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再び巡るその日に向かって

 二人は人々をそれとなく観察しながら街を歩いていた。他人の金の持ち方など今までまったく気にしたことがなかったが、改めて見てみると色々だ。買い物篭に財布を入れている人もいれば、ポケットに必要な分の硬貨をそのまま入れている人もいる。旅人よろしく腰に巾着を着けている人もいれば、服の中に隠すように持っている人もいる。市民はおおむねそんな感じで、基本的に金は家に置いているので、あまり大金は持ち歩いていない。
 全財産を持ち歩いている者と言えば、やはり旅人だろう。イェラトたちは分けるほどの金でもなかったが、それでも所持金を全員で少しずつ分けて持っていた。それは個々の金という意味ではなく、単に何かあったときに他が残るようにするためである。別に誰かを倣ったわけではなかったが、どうやら大半の旅人がそうしているらしく、彼らは所持金をいくつもの巾着に分けて下げていた。
 どうせやるなら一度にたくさん取れた方がよい。つまり、旅人の持ち物を狙った方がいいが、市民より彼らの方がガードが断然固いことをイェラトは知っていた。ましてや自分たちはプロではない。旅人を狙うのは、それこそ自殺行為だ。
「ヒューミス、ここは買い物途中の市民を狙おう」
 もちろんヒューミスも、旅人を狙うような度胸はなかったが、ふと思い付いた疑問を口にしてみた。
「でもそれじゃあ、明日の宿代も稼げないよ。何人もやってたらその分危険が高まるし」
 確かに、いくら相手があまり警戒していない市民とはいえ、何人も何人も相手にしていたら、気付かれる可能性が高くなる。
「じゃあ、セリシスみたいな、ぼーっとした感じの旅人を狙うか?」
 イェラトが横目でそう言うと、ヒューミスは思わず笑って頷いた。もちろん、セリシスが見た目よりしっかりしているのは知っていたが、もしも相手が彼女ならば、なんとなく自分たちにも盗めそうな気がしたのだ。
「でも、そんな都合よくいくかな……」
 ヒューミスが前を向き直ってぼやいたとき、彼らの目に果たして一人の少女が飛び込んできた。少女と言ってもセリシスと同じくらいで、彼らよりはだいぶ年上だったが、背が低くて幼く見えた。動きやすそうな服は袖が肘までなく、やはり膝が見えるほどの短いスカートは幅の広いベルトで留めてあって、そこに細い剣と、その逆側に膨らんだ巾着が下げられていた。
 剣士風の出で立ちだが、彼女が剣士でないのはすぐにわかった。腕はあまりにもほっそりしているし、まったく隙だらけでイェラトでも勝てそうだった。ちらりと見た表情は温和で、少しだけ笑顔を浮かべて周りの賑わいに目を配っていた。
 恐らく商人の娘か何かだろう。二人はそう囁き合ってから、ふと彼女の指に綺麗な指輪が填められているのを見た。擦れ違い様に観察すると、指輪には深緑色の石が填められていた。
「魔法使いか……」
 イェラトが足を止め、少女の方を振り向きながら呟いた。もしもセリシスが魔法使いでなければ気付かなかっただろう。あの石は紛れもなく、魔法を使うときに必要とされる凝力石だった。
 ヒューミスも同じように彼女の背中を見つめながら、口を開いた。先程よりは少しだけ晴れやかな顔をしている。
「セリシスだって魔法使いだよ。あの人なら、上手くいきそうな気がする」
「違うな。あの子で上手くいかなかったら、誰が相手でも無理ってことだ」
 イェラトがそう言うと、ヒューミスは「同じだよ」と笑って言った。これからしようとしていることはもちろん犯罪であったし、捕まれば未来が断たれることはわかっていたが、それでもいたずら好きな子供心に火がついて、スリが半ばゲームのように思えてきたのだ。
 二人は彼女から距離を置いて、後をつけた。少女は相変わらず賑やかな市を楽しそうに眺めて歩いている。どうやら仲間はいないようだ。もっとも、一人で旅ができるような娘には見えないので、ひょっとしたら宿に残っているのかも知れない。合流されたら厄介だ。
「やるぞ、ヒューミス」
 イェラトが言うと、ヒューミスは珍しく勝気な瞳をして大きく頷いた。そして一歩前に出たヒューミスを、イェラトは低い声で呼び止めた。
「そうだヒューミス。一つ約束しよう」
 訝しげに振り返ったヒューミスの隣を歩きながら、イェラトは少女の巾着をじっと凝視したまま言った。
「もしも俺が捕まっても、お前は俺を無視してセリシスのところに戻ること。もちろん逆でも同じだ。とにかく、二人とも捕まる事態だけは避けなくちゃいけない」
「イェラト、そんな不吉なこと言うなよ!」
 怒ったように言ったヒューミスを、イェラトは小声で諭した。
「最悪の事態を考えてないヤツは、最悪の事態に見舞われる。まっ、そういうことだな」
 ヒューミスは無言で頷くと、なるべく少女から離れた場所で彼女を抜き去り、何事もなく正面から彼女に近付いた。そして少女の巾着とは反対側に立って、そっと呼びかける。
「あの」
「えっ? はい」
 少女は一瞬驚いたような顔をしたが、すぐに温和な表情に戻ってヒューミスを見下ろした。先程は格好に気を取られていたから気付かなかったが、瞳は大きくてキラキラしていたし、目鼻立ちの整ったなかなかの美人だ。
 ヒューミスはそんな少女に真っ直ぐ見つめられて少しドキドキしながら、視線をイェラトのいる方とは反対に向けて尋ねた。
