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魔法師ミラン3 妄執の神殿

 ドサッという、人の床に倒れる音で、俺は気が付いた。ほんの数秒だが、意識を失っていたらしい。
「ミラン!」
 クレスの叫び声。見ると、魔法師の少女がうつ伏せになって倒れている。
 俺は一瞬にして状況を確認した。
 嘘のように黒い霧の晴れた空間が広がっている。あれだけいたスケルトンもほとんどすべて消滅し、部屋に置かれた長椅子に少女のすさまじい威力の魔法の跡が見て取れた。
 残っているスケルトンはほんの3、4体で、恐怖というものがないのか俺たちの方に向かってきている。
 とりあえずもう大丈夫だろうか。
 そう思ったが束の間、またかすかに黒い霧が立ち込め始めた。そういえば昨日、あの黒い球体は無限に現れ続けた。
「クレス! 俺の剣よりお前の方があいつらを効率よく倒せる。行け!」
 怒鳴るように言うと、クレスは素直に頷いて動く白骨へ駆けていった。あの少年ならば大丈夫だろう。
 替わりに少女に駆け寄り、様子を見る。額にうっすらと汗をかき、苦しそうに喘いでいた。意識がないようだ。
 抱きかかえるようにして仰向けにすると、喉の奥がゴボッと鳴った。血が詰まって息ができないのだ。
 俺はすぐに気道を確保するように少女を横にすると、口の中に手を入れて血を吐かせた。
 どこにこれだけの血があったのかというくらい大量の血が俺の服を濡らし、少女はうっすらと目を開けた。
「大丈夫か?」
 さすがにこれはやばいと思い、俺は慎重に尋ねた。
 ミランは弱々しく微笑み、首を横に振った。
「あんまり……」
「ミラン……」
 俺が思わず眉をひそめると、ミランは再び苦しげな顔をして血を吐いた。そのまま崩れるように床に倒れこむ。
「ミラン!」
「これは……やばいかも……知れない……」
 俺は思わず少女を抱きかかえた。ミランは意識はあるが身体にまるで力が入らないらしく、ぐったりと手足を垂らして瞳に涙を浮かべている。
「私……死ぬのかな……」
「弱気になるな!」
「だ、だって……」
 俺が抱きしめると、ミランはまるで宝石のように涙を輝かせて嗚咽を洩らした。だが、それも一瞬のことだ。
 すぐに呻き声をあげると、まるでカップの水が零れるように血を吐いて、ついに意識を手放した。
「ミランっ!」
 俺は絶叫した。
 言葉が出ない。ただ涙だけが止め処なくあふれてきた。
 ミランが死んでしまう。
 身体が恐怖に震えた。
 その時だった。
「どいてください、エリアスさん」
 振り向くと、そこには温和な微笑みを浮かべた依頼主の学者が立っていた。
 俺はよくわからなかったが、もはや自分にできることは何もないとわかっていたから、すぐにミランを彼に渡した。少女を助けて欲しかった。
 アームダンは少女の服をまくり上げて、ふっくらとした白い腹部を軽く手で押した。そして、厳しい瞳で少女を睨むように見つめて呟く。
「生きているのが奇跡ですね。実際、昨夜は何人もの人が死んでいる」
「アームダンさん!」
 俺がつかみかかるような勢いで呼びかけると、学者はやはり穏やかに微笑んで「大丈夫です」と言った。
「私は、白魔法が使えます」
「……え?」
 思わず呆然となった。
 白魔法はミランの使う黒魔法とは違い、魔力を媒体にして自らの体力と精神力を相手に与えるものである。
 ミランの白い腹に触れた手が、ほのかに光を帯びた。途端に、蒼ざめていた少女の顔に赤みが射して苦しそうだった呼吸も穏やかになっていく。
「アームダン……さん……」
「切り札は最後まで取っておくものです。ミランさんがそうしたように、ね」
 俺は思わず力が抜けて、その場に崩れ落ちそうになった。
 そこを、誰かがぐっと俺の腕をつかんで、無理矢理起き上がらせた。
「安心するのはまだ早いぜ」
 インタルだ。隣にはクレスもいる。
 どうやらアームダンと下に降りてきて、少年と一緒にスケルトン退治をしていたようだ。
