急速に意識が引き戻されると同時に、頭が早鐘のようにガンガン鳴った。再び胸が気持ち悪くなって大量の水を吐き出すと、顔が熱くなって目に涙が溜まった。うっすらと目を開けた。
冷たい石の上に寝かされていた。頭の下には枕のような布の感触がする。ぼやけた景色がはっきりしてくると、剥き出しの土の天井が見えてきた。首を右に傾けると、すぐそばで栗色の髪の少女が横たわり、珍しく憔悴した顔で眠っていた。額に包帯が巻いてあり、赤く染まっている。
「ユウィル……」
小さく呟くと、少しずつ記憶が戻ってきた。状況はわからないが、こうして近くにユウィルがいるということは、彼女が助けてくれたのだろう。
全身に疲労が蓄積していたが、無理矢理身体を起こした。目眩がしたがどうにか堪えた。ユウィルの向こう側でレドリが倒れていた。鎧は脱がされ、全身に包帯を巻いている。顔色が優れず死んでいるように見えたが、微かに胸が上下しているのを見てリアは安堵の息をもらした。
身体を引きずるようにレドリのもとへ行くと、意識を集中させた。魔力が集まってきて、全身が熱くなる。激しい頭痛がしたが、甘えていられる状況ではない。自分はシティアに治療を期待されて連れて来られたのだ。その信頼に応えなければならない。
レドリの怪我を治すと、頭痛と目眩と吐き気のために、リアはぐったりと横たわった。渾身の力を込めてユウィルの額の怪我も治すと、意識が真っ黒になった。
リアには数分に感じられたが、実際は長い時間だったのだろう。次に目を覚ますと、すぐ頭上で男の話し声がした。顔を上げるとクレイドとレドリが何やら話をしていた。二人の間には水色の髪の10歳くらいの女の子がいて、リアは混乱して顔をしかめた。
「おお、リア。気が付いたのか!?」
リアの様子に気が付いたクレイドが陽気な声を上げた。あっけらかんとしているが、表情には安堵の色があった。
「気分はどうだ?」
低い声で尋ねたレドリに、リアは「悪くはないです」と答えながら、ゆっくりと身体を起こした。実際、頭痛と目眩はだいぶ収まっていた。吐き気がしたので二人に背を向けて吐けるだけ吐くと、随分胸も楽になり、完調には程遠いが話くらいはできる体調に戻った。
近くでユウィルが横たわっていたが、眠っているわけではないようだった。それが証拠にリアが二人に向き直って座ると、寝転がったままリアの方に寄ってきて、その太ももに頭を乗せて気持ち良さそうな顔をした。
「一体何がどうなったんですか? その子は?」
甘えるユウィルの髪をなでながら尋ねると、クレイドは再びリアの体調を確認した。リアが大丈夫だと頷くと、陽気な青年は表情豊かに話し始めた。
「聞かれなくても話させてもらうよ。とても俺一人の胸に留めておけることじゃない」
実際、その話は壮絶にして滅茶苦茶だった。
早めにリアと合流した方がよいというユウィルの判断は、結果としてリアとレドリの命を救った。
壁に振動を与えないよう、ジェリス系魔術で壁に小さな穴を開けた途端、そこから水が流れ込んできて、ユウィルはひどく青ざめた。
「どうやら、罠の種類が違うというのは当たりみたいだが……」
棘の向こう側でクレイドが複雑な顔で言った。実際、この水が吉なのか凶なのかユウィルにも判断できなかった。大急ぎで剣山から出ると、壁の上の方をキッと見据えた。そして目を閉じて魔法を煉る。
「破壊する気か!?」
思わずクレイドは声を上げた。魔法は一瞬で使えるものではないというが、この少女が時間をかけて魔法を使うところを見たことがない。そのユウィルが意識を集中させているという時点で、使おうとしている魔法が難易度の高いものであると容易に想像できる。
ユウィルは答えなかった。集中している時に話などできるはずがない。ある程度の魔力が充填されると、壁に向かって魔法を放った。光線が一閃し、壁に突き刺さる。凄まじい破裂音の後、壊れた壁から滝のように水が迸った。
「やっぱり!」
ユウィルは青ざめて叫んだ。クレイドもユウィルが何を確信したのかを理解し、同じように表情を険しくした。つまり、あれだけの高さから水が出てきたということは、二人の落ちた部屋は完全に水に満たされていると考えてよい。
