■ Novels


戦場の天使
オリジナル小説 『SCARLET WARS』 の続編になります。
よろしければ、先に 『SCARLET WARS』 をお読みください。

マリナ : 元ネイゲルディアの王女。二十歳。テリスの営む料理屋の看板娘。金髪の美人。
テリス : マリナの友達の青年。十七歳。マトランダに住んでいたが、マリナと二人でフェイミに。
エナバリス : フェイミの将軍。テリスの店の常連客。武才のあるマリナを部下にしたいと思っている。
マフエル : エナバリスの部下で、彼の娘と恋仲だったが、マリナに一目惚れしてごちゃごちゃに。
ウィレア : エナバリスの娘。恋人のマフエルがマリナになびいたことで、彼女を逆恨みしている。
黒髪の魔法使い : 性格のねじ曲がった人。今回の事件の元凶。ちまちま登場してマリナに絡む。

 港町フェイミはティユマン国の西の端に、湾とイスィキート国に挟まれる形で存在する。
 フェイミとは厳密には街壁の内側にある王城とその城下町を差すが、街壁の外に点在する漁村や農村も含めた地域全体をフェイミと呼ぶこともある。
 ネイゲルディア王国の王女マリナが国を捨て、テリスという青年とともにこの街に落ち延びてから二年の歳月が流れていた。
 大陸の情勢はと言えば、ネイゲルディアに侵攻したユマナシュと、マリナを裏切り国を興したエンファスのマトランダ国が何度か小競り合いを起こした他には、変わったことは何もなかった。
 ユマナシュとマトランダはマトランダの方が優勢らしく、またネイゲルディアの首都ナガノリアに侵略した北のニゲルヘイナとの関係も良好だという。
 誰よりも国を愛していたマリナは、そんなマトランダの様子を複雑な思いで見つめていた。
 復讐心はあったが、マトランダにはテリスの両親が今でも店を続けている。二年前、テリスとともにフェイミに行こうと誘ったが、断られたのだ。
 テリスはマリナに両親と決別する覚悟を語った。とは言え、今でも定期的に手紙を送っているし、いざ両親に何かあればテリスが悲しむのは明白である。
(私のことは済んだこと。おじさんたちのことは継続していること。私はマトランダの平和を願わなくては……)
 マリナはふと兄や国民を思い出しては自分にそう言い聞かせていた。もちろんそれで心が穏やかになれるような聖人ではなかったが。
 マトランダの情勢はともかく、フェイミを含むティユマン国は平和だった。東のニゲルヘイナ、南のギッフィアルマ、西のイスィキートのいずれとも同盟を結び、交易も盛んに行われている。活気があり、決して豊かな土地ではなかったが満たされていた。
 そんなフェイミにあって、マリナたちの生活もまた、安定し充実していた。もちろん、初めからそうだったわけではない。
 マリナがナガノリアの王城から持ち出した金は、市民権を得、土地と家を買うのにすべて使い果たした。もっとも、その金のおかげで少々のことでは揺るがない土台が出来たのは確かだが、肝心な店の方がうまくいかなかった。
 当初は、マトランダでテリスの両親が経営している飲食店と同じコンセプトで始めたが、まったく流行らなかった。客層の問題もあったが、材料の問題が大きかった。
 ここでは美味しい魚料理を提供しなければ商売にならない。そう判断したテリスは、山育ちのハンディキャップを背負いながらも、魚介類全般の勉強に励んだ。元々料理の勘が良いテリスはすぐに腕を上げたが、新しい店が軌道に乗るまではマリナが外で働かなくてはならなかった。
 どれだけ厳しくしつけられようと、やはりマリナは温室育ちである。フェイミに来てからの一年は我慢の連続だった。酒場の従業員から始めたが肌に合わず、いくつか職を転々とした後、建設現場の力仕事に落ち着いた。
 苦痛の日々だった。しかし店が軌道に乗り、日々が慌ただしくも平穏に過ぎている今思い起こすと、当時は次から次へと新しい経験ができて面白かった。
