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湖底の冒険

 リアはユウィルについての色々な武勇伝を聞いていたが、この話ほど感心したことはなかった。同じ魔法使いとして一番強く心を打ったのは、壁に穴を開けてからの逃亡劇ではなく、穴に落ちた瞬間に使った浮遊の魔法だった。
「ユウィルはすごいね」
 思わず口走ってから、リアは少なからずユウィルに嫉妬する自分に気が付いて恥ずかしくなった。だがユウィルはそんなことはまるで気にした様子を見せず、気持ち良さそうにリアの太ももに顔を埋めながら明るい声で言った。
「リアもすごいよ。あたしはどんなに勉強しても練習しても、治療はできないから」
「でも私は治療しかできない」
 ユウィルは名残惜しげに太ももを手放すと、半身を起こしてリアを見上げた。そして一点の曇りもない笑顔でいたずらっぽく言った。
「もしあたしたちが逆側に落ちてたら、あたしたちは誰も助からなかったと思うの」
「どうして? ユウィルなら水の中でもどうにかなったと思うわ」
 屈託なく、ユウィルは笑った。
「あたしは泳げないから」
 一瞬の沈黙の後、四人は声を上げて笑った。水色の髪の少女は困ったようにきょろきょろしていたが、同じようにぎこちなく微笑んだ。
 ひとしきり笑ってからレドリが言った。
「君には驕りというものがないんだな」
 ユウィルは驚いた顔をしてから口を開いたが、先にクレイドが笑い飛ばした。
「はははっ! まさか。邪気がないだけだろ。無邪気は子供の特権だ」
 言葉だけ聞くとユウィルをからかっているように聞こえたが、その言い方には洞窟に入る前のような嫌味がなく、友人同士のふざけ合いの響きがあった。それに気が付いた二人が首をひねったが、実際ユウィルも気にした素振りをせず、むしろクレイドに同意するように大きく頷いた。
「それで、これからどうしますか?」
 リアが穏やかな口調で尋ねた。もちろんここにいない最も大切な一人を探しに行くに決まっているのだが、確認することは多い。一同の目が水色の髪の少女を見た。クレイドが腕を組んで唸った。
「色々聞いてみたが、意思の疎通に言葉が如何に重要かがわかっただけだった。だが、昨日地上で俺と子供が見た女にそっくりなのは確かだ。やはりこの洞窟の先には誰かが住んでいる」
「気になるのは捕まっていたことだな。水色の髪の連中は俺たちの味方で、他に敵対する何かがいるのか。それとも仲間割れか」
「その子は人間なの?」
 リアが聞くと、ユウィルが興味深そうに女の子に近付いてぺたぺた触った。女の子が小さな悲鳴を上げて後ずさる。
「人間じゃないと思う」
「何かわかったの!?」
「あ、ごめん。なんとなく……」
 驚くリアに、ユウィルは申し訳なさそうに謝った。リアは大きく肩を落としてため息をついた。厳かにレドリが言った。
「先に進むしかないのは確かだな。状況は最悪だが、食糧は全部ダメになったし、退路は断たれている。それに、王女の安否がわからないのにわたしたちだけ逃げるわけにはいかない」
 依存はなかった。リアとレドリはもちろん、クレイドとユウィルも見た目ほど無事ではなかったが、立ち止まっている暇はなかった。もし仮にこの先に罠が潜んでいるとしても、進むほかに道はないのだ。
 四人が立ち上がると、女の子が嬉しそうな顔をしてクレイドの服の袖を引っ張った。どうやら先に進むことを喜んでいるようである。
「誰かを助けて欲しいんじゃないかな」
 ユウィルが呟いた。
 率先して歩く女の子の後を、四人は重たい足を引きずるようにして続いた。少なくとも女の子には敵意は感じられないし、もしもここの住民なら、どこかへ続く道を知っている可能性が高い。
 1時間ほど歩くと、先の方に薄明かりが差していた。見ると道の先が眩しい光に包まれている。
「外……?」
 リアが怪訝な顔をして、クレイドが大きく首を振った。
