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魔法師ミラン3 妄執の神殿

 事態は唐突に一変した。
 ミランの4度目の魔法が、ついに壁を突き抜けた刹那、ぽっかり空いた穴の向こうからとてつもない圧迫感が俺たちを襲った。
 それは憎悪の瘴気だった。まるで空気に針が混ざっているように、肌にピリピリとした痛みを覚える。
 それとともに、昨夜聞こえてきた声にならない呻きが響き渡った。低く、直接身体を震わせてくる。
「こ、これは……」
 アームダンが頭を抱えて膝を折った。鍛えていない者に、これは相当応えるようだ。
 瘴気がどんどん色濃くなり、やがて黒い霧のようなものがうっすらと周囲を覆い始めた。人体には無害のようだが、あまり吸い込みたくないものだ。
「エリアス、気持ち悪いよ……」
 振り返ると、クレスが泣きそうな顔をして立っていた。勝気な少年だが、苦手はあるらしい。見るとミランも怯えた表情をしていた。
「怖いのか?」
 そっと問いかけると、少女は恥ずかしそうに笑った。
「私、幽霊とか、非科学的な存在はダメなのよ……」
 いつになく弱気だ。
 俺には魔法も十分非科学的な不思議な力だと思うのだが、恐らく魔法こそがちがちな理論体系があるのだろう。魔法陣の描き方まで知っているこの少女は、まず理論ありきなのだ。
「とりあえず、逃げた方が良さそうだな。この狭い空間じゃ、戦えない」
 俺がそう言うと、インタルが背後の一点を見据えたまま、静かに首を振った。
「どうやら、そうもいかないらしい」
 彼の見つめる方向に目を遣った瞬間、俺は心臓が止まるほどのショックを受けた。
「っ!」
 ミランが隣で息を飲んで、両手で口元を押さえる。クレスは毅然として立っていたが、その両足はガクガクと震えていた。
「スケルトン、ですかな……?」
 意外にも平然とした様子でアームダンが言った。恐怖を通り越して、一周回って平常心に戻ったのかも知れない。
 先程通路に転がっていた白骨死体が、まるで生き物のように立ち上がっていたのだ。これは怖い。めちゃめちゃ怖い。
 部屋の中にいたのも通路に出てきて、彼らは襲いかかってきた。速い動きだ。
「やっと冒険らしくなったな、クレス!」
 俺がからかうように言うと、クレスは「ま、まあね」と震えた声で返事した。一番階段側にいたインタルが剣を抜き、それを中段に構えた。彼の剣はこの空間では振り回せない。
「でやぁぁ!」
 鋭い突きを放つと、切っ先がスケルトンの一体の肋骨を砕いた。だが、その動きは止まらない。スケルトンはそのままインタルにつかみかかろうとして、彼は素早く後ろに引いた。
 その間に他のヤツらが突っ込んでる。
「クレス! アームダンさんを守れ!」
 俺が言うが早いか、アームダンに飛びかかろうとしていたスケルトンに、クレスがいつもの綺麗な動きで蹴りを放った。
 インタルの剣よりも効果があるのかも知れない。スケルトンは腰骨を砕かれて膝を折った。
「せあっ!」
 気を吐いて、さらにクレスが蹴りを放つ。爪先が頭蓋骨をこなごなに砕いて、そいつは動かなくなった。
 俺もエルフの少女にもらった剣ではなく、森で使っていた短い剣を抜いて応戦する。一体一体は強くなかったが、それでも少女をかばいながら戦うのは無理だった。
「きゃあ!」
 隣でミランの悲鳴がした。見ると体当たりをされたのか、先程空けた穴近くまで吹っ飛ばされて倒れていた。
 あのクレスに体術で勝った少女が、である。やはりそこが女の子なのか、白骨死体が動いて襲いかかって来たショックに対応し切れなかったのだろう。
「ミラン!」
 俺が声を張り上げると、ミランはすぐに立ち上がった。けれど、スケルトンが再び彼女に襲いかかる方が速い。
 少女はちらりと背後を振り返ると、意を決したようにその穴に飛び込んだ。恐らく、スケルトンに体当たりをされて落ちるよりも、自分から降りた方が安全に着地できると考えたのだろう。
 だが、向こうは瘴気の中心だ。俺の胸を不安が埋め尽くした。
「ミランっ!」
 クレスの声。見ると少年は、守るべき依頼主を放っぽり出して穴の方へ駆けていた。
 感情として、依頼主よりも仲間の少女の身を案じたのだろう。誉められる行為ではないが、13の少年にミランを見捨てろというのが無理な話だ。
 俺だって、本当はクレスと同じ行動を取りたい。
 クレスは通路の先まで行くと、
「ミラン、すぐ行く!」