(私はこのままずっとテリスと一緒にこのお店を続けるのかな)
 昼の営業を終えた後、マリナは剣を携えて店を出た。一日二時間ほど剣の鍛錬に励むのを日課としている。
 テリスはこの平和な街において、もはやマリナがこれ以上強くなる必要はなく、どちらかというと料理の勉強をしてほしいと願ったが、マリナはそれを一蹴した。
 最後に自分を助けるのは力だと信じていた。だから、昼は剣や乗馬の鍛錬に励み、夜は王女時代からの教育をそのまま自習していた。もっとも、剣に関しては、テリスが料理を愛するのと同じくらい好きで行っている部分もあったが。
 飼っている栗毛のずんぐりとした馬を小屋から引っ張り出す。この馬はフェイミへの道中で撃退した山賊から奪ったもので、本当は三頭いたのだが、テリスが自分では馬に乗れないので一頭にしておいたのだ。足は遅いがその分頑丈で、事実この二年で病気一つしていない。
 街外れの空地まで駆け抜けると、そこでいつもの鍛錬を始めた。準備運動から素振り、コンビネーション。軽快なステップ。相手をイメージし、突き、振り下ろし、薙ぎ上げる。
 しばらく身体を動かしていると、不意に低い男の声で楽しそうに話しかけられた。
「今日も頑張っているな、サイリス」
 マリナは顔を上げた。そこにいたのは立派な甲冑を着けた口髭の中年と、その部下らしき若者が四人。いずれも馬に乗り、高い場所からマリナを見下ろしている。
 ちなみにサイリスとはフェイミでのマリナの偽名だった。テリスがマリナに偽名を使うよう進言し、さんざん渋った末にマリナが選んだのがこの名前だった。
 それは幼くして死んだマリナの腹違いの妹の名前だった。マリナは偽名など使いたくなかったが、死んだ妹の分も生きようと幼い頃から思っていたので、その名前ならばよしとしたのだ。
「こんにちは、エナバリスさん」
 マリナは明るく挨拶をした。エナバリスはフェイミの将軍であり、店の常連客でもあった。部下の四人も全員知っていたが、まとめて「こんにちは」と言うに留めた。
「相変わらず、いつ見ても惚れ惚れする動きだ。いつも言っているが、本当にわしの部下にならんか? 一介の料理屋の看板娘にしておくには惜しい」
 エナバリスはこの上なく楽しげな瞳でマリナを見て言った。部下たちは一人は真面目な、一人はつまらなさそうな、一人は嬉しそうな顔をしており、残りの一人は周囲をきょろきょろと見回していた。
 ちなみに嬉しそうな顔をしている若者はマフエルと言い、やはり店の常連客にして、マリナの熱狂的なファンだった。マリナはそれを嬉しく思っているが、もちろんテリスは嫌がっている。
「私の剣は自分とテリス、それから身近な人たちを守るためにあるの。もう大勢の人のために戦うのは懲り懲り」
「もう? その腕前、フェイミに来る前はどこかの将軍だったのか?」
 マリナは口を滑らせたことをしまったと思ったが、面には一切出さなかった。
「貴族の娘だったって話は前にしたでしょ? ネイゲルディアで戦争に巻き込まれて逃げてきたって。色々と、守ろうとしたけど守れなかった人がいるのよ」
 当たらずとも遠からずな嘘をつく。貴族の娘というのは説得力があり、今まで誰にも疑われたことがなかった。乱暴な振舞いにぞんざいな言葉遣いをしているが、端々には気品があった。また将軍であるエナバリスに物怖じせずに話をする一般民など他にはいない。
 一度そのことをエナバリスが指摘したとき、マリナは「お客さんはみんな平等に扱うから」と言い放ち、エナバリスもマリナのそんな性格を気に入り、すべての無礼を不問とした。
「貴族の娘か。釈然とせぬ気もするが、まあそういうことにしておこう。ところでお前の身近な人間には、常連客も含まれるのか?」