自分たちが落ちてから今までの時間を考えると、もしも二人がまったく呼吸することができないならば、すでに生存の可能性は限りなく低い。
「クレイドさん! あそこのドアを開けてきて!」
ユウィルはそう叫んでからすぐに魔法に集中した。クレイドはつくづくこの少女の聡明さに感心しながら、大急ぎで扉を開けた。水の捌け口を作らなければ、自分たちも溺れてしまう。幸いにも扉の向こう側は下り坂になっていた。
そうこうしている内にユウィルの魔法が迸った。衝撃が部屋全体を大きく揺らす。壁が崩れ落ちて、勢いよく飛び出してきた水がユウィルに頭上から降り注ぐ。すでに水量は大人の膝くらいの高さになっていた。クレイドは松明を頭上に掲げながら叫んだ。
「ユウィル! 壁を全部壊したら天井が崩れるぞ!」
ユウィルは無視して再び意識を集中させた。クレイドは青ざめた。すでに天井の一部にひびが入っている。元々二つの部屋を仕切る壁が支えていたのだ。それを壊せば、支えを失った天井はもはや崩れるしかない。
「生き埋めになるぞ! 俺たちまで死ぬ気か!?」
クレイドが懇願するように怒鳴ると、ユウィルが鋭く言葉を返した。
「みんなで生きるかみんなで死ぬかのどっちかです!」
「上に王女がいたらどうするんだ!」
「あたしはシティア様とリアの生命を区別したくない!」
ユウィルの魔法が迸る。壁が完全に崩れ去ると同時に、天井が大きく軋んだ。素早く明かりを浮かべると、隣の部屋で瓦礫と水の中に沈む二人を発見してユウィルは駆け出した。クレイドも駆けつけようとした瞬間、ドアの奥から布を裂くような悲鳴がした。
「なんだ?」
クレイドを足を止めて振り返った。勢いよく水が流れていく先から聞こえたのは、確かに女性の悲鳴だった。気にはなるが、見ず知らずの女性と仲間の生命など天秤にかけるまでもない。だが、構造的にまず考えられないが、悲鳴がシティアのものであるならば別だ。クレイドはリアが100人死んだとしてもシティアを助ける。
「ええい! ユウィル、そっちは任せた!」
大声でそう言うと、クレイドは腰ほどまである水の中を駆け出した。背後から咎めるようなユウィルの声がした。悲鳴が聞こえなかったのか、クレイドが逃げ出したと勘違いしたようである。次に汚名を返上する機会があるかはわからなかったが、クレイドは誤解させたまま奥に急いだ。
果たしてそこには小さな牢があり、中に水色の髪をした小さな女の子が閉じ込められていた。女の子は牢の中に入り込んでくる水に怯えて震えていたが、クレイドを見ると鉄格子に駆け寄って何か叫んだ。
「わかる言葉を喋ってくれ!」
クレイドはイライラしながら剣を抜いた。この状況は気になるが、悲鳴がシティアのものでなかった以上、やはり仲間を助けに行くべきだった。
来た方向から轟音がした。天井が崩れ落ちたのかもしれない。
「畜生!」
クレイドは錠前に向かって感情的に剣を振り下ろした。何度か叩き付けると錠前は壊れ、女の子が父親にしがみつく娘のようにクレイドに抱きついた。
「悪いけど離れてくれ! 邪魔だ!」
クレイドはつっけんどんにそう言って女の子を引き離すと、すぐに来た道を引き返した。女の子が小走りについてくるが、構っている余裕はなかった。
案の定入り口が塞がれていて、瓦礫の隙間から水が流れていた。
「ユウィル! 無事だったら返事をしろ! ユウィル! レドリ!」
もはや絶叫とも言える声を上げたが、返事はなかった。リアとレドリはすでに死んでいたかもしれないが、あの小さな少女は生き埋めになっているに違いない。
「畜生!」
クレイドは溢れてきた涙を拭いもせず、天井を構成していた瓦礫の一つに剣を突き立てた。圧倒的なまでに無力な自分に腹が立った。ユウィルは言った。死ぬならみんなで死のうと。確かに、仲間に死なれて一人生き残るのは、なんと残酷なのだろう。
「うわあぁあああああぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
クレイドは頭を抱えて絶叫した。