 何やら慌てたようにそう言って飛び降りた。どうやら下はあまり穏やかな状況ではないようだ。
 俺は少年の抜けた穴を埋めようと、アームダンに駆け寄ったが、すぐにインタルに制止された。
「エリアス! 依頼主と退路は俺が守る。お前は二人を助けに行け!」
 大男はそう怒鳴りつけると、目の前のスケルトンをぶった斬り、さらに右足でアームダンに近付いた一体を前蹴りにした。
「私は大丈夫です。インタルさんの言う通り、早く!」
 やはり怯えた様子もなく学者が責めるように声を張り上げた。
「すまない」
 俺は急いで穴の手前まで駆けた。
 そこはかなりの広さを持った長方形の聖堂だった。通路から遠い方に大きな祭壇があり、それを見る形で長椅子が並んでいる。
 高さは、やはり2階のようだが、俺が飛び降りれるかは微妙だった。身軽なミランとクレスであれば大丈夫なのだろう。インタルには厳しそうだ。
 フロアはスケルトンと黒い霧に覆われていた。20とも30とも知れない白骨に混ざるように、黒い靄の塊がふわふわと浮かんでいる。
 呻き声の正体は、どうやらその靄のようだった。
 ミランとクレスは背中合わせになって戦っていた。ミランの動きにはいつもの切れが戻っている。
 だが、多勢に無勢だ。
「しょうがない」
 俺はエルフからもらった剣以外のすべてのものを床に起き、なるべく身軽になった。そして、意を決して飛び降りる。
 鋭い衝撃が足に走ったが、どうやら無事なようだった。
 攻め寄せてきたスケルトンを勢いで躱して二人のところへ走る。
「クレス、ミラン! そこは不利だ。角に移動しろ!」
 二人は頷いて、突破口を開くように二人並んで駆け出した。クレスをつかもうとしたスケルトンをミランが殴り飛ばし、そのミランに襲いかかったスケルトンを俺が斬りつける。
 なんとか角まで駆けつけると、俺とクレスはミランをかばうようにして立った。もはや戦略は言葉にするまでもない。
 ミランは手を掲げて魔法陣を描く。
 勝てる!
 そう思った刹那、突然その声はした。
『なんで……?』
 直接脳裏に響き渡るようなその声は、ミランと同じくらいの歳と思われる少女のものだった。
「気にせず放て!」
 俺は大声でミランに言った。少女が一度止めた手を動かし始めたのが気配でわかった。
 攻め寄せてくるスケルトンに蹴りを食らわせると、再びあの声がした。今度は先程より鮮明で、そして明らかに敵意ある声でだ。
『なんで私がこんな目に遭わなくてはいけないの? 絶対に許さない。殺してやる。みんなみんな殺してやる!』
 虚空に幻影が見えた。
 ほんの一瞬だったが、泣きながらもがき苦しむ少女の顔だった。赤色の髪をした快活そうな娘で、ミランよりも若い。
 ふと視線を戻すと、黒い靄がどんどん色濃くなり、次々と固形化していった。昨夜の楕円の球体だ。
「おいおい。昼間は出ないんじゃなかったのか? インタルさんよ」
 俺は冷や汗をかきながらそう毒突く。スケルトンと黒い球。どうやらこいつらはまったく別の意思で俺たちに襲いかかってきているようだった。
 背後に控える天才の魔法が完成する直前に、黒い球が一斉に襲いかかって来た。
「うわぁっ!」
 数の暴力だ。まるで津波に飲み込まれるように、俺たちはそれに押し潰された。身体が軋む。
 倒れながらちらりとミランを見ると、少女は壁に背をつけて陣を描き続けていた。陣はすでに眩しい光を帯びている。
 そのミランに黒い塊が矢のように襲いかかり、少女の腹部が背につくのではないかというほどへっこんだ。
 ミランは「うっ」と苦しそうに呻くと、口から胃の内容物を嘔吐するように真っ赤な血を吐いた。
 恐らく壁に背を付けてなければ、後ろに吹っ飛ばされて、そんなにダメージを受けなかったはずだ。
 俺は彼女の不運を呪った。
 だが、それは違った。少女は、初めからわざと背中を壁につけていたのだ。それを次の瞬間、理解した。
 魔法師の少女は陣を描いていない手で口元の血を拭うと、凍えるような冷たい笑みを浮かべた。
 完成した魔法陣がキラキラと輝きを帯びる。
 そう。後ろに下がったらせっかく描いた魔法陣が消えてしまうから、だから彼女は自分が押し潰されるのを覚悟で初めから壁にもたれていたのだ。
「ナトイ・イスチトイ!」
 少女の声と同時に、光が迸った。
 それはあまりにも眩しくて、まるで希望そのもののようだった。
 真っ黒だった視界が白く染まった。

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