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五宝剣物語

1−2

 秋間近の涼やかな風が吹いていた。
 夕方近く、随分西に傾いた陽は、日中の輝きが嘘のように柔らかな光を届ける。
 細い道の両側に広がる草原はさやさやと音を立て、虫の音色がそれと重なって一つの音楽を織り成している。
 そんな爽やかな光景の中で、ルシアは重苦しい溜め息を吐いて足元の石を蹴った。
 あの雨の後、火に当たって服を乾かし、身体を吹きはしたものの、ごわごわとした服は着心地悪く、匂いも決して良いものではない。
「なあ、リスター。イェスダンにはまだ着かないの? もう随分歩いてるけど、街壁一つ見えやしないじゃないか。道も寂れてるし、本当に大丈夫なのか?」
 随分と言うほども歩いてないのだが、精神的にまいっているので平常より長く感じるのだろう。
 リスターは特別怒るでもなく、淡々と答えた。
「もう後1日だな。イェスダンは小さな町だから街壁なんてないし、丘の向こう側だから、しばらく町は拝めないぞ?」
 リスターはまだ姉妹と出会う前に、何度かイェスダンを訪れたことがあったが、ルシアは名前すら知らなかった。
 目的地が見えてこないと不安にもなるだろう。
 そんなルシアを元気付けるようにリスターは言葉を続けた。
「イェスダンは元々宿場町だったんだ。そのさらに先に鉱山があってな。そこが閉鎖されるまでは賑わっていたんだが、閉鎖されてからは俺たちみたいな宛のない旅をしている旅人がひょっこり訪れるくらいで、すっかり寂れてしまった」
「ええーっ!? じゃあお風呂は? 美味しいご飯は?」
 寂れてしまったという言葉に、ルシアは今にも泣き出しそうな顔になった。
 旅先でその町の名物料理を食べるのが、ルシアの一番の楽しみなのだ。
 リスターはからかうように笑って前を向いた。
「大丈夫だ。あそこは小さな町だが料理は美味い。何とかって言う香りのいい葉で羊の肉を巻いて焼いた食い物が、格別に美味いぞ?」
 ごくりと唾を飲み込み、澄んだ茶褐色の瞳を輝かせて、ルシアが絵に描いたようにわかりやすい反応を示した。
「あたし、早くそれ食いたい」
 子供そのものの反応に、リスターは声を上げて笑った。
 ルシアは子供扱いされても機嫌を損ねない。16歳にしては考え方が幼稚なのは否めないが、無理に背伸びしないし、単純だが素直である。
 リスターはそれがルシアの最大の長所だと認識していたが、姉は背伸びしない子供は成長しないと溜め息を吐いた。
 なんにしろ手のかかる娘だったが、辛いことも多い旅の中で、ルシアのような元気で明るい存在が如何に心の支えになるか、その点では二人の見解は一致していた。
 先ほどまで肩を落として歩いていたとは思えないくらい元気に、ルシアは心は弾ませてスキップを踏んだ。
 けれど、そんなルシアの希望を打ち砕くように、ふと足を止めたエリシアが厳しい眼差しで草原の彼方に目を遣った。
「ど、どうしたんだ?」
 ルシアの顔に緊張が走る。
 姉がこうして立ち止まるとき、大抵良くないことが起きるのだが、その「良くないこと」を事前に察知できるおかげで何度も命拾いしているのも事実だ。
 今度は良い方に傾くのか悪い方に傾くのか。道の先に待つ幸せが大きい分、ルシアは不安に駆られた。
 エリシアは目を細めて顔をしかめた。
「魔法……」
 その一言に、リスターとルシアの表情が険しく歪んだ。
「何が起きてるかわかるか?」
 ルシアがかすれる声で尋ねた。もちろん、なにも姉がすべてを知ることのできる予見者ではないことはわかっているが、聞かずにはいられなかったのだ。
 案の定、エリシアは首を横に振り、何が起きているかまではわからないと呟いた。
「悪いことが起きているなら行こう」
 意外にも、そう言ったのはルシアだった。
 もちろん早く風呂には入りたかったし、料理は食べたい。けれど、彼女は自分の欲望を満たす以上に正義感が強かったのだ。
 そして、そんな彼女の無鉄砲な正義を押し止めるのが姉の役目だった。
「別に仕事の依頼を受けているわけでもないし、むざむざと危険に飛び込むのは得策ではないわ」
「で、でも苦しんでる人がいるかも知れないんだぞ? 姉貴はそれを見捨てろって言うのか?」
「ルシア。見ず知らずの他人のために命を危険に曝すのは、格好いいことでも何でもないのよ」
 淡々と咎められて、ルシアは唇をかんで俯いた。
 いっそ怒鳴ってくれた方がどれほど嬉しいか。こういう時の姉は、嫌いではないが世の中で最も苦手である。
 経験的に自分には反論するのは不可能だと察知して、ルシアは懇願するようにリスターを見上げた。その仕草は、まるで母親に叱られて、父親に救いを求める娘のようだ。
 リスターは安心させるように少女の肩に手を置いて、真顔でエリシアの瞳を覗き込んだ。
「魔力の強さは?」
「かなり強いです。けれど、動いている気配はないから……魔法陣でしょうか」
 エリシアは申し訳なさそうに首を横に振った。魔法については詳しくないのだ。
「そうか……。魔法陣なら、とりあえずその場に誰もいなければ危険はないな……」
 呟き、目を閉じて、リスターは決意したように頷いた。
「よし、行ってみよう。金になるかも知れんしな。もちろん、危険だと判断したらすぐに戻る。いいな?」
 尋ねられて、エリシアは明るい顔で頷いた。
 彼女はリスターに対して意見は言うが、決定に反対はしない。今まで一度として彼の決定が誤っていたことがなかったから。
 恐らく、長い旅の中で培われた勘なのだろう。
 姉が結果的に自分の意見に頷いてくれたのを見て、ルシアは嬉しそうに顔をほころばせた。

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