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再び巡るその日に向かって

 今から4年前、ルヴェルファスト歴503年と言えば、もはや伝説として人々に語り継がれている第15回剣術大会があった年である。その年の優勝者は、特別参加者として招かれたメイゼリスの剣士レミーナ・ルベファンテだったが、彼女は決勝戦でストリアという一般参加の青年と1時間もの間戦い続けた。
 その剣術大会にセリシスの父が来賓として招かれ、彼女はその父とともにこの街を訪れた。今のクリスよりも一つ若い、13歳のことである。
 13と言ってもセリシスは随分大人びていたし、言動も年齢に不釣合いなものだった。それに頭の回転も早かったし、その頃から独学で魔法の勉強をしていたために知識も豊富だった。つまり、当時すでに17歳だったフィアンの気を引くのに十分な少女だったのだ。
 一方フィアンの方は、セリシスとは逆に17の割に子供じみていた。第二王子だったということもあるが、基本的に勉強は嫌いだったし、身体を動かしているのが好きだった。5歳の時から一緒にいるケールに鍛えられ、剣の腕はかなりのものだったが、精神までは鍛わらなかった。
 もっとも、悪ガキと言ってもバカではない。フィアンは物事の飲み込みが早かったし、世渡りに長け、誰からも好かれる性格をしていた。また判断力、決断力ともに優れ、第17回剣術大会で起きたある事件をまたたく間に鎮圧してからは、誰からも一目置かれる存在となった。
 もっとも、それは2年後の話であって、17歳のフィアンは年の割に幼く、自分よりも4つも下のセリシスに一目惚れしたのだ。フィアンはセリシスを誘い、二人は剣術大会を一緒に観戦した。また、決勝の後は16歳のレミーナも交えて三人で食事をし、楽しいひと時を過ごした。
 もちろん、セリシスはフィアンが自分を好きだったことなど知らないし、むしろ歳の近いレミーナに好意を抱いていると思っていた。だから彼女は、フィアンと知り合いではあったが、相手は自分のことなど覚えていないと思っていた。
 再会から一夜明けた朝、セリシスは子供たちを伴って城の応接室にいた。彼女の向かいにはフィアンが座っており、その傍らにはケールが眠たそうな目で立っている。子供たちは場違いな空気になじめないらしく、椅子に座ってはいたがせわしなく身体を動かしていた。イェラトだけはどっしり構えていたが、足が痛むのか少し荒い息をしている。休んでいるよう言ったのだが、どうしてもセリシスの側にいると言って聞かなかったのだ。
 セリシスが子供たちに聞かせるように思い出話をして、それからフィアンに自分がここに来なかった理由を告げると、フィアンは大袈裟に首を振って見せた。
「そう思われていたのは残念だな。あの時のことは私にとっても良い思い出だ。忘れたりするはずがないだろう」
 セリシスは嬉しそうに微笑み、「ありがとうございます」と言ってから、神妙な面持ちで付け加えた。
「それでも、もう私は城に上がるようなことはできません。もう貴族の娘でもなんでもないのですから」
 少女の言葉に、フィアンは身を乗り出した。何故リアスの少女がこんな薄汚れた格好で、城の中で兵士たちに追われていたのか。本来ならば昨日すぐにでも聞きたかったことである。
「一体何があった?」
「長くなりますが……」
「構わない。全部話してくれ」
 そう言われて、セリシスは静かに頷いた。そしてまず、自分がリアスで、スラムの子供たちと仲が良かったことを簡潔に話してから、つい先日、長雨によってスラムの作物が壊滅したことを語った。
「スラムの人々は市民権を持っていませんでした。だから彼らは、団結して街に攻め込んだのです。そうする他に、彼らには生きる道がなかったのです。私は彼らを街に入れようとしなかった七家の貴族の娘でしたが、子供たちが好きだったし、彼らに協力しました。でも結局戦いは負けてしまって、私は勘当されたばかりか、反逆者として追われる身になってしまったのです」
 セリシスの話は、少なくとも彼女の主観的な部分においてまったく事実と異なっていた。彼女は単にスラムの人々に利用されただけで、自ら進んで協力したわけでもなければ、直前まで彼らの計画すら知らなかった。けれど、本当のことを言えば子供たちを傷つけることがわかっていたから、セリシスは自分が彼らを手伝ったことにしたのだ。
 子供たちは目を丸くして彼女を見た。ヒューミスは思わず涙を零し、イェラトは唇をかみ、クリスは俯いて小さく少女の名を呟いた。セリシスは堂々と胸を張ったまま穏やかに笑っていたが、フィアンはそんな子供たちの顔を見て、彼女が優しい嘘をついたことを悟った。もちろん、だからと言って一々追求したりはしなかった。彼女は結果を偽ったわけではないし、それにそんな優しさが彼女の良いところだ。
「それで、宛てもなく旅をしているのか?」
「はい」
 セリシスは続けて、マグダレイナに来てから自分が倒れたことと、金がなくなってイェラトが盗みを働いたことを話した。
「けれどイェラトは捕まってしまって。それで私は助けようと思ったのです。どうせもう追われている身ですから。私は例え罪人になっても、この子たちが大事なのです」
「セリシス……」
 クリスは思わず泣き出した。少女はマグダレイナに来る前から、ずっとセリシスが自分たちのことをどう思っているか考えていたから、だからセリシスの言葉が本当に嬉しかったのだ。フィアンの前にも関わらず突然大きな声で泣き出したクリスを、イェラトが困ったようになだめた。
