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湖底の冒険

「また同じように迷って、同じように襲われれば、あの場所に着けるんじゃないですか?」
 探し回ること数時間、そろそろあきらめたようにクレイドが言った。
 翌日、昼過ぎに森に入ったシティアたちは、案の定、偶然見つけた洞窟の入り口に辿り着けないでいた。
 シティアはそれはいいと言わんばかりに手を打って、輝く瞳でクレイドを見上げた。
「そうね! じゃあ、その役をクレイドに任せるわ。私たちは地道に探すから。さっ、行きましょう」
 何事もなくシティアは歩き出し、クレイドも平然とシティアの隣を歩き始めた。
「根性なし」
「俺一人辿り着いてもしょうがないじゃないですか」
「それもそうね」
 シティアは一度足を止めて振り返った。すぐ後ろに二人の少女が立っている。いつもは魔法研究所の裾の長い衣服を着けているが、さすがに今日はズボンを履き、動きやすい格好をしている。
 殿を務めるレドリは平気そうだったが、リアの表情には若干の疲れが見て取れた。気を付けているつもりなのだが、クレイドと歩いているとついついスピードが速くなってしまう。ユウィルはともかく、謙虚なリアがそれを指摘できるはずもなく、文句も言わずに必死についてくるのだ。
「少し休もうか?」
 シティアが申し訳なく思ってそう言うと、リアがそれ以上に申し訳なさそうに頭を下げた。
「ごめんなさい。足を引っ張ってしまって」
「まったくだよ、もっと鍛えてくれ」
 クレイドがそう悪態をつきながらも、誰よりも早くマントを取ってリアのために木の根に敷いた。
「ありがとうございます」
 リアはそれに腰かけると、幹にもたれて息を吐いた。
「リアは魔法使いなんだからしょうがないでしょ? あなたは身体を動かすのが仕事、リアは頭を使うのが仕事」
「でも、城の兵士全員よりも強い王女様もいるんだから、肉体派の魔法使いがいてもいいでしょう。ほら、子供の方は元気じゃないですか」
 いきなり呼びかけられて、周囲の木々を眺めていたユウィルが振り返った。確かに、その顔には疲れの色がなく、ようやくの休憩にも座ろうとさえしていない。
「あの子は子供だからよ。子供は元気なものよ?」
 シティアがそう言うと、ユウィルが唇を尖らせた。
「シティア様、今ひどいことを言いましたよね?」
 子供ではない人たちが声を上げて笑った。
 リアは目を閉じると、そっと魔法で水を出して飲んだ。
「便利なものだな」
 レドリが感心して呟く。リアは曖昧に微笑んだだけで、何も答えなかった。男性が苦手なのである。
 レドリはその事情を知らなかったが、特に気にした素振りは見せなかった。
 森に来るまでに時間がかかったこともあり、もうじき夕方になろうという時間だ。周囲はまだ明るいが、時間の問題で暗くなるだろう。
 シティアはリアの隣に寝転がって、しばらく空を眺めていた。レドリは従者然として立っていて、周囲を警戒している。
 しばらくすると、森の奥の方からユウィルとクレイドが戻ってきた。そもそもどこかへ行っていたことすら知らなかったシティアが驚いて立ち上がる。
「あなたたち、どこに行ってたの?」
 シティアの声が厳しかったので、ユウィルはすぐに謝ろうとしたが、クレイドがそれを遮った。
「用件が先だ。王女、この奥で、子供と二人で人影を見ました」
「人影?」
 シティアが声のトーンを落として尋ねると、ユウィルが大きく二度頷いた。
「はい。向こうに原っぱみたいな広いところがあって、その先でたぶん女の人だと思うんですが、一人で草を摘んでいました」
「今は?」
 シティアはすぐにでも出発すると言わんばかりに荷物を取り、リアも腰を上げてマントを返す。クレイドがそれを羽織りながら答えた。
「少なくとも、俺たちには気付いてない様子でした」
「尾行してみましょう」
 シティアが瞳を輝かせてそう言うと、クレイドが楽しそうに頷き、リアが不安げにシティアを見上げた。
「私は、尾行なんて自信ありません」
「大丈夫。ユウィルが音を消すわ」
 シティアがまたよく知りもせずに適当なことを言い、ユウィルはすぐに反論しようとした。しかし、クレイドとレドリが尊敬の眼差しを向けたので、何も言えなくなって拗ねたように視線を逸らせた。
「努力します」
 クレイドとユウィルの言った通り、原っぱの向こうに薄い水色の髪をした女性がいて、ちょうど帰り支度をしているところだった。
「なんだか神秘的ですね」