 一度大男を見上げてから周囲を見回すと、黒い霧が先程と同じ濃さまで戻っていた。
 少女に集中していたので気にならなかったが、呻き声も戻っている。
「根源を断たない限り、こいつらは消えねぇらしい」
「昼は出ないんじゃなかったのか?」
 今さらそんなことを言ってもどうなるわけでもなかったが、思わずジト目で睨みつけた。まあ、悪口が言えるくらい精神状態が回復したのだと前向きに解釈してもらおう。アームダンには感謝の言葉もない。
 インタルは自分が死ぬかも知れないという状況にも関わらず、大声で笑った。
「白骨が動いたり、幽霊が昼に出てきたり。これだから探検家は面白いな! なあ、少年!」
 背中をバンと叩かれて、少年は困ったように乾いた笑みを浮かべた。
 魔法を持たないクレスを後ろに下げ、俺は剣を構えてインタルと並んだ。俺と彼の持つ剣は、相手に対して効果があることは立証済みだ。
 もっとも、無限に出てくるものを相手にしては勝ち目がないし、実際先程一斉に突撃されて、俺たちは全滅しそうになった。ミランが捨て身の策を打たなければ殺られていただろう。
「根源……」
 俺は呟いて、周りを見回した。もしもこれが何者かの怨念だとしたら、その発信元を解放することだ。
 その時ふと、左方遥か先にある祭壇が目に入った。そこにはまだ一体の白骨死体が残っていて、その腹部に一本の剣が突き刺さっていた。
 赤毛の少女の幻影がよぎる。
 刹那、俺は走り出していた。
「エリアス!?」
 インタルが声を上げる。すでに周囲は前方が見えないほどになっており、所々で黒い塊が出来始めていた。
 俺はその一つを剣で切り裂きながら叫んだ。
「元を断つ。インタルは3人を頼む」
 彼も俺の目差すものに気が付いたのか、それ以上声はしなかった。
 まるで俺の行く手を阻むように集まってきた靄を、剣を振り回して払いながら、俺は白骨の前に立った。
 骨の大きさからして、大人の男のものではない。見るものが見れば骨で男女の区別もつくのだろうが、俺には無理だった。それでも、俺はこれが先程の少女のものだと確信していた。
 エルフの剣を鞘に収めると、俺は突き刺さっている古びた剣の柄を握った。
 途端に、まるで雷に打たれたかのように、身体に電撃が走った。
 肉体的な痛みではないようだ。恐ろしいほどの悲しみと憎しみが手の平から伝わってくる。
『助けて、助けて、助けて、助けて……』
 少女の狂ったように泣き叫ぶ声が、まるで記憶が蘇るように脳裏に響いた。
 俺は剣を強く握りしめて、一気にそれを引き抜いた。
 刹那、剣の刺さっていた箇所から噴水のように黒い霧が噴き出した。
「な、なんだ!?」
 剣を引き抜いたすぐ後で、がら空きになった俺の胴にそれは容赦なく襲いかかってくる。
 殺られる、と思った。魔法を放つ直前のミランの姿がよぎる。
 けれど、それは靄でしかなく、まるで目を閉じたように俺を闇の中に陥れただけだった。
「こ、これはなんだ?」
 俺は持っていた剣を振り回した。けれど、すぐにそれが何の効果も示さないことがわかり、投げ捨てて腰に手を伸ばす。
 だが、そこには俺の剣はなかった。いや、伸ばした気になったが、実際に伸ばしたのかも定かでない。
 自分が今立っているのか横になっているのか、ありとあらゆる五感がなくなってきた。
 これが死なのか?
 ぼんやりとした意識の中で、俺は思った。魔法師の少女の顔がよぎったが、俺を包み込む奇妙な感触に恐怖を抱かなかった。
 目を閉じているのか、それとも開いているのか。それすらわからなくなってきた時、不意に俺は声を聞いた。
「エリアス、エリアス! しっかりして! エリアス!」
 聞き覚えのない声だった。ミランのものでもなければ、これまで会ってきた誰のものでもない。
「エリアス!」
 頬を叩かれた。痛みを感じる。
 俺の意識は急速に引き戻された。

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