「クリス、泣くなよ」
「だ、だって……だって……」
 フィアンはそんな子供たちを見て、楽しそうに笑った。
「いい子供たちだな」
「ええ。少なくとも私はこの子たちと出会って人生が変わりましたから。もちろん、いい方に」
 話によれば、セリシスが初めてスラムの子供たちと出会ったのは、フィアンと出会った年の冬だという。フィアンは自分との出会いは彼女の人生に何の変化ももたらさなかったことが残念だと、素直に心情を吐露した。
 セリシスは首を横に振ってから、真っ直ぐフィアンを見つめて答えた。
「いいえ。昨日ああして助けていただきました。利害だけと思われるかも知れませんが、子供たちの出会いだって、初めはそんなものでしたよ。ねっ」
 セリシスが笑いながら彼らを見ると、子供たちは照れたように頭を掻いた。少女の言う通り、子供たちは初め、セリシスから物をもらうことしか考えていなかった。物さえもらえれば、別に相手はセリシスである必要はなかったのだ。
「なら、この再会が、お互いの人生を良くすることを願おう」
 フィアンの言葉に、セリシスは瞳を輝かせて大きく頷いた。
 それからフィアンは、セリシスを伴って応接室を出た。ケールと子供たちはいない。大事な話があるから二人きりで話したいと言ったのだ。二人がいなくなると、子供たちはケールの前にも関わらず、「きっと告白するんだよ」などと邪推を巡らせた。もっとも、それはあまりにも的確だったが。
 セリシスを城の庭に連れ出すと、フィアンはセリシスを振り返って尋ねた。
「それで、これから君はどうするつもりだ?」
 セリシスは驚いた顔をしたが、すぐにいつもの優しい笑顔で答えた。
「どうするって……。もちろん、旅を続けます」
「どこへ? いつまで? 金はどうする気だ?」
 フィアンは思わず糾弾するように語調を強めた。彼は自分の惚れた少女が、流れ者のように宛てもない旅を続けるのが嫌だったのだ。
 セリシスは瞳を伏せた。正直なところ、あまりそういうことは考えていなかった。望んで出た旅ではない。そうせざるを得なかっただけだ。一体自分はどこへ行き、そしていつこの旅を終えるのか。それは自分の意思で決まるものなのか、それとも成り行きに任せるしかないのか。
「わかりません……。お金は……何か仕事を見つけて……」
「そんな漠然とした考えで生きていけるのか? 実際に昨日だって……」
 思わず自分が熱くなっていたことに気が付いて、フィアンはそこで言葉を切った。セリシスは落ち込んだ様子はなかったが、俯いたまま何やら考え込んでいた。真面目な少女のことだ。フィアンの言葉で、将来のことを本気で考える気になったのだろう。
 フィアンは気持ちを落ち着けるために大きく深呼吸してから、真摯な瞳で少女を見た。
「セリシス。良かったらここに来ないか? 子供たちのことは私が保証しよう」
 セリシスは顔を上げて真っ直ぐフィアンを見つめた。彼の言葉の意味を図りかねたのだ。
「ここにというのは、この街に住めということですか? それとも……」
「私の側にいて欲しいということだ」
 はっきりそう告げてから、フィアンは赤くなって思わず彼女に背を向けた。
「私ももう21だ。周囲にはそろそろ身を落ち着けろという声もある。もちろん、私自身はまだ早いと思っているが……とにかく、どうせ結婚するなら、好きな女性と一緒になりたいと思うのはおかしいことではないだろう」
 セリシスはその言葉に驚いた。胸が高鳴るのを感じたし、頭の中が真っ白になってしばらく言葉が浮かばなかった。もちろん、彼女もフィアンであれば申し分なかったし、未来を保証してもらえるのはありがたい。
 けれどそう考えた時、何故彼女は今、自分の未来が保証されていないかを思い出した。自分は反逆者として追われる身ではないか。それに、もう一つ。彼女には誰にも話せない負い目があった。ふとそのことも思い出して、セリシスは思わず身を震わせた。
「お気持ちは……本当に嬉しく思います。でも、私はもう貴族ではありませんし……フィアン様と一緒になることなんてできません。世間がそれを許さないでしょう」
 セリシスは暗い瞳で首を振った。負い目のことは、もちろん話さない。
「そんなこと!」
 フィアンは振り向き、すぐにそれを否定しようとしたが、彼は聡明だったからセリシスと一緒になれない理由を十分過ぎるほど理解してしまった。自分は王子なのだ。一介の旅人に身をやつしたセリシスとは結婚できない。
「セリシス……私は……」
「フィアン様!」
 いけないとは思いながらも、感情が高まって、セリシスは思わずフィアンの胸に飛び込んだ。すぐそこにとても温かい場所があるのに、先の見えない闇の中に飛び込んでいかなければならないことがとても辛く感じられたのだ。
 フィアンはセリシスを強く抱きしめ、その髪を撫でた。セリシスは彼の胸に顔を埋めたまま、くぐもる声で言った。
「私は……やっぱりまた旅に出ます。もしよろしければ、フィアン様。どうか私と、子供たちを陰で支えていてください……」
「ああ……」
 フィアンはただ頷く以外に何もできなかった。言葉が浮かばなくて、思わず涙を流した。
 セリシスは張り詰めていたものが切れたように大きな声で泣いた。優しい温もりの中で、ずっと泣き続けていた。

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