大穴の縁に立ち、クレスがつまらなさそうに足元の石を蹴った。
人生初の冒険が単なる穴掘りで終わらなかったことに満足するかと思ったら、今度は収穫がなかったのが不満らしい。なかなか欲深いヤツだ。
「まあ、こういうこともある。金や物は手に入らなかったが、この経験は次に生きる」
インタルが人生の教師のようにそう諭すと、クレスは驚いたように彼を見上げてから力強く頷いた。
「不思議な経験だった。怖い思いもいっぱいしたけど、今振り返ったら楽しかったって言える」
「お前は探検家向きの性格をしてるよ」
インタルが仰け反るように笑って、クレスは嬉しそうに頭を掻いた。
「学者さん的には、この結末はどうだったんだ?」
今度は依頼主を向き直って尋ねた。
せっかく高い金を払って、結局何の収穫も得られなかったのだ。
俺たちは依頼を受けての探索だったので、神殿からの収穫がなくても問題ないが、彼はそうではない。
ところがアームダンは穏やかに笑って海の方を見た。
「ここに神殿があったという事実が確認できただけでも十分な収穫です。その上、土砂が海の方から来たこともわかった。私にはそれで十分です」
学者という商売はよくわからないが、探検家の俺に言わせてみれば無欲なことだと、驚かずにいられない。
まあ、彼は彼なりに、十分満足でき得る知識を得たのだろう。それが割に合うかは本人が決めることだ。
「とにかく、あれだけ死者が出た中で、俺たちは全員生きて帰ることができた。それに感謝しよう」
俺が締めくくると、男たちは満足そうに頷き、ミランはふてくされながら小さく頭を下げた。
どうやら自分だけ大怪我を負ったのが納得いかないらしい。もちろん、俺たちも痛い目を見ればよかったのだと考えているわけではなく、自分は無事でなかったから感謝はできないという主張だろう。
クレスはそんな少女を見て怪訝そうに首を傾げたが、インタルは笑い声を立てて少女の背中を叩いた。
「まあそう落ち込むな。一番活躍したヤツが一番損をするのは、自然の摂理みたいなものなんだ」
少女は極めて不服そうに顔を上げたが、子供のようにふくれただけで何も言わなかった。
「じゃあ、行こう」
そう言って、俺は神殿の跡に背中を向ける。
その時だった。
『ありがとう……』
風に乗って、声が聞こえた。高い、少女の声。
「シャルナ?」
俺は無意識の内にそう呟いて振り返る。だが、視界には一面の青空が映るだけで、声の正体はなかった。
「シャルナ? なんだそれ?」
クレスが不思議そうに聞いてくる。
「いや、俺にもよくわからないが……」
何か、大切なことを忘れている気がした。だけど、どれだけ考えてもそれを思い出すことができなかった。
「シャルナ……」
もう一度呟くと、何か堪えきれない感情が押し寄せてきて、目頭が熱くなった。
漠然として不明瞭な悲しい記憶が胸の奥に沈殿する。
「なんか、女の名前みてぇだな」
インタルが笑ってそう言うと、ミランが拗ねたように唇を尖らせた。
「エリアス、私が寝てる間に、浮気したんだ……」
「ち、違う!」
俺は慌てて否定したが、いじいじと地面を絵を描き始めた少女の機嫌を元に戻すのは大変だった。
俺はもう一度神殿の方を振り返った。
何かはわからないが、何か大切なことを忘れている気がする。
一度だけ見た赤毛の少女のこと。シャルナという名前。
「なあ、インタル……」
俺は静かに問いかけた。
「俺が剣を抜いた後、あの白骨はどうなった?」
大男は首を傾げてしばらく思い出すように唸り声を上げてから、「なかった」と答えた。
「あの黒い霧と一緒に、お前の抜いたはずの剣も、あの白骨もなくなっていた」
「そうか……」
すっと俺の隣に魔法師の少女が立った。そしてすべてを知っているかのように言った。
「エリアスは、過去や未来を変える力があるのかも知れない」
「過去を……変える?」
ミランはにっこり笑った。
「嘘よ。そんな人間が、いるはずないでしょ?」
抜けるような青空が広がっていた。
まだ日は高い。とても長い時間、神殿の中にいた気がするが、実際にはほんの数時間の出来事だった。
何かはわからないけれど、思い出したらもう一度ここへ来よう。
俺は、あの少女に何か言わないといけない。
「じゃあ、行くか」
俺はそう言って街のある方に身体を向けた。
夏の風が荒野を吹き抜けていく。
声はもう聞こえなかった。
俺は、仲間たちとともに歩き始めた。
Fin
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