 レドリがまるで見とれるようにそう呟き、シティアが別の意味でそれに同調した。
「そうね。人間じゃないかも知れないわね」
 レドリは人間の姿をした人間ではない生き物の存在を知らなかったので、驚いた顔でシティアを見た。かく言うシティアも、実際に見たことがあるわけではなかったので、それ以上の質問を許さなかった。
 女性が歩き始めると、五人はかなりの距離を置いたまま、低い姿勢で尾行し始めた。ユウィルが神経を尖らせて、少し前の空間に風を起こし続ける。果たしてそれで音を遮断できているのかはわからなかったが、少なくとも女性が五人に気付くことはなかった。
 木々の間を縫うように歩き、時々服を引っかけたり肌に浅い傷を作りながら追いかけたが、ついに五人は女性を見失ってしまった。シティアが落胆の息を漏らすと、レドリが小さく呼びかけて木々の一つを指差した。
「王女、あそこに先日つけた目印があります」
「えっ!?」
 見上げると、確かにシティアがクレイドのマントの端を破って作った目印が結ばれていた。幹には来た方向と行く方向が刻み込まれている。
「偉い、レドリ! よく見つけたわ!」
 シティアが思わず顔を綻ばせると、レドリは照れたように俯き、「ありがとうございます」と早口に言った。
 喜ぶシティアの傍らで、ユウィルが首を傾げながらわざとらしく腕を組んだ。
「シティア様の言っていた洞窟が近いってことですか?」
「きっとね」
「じゃあ、さっきの人は、その洞窟から来たのかも知れないですね」
 ユウィルの言葉に、四人ははっとなって笑顔を消した。
 最初に口を開いたのはクレイドだった。
「もしそうだとしたら、それはつまり、あの洞窟は安全ってことか?」
「味方とは限らないわ」
 シティアが低い声で答える。
「本当に人間じゃないのでしょうか?」
 レドリが淡々と言ったが、その声からは恐怖がにじみ出ていた。主人の前で情けないが、誰に彼を責められようか。
 リアなど、露骨に怯えたようにユウィルに寄り添っている。もっとも、ユウィルの方は平然としており、むしろ四人が何をそんなに深刻に話しているのか理解できない様子だった。
「とにかく、行ってみましょう。慎重に、慎重にね」
 クレイドはシティアを大雑把な性格だと思っていたので、そんなシティアから「慎重」という言葉が出たのを妙におかしく思ったが、笑う空気ではなかったので黙っていた。
 もっとも、シティアが大雑把というのはクレイドの勘違いで、シティアは常に緻密な計算に基づいて行動していた。ただ、思考と決断が速いのでそうは見えないのである。
 目印に沿って歩くこと数十分、果たして一行の前に、石で補強された洞窟の入り口がその姿を見せた。初めて見るユウィルが感嘆の声を漏らす。
 女性の姿はないが、地面をよく調べると、ごく最近人が通った跡があった。
「前は、中に人がいるなんて考えもしなかったから、足跡なんか気付かなかった」
 クレイドが独り言のように呟き、シティアが同意するように頷いた。
 ユウィルは目を輝かせて穴を覗き込み、レドリはまるで自分と対話するように目を閉じて立ち尽くしている。
 ふとリアを見ると、ひどく疲れた様子で立っていた。シティアと目が合うとそれを隠すように慌てて顔を上げて笑った。
 シティアは頬を緩めると、そっとリアを抱きしめて耳元で囁いた。
「あまり無理をしないで、リア」
「……はい」
 リアが小さく頷いたのを確認してから、シティアは身体を離して残る三人に目をやった。
「急ぐ必要はないわ。もう夜だし、少し離れたところで休みましょう。中に入ったら最後、もうずっと寝ることもできないかも知れないわ」
「ごめんなさい、王女」
 すぐにリアが涙目で謝り、シティアは鋭い瞳でリアを見て、その額を強く指で弾いた。
「痛っ!」
「自惚れないで。あなた一人のために休むわけじゃないわ。いちいち謝らないで」
 リアは鼻をすすってから、充血した目で真っ直ぐシティアを見て頷いた。実際、疲れているのはリアだけではなかった。ユウィルとて疲れているはずなのだが、気分が高揚していて、本人すらそれに気付いていないのである。
 シティアはもう一度リアを抱きしめてから、明るい声音で言った。
「じゃあ、行きましょう。探検は明け方から開始しましょう」
 四人は頷き合い、シティアを先頭にして音もなく洞窟の入り口を後にした。
 木々の隙間から見える空は分厚い雲で覆われ、星一つ見えない夜に緑の木々が不気味に佇んでいた。

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