その瞬間、いきなり後方に吹き飛ばされた。下り坂を泥まみれになりながら転がり落ち、やがて止まった。松明の火は消えて、辺りは真っ暗になっていた。何一つとしてわからない。
「な、なんだ……?」
立ち上がると左足が痛んだ。全身が軋み、肩にも痛みが走ったが、気にしている余裕はなかった。耳を澄ますと女の子が呻き声がした。無事かはわからないが、少なくとも生きているようだ。
「ユウィルなのか? いるなら返事をしてくれ!」
クレイドは壁伝いに歩いた。いきなり明るくなって、眼前に見慣れた少女の顔があったが、その顔は左半分が血で真っ赤に染まっていて、クレイドは思わず悲鳴を上げて飛び退いた。
「ユ、ユウィル!」
ユウィルは肩で大きく息をしながら、左手に火を浮かべた。クレイドは反射的に松明を出し、ユウィルがそれに火を近付ける。湿っていたが辛うじて火がついた。同時にユウィルの火の魔法と光の魔法が消え、小さな身体がよろめいた。
「しっかりしろ! 怪我をしたのか?」
力を入れたら折れてしまいそうなほど華奢な身体を抱きしめると、ユウィルは弱々しく首を振った。
「あたしは大丈夫。疲れただけ」
「二人は?」
「わからない。二人を、助けて……」
そのままユウィルは崩れ落ちた。意識は保っているが、ひどく疲れているようだった。
顔を上げると入り口のところに水浸しになった二人が横たわっていた。すぐそこに水色の髪の少女が立っていた。無傷ではないようだが重傷を負った様子もない。クレイドはユウィルの言っていた「特殊な魔法」を期待したが、少女は青ざめて震えるだけだった。
クレイドはすぐに二人に駆け寄った。ユウィルが何かしたのか、リアは微かながら息をしていたが、レドリはすでに呼吸を停止していた。
「お前ら死ぬなよ!」
有無を言わさず少女に松明を持たせると、クレイドは城で学んだ応急処置を施した。男に口付けするのは嫌だったが、人命救助だとあきらめた。
幸いにも再びレドリの胸が上下し始め、クレイドは安堵の息をついた。間を置かずにリアに水を吐かせていると、部屋の方から土砂崩れのような音がした。
「逃げるぞ!」
クレイドはリアを背負い、渾身の力を込めてレドリの身体を持ち上げた。同時に土砂と瓦礫が大量の水とともに押し寄せてくる。
クレイドと少女は駆け出した。すでに立ち上がって魔法を準備していたユウィルの横を通り過ぎると、背中の方から洞窟中が崩れ落ちたような爆音が轟いた。ユウィルが魔法で土砂を押し止めたのだろう。
気にせず駆け続けると、ユウィルがついてきた。
「王女がお前のことを好きな理由がわかったよ。無茶苦茶なところがそっくりだ」
クレイドが乾いた笑いを浮かべた瞬間、ユウィルの身体がよろめいてそのまま力なく水浸しの床に倒れこんだ。
「ユウィル!」
思わず叫んだが、ユウィルは起き上がらなかった。駆け寄ろうとしたが、レドリの身体が崩れそうになってできなかった。
「三人は無理だ! 自力で走ってくれ!」
クレイドが励ましたが、ユウィルは何とか半身を起こしただけで、疲れ切った顔でクレイドを見上げて言った。
「あたしはいいから……先に行って……」
「お前を置いていけるはずがないだろ!」
「死ぬのは一人だけでいい」
「さっきと言ってることが違うじゃないか!」
クレイドはレドリを降ろすと、代わりにユウィルの身体を抱き上げた。
「小隊長、あんたは男なんだから自力でなんとかしろ!」
後ろめたさを隠すように大声でそう言ってから、クレイドは奥に向かって駆け出した。ユウィルはすでに意識を失っていた。
延々と走り、疲れと足の痛みに耐えて歩くと、やがて広間のようなところに出た。クレイドはそこに二人の少女を寝かせた。そして無茶を承知で水色の髪の女の子に二人を任せて、レドリのもとに戻る。雰囲気から意味が通じたのか、少女は追いかけて来なかった。
幸いにもレドリは無事だった。クレイドは自分の底力に驚きながらレドリを背負い、二人のもとに戻った。
レドリを床に転がし、自分も寝転がると急速に睡魔が襲ってきた。三人を守らなければと思いながら、ついにクレイドも深い眠りに落ちていった。
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