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魔法師ミラン3 妄執の神殿

 昨夜ミランが空けた穴は、その形状を違えることなく、同じようにぽっかりと口を空けていた。
「あの魔法師が魔法を使ってもビクともしなかったこの天井に、こんなふうに穴を空けて出てくるなんてな」
 わざとらしく俺はそう言いながら、上から中を覗き込んでみた。
 陽光に照らされて、なんとか底が見える。別に何もなさそうだ。
 俺が首をどけると、クレスが興味津々に穴に近付いた。
「で、今さらかも知れないが、アームダンさんの目的を話して欲しい。この神殿には何があるんだ?」
 俺が尋ねると、依頼主の学者は腕を組んで困った顔をした。
「私は学者です。歴史を調べ、『アミラスの怒り』の前の地図と後の地図を突き合わせて、ここに神殿があったことに行き着いた。それで興味を持っただけで、ここに何があるかとか、詳しいことはわかりません」
「どんな歴史を調べていたんですか? トントーレ教なんて、宗教の歴史を追っても出てこないような、マイナーな宗教です」
 ミランが静かに問いかける。
 学者は心を覗き込むような目でミランを見つめていた。俺が彼なら、そんなマイナーな宗教を、逆に少女はどこで知ったのかということを疑問に思うだろう。
 彼もそう思ったはずだが、何も言わずに質問に答えた。
「私は逆引きです。ここに建物があったことを知り、それが神殿であることを知り、その神殿がトントーレ教のものであると知った」
 彼は地理学者だと語った。日頃は『アミラスの怒り』の原因を研究したり、現在の地図を作成したりしているらしい。
 学者は海のある方角を向いて穏やかな声で言った。
「昔は海岸線がもっとこの近くまであったんです。土地は今より遥かに低くて、現在の港町やマゼレミンは、『アミラスの怒り』の後にできたものなのですよ」
「なら、この辺りにはこの神殿の他にもまだ、何か埋まっている可能性があるのか? 規模からすれば、村落が丸ごとってのも有り得るな」
 インタルがさも楽しげに尋ねた。
 この高さの神殿が丸ごと埋まったのだ。村や街が一つ飲み込まれたとしてもおかしくはない。
 学者は「可能性はあります」と笑ってから、インタルを見て言った。
「ただ、地図には大きな街はありません。こんな小さな神殿ですら載っている地図ですから、他に大きなものが埋まっている可能性は低いでしょう」
 アリスランダでは実際に街ごと掘り起こされるケースがある。ただ、著名なものはこの500年の間にほとんどすべて掘り返されてしまっている。
 もちろん、それでもまだ森の中からファミアールみたいなのが出てくるのだ。地面や海の中には、無限の可能性が残されていると言っても過言ではない。
「なら、アームダンさんは、神殿が確認できた今、危険を冒してまでも中を探索する理由はないというわけだな?」
 話をまとめるように俺は尋ねた。
 彼はこの中に何があるか知らないと言った。となれば、目的は神殿の確認であって、それ以上ではないだろう。
 そう思ったのだが、学者はいたずらっぽく笑って俺を見た。
「私も人間ですよ。せっかくお金を出して掘り起こして、はいさようならで満足するはずありません」
「なるほどな。知らないことと興味がないことは、確かに違う」
 学者は満足げに頷いた。
「仮に何もなかったとしても、せっかく見つけたのですから、私は中を散策したいと思っています。いずれ誰かがあさるのなら、苦労して発見した私たちがするのが一番理にかなっているでしょう」
「じゃあ、問題はあの黒いのね」
 ミランが囁くようにそう言った。彼女の中では仕事を続行するつもりらしい。
 それを察知したのか、クレスが怯えた顔で振り返った。
「僕、あんな生き物見たことがないよ。さっきの戦士の人じゃないけど、あんなのと戦えるの?」
「俺も見たことがない」
 クレスに同意するようにそう言って、俺はアームダンの顔を見た。
 地理学者は指先で頬をかきながら首を横に振った。
「私もただの地理学者です。詳しいことはわかりませんよ」
 その割には昨夜は確信を持って怨念だと言っていた気がするが、突っ込むのはやめておいた。
 恐らくわずかに知っていたということなのだろう。
 頼みの綱にすがるように学院首席の少女を見ると、意外なところから声がかかった。