「そんなはずはない! 俺たちはずっと下ってきた。山にいたならともかく、ウィサンはそんな地形じゃないぞ?」
「湖じゃないかな?」
 ユウィルが不思議そうに言った。果たしてそれは湖だった。近付くにつれて透き通る水の壁がはっきりと見えてきた。
「どうなってるんだ?」
 レドリが気味悪そうに声を上げる。いよいよ到達すると、クレイドが剣の先で突っついた。ぼよんと押し戻される感触がして、それを見たユウィルが直接手で触れた。
「気持ちいい。リア、これ面白いよ!」
 リアも触れてみた。ゼリーのような感触だった。
「もしこれが膜になっていて、破れて水が出てきたら、わたしたちはみんな溺死するんじゃないのか?」
 レドリの低い声に、リアは慌てて手を引っ込めた。つい先程、文字通り死ぬほど水の恐ろしさを味わったばかりである。
 四人が途方に暮れていると、女の子は不思議そうに四人を見上げてから、クレイドの服を引っ張った。そしてそのまま水の中に入っていく。
「お、おいおい!」
 強く手を突き刺すと、ゼリーの中に包み込まれるような感触がした。少し先は完全な水になっているようである。顔を入れて口を開けてみた。不思議と苦しくなかった。
 クレイドが女の子に引かれるまま水の中に入っていき、レドリが意を決したように後に続いた。水で死にかけたリアも固く唇をかんで足を踏み出し、最後に泳げないユウィルが泣きそうな顔で続く。
 不思議な光景だった。水の中で呼吸ができるだけでなく、何もないはずの水中に地面の感触がするのである。ためしに道を逸れると落ちそうになった上、水を飲み込んだ。間違いなく、見えない道か、もしくは女の子にだけ見える道があるのだ。
「怖い……」
 ユウィルがぐっとリアの服を握った。
 見上げると闇があった。太陽の光はここまで届いていない。光源は別にあるようだった。
 しばらく歩くと、やがて目に見える太い道に出た。氷で作ったように見えたが、冷たくはなかった。
 その道に出て前方を見た瞬間、四人は息を飲んだ。まるで氷で作られたような、濃い青色の城があったのだ。城壁というものはなく、外壁が剥き出しになっている。奥へ長く伸びており、巨大な直方体をしている。
 正面に大きな扉があり、その両脇に蛇を象った彫像があった。3階建てほどの高さだが、窓は見当たらず、正確な階数はわからない。
 その扉の前に小さな人影があった。燃えるような赤い髪に、すらりとして整った肢体。近くまで行かなくても四人にはそれが誰かわかった。
「シティア様……」
 ユウィルが呟くと、前方の女性がゆっくりと歩き始めた。手には抜き身の剣を持っていた。

 駆け寄ろうとしたクレイドを鋭い口調でたしなめたユウィルはやはり冷静だった。明らかにシティアの様子がおかしいことに気が付いたのである。
 実際、シティアの瞳は何も映していないように思われた。抜き身の剣を閃かせて、真っ直ぐ五人に斬りかかる。
「バカな! シティア王女!」
 レドリはシティアの剣を真っ向から受け止めた。ユウィルは違和感を覚えた。シティアがレイピアで「斬る」はずがないのである。
「シティア様、操られてるんですか!? 正気に戻ってください!」
 ユウィルは絶叫したが、シティアの耳には届いてないようだった。
 シティアの動きは緩慢だったが、それは百戦錬磨の王女にしてはのことである。レドリは二撃目であっさりと剣を弾き飛ばされた。クレイドがそんなレドリをかばうように前に出て、肩を斬られる。鮮血が迸った。
「クレイド!」
「まったくもう!」
 クレイドは力一杯斬激を放ったが、シティアはまるで蝶々のようにひらひらと躱し、一瞬の隙を突いてクレイドの懐に忍び込んだ。
 リアが悲鳴を上げたが、レイピアがクレイドの腹を抉ることはなかった。ユウィルが風の魔法を叩きつけたのだ。
 クレイドは呆気なく吹き飛ばされたが、シティアはその直前で躱していた。
「シティア様、いい加減にしてください! シティア様! シティア様!」
