俺たちは憶測が確信に変わり、意気揚揚と発掘作業を続けていたのだが、やがて一つの壁にぶつかった。
「困りましたねぇ……」
依頼主のアームダンが天井に立ち、靴の爪先でそれをコツコツ突付きながら腕を組んだ。長い青い髪を肩と背中付近の二箇所で縛った痩せ気味の男である。
アームダンの立っている白い石の天井は、10メートル四方の広さがあった。それがこの2週間の成果である。
俺たちは『アミラスの怒り』によって崩れた部分から中に侵入しようと考えていたのだが、掘れども掘れどもそういう箇所は見つからず、ついにあきらめた。
天井の端と思われる部分にも行き着いたのだが、高さがわからないのでそこを延々と掘って行ったとしても窓や入り口に着くのにはかなりの時間がかかる。あるという保証もない。
俺たちは全員集まり、彼を囲むようにして立っていた。
当面の悩みは、長期戦に持ち込むか短期決戦にするかだ。
ただ掘るだけならば、新しい遺跡の発掘として国に申請すれば、国からも助成金が出るし、人員も募り易い。ただし、その遺跡は国の所有物となるため、中にある宝はすべて没収されてしまう。
また、遺跡はただの宝箱的な扱いをされず、それ自体に価値があるものとしてとても慎重に掘り起こされることになる。つまり、時間がかかるのだ。
国には申請せずにアームダンが個人で人数を募って時間をかけることも可能だったが、金がかかり過ぎるし、この中に彼の懐を潤すものが存在する保証もない。
「やっぱり、これ以上掘るより、これに穴を空けることを考えた方がいいだろう」
誰かが言った。
俺たちの思いは同じだった。つまり、長期戦は避けたい。
もし短期決戦にするならば、この白い天井に穴を空け、そこから中に入るしかない。だが、『アミラスの怒り』をもってしてもまったく傷一つ付かなかった建物である。俺たちはここに穴を空けるすべを持ち合わせてなかった。
唯一の頼りである魔法師の魔法だが、試しに衝撃を与えてみたがまるで通用しなかった。
俺たちは行き詰まっていた。
ふと隣に目を遣ると、ミランが無表情で白い石の天井を見つめていた。何を考えているのかは相変わらずわからなかったが、彼女ならば空けられるのではなかろうか。
俺はそう思ったが、心の中で首を振った。
もし空けられたとしても頼めるわけがなかったし、彼女が承諾したとしても、今さら魔法を使わせることはできない。そんなことをしたら、何故初めから使わなかったのかと糾弾されるに決まっている。
俺は彼女が魔法で穴を空ける姿を想像してみた。もしやるとしたら、あの光の魔法だ。ファミアールの森で、シドニスという男を魔力剣ごと消滅させたあれなら、瓦礫の山を築かずに天井に穴を空けることができる。
あるいは他に、もっと有効な魔法があるのかも知れないが、俺はそれを知らなかった。
「なあ。黒魔法の……基本魔法に、こう、光の迸るのがあるだろう。使えないか?」
沈黙を破るように質問すると、魔法師の男が顔を上げて俺を見た。
「光の迸るのは色々あるが……」
「壁とかに簡単に穴を空けるヤツ! すんごい威力の!」
俺の言いたいことを察したのか、横からクレスが口を挟んだ。彼もその魔法を見たことがある一人なのだ。ミランが放ったそれは、少年が住み込んでいた拳法道場の壁をいとも簡単に突き破り、大穴を空けた。
魔法師はしばらく考え込んでいたが、やがてその魔法に思い当たったようで、慌てて首を横に振った。
「お前たちの言ってるのは、基本魔法の中でも最もレベルが高いヤツだ。俺ごときの魔力じゃ、使うなんてまったくおこがましい話だよ」
さも畏れ多いと言わんばかりに手を振る魔法師を見て、俺は改めてミランがとんでもない女なのだと理解した。