「あれは昨日学者殿の言ったとおり、怨念の集合体だな」
 インタルだ。腕を組んで自信満々に頷いている。
「インタルが言うと、本当なのか知ったかなのかわかんないよ」
 クレスが唇を尖らせて、ミランは微笑んだ。俺も同じ考えだが、少なくともこういう状況で冗談を言うほど分別のつかない男ではない。
「15年も探検家やってると、ああいうのに出くわすこともある」
 クレスの言葉に特に気を悪くすることなく、むしろ楽しそうに笑って太い腕を組んだ。
「それで、そのときはどうやって退治したの?」
 ミランが興味深げな顔をした。怨念などが形を成すなど、天才の辞書にも載ってないことらしい。
 インタルは立てた人差し指を振りながら、「退治じゃない」と片目をつむった。
「供養したんだ。結婚を間近に控えた若い女性が馬車に撥ねられてな。馬車に乗っていた貴族はその事実を抹消して、少女の遺体は捨てられた。それから、まあ形は違うが大体あんなような物体が夜になると貴族の家を襲い……なんとかしてくれっていう依頼を受けたわけだ」
「可哀想……」
 クレスが呟く。
「それでは、今回も供養すればいいということですかな?」
 アームダンが口を挟んだ。足元では多くの人間が生き埋めになった。あの黒いのが怨念だとしたら、それを放っているのは、間違いなく神殿にいた人々だろう。
 インタルは深く息をついて目を閉じた。
「わからん。毎回同じようにいかないのが、探検家の難しいところであり、面白いところでもある。どんな場合にも通用する正しい解決策なんてのはないんだ」
「ふーん」
 クレスが感心したように頷いた。多少はインタルを見直したのかもしれない。
 いつも陽気で冗談ばかり言っているので誤解されやすいが、インタルは探検家としては俺などよりも遥かにすごいのだ。
「それで、お前は受けるつもりなのか?」
 俺は横目でミランを見た。少女は真っ直ぐ俺の目を見つめ返してから、ふっと視線を穴の方にやった。
「最終的な判断はエリアスに任せるけど、ただ、あれが毎晩ここから出てくるのは間違いないから……。私たちが解決しないと」
「そうか……」
 ミランは言葉を濁したが、俺は彼女の言った意味を理解した。ひょっとしたらアームダンにも気付かれてしまったかも知れないが、止むを得まい。
 この穴を空けたのはミランだ。そのせいで何かあったら、責任を取らないといけない。
 別に義務ではないのだが、少女は一緒に穴を掘っていた仲間が何人も死んでしまったことを自分のせいだと思っている。正義感が強いのだ。
「エリアス。あいつらは夜しか現れない。それはこの中に入っても、どんなに暗い場所でも同じだ」
 インタルが穏やかな口調で言った。昼に調べて、昼の内に解決しようと言っているのだろう。
 クレスは不安そうな顔をしているが、ようやくできる初めての冒険を天秤のもう片方に載せた結果、恐怖より好奇心が勝ったらしい。俺たちの話に耳を傾けながらも、落ち着きなくしきりに穴の方を見ている。
 俺は大きく息を吐いた。
「お前ら、俺に決めさせる振りをして、実は断る気なんかさらさらなかったんだろ」
 俺の言葉にインタルは大声で笑い、ミランはいたずらっぽく微笑んだ。
「エリアスが断る可能性を考えてなかっただけ」
 やれやれ。
 俺はアームダンを振り返って肩をすくめた。
「ということだ」
 依頼主の学者は満足げに頷いた。
「それではお願いします。何かでてきたら、純粋に1対1で山分けしましょう。いいですか?」
 もちろん依存はなかった。
 ふと空を見上げると、うっすらと雲のかかる青空が広がっていた。太陽は中天よりだいぶ東よりにある。
 まだ昼前だ。夜の間ほぼ動き回っていたからかなりの眠気はあったが、引き伸ばせば伸ばすほど不利になる。
 俺がすぐにでも中に行こうと思って穴の方を向くと、アームダンが声をかけてきた。
「あ、そういえば、ミランさん」
「え? あ、はい」
 突然話しかけられて、ミランが驚いたように学者を見た。俺たちも怪訝な顔で彼を見る。
 アームダンはゆっくり一度瞬きしてから、時々ミランが見せるような研究者然とした真摯な瞳で少女を見据えた。
「個人的な事情はともかく、少なくとも私がいるからという理由で魔法をためらう必要はありません。ミラン・ホルクランド」
 衝撃が、一陣の風のように俺を打った。