 ユウィルは大声でシティアの名を呼びながら、次の魔法を煉った。レドリはユウィルが呼びかけるたびにシティアの表情がわずかながらゆがむのを見て、同じように声を上げた。
「王女! どうか正気に戻ってください! シティア王女!」
 斬りかかって来たシティアの剣を、拾い上げた剣で受け止める。小隊長らしくクレイドよりは善戦したが、相手が悪すぎた。シティアのレイピアが太ももを抉り、思わず体勢を崩す。
 ユウィルが風の魔法を放つが、シティアはそれを避けながら一気にユウィルとの距離を縮めた。クレイドがそのシティアの前に立ちはだかったが、時間とともにシティアの剣は本来の動きを取り戻すように思えた。そうなれば、シティアの前にクレイドの剣など無いに等しい。
 シティアの剣が腹部をかすめると、クレイドは捨て身のようにシティアに飛びついた。シティアの顔に焦りが生じる。そのまま抱きしめて地面に倒れこんだ。
「シティア様、お願いですから正気に戻ってください! 俺たちのこと思い出してくださいよ!」
 きつく抱きしめ、耳元で懇願したが、シティアはじたばたと暴れるだけだった。クレイドはとにかくシティアを呼びかけようと口を開いたが、次に口から漏れたのは声ではなく叫びだった。
「うぐあぁっ!」
 肉を裂く音の後、クレイドが絶叫した。そのクレイドを蹴り飛ばしたシティアの左手に、血のついたダガーが握り締められていた。
「クレイドさん!」
 リアが悲鳴を上げる。クレイドにとどめを刺しに行ったシティアに、レドリが剣を閃かせて躍り出る。その首筋をダガーが一閃した。シティアが投げつけたのだ。
 辛うじて躱したレドリだったが、体勢を崩して地面に転がった。その太ももに容赦なくレイピアが閃いた。骨の砕ける音とともにレドリが絶叫し、リアと女の子が悲鳴を上げた。
 顔を上げたシティアの目がリアを捉えた。戦う力を持たないリアは戦慄を覚え、そのまま床に座り込んでしまった。ユウィルがその前に立って両手を突き出した。
「このまま全員殺されるくらいなら、あたしがあなたを殺します!」
 鋭く風を切る音がした。先程までの柔らかな風ではない。風の刃だ。
 横に跳んで躱したシティアの太ももから血がしぶき上がった。冷徹な表情が一瞬苦痛にゆがんだが、気にせずユウィルの方へ駆けてくる。
 次に放った同じ魔法をシティアは跳躍で躱した。ユウィルが「殺す」と言いながら足元しか狙っていないことに気が付いたのだ。
 思い切り振り下ろされたレイピアを、大きな空気の塊を作り出して弾き返した。その衝撃にユウィルはもちろん、リアと女の子も吹き飛ばされる。
 シティアの方が先に体勢を立て直した。一テンポ遅れて立ち上がったユウィルにレイピアが閃く。ユウィルの顔に恐怖が走った。
「やめてください、シティア様!」
 その哀願は確かにシティアの心に届いたらしい。シティアの斬り付ける剣の速度は先程までのそれよりもずっと遅かった。後ろに跳んだユウィルがそのまま背後に倒れこみ、リアの足元まで転がって止まった。
「ユウィル!」
 リアが抱きしめると、ユウィルは冷たく震えながら苦しげに喘いでいた。顔中に汗が噴き出している。よく見ると、衣服の胸の部分が綺麗に切断されていた。
 リアは青ざめた。ユウィルは攻撃を避けたと思ったが、当たっていたのだ。少しずつ服に赤い色が広がり、抱きしめるリアの手に滴り落ちた。
「ユウィル!」
 リアはすぐにユウィルの怪我を治そうとしたができなかった。不意に影に包まれて、見上げるとそこに冷酷な表情をしたシティアが立っていた。
「やめて……王女……」
 リアの目から涙が零れ落ちた。シティアはまったくの無表情でそんなリアを見下ろしていたが、やがてレイピアを振りかざした。
 リアは固く目を閉じてユウィルの身体を抱きしめた。頭上で風を切る音がした。

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