べた。フィアンは首を振って笑った。
「私はずっと置いてやってもいいんだ。むしろそれをこちらから頼みたいくらいなのは、君もわかっているだろう」
 セリシスは思わず頬を赤らめて小さく頷いた。実際フィアンは、侍女でもいいからセリシスにいて欲しいと願った。それは元々貴族だったセリシスのプライドを傷つける発言だったが、フィアンはそれほどまでに彼女を求めていた。この二週間で、昔の淡い恋はもっと確固たるものに変わっていたのだ。
 もちろん彼の発言に、セリシスは傷付いたりしなかった。元々貴族のプライドなど持っていなかったので、純粋にフィアンの申し出を喜んだ。けれど、元は結婚できる立場にあった自分が彼の侍女になるのは、二人とも辛くなるだけだ。セリシスはそう言って、やはり旅立つことを伝えた。
「明日、ここを出ようと思います」
「そうか……」
 フィアンは残念そうにしたが、もう引き止めたりはしなかった。ただ一言だけ自分の気持ちを素直に伝えた。
「セリシス、覚えておいてくれ。もしも君が、また何かの巡り合せで貴族に戻るようなことがあったら、その時は真っ直ぐここに来て欲しい。私は幸いにも第二王子だから、結婚を引き伸ばすのは可能だろう」
「フィアン様。そうやっていつまでも私のために時間を止めるのはよくないわ」
 セリシスは首を振ったが、フィアンは気にせず笑い飛ばした。
「君が気にすることはない。それと結婚の話は別にして、もしまたこの街に寄ることがあったら、必ずここに来て欲しい。もうあんな再会の仕方はしたくないからな」
 セリシスは兵士たちから逃げ回っていた自分を思い出して小さく笑った。なんだか遠い昔のことのような気がしたが、あれからまだ二週間しか経っていないのだ。
「それは約束します。必ず、ここに参ります」
 フィアンは大きく頷いてから、ケールに何か言った。ケールは引出しから箱を取り出すと、それをセリシスの前に持って行き、そっと蓋を開けた。中には子供たちの通行証と、それからあからさまに金が入っていると思われる袋が入っていた。
「フィ、フィアン様!」
「餞別だ。小さな街は知らないが、少なくともトロイトもメイゼリスも入るのに通行証が必要だ。金も同じくらい必要だろう。何か仕事を始めるにしてもな」
 セリシスはすぐに断ろうとして、思い留まった。他人の善意は無下に断るよりも、ありがたく受け取り、別の形で返すことを考えた方が良い。それに、彼の言った通り金は常に必要なものだ。
「ありがとう……」
 セリシスは箱を受け取り、思わず涙ぐんだ。フィアンはそっとセリシスの側に行くと、「気にするな」と笑った。そして、話を変えるように尋ねた。
「それで、結局仕事は考えたのか? その金もいつかはなくなるぞ?」
 セリシスは大きく頷いた。
「ええ。シィスは薬学が好きで、頑張って薬師になったわ。私も魔法が好きで、それに魔法しかないから。フィアン様にも黙っていたし、両親にも兄弟にも内緒にしていたけれど、これからは自分が魔法使いであることを公言して、それを糧にして行こうと思います」
「魔法か……」
 フィアンはそう呟いてから、名案を思い付いたと言うように軽く手を打った。
「もし良かったら、セリシス。これからウィサンに行ってみたらどうだ? 私がウィサンのエデラス王子に紹介状を書いてやろう」
 ウィサンとはこの界隈では珍しく魔法に力を入れている国で、巨大な魔法研究所を持っている。所長はタクト・プロザイカという青年で、北の魔法大国ヴェルクの国王ハイスとともに魔法を勉強していた男だった。
 どちらかと言えば、ウィサンは魔法を敵視しているマグダレイナとは相容れぬ国で、セリシスは驚いて尋ねた。
「フィアン様は、ウィサンの王子とお知り合いなのですか?」
 フィアンは笑って答えた。