「闘技場って、どこにあるか知りませんか?」
「闘技場?」
 マグダレイナの闘技場といえば、剣術大会の会場となる舞台で、他にもスポーツが行われたり、式典が行われたりと、用途の多いこの街の中心的建物だった。
 ヒューミスはマグダレイナは初めてだったが、闘技場の場所は知っていた。ただその場所が巾着とは反対方向にあったから、敢えて使ったのだ。
 少女は闘技場のある方を向いて答えた。
「ほら、あそこに高い塔が見えるでしょ? あれに向かって歩けば着くわ」
「そうなんだ。ありがとう。僕、この街は初めてで。お姉さんはこの街の人なんですか?」
 少女は明らかに旅装束で、そんなことあるはずないのだが、ヒューミスは何も知らない無知な少年を装った。
「いいえ。でも、ここにはよく来るわ。この街が好きなのよ」
「へー。魔法使いなのに、珍しいですね」
 言ってから、ヒューミスはしまったと思った。マグダレイナは武道の街で、魔法を敵視していることをセリシスから事前に聞かされていた。そして目の前の少女は凝力石を持つ魔法使いであるにも関わらずこの街が好きだと言ったことが、ヒューミスには意外だったのだ。
 けれど少女はあまり詮索する様子を見せず、「これ?」と指輪をヒューミスの前に掲げて屈託なく笑った。
「これはただの飾りよ。あなたみたいに、これを見ただけで魔法使いだって思う人には、それだけで脅しになるでしょ? 魔法使いであることを隠してる魔法使いに見せかけて、実は魔法なんて使えないの」
 そう言って、少女は笑った。ヒューミスはスリのことなどすっかり忘れて、少女との会話に夢中になっていた。
 その間に、イェラトは少女に限りなく接近していた。混雑の真っ只中で、先程から多くの人が二人にぶつかっていたし、足を止めている二人を迷惑そうに見ていく。これならば、少々の刺激では少女も気付くまい。
 イェラトは歩く速度を緩めると、そっと少女の巾着に手を伸ばした。縛り方はすでに目に焼き付けてあるし、解き方もイメージしてある。ちらりと見上げると、少女はすっかりヒューミスと話し込んでいて、まったくイェラトには気が付いていないようだった。
 イェラトは素早く少女の巾着袋の紐を解いた。元々手先は器用な方だ。とても初めてとは思えない手つきで仕事を完了すると、袋を持って引っ張った。
 刹那、突然殴られたような衝撃を肩に受けて、イェラトは思わず持っていた巾着を地面に落とした。ジャリという金の擦れる音がして、少女がはっとなって振り返る。イェラトはすぐに逃げようとしたができなかった。何者かに肩をがっしりとつかまれていたのだ。
「こんなところにおられたのですか、シィス様」
「ゲルス!」
 ゲルスはイェラトの3倍もありそうな大男だった。筋骨隆々というわけではなかったが、がっしりした体つきは熊のようだった。いかつい顔をしており、堅物なのが雰囲気からわかる。
 ゲルスはイェラトを押さえつけたまま巾着を拾うと、それをシィスに渡して咎めるような口調で言った。
「シィス様。街にはこのような輩もおります。くれぐれも注意してください」
「ごめんなさい」
 シィスはしょんぼりと項垂れながらそれを受け取ると、解かれた紐できつく縛り直した。その間にもイェラトはどうにか逃げ出そうとじたばたしていたが、どうにも逃げられないことを悟ると今度は泣き落としにかかった。
「は、離してくれよ! セリシスが病気なんだ! 金がないとセリシスが死んじゃうんだ!」
「病気?」
 イェラトの言葉に、シィスがやや不安げな顔をした。イェラトは何度も大きく頷いて、それからすがる目で少女を見上げた。
「そうなんだ! 旅の疲れで倒れちゃって、それでお金もなくて困ってるんだ!」
「まあ……それは可哀想に……」
 シィスは同情するように瞳を曇らせたが、大男には情けは一切通用しなかった。
「シィス様! このような者の言うことを真に受けないように!」
「でも……」
「とにかく! こいつは詰め所に連れて行きます。シィス様はもう宿にお戻りになるように!」
「そ、そんな! 可哀想よ!」
 シィスはすぐにゲルスを呼び止めたが、ゲルスはそれを無視してスタスタと歩き出した。イェラトはなんとか隙をついて逃げようとしたが、そうする度にゲルスに強くつかまれ、ついには頭を殴られて黙るしかなくなった。
 シィスはしばらくそんな二人を見つめていたが、ふと思い出したように振り返った。もちろん先程まで話していた少年を思い出したのだが、その時すでにヒューミスはそこを離れていた。
 普通仲間が捕まれば動揺するものだ。あの少年はひょっとしたら、捕まった子供とは無関係なのかも知れないと思ったが、シィスはすぐにそれを否定した。本当に無関係ならば、ここでいなくなるはずがない。それに彼は断片的ながらもこの街の知識を持っていた。街の中心にある、あの巨大な闘技場の場所を尋ねるなど不自然極まりない。
 シィスはしばらく真上に広がる空を眺めていたが、やがて踵を返して歩き始めた。その瞳は決然としており、表情にはいたずらを思いついた子供のような笑みがあった。
「あの子を探そう!」
 シィスは小さく呟くと、スカートの裾をはためかせて、軽快に駆け出した。

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