彼女はその「最もレベルが高いヤツ」を、まるで蚊を殺すようにあっさりと使って見せたのだ。
「やはり、こつこつ掘っていくしかないですかねぇ……」
アームダンが渋い顔で呟いた。
俺たちは彼にかける言葉を何も持ち合わせてなかった。
その夜だった。
隣で寝ているインタルに蹴り飛ばされて、俺は目を覚ました。
何かあったのかと思って見てみると、大男はいびきをかいてぐーぐー眠っていた。単に寝返りを打っただけらしい。
半身を起こすと、インタルの向こう側でクレスがあどけない寝顔で眠っていた。まるで熊と子犬だ。俺は思わず苦笑した。
それからミランの方を見て、首を傾げた。彼女の布団はもぬけの殻だったのだ。
初めはトイレに行ったのだと思ったが、すぐそこに寝巻きが置いてあるのに気が付いて立ち上がった。彼女の武道着とダガーがない。
どうやら外に行ったらしい。俺は二人を起こさないように着替えると、ファミアールの冒険でエルフの少女からもらった剣を持って外に出た。
荒涼とした大地に月が浮かんでいる。昼の暑さが嘘のように、辺りは涼しい。
俺は辺りをきょろきょろ見回し、彼女がいないことを確認すると真っ直ぐ探索現場に向かった。行くとしたらあそこしかない。
案の定、丁度白い石の天井が見つかった辺りにミランが立っていた。
「ミラン!」
俺が呼びかけると、少女は特に驚いた様子もなく振り返り、俺の名前を呟いた。
そばまで行くと、彼女は白い石の上にいて、何かを描いているところだった。
もちろん、魔法陣である。こうして地面に描いて発動するのは上位魔法だと聞いたことがある。
黒魔法は基本魔法と上位魔法に分かれ、後者は前者よりも遥かに強力だという。そしてミランという天才は、その上位魔法の方にこそ才能があるのだと、五街道都市エルザーグラのギルドマスターが言っていた。
少女は視線を落として、後ろめたそうに呟いた。
「埒が明かないから」
「それで、内緒で?」
わずかに声に怒気を孕ませた。
「もし俺が気付かなかったら、ミランは仲間である俺たちにすら言うつもりがなかったのか?」
俺たちはパーティーだ。
ごく私的なこと以外、個人の勝手は許されない。ましてやここに穴を空けるなど、ミラン一人の判断で行っていいことではない。
少女は茶褐色の瞳を潤ませた。
「ごめんなさい……」
俺は溜め息をついた。けれど、それ以上は何も言わなかった。彼女が何故魔法を使うのを嫌がるのか知る前だったら、恐らくもっと厳しく彼女を叱っただろう。
「ミランの言う通り、このままじゃ埒が明かないから、今回は許可する。けど、次からは実行する前に相談してくれ。せめて俺にはな」
少女は無言で頷くと、再び石の上に魔法陣を描き始めた。
直径1メートルほどのものである。まず円があり、その中にぴったり収まる正六角形が描かれている。さらにその中には複雑怪奇な模様が描かれており、もはや俺には無意味な線の集合にしか見えなかった。
それにしても、外枠の円と六角形は綺麗だ。俺はどうやって描くのだろうかと思って少女に尋ねてみた。
すると、少女は一本の紐を取り出した。
「紐の端を円の中心になる場所に固定しておいて、くるっと回すと円が描ける。正六角形の一辺は、その円の半径と同じになるから、円周の一点から紐の長さ分ずつ点を付けていって、それを結ぶとできるのよ」
言いながら、少女は少し離れた地面の上に手際よく正六角形を描いて見せた。あっという間に図形は完成し、俺は感心して思わず拍手を送った。
少なくともそれは、基礎教育では教えてもらえなかった。基礎教育で教わる数学は、足し算と引き算、それに掛け算の3つだけだ。
ミランは表情を変えることなく、先程まで描いていた魔法陣を完成させた。手際のよい彼女をもってしても15分ほどかかっている。よく覚えているものだと、俺は感心した。