 エナバリスがいたずらな瞳で尋ねる。もう四十も過ぎてなお、こういう子供っぽいところにマリナは親しみを感じていた。死んだ兄のような勇ましい男も憧れるが、どちらかというとテリスのような守りたくなるタイプが好きだった。
「ええ、たくさんお金を落としてくれる人から順番に守るわ」
 マリナがいともあっさりそう言うと、男たちは愉快に笑った。
「それはたくさん食べないといけないな」
「是非そうして。でもあなたたちは後回しよ? 強いんだから」
「冗談! 後ろの四人よりお前の方が強いだろう」
「どうかしらね」
 マリナは曖昧に笑った。男というのはプライドが高いので、はっきり肯定すれば心証を悪くする。と言って、明白なことを否定するのも嫌味だ。平和な国の実戦経験のない若い兵士より、ネイゲルディアで何度も実戦を経験してきたマリナの方が強いのは彼らの目にも明らかだった。
「とにかく、力が弱くて何度も来てくれる人から優先に守るわ」
「冗談だったが、思いの外真剣に検討してくれて嬉しく思う。ところで、親バカで悪いが、わしの娘もお前の『身近な人間』に入れてはくれまいか?」
 エナバリスは視線をマリナから逸らせ、少しどもりながらそう言った。
 エナバリスの娘はウィレアといって、今年十七になった少女である。父が父だけに武に優れ、しかも彼女はテリスの店の客ではなかった。さらに美人で強いマリナをひどく嫌っている。
 それでもなおエナバリスが頼むのは、気の強い性格のせいで友達の少ないウィレアを、店名通りいつでも明るい『陽射しの港』の仲間に加えてやりたいからだった。守る守らないというのはこの際問題ではなかった。少なくとも、この時は。
 マリナはその意を汲み、素直に頷いた。
「エナバリスさんの頼みなら断れないわ。何かあったら守ってあげる」
「そうか……それは助かる。その、なんだ、お前は娘を嫌ってはいないのか?」
「ええ、別に、全然」
 マリナは心からそう言った。
 マリナが憎むべき対象は、国を裏切ったエンファスのような人間であり、ネイゲルディアの民を虐殺したユマナシュのような国である。一個人の、ましては自分より弱い人間の憎悪などどうでもいいことだった。
 もっとも、その余裕がウィレアをさらに苛立たせているのだが、それも含めてマリナは無関心だった。
 エナバリスはしばらくじっとマリナを見つめていたが、やがて低い声でぽつりと言った。
「やはり、お前を部下にしたい。気が変わったらいつでも来てくれ」
「ええ、ありがとう。お店が潰れたら考えるわ。あっ、でも潰すためにみんなで来なくなるのはやめてよね。そうしたらウィレアとまとめて嫌いになるわ」
「そんなことはせんよ。少し長居した。今度時間のある時に手合わせ願いたいが、どうかな?」
 不意にそう言って、後ろの四人が一様に目を見開いた。
 エナバリスは実力で将軍になった男で、ティユマン全土でも五本の指に入る腕前だった。そのエナバリスが、いくら強いとはいえ一介の料理屋の娘に手合わせを頼むなど、前代未聞である。
 さしものマリナも苦笑して答えた。
「それは是非。訓練も一人じゃ限界があるわ。でも、私はいいけど、エナバリスさんはきっと退屈よ?」
「ほう、お前が謙遜するとは珍しいな」
「買いかぶりすぎよ、ほんとに」
 マリナの言葉に、エナバリスは意味深な笑みを浮かべた。そして挨拶とともに部下を引き連れて走り去った。
 実際、マリナはそれほど強くはなかった。所詮は二十歳の小娘だし、実戦経験も乏しく、腕力とて男のそれと比べれば格段に落ちる。
 エナバリスがどういう意図で言ったのかはわからないが、正々堂々戦って勝つ見込みは、万に一つもなかった。
 少なくとも、普通に戦えば。
(まさかあの人、あのことを知ってる……?)
 マリナはしばらくエナバリスの背を怪訝な顔で見つめていたが、やがて剣を握って鍛錬を再開した。

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