「友人だよ。それに、シティア王女のことで聞きたいこともあるし……いや、それはこっちの話だが、ついでに手紙を届けて欲しいという思いもある。もしよければだが、その箱に入っている金はその手紙を届ける代金ということでどうだ?」
 セリシスはあまりの嬉しさに、しばらく身を震わせて突っ立っていたが、その内ボロボロと涙を零してフィアンの胸に飛び込んだ。
「ありがとう、フィアン。私……本当に嬉しくて……」
「いいんだ、セリシス。私は、本当はもっとお前のために色々してやりたいんだが……。今の私にはこれくらいしかできないから」
 セリシスは首を振った。何か言わなければいけないと思ったけれど、言葉にならなかった。ただ今は、時が許す限りこの腕の中にいたいと思った。
 やがて、セリシスはフィアンと別れて部屋に戻った。涙の跡はできるだけ拭ったけれど、あの聡明な子供たちのことだ。恐らくすぐに気付くだろう。セリシスは構わないと思ってドアを開けた。
 子供たちはすでに出発の準備を済ましており、セリシスの帰りを待っていた。
「遅かったな、セリシス。フィアン様と熱い抱擁でも交わしてたのか?」
 イェラトはもちろん冗談で言ったのだが、セリシスは図星だったので顔を真っ赤にして俯いた。
 冗談が本当だったときほど気まずいこともない。イェラトはぼりぼりと頭を掻いてから、「若いっていいな」と、わけのわからないことを口走った。
 不意にクリスが立ち上がり、一度二人を見てから真っ直ぐセリシスを見つめて口を開いた。
「セリシス。それにヒューミスもイェラトも。私、大事な話があるの」
「え?」
 その様子があまりにも真剣だったから、二人は思わず腰を浮かせ、セリシスも表情から一切の微笑みを消してクリスの目を覗き込んだ。クリスはじっとセリシスを見つめながら、はっきりとした口調でこう告げた。
「私、この街に残ろうと思う。シィスに雇ってもらって、働きながら何かを見つけてみようと思うの」
 クリスの突然の告白に、子供たちは蒼ざめ、うろたえた。セリシスも動揺を隠し切れず、表情を険しくして尋ねた。
「よく考えたの? 一時の感情で動いてはダメよ?」
 クリスは大きく頷いた。
 クリスは元々、病弱ではなかったが身体が強い方でもなかった。それに力もなかったし、このままセリシスたちと宛てのない旅を続けるのは正直辛かった。それにクリスは、この旅は、自分たちの居場所を見つけるためのものだと考えていた。だから、然るべき時が来たら判断を誤らずに抜けることも大切だと思っていた。
「それに私は、ここに残ってサルゼやウェルスを待とうと思うの。彼らは必ずこの街に来るから。中に入れるかはわからないけど、もし再会できたら、サルゼたちにセリシスの居場所を伝えたい」
 クリスが言ったのは、リアスで別れた仲間たちだった。リアスからマグダレイナは一本道だが、ここから大きく南北に道が分かれる。もしも何も知らずにサルゼが南へ行ってしまえば、北にあるウィサンに向かうセリシスたちと再会するのは絶望的だ。
 クリスが本気なのを悟って、セリシスは笑顔で頷いた。この別れは悲しいものではない。セリシスは前向きだったし、むしろこうしてクリスが独り立ちしてくれたのが嬉しかった。イェラトもヒューミスも気持ちは同じだった。
「わかったわ、クリス。私はあなたの意思を尊重します。シィスのこと、それにサルゼのこと、くれぐれもよろしくお願いします。サルゼたちは、私がフィアン様に言って街に入れるようにしておくわ。だからきっと会って私がウィサンへ向かったことを伝えてね」
 クリスは顔を綻ばせて、それから固くセリシスと握手し、抱き合った。子供たちとも一度ずつ長い抱擁を交わして、クリスは涙を流しながら明るく笑った。
 4人はその夜、思い出話に花を咲かせ、何度も何度も再会を約束してから眠りについた。

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