「本来は鉄を溶かす魔法なの」
言いながら、少女はよくわからない呪文を唱えた。すると、魔法陣がぼんやり輝き出し、その下の石が怪しげに溶解していく。
あれだけ頑丈だった石が、あたかも違う物体のように液化していくのを見て、俺は興奮を抑えられなかった。こんなものは見たことがない。
「それにしても、魔法はすごいな。でも、鉄を溶かす魔法で石も溶かせるのか?」
ちらりとミランを見ると、少女は溶けていく石を真っ直ぐ見据えて小さく首を横に振った。
「本来は、無理。私が、魔法陣をアレンジして、石でも木でも溶かせるようにしたの」
「アレンジ……?」
それはつまり、この魔法はミランが編み出したオリジナルの魔法ということなのだろうか。
そう尋ねると、少女は小さく「そう」と呟いた。
「魔法陣は、別に意味のない線の集まりじゃないから。ほとんどの魔法師は単に陣を暗記してるだけだけど、ちゃんと意味を理解すれば自分で色々アレンジしたり作ったりすることができる」
「意味を……」
俺は先程彼女が書いた陣を見ようとしたが、ちらりと地面を見てすぐに彼女に視線を戻した。魔法陣は液化した石に溶けてもう見えなくなっていた。
ミランは空中に素早く陣を描くと、ある魔法を放って見せた。あの、魔法師の男が「最もレベルが高いヤツ」と言った光の魔法だ。
ミランはそれをあっさり完成させると、何もない空中に解き放った。
魔法は凄まじい光量を放ちながら空に上り、途中でその進路を変えた。数度グルグルと空を回ると、やがてその威力を段々弱めて消えてしまった。
「この魔法も、本当は少しずつ威力を弱めながら、100メートルくらい真っ直ぐ走って終わりの魔法なんだけど、不便だから私が方向を途中で変えられるように描き直したの。その分、魔法陣を描くのに倍くらいの時間がかかるけど」
彼女がかつてこの魔法を使ったとき、光は目標を消滅させてから空へ昇っていった。あれは、元々そういう魔法だったのではなく、彼女が意図的に空に昇らせていたのだ。
「今も、そうやって魔法の研究をしてるのか?」
俺は額に汗を浮かべた。少女は魔法を嫌っている。ならば、このアレンジは一体いつ行ったのだろう。
考えられるのは、今もなおこっそり研究していることだ。それ以外には有り得ない。
そう思ったのだが、彼女は静かに首を振って、とんでもないことを言ってのけた。
「この魔法をアレンジしたのは私が12の時よ。今はもう魔法の研究なんてまったくしてない」
「12歳で……」
もはや絶句するしかなかった。悪いが、俺は12の時、同じ村の仲間であるゴーンドと木刀を振り回して遊んでいた。少女はその数年後、俺と同じ歳の時にすでに魔法陣の造りを理解し、自分でアレンジしていたのだ。
その時ふと、俺はある疑問を抱いた。同時に、それを言葉にせずにはいられなくなった。
「自分でアレンジするなんて。ミランは学院にいたときは魔法を嫌ってなかったのか?」
本当に魔法を嫌っているのであれば、そんな積極的にアレンジを行ったりするとは思えない。しなくても卒業はできるはずだ。
ひょっとしたら、彼女は魔法を好きだったのではないだろうか。
大好きだったものがあるきっかけで大嫌いになることなど、よくある話だ。
ミランはちらりと俺を見た。目が合った。
そのまま俺が視線を逸らさずに真っ直ぐ彼女の目を見つめていると、やがてミランはあきらめたように溜め息をついて俯いた。
「卒業間近に……友達を殺めたの……」
「えっ……?」
俺の呟きは、不意に聞こえてきた何かの流れ落ちる音によってかき消された。
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