 周りを見ると、インタルは平然とした顔で立っていた。少年は驚いた顔をしているが、これはミランがあの魔法師のミランであると学者が知っていたことについてのようだ。
「いつから……知っていたのですか?」
 ミランが慎重に問いかけた。
 皆で穴を掘っているとき、ミランはまったく魔法を使わなかった。それを咎められると思ったからだろう。
 しかし、俺はふと思った。彼は「個人的な事情はともかく」と言った。つまり、彼はミランが個人的に魔法を使いたがっていないことを知っている。
 案の定、彼は特に怒った様子もなく、照れたように自分の頭を掻いた。
「初めからです。あなたは歳の割に知識を持ち過ぎているし、昨日助かったのも、エリアスさんは剣のおかげと言ってましたが、不自然すぎる。この穴にしても、2週間も何もなくて昨夜突然、というのはおかしいでしょう。だから……今のは賭けですよ。違ったら謝ればいい」
「そうですか」
 ミランは溜め息混じりに呟いてから、今まで隠していたことを詫びた。
 アームダンは「構いませんよ」と笑った。
 その後ミランがちらりと俺を見たから、俺は決意したように問いかけた。
「ミラン……。ホルクランドって?」
 そう。俺が衝撃を受けたのは、彼がミランを知っていたことにではなく、ミランがホルクランド家の者だということだった。
 けれど、意外なことに、俺がそう問いかけるとミランは唖然としたように目を丸くして、呆けたように言葉もなく口を開いた。
「お前……知らなかったのか?」
 呆然とインタル。振り返ると、彼も驚きを隠せないという顔で俺を見下ろしていた。
 アームダンがぽりぽりと頭を掻いた。
「言ってはまずかったですか?」
「いえ……」
 すぐに少女が首を振る。そして真っ直ぐ俺を見上げて申し訳なさそうな顔をした。
「ごめんなさい、エリアス。隠していたわけじゃないの。私、あなたはそれを承知で黙っているのかと思っていたから……」
 ミランがそう言って頭を下げると、少女を励ますようにインタルが肩をバンバンと叩いた。
「ミランちゃんが悪いんじゃないな。これは明らかに知らなかったエリアスが悪い」
 後から知った話だが、ミランがホルクランド家の者であるのは、割と有名らしい。ただ、俺のようにミランが魔法師であることは知っていても、ホルクランド家の者だと知らない者も多いそうだ。その能力の高さのために、ミランが個人として有名になったためである。
 俺が呆然としていると、声をかけていいのかためらうように、ぼそっとクレスが聞いてきた。
「なあ、ホルクランド家ってなんだ? 有名なのか?」
 下には下がいたらしい。と言っても、両親もおらず、物心つく前からずっと道場に住み込んで、基礎教育すら受けていない子供に勝っても、むしろ虚しさが募るばかりだが。
 俺が答えようとしたら、先にインタルが簡潔に説明してくれた。
「大陸一の鉄鉱業者だな。人間と魔法を駆使してどんどん勢力を拡大している。良くない噂も色々聞くには聞くが……」
 ホルクランド家の人間の前だからか、さすがにインタルも声のトーンを落とした。
 ミランは皮肉っぽい笑いを浮かべて首を振った。
「実際に良くない家だから、気にしなくていい。あの家はとにかく魔法がすべてなのよ。多夫多妻でたくさん子供を作って、魔力を持たずに生まれた子は子供としてすら扱われない」
「だから……ミランは魔法を使わないの?」
 おどおどしながら、けれどもすぱっとクレスが尋ねた。俺では絶対に聞けない質問だ。
 重苦しい沈黙。クレスも失言に気が付いたようだが、今さらなかったことにするわけにもいかず、やや俯き加減で唇をかんだ。
 やがて、ミランが大きく息を吐いて、そっとクレスの頭に手を置いた。
「それも、あるわ。魔法を使わないことは、あの人たちへのせめてもの反抗。自分でも子供っぽい感情だと思うけど、それでも……ね」
 クレスは大きく頷いて、それ以上何も言わなかった。
 ミランが言った「それも」という言葉。ひょっとしたらこれも有名なのかも知れないが、少なくとも俺は知っている。
『卒業間近に……友達を殺めたの……』
 寂しげなミランの声が頭をよぎった。
 俺はすぐにそれを振り切って、明るく声を出した。
「じゃあ、行こう!」
 4人が頷いた。

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